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マティアスの選択・最終話

館をくれるとはそこで妾として囲われるという事だ。

「私に…私に…妾になれというのですか?あはっ…ははは…あなたは先日、妻一人を大事にするって言っていたのに?」

 マティアスが溜息をついた。

「そうです。私も自分の主義に反するからどうかと思ったのですが…仕方ないでしょう?それにお互い利害が一致しますし」


 ジョゼットは、カッと頭に血が上った。

「最低!私は絶対断りよ!あなたって心まで冷たい鉄だったのね!最低!」

 マティアスは大きく瞳を見開いた。誰もがそうして欲しいと望んだ事をしてやるというのにジョゼットが拒否するのが腹立たしくなった。

「ジョゼ、あなたには選択肢が無いのです。あなたの能力は危険です。機密事項が頭に入っているあなたを私が野放しにすると思っていたのですか?だから私という枷に繋がられるのか、一生を王宮の牢獄で過ごすのかどちらかです」

「牢獄…そこまで考えていたの?誰かの保障がいるなら別にあなたじゃなくても良い筈よ!資料室の仲間なら誰だってね!私はそれならレジスと結婚するわ!」


 レジスと結婚すると聞いたマティアスも、カッと頭に血が上った。いつも仲の良い…しかも相手がそうという態度をとっている男の名を聞いて、マティアスは完全に我を無くした。そしてジョゼットは彼の鉄の仮面が落ちるのを見た!

「それは絶対に許さない!絶対に!」

 マティアスはジョゼットの手首を掴みあげてまるで噛み付くように言った。いつも冷ややかに淡々と物静かに話す彼からは、想像のつかない激しさだった。ジョゼットは驚きながらも負けていなかった。


「私も愛人なんて絶対に嫌!絶対に、絶対に、絶対、イ、ヤ!」

「黙れ!私の物になれ!レジスなどに渡さない!」

「絶対、イ、ヤ!」


 マティアスはジョゼットのもう片方の手首も掴み上げ身体を棚へと押し付けた。その弾みで棚から数冊の本が傾れ落ちたが構わなかった。

「それならレジスを投獄する!」

「じゃあ、結婚するならロダンでもいいわ!ジャンだって」

「君は男なら誰でもいいのか!」

 ぎりぎりと手首の戒めが強くなった。その痛みに顔をしかめながらジョゼットは言い放った。


「あなた以外なら誰だって一緒よ!だけど他の人と結婚するあなたなんか絶対に嫌!」

「黙れ!黙れ!それ以上、私を拒むのは許さない!その口を封じてやる!」


 マティアスはジョゼットの手首から手を離し、激しく拒絶する彼女の顎をとらえた。そして拒む唇を無理やりに塞ごうと顔を近づけたのだ。

 ジョゼットは驚いて大きく瞳を見開いた。しかしマティアスの冷えた唇が触れた瞬間、彼を力いっぱい突き飛ばして扉へ向って走り出した。そして飛び出す前に振向くと一言叫んだ。


「馬鹿!」


 マティアスは体制を崩したまま唖然としてしまった。突き飛ばされた時、我に返った。自分らしくない言動や所業…それに自慢では無いが〝馬鹿〟と言われた事も無い。もう自分でも何が何だか分からなくなって来た。ただ呆然としてしまったのだった。


 そして次の日、ジョゼットは出勤して来ないかと思ったら不機嫌な顔で出て来た。マティアスは少し安堵したが、それもつかの間だった。

「ちょっ、ちょっとジョゼ…閣下が何か俺を睨んでないか?」

 レジスがジョゼの背中を叩いて言った。

「そう?あー待ってジャンこれの方が良いわよ」

 呼ばれて立ち止まったジャンが迷惑そうな顔をした。

「ジョゼ、俺に声かけるなよ。閣下から嫌味言われるだろう?」


 ジャンがチラリと奥にある執務机に座っているマティアスを見た。向こうもやはり此方

を見ている。ジョゼットが彼らに故意的に声をかけたり引っ付いて来たりするので、マティアスが不機嫌になっていたのだ。レジスとジャンはお互いに顔を合わせた。先日から誰も口に出す勇気は無かったが、そうだろうなと皆気が付いていた。マティアスがジョゼットを好きなのだろうと誰もが思っていたのだ。しかし今日は特にそれが酷い感じだ。


