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目利き 八百屋が異世界転生して 腐った王国を見切り世界を救う話  作者: もしものべりすと


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第二十一章 見切り

俺の指先から、緑色の光が広がっていく。


 人型の表面に触れた光は、まるで水が砂に染み込むように、澱の内部に浸透していった。


 俺は目を閉じた。


 頭の中の、目利きの「見え方」がぐんぐん広がっていった。


 俺は世界そのものを目利きしていた。


 北の山脈に、千年前の戦の、誰にも弔われなかった戦士たちの怨念が滞っている。


 南の海底に、流されなかった商人たちの約束の証文が沈んでいる。


 東の森に、誰にも食われずに地面に落ちて腐っていった、無数の果実が層を成している。


 西の砂漠に、誰にも届かなかった子供たちの祈りが、風に散らばっている。


 俺はそれらを一つ一つ、目利きで見極めていった。


 目利きは、商品の鮮度と等級と、将来の傷み方を見抜く技だ。


 それを世界規模で応用する。


 俺は世界中の「滞っているもの」の、それぞれの性質を見極めた。


 次に、見切りだ。


 見切りは、売れ残りそうな商品の適正な値段を、付け直す技。


 俺は世界中の「滞っているもの」を、もう一度世界に「流せる」ように、値段を付け直した。


 戦士たちの怨念は、彼らの遺族への感謝の言葉として流す。


 商人たちの証文は、現代の商人たちへの学びとして流す。


 森の果実は、その森の土地そのものへの養分として流す。


 子供たちの祈りは、それを必要としている今の子供たちへの慰めとして流す。


 すべての「腐ったもの」を見切って、新しい価値を付け直す。


 そして最後に、分荷だ。


 分荷は、仕入れた品物を行き先別、品質別、用途別に仕分ける技。


 俺は世界中の「見切った」ものを、それぞれの「行き先」へ流していった。


 俺の指先から伸びる緑色の光が、人型の体を経由して、世界全体に広がっていった。


 俺はその光景を頭の中で見ていた。


 光は糸のように、世界中を駆け巡った。


 その糸は世界の隅々で、滞っていたものをほどき、解き、流していった。


 北の山脈の戦士たちの怨念が、ふっと消えた。代わりに、彼らの遺族たちの胸に、温かい何かが宿った。


 千年前に夫を戦場で失った妻の魂が、最後に、夫の最期の笑顔を見た。


 二度と帰らなかった父を待ち続けた子供たちが、夢の中で、父の温かい腕を感じた。


 南の海底の証文が、海の藻の養分に変わった。


 守られなかった約束の紙が、海中で藻になり、藻は魚を育て、魚は漁師の家族を養い、漁師は新しい商人と、新しい約束を交わす。


 東の森の果実が、土に還り、新しい木の芽になった。


 誰にも食われずに腐っていった果実が、その木の根元で、次の世代の木を、育てた。


 西の砂漠の祈りが、世界中の子供たちの夢の中で、優しい声に変わった。


 寝床の中で、孤独に泣いていた子供が、ふと、誰かの優しい声を聞いて、安心して眠った。


 澱の塔が低い音を立てて、崩れ始めた。


 灰色の砂がぱらぱらと、地面に落ちた。


 腐敗物が土に還っていった。


 錆びた剣が砕けて、鉱石に戻った。


 塔の高さが半分になった。


 四分の一になった。


 八分の一になった。


 最後に、人型だけが残った。


 人型はゆっくりと両膝を地面についた。


 その表面の無数の口が、最後の深い息を吐いた。


「あり、がとう……」


 その声は、もう怨念ではなかった。


 それは千年二千年、待ち続けた誰かの感謝だった。


 俺は人型の表面に両手を置いた。


 人型はゆっくりと、灰色の砂に戻っていった。


 砂は地面の上に薄く広がった。


