マティアスと外出!! (1)
「ただいま――っ、休憩しましょ!」
元気良く入って来たジョゼットの声に嬌声があがった。
「お帰りなさい、ジョゼ」
「閣下、ありがとうございました。仕事は大丈夫でしたか?」
「はい、もちろん。強力な助っ人もいましたし、皆がとても良く頑張ってくれましたから今日の仕事はほぼ終わっています」
「す、すご~い」
机の上で黄金の波が動いた。そこに力尽きてうつ伏せているジェラールだ。
「ジョゼぇ~助けてくれぇ~」
情けない声が聞こえて来たが次の瞬間、飛び起きた。
「フェリシテ!」
「ジェラール、ちゃんと頑張ったようですね?安心したわ」
「もちろんじゃないか!お礼はここで良いからねっ」
ジェラールはそう言って自分の唇に指を当てて微笑んだ。その仕草は女心をくすぐって目を奪われる程、悩ましく魅力的だった。
「リリアーヌ、王子すごいね?私だったらよろめくかも…」
「ジョゼったら」
ジョゼットとリリアーヌがひそひそ話していたが、フェリシテはその魅惑の王子の頬をぺしっと叩いた。
「そんなことしません!」
相変わらずお堅いフェリシテはそんな冗談は通じないらしい。やれやれと思ったマティアスが助け舟を出してきた。
「皆が貴女達とお茶をするのを楽しみにしていたのですから休憩しましょう」
待っていましたとばかりに歓声が広い資料室に沸き起こった。子供のようにはしゃぐ男達に彼女達がお茶を配って回った。
「私達が今、作ってきたのよ、どうぞ」
ジョゼットがそう言ってビスケットを出した。その中から例の形の悪いビスケットばかりジェラールは摘んでいた。そしてリリアーヌにそっと耳打ちした。
「これってフェリシテが作ったのだろう?」
「ええ、そうです」
「やっぱりね」
嬉しそうにそう言うと、ぱくっ、と食べた。その会話を耳にしたマティアスは三種類のビスケットを見た。
(成程、形が悪いのがフェリシテで、この一番形が良いのがリリアーヌだろう。そして…)
マティアスは、くすっと笑った。もう一つは他の二倍の大きさだったからだ。実にジョゼットらしいと思った。そしてマティアスはそれだけを摘んで食べたのだった。
それにしてもとマティアスは周りを見渡した。異常な盛り上がりを見せているのはフェリシテと言うよりも、リリアーヌの存在が一番だろうと推測した。フェリシテは手の届かない花だがリリアーヌが誰なのか知らない部下達は可憐な少女としか思っていないだろう。
(人妻ですけどね…)
夢を壊すべきか?このまま夢だけ見させるべきか?と思っていた所へ現実がやって来た。ギスランがやって来たのだ。
「リリアーヌ!」
皆の話に笑っていたリリアーヌが驚いて立ち上がった。
「ギスラン様?」
つかつかと足音高く入って来た西の元帥オベール公爵を知らない者はいない。一瞬で騒いでいた者達が静かになった。
「これは叔父上、どうなさいました?」
「ジェラール、お前まで、何故ここにいる?」
ギスランはむっとした顔をした。何かとリリアーヌの近くで見るのが気に入らないのだ。
「何って、マティアスの手伝いをしていましてね。やっと終わって休憩中です」
ジェラールは肩を揉む仕草をした。
「まあいい。私も仕事が終わったところだ。リリアーヌ帰るぞ」
「あっ、はい。じゃあまたね、ジョゼ。皆様、楽しかったです。ありがとうございました。お先に失礼させて頂きます」
優雅にお辞儀をしたリリアーヌを、ぽかんと皆は見つめた。ギスランはそれらに一瞥すると、彼女の肩に腕を回して自分に引き寄せ退室して行ったのだ。
「も、もしかして彼女はあの有名なオベール公の幼妻?」
部下の一人がジョゼットに聞いた。
「ええ、そうよ」
「嘘だろう?そんなぁ~」
その答えに皆の夢が壊れる音が聞こえたような気がしたのだった。
先日の甘い夢は捨て、やはり近くの女の子だろうと考え直した男達はジョゼットに行動をおこし始めた。その中でも積極的なのはレジスだ。
「ジョゼ、明日は休みだろう?でも家には帰れないんだよな?」