 ジョゼが皆に笑顔を振り撒けば、マティアスが苦虫潰したような顔をする。昨日の夕方から彼の仮面は外れたままのようだった。とにかくこの一日を無事に乗り切り、明日には元通りになっているのを皆、願わずにはいられなかった。

 その一部始終をジェラールは楽しそうに隠れて見ていた。フェリシテからだいたいの内容は聞いていて面白くなってきたと思ったようだ。そして席を外したマティアスを廊下で捕まえて早速話しかけたのだった。


「マーティーア~ス。ちょっと話しがあるんだけれど」

 マティアスは歩みを止めず溜息をついた。

「またですか?かなりお暇なのですね。それでしたらもっと仕事を差し上げましょうか?」

「嫌味はいいって。それよりもさっきのあれは何?あれは嫉妬?」

「本当にお暇なのですね。よく分かりました。陛下に伝えておきましょう」

「自分に都合が悪くなると直ぐそう切り返すんだね。で、ジョゼからは告白された?」


 マティアスは立ち止まって王子を見た。


「本当に良くご存知ですね。まさか資料室に間者でも置いているのですか?」

「ああ、やっぱりそうなんだ。それで返事は?彼女をどうするつもり?」

 マティアスはジロリと王子を睨んだ。

「彼女には私の物になるようにと提案しました」

「それって!まさか…いや~見直したよ。マティアス」

 ジェラールが驚喜した。

「彼女の頭にある機密の件もありましたから、湖畔の館を与えると言ったのですが…拒否されました」

 マティアスの続いた言葉にジェラールは呆気にとられてしまった。


「まさか…それは妾にということか?」

「はい。直接的な言い方ですとそうなります。断られましたが…」

「それはあの子だったら怒るだろう…しかしそういう結論か…まあ仕方が無い。こればかりは本人の気持ちだからね。でもこないだ言った件は考えた?フェリシテを本気で自分のものにしてみせると言った言葉も瞳も本気かと思ったけど実際、叔父上に持って行かれそうになってもお前、全く平気だったよな?そして私が彼女を手に入れても…」


 マティアスは思ってもいなかった事を言われて戸惑った。

「それは勝負でしたし…貴方がジェラール殿下だったのですから天の花嫁は当然王位継承者のものと決まっております。ですから…」

「勝負に決まりね…私は違ったな。全ては死んだユベールの為、自分の運命を呪い自分の命を懸けた信念の前にフェリシテへの愛が勝った…彼女が見る全てのものに嫉妬して気が狂いそうだったよ。特にレギナルト皇子が出て来た時はもう最悪だったな…本当に欲するものがいたら何がなんでも手に入れたいと思い願うもの…マティアス、お前にはそれが無い寂しい奴なのか?ジョゼがこれから誰かの花嫁になっても、色々理由をつけてそうしているのか?」


 ジェラールのいつもの愛についての講義は聞き飽きていた。しかし最後の言葉で昨日の言い争いを思い出した。彼女は自分以外の男と結婚すると言っていた。


「ジョゼが拒んでいるのだから、これからもお前と彼女の道は繋がることが無い。しかも彼女は、何も期待はしていないから意外とお前のこと諦めるかもな。となると…あんなに可愛いんだ、直ぐに誰かのものになるのは自然だね。簡単な方程式だろう?優秀な頭脳なら分かるだろう?」


(ジョゼットが誰かのものになり、あの笑顔はその男のものだけになるのか?)


そう思うとマティアスは先日からカチリと合ってきた数式が瞬く間に組みあがってきたようだった。オベール公やジェラールに感じなかった憤りを、まだ見ぬジョゼの夫に抱いた。それはジョゼの恋人かと思った男や、彼女に言い寄る部下達に感じた燻る炎のような感情と一緒だった。

胸の奥をチリチリと静かに焼くような想い―――

フェリシテに抱いた熱い想いとは違って当然だった。さっきも言ったようにフェリシテは勝負だったのだ。勝者に与えられる素晴らしい景品のようなものだ。だから熱くもなったし勝負が決まれば熱も冷めた…