 風がその砂を吹き散らした。


 砂は消えた。


 俺は両膝を地面についた。


 全身の力が抜けた。


 息が激しく上がっていた。


 爪の隙間の緑色の汁が、まだ染み込んでいた。


 俺は両手を見つめていた。


 ガウェインが駆け寄ってきた。


「タドコロ殿!」


「大丈夫だ」


 俺は低く答えた。


「ただ、少し、疲れた」


 ガウェインは片腕で俺を支えた。


 エルヴィラがよろよろと、俺の前に来た。


 彼女は両膝をついて、深く頭を下げた。


「タドコロ殿……あなたは本当に、世界を流されました」


「ただ、商売をしただけだ」


「いいえ。あなたは千年二千年、誰にもできなかったことを、なさいました」


 ヴァルターも千人の支援部隊も、全員が地面に膝をついていた。


 彼らの目に涙があった。


 俺は立ち上がろうとした。


 しかし立ち上がれなかった。


 代わりに頭上の空が、不思議な光に包まれた。


 二つの月がゆっくりと近づき、一つに重なった。


 その重なりの中心から、巨大な光の渦が降りてきた。


 光は俺の周りをゆっくりと回り始めた。


 エルヴィラが息を呑んだ。


「タドコロ殿……これは……世界の〈摂理〉の光……」


「摂理?」


「あなたが世界の腐敗を、流し終えました。その代償と報酬として、世界の摂理があなたを元の場所へ、お戻ししようとしております」


「元の場所」


 俺はエルヴィラの目を見た。


 彼女は深く頷いた。


「あなたはこの世界の住人ではありません。あなたの存在は、世界の摂理にとって本来、矛盾でございました。今、その矛盾を解消する時です」


 俺はしばらく無言だった。


 帰れる。


 日本に帰れる。


 父と母のもとに帰れる。


 商店街と八百勝のもとに帰れる。


 心の中に、安堵と痛みが同時に押し寄せた。


 ガウェインが低い声で言った。


「タドコロ殿。我らは永遠に、貴殿のご恩を忘れません」


「ガウェイン殿、左腕の傷、もう痛まないか」


「片腕でも、王国を守るには十分でございます」


 彼は笑った。


 エルヴィラが深く一礼した。


「タドコロ殿、あなたから教わったことは、すべて私の弟子たちに伝えてまいります」


「エルヴィラ殿、無理はするなよ」


「私の老いた魔力では、まだ八十年は戦えます」


 彼女も笑った。


 ヴァルターが両手を握りしめた。


「タドコロ殿、辺境伯領は永遠に、貴殿の名を刻み続けます」


 俺は彼の肩を軽く叩いた。


「ヴァルター、頼んだ」


 千人の支援部隊が、地面に頭をつけていた。


 光の渦が俺を包んだ。


 俺の体がゆっくりと地面から浮かび上がった。


 俺は最後に、リリの墓があるであろう南東の方角を見た。


 心の中で小さく呟いた。


「リリ。お前の宿屋、守られた。世界に、お前のえくぼとお前の歌が、ちゃんと流れた」


 心の奥で、もう一度、彼女の声が聞こえた。


 お、客様……お帰り、なさい……。


 そして、商店街のお婆ちゃんの声。


 翔太くんとこの大根は、煮ると甘くてねえ。


 その二つの声が重なって、俺の中で響いた。


 日本と、異世界。


 二つの世界で、俺を待っていてくれた人々。


 俺がこうして世界を流すことができたのは、彼らがいたからだった。


 母がよく言っていた。


 翔太、人は誰かに待っていてもらえる時に、一番強くなれるんだよ。


 俺は目を閉じた。


 光が強くなった。


 次の瞬間、俺の体はその光の中で消えていった。


 地上に残された千人の仲間たちは、しばらく地面に膝をついたまま、空を見上げていた。


 二つの月が再び離れ、それぞれの位置に戻っていった。


 空は晴れ渡り、清らかな風が〈グール荒野〉を吹き渡った。

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