「ええ、そうよ」
「俺も明日休みなんだけど、俺ここに来るから会わないか?」
「え?ここにって――」
「それは駄目です。彼女は私と約束がありますから」
その声にぎょっとして二人が振向くと、彼らの真後ろにマティアスが立っていた。マティアスの細められた瞳で、上から見下ろされたレジスは飛び上がるようにしてそそくさと立ち去った。
「あの私、閣下と何かお約束した覚えはありませんけど…」
「そうですね。今からします。明日の十時、王宮図書館の特別閲覧室に来て下さい」
「仕事ですか?」
「……いいえ」
「では何をするのですか?」
「……私は少し調べものがありますが、その後は少し出かけます」
「はあ?」
ジョゼットの納得していないような返事にマティアスも一瞬黙り込んだ。彼女を誘うレジスを見かけて思わず邪魔をしてしまったのだ。ジェラールから再三言われていた。ジョゼットの正体を明かすと、今まで道ならぬ恋と思っていた奴らが出てくるだろうとの事だった。だから彼女に言い寄る男を特定がしやすくなるから見張って守れというのだ。忙しいのにと思ったがいつの間にか率先していた。まるで保護者の気分だ―――
次の日、早朝からジョゼットはお昼の弁当を作って籠に詰めていた。王宮に泊り込みと言ってもジョゼットは使用人達が住まう棟に入っていた。それでも食事は食堂で出来上がったものを食べられるし、宿屋に泊まっているようなものだった。厨房の人達とも仲良くなっていたので、快く材料と場所を提供して貰ったのだ。
「準備終了!」
ジョゼットはこれが必要なのかどうかも分からなかったが、天気が良いので素敵な庭で食べるのもいいかなぁーと思い立ったのだ。しかしマティアスが一緒に食べると言う想像は出来なかった。
(一人でも外で食べたら休暇みたいでいいじゃない?でもどうしてこんな事になったの?)
ジョゼットは首をひねりながら図書館へと向った。
王宮図書館は資料室とは違いもっと幅広い内容の本があり、中は迷路のように広かった。特別閲覧室の場所を見取り図で確認して向うと、その場所は直ぐに分かった。そこは王族しか使用出来ない特別仕様の空間だった。机も椅子も特別仕様だし、専任の侍女付きなのだ。既にマティアスは何冊か本を積み重ねた状態で、ずいぶん前から来ていたようだった。
ジョゼットはそっと声をかけた。
「おはようございます。閣下、遅くなりました」
側に控えていた侍女が大きく目を見開いた。ジョゼットが先に声をかけたからだ。
「ああ、おはよう」
マティアスが何ともなく答えたので侍女は更に目を丸くしていた。
「調べもの、お手伝いしましょうか?」
「嫌、大丈夫。欲しいものは持って来たから…少し待っていて下さい」
マティアスは本から顔を上げずに言った。
ジョゼットは何処にいたらいいのかと辺りを見渡したが、彼女の動く気配を感じなかったマティアスは顔を上げた。
「此処に座りなさい。君、彼女にお茶を」
マティアスが示したのは彼のすぐ隣の席だった。そして侍女にお茶を頼んでくれた。
ジョゼットは何もする事が無いので、適当に選んだ本を持ってきてぼんやり読んでいた。気が付くとマティアスが驚いた事に、本を開いたまま机にうつ伏せで寝ていたのだ。
(うわー疲れているんだろうな…だいたい今日、休むとか言って無かったし、休まれたのも見た事ないものね…あっ、まつ毛が長~い…ふふふっ)
静かな寝息を聴いていると、ジョゼットも欠伸が出てきた。昨日の夜は何だか興奮してよく寝られなかったせいもあった。ジョゼットもうとうとし始めて、とうとう同じく机にうつ伏せてしまった。仲良く頭を付き合わせるように寝てしまった二人を、控えていた侍女は呆れ顔で見たのだった。
マティアスが先に気が付いた。ふと目を覚ますと、ひな鳥色が瞳に飛び込んで来た。驚いて顔を上げれば自分が寝ていた事に気が付いた。そして目の前のジョゼットも、すやすやと寝ている。その顔はあどけなく楽しそうだった。マティアスは誘われるように無意識に手を伸ばし、彼女の髪を触った。子供の頃、飼っていたひな鳥のようにふわふわ柔らかい。いつまでも触っていたいような気持ちになってきた。
