15 転落
わたくしの体重を支えられず、木の枝が限界までしなります。
枝が折れるのと、わたくしの指先が限界を迎えるのではどちらが速いでしょうか。
身体の傷程度で次期当主としての価値が無くなるとは思いたくはありませんが、縁談には響くでしょう。
わたくしは次期当主として失格です。このようなことになる前に、ヴァルハイト様に引導を渡しておくべきでした。
「エレノアッ!」
その時でした。
わたくしの名を呼ぶ、悲鳴にも似た声が聞こえたのです。
「エレノアお嬢様っ!!」
執事の声です。
ですが、わたくしの腕は助けを待たずして限界を迎えました。
「……き、きゃあああぁぁぁ!」
わたくしの部屋は二階でした。
下は植え込みがあったように記憶しています。上手くそこに落ちれば、かすり傷で済むかもしれません。
執事がいるのであれば、直ぐに適切な処置も施してくれるでしょう。
ですが、実際に傷を負ったのは、覚悟を決めたわたくしではなく──
植え込みとわたくしに挟まれた、ヴァルハイト様でした。
*――*――*
「お嬢様は手の平のかすり傷程度ですが、お身体には見えぬ負荷はかかっているため、今夜痛みが出るかもしれません。明日の朝まで安静にお過ごしください。
そして、ヴァルハイト様。傷は多いですが、幸い跡になるほど深いものはありません。後程侯爵家の主治医に手紙を送っておきますので、そちらで指示を受けてください」
「すまない。手間をかける……」
あのあと、わたくしたちは、屋敷の一室に場を移し、医師の診察を受けました。
どうやら定刻より早く到着したヴァルハイト様は、執事と共に一足早く中庭にいらしていたそうです。
そこへ悲鳴が聞こえてきたため、声のした方に駆けつけると、わたくしが落ちてきたらしく、慌てて植え込みとわたくしの間にご自身の身を挺してくださったらしいのです。
ヴァルハイト様の服や髪には、枝葉が。頬や手にはかすり傷が無数に出来ていました。
「格好よく助けられたら良かったんだが……すまない。ドレスの裾が破れてしまっている……」
ヴァルハイト様は、包帯を巻かれた自身の手で、顔に貼られた大きなガーゼに触れながら、苦笑いを浮かべられました。
「そんな、この程度どうってことありません! それより、ヴァルハイト様のお体が……」
「俺は男だし、こんな傷すぐに治るさ。それより君に傷がつかなくてよかったよ」
「いいえ、いいえ……、助けていただいて、ありがとうございます──」
どんなに感謝しても足りません。
そういって微笑むヴァルハイト様にお礼を伝えていると、部屋の外が騒がしくなりました。
「アレクシス様がいらっしゃるのでしょう? とても大切なお話があるの」
リリアの声です。
あの時、必死に掴んでいた枝の向こうの窓に、微笑を浮かべわたくしを見つめていたリリアをヴァルハイト様と執事はしっかり見ていたそうです。
リリアをわたくしに近付けないため、執事が入室を断ろうと部屋の扉を開けた隙を突き、リリアが体を捻じ込み部屋に入ってきてしまいました。
「申し訳ありません」
仕方ありません。部屋に入れぬよう言葉をかけることはできても、執事が命令もなくその家の令嬢に手を出す訳にはいきません。
「アレクシス様……!」
リリアはヴァルハイト様を見つけると、笑顔で駆け寄ってきました。
この妹は、確かにわたくしを殺めようとしました。
本人にそのつもりがなくとも、そうとられても仕方がない行為をしたのです。
なのになぜ笑っていられるのか──リリアが得体の知れない女性に見え、わたくしは今更恐怖を感じ、自分の身体を抱き締めました。
ヴァルハイト様が一歩前に出て、わたくしとリリアの間に入る形で、リリアを迎えました。
先程、命を助けて頂いたからでしょうか。リリアと相思相愛であるはずなのに、ヴァルハイト様のその行為が、リリアからわたくしを守ってくださっているかのように感じました。
「リリア嬢。それ以上近づかないで頂きたい」
ヴァルハイト様の言葉に、室内にいた執事が、一歩こちらに近付きました。
扉側に控えていた家僕も、リリアの後ろへと移動してきました。
「え……アレクシス様? 何をおっしゃっているの?」
周囲の物々しさを不思議に思ったのか、リリアは首をコテンと傾げました。
「……君がしたことを考えれば当然の対応だろう」
「アレクシス様、おっしゃっていることが分からないわ。それより大切なお話があるの」
リリアはヴァルハイト様を嬉しそうに見上げ、微笑みましたが、それに答えた彼の声音は冷えた物でした。
「私には君と話すことなどない」
「なぜそんな意地悪を仰るの……?」
リリアは困惑を隠さずにそうつぶやくと、ヴァルハイト様を見、その後ろで震えるわたくしを見ました。
「あぁ、お姉様の前だからなのね? 大丈夫よ。私お姉様にお願いしたの。この家を私に頂戴って。お姉様は嫌がっていたけど、私とアレクシス様の『真実の愛』を邪魔すれば悪役令嬢がどんな末路を辿ることになるのか、さっきのことで分かってくれたと思うの。
だから、この家は私が継ぐことになるわ。私たちの『真実の愛』に『障害』は無くなったの!もう、そんな演技はしなくて良いの。無理にお姉様と結婚しなくてもいいのよ!!」
「──私には君に好意を告げた記憶も、演技をした覚えも無い」
恐ろしいことを嬉しそうに話すリリアを、ヴァルハイト様はそう言って、一蹴されました。
わたくしは、彼はリリアを切り捨てることにしたのだと思いました。
これまでにわたくしが垣間見たヴァルハイト様の言動から考えると、その差は一目瞭然でしたから。
あからさまな掌返しに、わたくしの気持ちは一気に冷えました。
そうです。リリアがこの家を継ぎヴァルハイト様を伴侶に迎えることはもちろん、リリアを切り捨てたヴァルハイト様をわたくしが迎えて、めでたしめでたしとなるわけにもいかないのです。
わたくしは何があろうと、後継の座を譲るわけにはいかないし、すぐに裏切るような方を伴侶として迎えるわけにはいかないからです。