 しかしジョゼットは全く違う存在だった。何を仕出かすのか分からない彼女に振り回されながら、楽しんでいたのだ。他人より少しばかり優秀で簡単に何でもこなしてしまうマティアスが唯一困る存在が彼女だった。退屈な毎日がジョゼットと過ごすようになって一変したのだ。彼女がいない日々は退屈で堪らなくなるに違い無い。


 マティアスはジェラールを無視して踵を返すと、真っ直ぐ資料室へと向った。

そして扉を大きく開くとまた風が吹きぬけた。

ジョゼットが気分転換に窓を開けていたのだ。風の通り道が出来て窓辺に居たジョゼットの髪が舞い上がった。髪を押さえる手元にはキラキラ光る鎖が揺れていた。


 眩しいものでも見るようにマティアスが瞳を細めると、ジョゼットに向って歩き出した。彼のただならぬ様子に皆は注目していた。息を弾ませたその姿は走って来たと直ぐに分かったからだ。走らなければならないような余裕の無い行動する者は無能の証拠と言っていたマティアスを皆は知っている。その言葉の通り彼が走ったのを見た事は無かったのだ。


その中を気にする事なく…いや、全く見えていないのだろう。

マティアスはジョゼットだけを見つめて進んだ。

「ジョゼット、先日の私の愚かな申し出を許して下さい。あなたの言うように私は全く馬鹿でした」

 周りはぎょっとした。そして王国一の頭脳と言われるマティアスを馬鹿呼ばわりするとは…とジョゼットを見た。

 ジョゼットも驚いた。謝ってくるとは思わなかったからだ。しかし驚くのはまだ早かった。続く話に仰天したのだ。


「結論から言いますと、私はあなたを誰にも渡したくないらしいのです。機密の為だとか理由を付けて、ただ私があなたを放したくなかっただけでした。私の決められた結婚など自分にとって此処にある資料の一枚より価値の無いものだと思っていましたが、あなたが嫌なら止めます。だから私と結婚して下さい」

 資料室全体が固唾を呑んで静まり返り、ジョゼットを見た。ジョゼットはマティアスを見上げて瞳を見開いたままピクリとも動かなかった。二人の視線は絡み合ったままだ。ジョゼットが唾を飲み込んで口を開いた。


「決められた…け、結婚は王族の義務だわ…」

「義務は放棄します」

「わ、私は身分が低いから家格に合わないわ…」

「それなら私が公爵家を捨てます」

 ジョゼットは首を振った。

「そんなことしたら大変な事になって、みんなから嘲られるわ!」

「それなら誰も知らない土地に行きます。国を捨ててもいい!あなたが頷いてくれるなら何もかも捨てて構いません。王族の義務も公爵家も国も誇りも何もかも…ジョゼ、あなたと共にある方に私は価値を見出しました」


 必死に訴えるマティアスの顔は鉄仮面では無かった。ひたすら許しを請い、愛を訴える一人の男だった。マティアスはジョゼットが胸元で握り締めていた右手に触れた。その指は手首に下がった鎖をなぞっていた。

「この鎖のようにあなたを繋げられたらいいのに…愛しています。ジョゼット、結婚して下さい」

 ジョゼットは頷く代わりにマティアスの首に抱きついた。それと同時に周りから喝采の声がどっと上がると、マティアスは彼女を思いっきり抱きしめた。


 その様子をこっそり窺っていたジェラールもやれやれと言う顔をして何処かに消えたのだった。


 一夜にしてとうとう王国崩壊か?とまで言われたマティアスの求婚劇は王宮を駆け抜けた。喝采する者から嘲笑う者に羨ましがる者まで様々だ。ジョゼットは真っ青になったがマティアスはいつもの鉄仮面だった。そしていつものように出勤して来て変わらず仕事をしていた。しかしジョゼットの前では見事に仮面は外れるようだった。