(この気持ちはいったい…庇護する子供かと思ったり…愛玩動物かと思ったり…)
マティアスは彼女に対する感情を持て余していた。持て余す…それが正直な気持ちだろう。フェリシテに以前抱いた熱い想いと全く違うこの感情を〝恋〟とは呼べないのだ。〝恋〟で無いのなら何だろうと思うのだが…マティアスの頭脳でも答えは出なかった。
ジョゼットが身じろぎしだしたので、マティアスは彼女の髪を触っていた手を引いた。ジョゼットははっとして目が覚めた。
「えっ!私、寝て?」
顔を上げるとマティアスの無表情の顔と目があった。
「す、すみません!私、寝てしまって!あっ、よだれ!」
ジョゼットは慌てて口元を乱暴に手で拭った。化粧はもちろん紅もひいていない唇は手でこすられて薄紅色に染まってしまった。
マティアスは頬を引きつらせて我慢したが、とうとう吹き出してしまった。ジョゼットの仕草や行動は予想を超えるものが多く、マティアスにとってかなり新鮮であり飽きない存在だった。
ジョゼットは真っ赤になってふて腐れた。最近こういう事はよくあるのだ。鉄仮面の司令官が急に表情を崩してしまう。ほとんどジョゼットに起因するのだが…部下達も見慣れない余り、今に天変地異が起きるだとか、妖魔が大軍で攻めて来るとか言う者までいた。
しばらく笑っていたマティアスはすっと顔を元に戻した。
(…やっぱりいつ見てもびっくり!ぴたっ、と止まって元に戻るなんて!)
ジョゼットは呆れ顔だったが、マティアスは気にした様子も無く淡々と言った。
「昼になってしまったから食事をして出かけましょう。二階に見晴らしの良い部屋があるからそこに用意させて…そこの――」
「あっ、食事でしたら私、お弁当を作って来ましたから、お庭で食べませんか?外で食べ易いように手で食べられるようにしていますし」
ジョゼットはそう言って、持参して来た籠を机の上にドンと置いた。そしてほらっ、と言って被せてあった布を取って自慢げに中身を見せた。
それをマティアスは覗いたが側に居た侍女もそっと背伸びして覗いた。中身は薄く切ったパンに肉や野菜や卵を挟んだものや、揚げものに可愛く切った果物など庶民的な素朴なものだった。もちろん王族が食する類では無い。
しかしマティアスは気に入ったようだった。
「これは素晴らしい。自分で作ったのですか?」
「はい。もちろん!お口に合うかどうか分かりませんけれど、私的には美味しいです」
「私的に?くくくっ…」
またマティアスが笑い出した。その言い方も気に入ったようだった。
始終呆れ顔だった侍女に見送られながら、二人は王宮の庭園にある東屋で食事を済ませた。しかしその間もマティアスからずっと笑われ続けてしまった。
ジョゼットは大きな口を開けてパンにかぶりつき、その下から挟んだ具が飛び出してしまって大慌てした。ソースで手をベトベトにしているし、お茶を自分のドレスにひっくり返していた。
マティアスは笑ったら悪いと思いながらついつい笑ってしまった。そして自分のハンカチを出すと、ジョゼットのソースの付いた口元を拭ってやったのだ。その時、指が唇近くに触れてしまいお互いドキリとしてしまった。
マティアスは止まってしまったその手を再び動かして、ジョゼットに渡した。
「…あなたといるとハンカチが一枚では足りないようです。今度から沢山用意する事にしましょう」
「す、すみません」
ジョゼットはまた真っ赤になってしまった。そして自分の悲惨になったドレスを見た。何だか緊張してしまって失敗ばかりしてしまった。男の子の格好をしている時の方がいつも気を張っていて失敗しなかったのだが…
(さすがに呆れただろうな…)
ジョゼットはドレスの染みの分だけ悲しくなってきた。
「すみません!私、ちょっと着替えてきます!」
立ち上がったジョゼットの手をマティアスが掴んだ。