 ジョゼットは普段通りにしているマティアスを見ていて居ても立ってもいられなかった。周りに皆がいても構わずに訊ねた。


「閣下!昨日言っていた事は嘘ですよね?全部捨てちゃうとか?」

「…私が公爵でなくなったら嫌ですか?」

「私が嫌とかじゃなくて!閣下が…」

 ジョゼットは上手く言えなかった。しかしマティアスは分かってくれたようで、微笑んでくれた。

「大丈夫です。私は肩書きが無くてもそれなりに何でも出来ると思います。だから安心して下さい。隣の帝国に行ってもいいでしょうし」

 部下達はどよめいた。彼らはもちろん二人を応援しているが、マティアスが居なくなったら困るのだ。


「それは許さないよ、マティアス!」

 ジェラールが突然現れて話しを遮った。王子は愉快そうに口元を緩めている。

「国外に出るなんてとんでもない!優秀な人材を帝国にやるつもりは無いからな。私が楽出来なくなるだろう?駆け落ちして貰ったら困るから私からの婚約の祝いだ」

 ジェラールはそう言って、ぽいとマティアスに書簡を投げた。

 それを開封したマティアスは瞳を見開いた。


「私とジョゼットの結婚承認書?」

「そう。王族の結婚は国王と大神官の承認が無いと出来ない。だから母上は丸め込んで、大神官は脅して承認させた」

 マティアスは信じられないという顔をした。彼がどう考えてもジョゼットが認められる条件を見出す事は出来なかった。だから表立って慌てても仕方が無いと思い、王子の言うように出奔を計画しようとしていたのだ。

 ジェラールは自慢気に話し出した。


「簡単なことだったよ。私には天の花嫁がいて最も純粋な血統が継げるというのに、マティアスにその義務をどうこう言う必要はないだろう?血の薄まった時代でもないんだからね。だからそんな固いこと言うなら私は子供を作らないって言った訳。そうしたら血相変えて書いてくれたよ」

 マティアスもジョゼットも周りにいた者も、全員唖然として開いた口が塞がらなかった。


「王子…そんな脅しをするなんて…」


 しかし大神官は脅しと思わなかっただろう。マティアスももし同じ立場で言われたらそう思う。ジェラールの意志は尋常では無いし、奇想天外な事を平気でするからだ。彼ならやりかねないのだ。

「私に一生感謝してくれよ、マティアス。それにお前の息子に私の娘を嫁がせよう。これで文句を言う者もいないしシャブリエ家も安泰だろう?」

 マティアスは呆れた。

「貴方が楽をしたいだけでしょう?まだ生まれてもいない息子や娘の話をして、またフェリシテから怒られますよ」


「大丈夫。これはフェリシテの提案だからね。二人の話を聞いて自分がいっぱい子供を産んでやるって意気込んでいたよ。そう言って大神官を黙らせて来いってさ!」

「フェリシテったら…」

 ジョゼットは嬉しくて涙ぐんだが、その肩をマティアスが優しく抱いた。

「それを聞くと王子の功績と言うよりフェリシテの貢献度が高いようですね?」

 冷ややかに言うマティアスに、ジェラールが嫌な顔をした。

「相変わらず嫌味な奴だな。分かった、分かったちゃんと他に祝いをやるよ。何がいい?」


「そうですね…とり敢えず婚約祝いはハンカチを千枚ほどお願いします」


 ジョゼットはぱっと赤くなったが、ジェラールはえっ?という顔をした。

「まさか?それは冗談?しかしお前が言う訳が…」

「私は戯言など申し上げないと言いましたでしょう?それとそれは吸湿性の良い一級品でお願いします」

「え?どういう事?マティアス?」

「それは――」

 ジョゼットがマティアスの胸を叩いた。


「駄目!言わないで!もうっ!知らない!」


「冗談です。ジョゼ、怒らないで」

 マティアスは焦っておたおたした。

そして彼の見慣れない慌て振りに、ジェラールは目を丸くしてしまった。

「なんだ、やっぱり冗談?マティアス、お前も冗談言えるようになったんだ。それはいい!人生は楽しく!ははははっ」

 ジェラールの笑いに周りもつられて笑った。


しかしその後、王子から千枚のハンカチがしっかり贈られて来たのだった。冗談では済ませないのが王子らしいが冗談のつもりでは無かったマティアスは喜んだとのことだった。


――終――


やっとマティアスが自分の気持ちの気が付いたと思ったらいきなり駆け落ち宣言!頭脳明晰過ぎて切れると途方もない方向に突き進む感じですね。ジェラールは片腕のマティアスが居なくなると自分が困るので大慌て(笑)本当に困った王子です。この回で最終話ですが、マティアス&ジョゼットに関係ない、おまけの話を1話書いています。王子とギスラン夫妻の話です。良かったら訪問ください。

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