第二十二章 リリの墓と、二つの月
翔太が光に包まれて消えてから、一年が経った。
その一年の間に、王国ラフィオールは生まれ変わった。
国王アルフレッドは財務省を一から作り直し、全国に新しい「分荷制度」を布告した。
各地方から毎月、生産物が王都の中央倉庫に集まる。倉庫では先入先出を厳格に守る。中央倉庫から、それぞれの地方の不足品目に応じて再配分する。
これは翔太が王都の市場と辺境の村々で、半年で組み立てた仕組みだった。
国全体の規模でそれを再現するには、一年では足りなかった。だが一年で、その仕組みは確かに動き始めていた。
貧民街の子供たちは、もう痩せていなかった。
市場の野菜は、もうしおれていなかった。
倉庫の奥に、腐った在庫はなかった。
ガウェインは騎士団長を退いた。
代わりに彼は王国の物資輸送の総監として、新しい役職に就いた。彼の片腕は戻らなかった。それでも彼は毎日馬に乗り、各地の補給拠点を巡回していた。
彼の右腕の剣の腕は衰えていなかった。それどころか、年々鋭くなっていた。
エルヴィラは宮廷魔術師長を退いた。
代わりに王立学院の、初代「流通学」の教授に就任した。彼女は毎日、若い弟子たちに翔太から学んだ技を伝えていた。
目利き、見切り、分荷。
彼女は自分の杖で教壇を軽く叩きながら、いつもこう語った。
「八百屋の業は、人と物と心を流す術である。これは剣や魔法より、強い」
弟子たちはノートに書き留めた。
ヴァルターは辺境伯セレシオン公爵の後継となった。
彼は辺境伯領を、王国の物流の中心地に変えていた。彼の領地にはエルフ、ドワーフ、人魚、人間が混在して暮らす、新しい街ができていた。
その街の名前は「タドコロ市場」だった。
ヴァルターが命名した。
ある晴れた夏の朝。
ガウェインとエルヴィラ、それからヴァルターが、馬車で辺境の街道を北東へ向かっていた。
彼らの行き先はセレーナ村だった。
翔太が消えてから、ちょうど一年。
彼らはリリの墓に報告に行く約束をしていた。
馬車が丘を越えると、視界の先に見覚えのある集落が見えた。
いや、見覚えのある、というのは半分しか当たっていなかった。
セレーナ村は再建されていた。
焼け落ちた家々の代わりに、新しい木造の家が整然と並んでいた。村の真ん中には広場ができていた。広場の中心には井戸があり、その脇に市場のテントが張られていた。
市場の隅には、三階建ての新しい宿屋が建っていた。
看板には「銀の月亭」と書かれていた。
昔の、子供が描いたような月の絵は、新しい看板にも同じように描かれていた。リリの宿屋の、新しい代々の主人たちが、その絵を引き継いでいた。
宿屋の前に、痩せた少年が立っていた。
いや、もう痩せてはいなかった。
頬にはしっかりと肉がついていた。背も伸びていた。
ロブだった。
彼は馬車を出迎えて、深く頭を下げた。
「ガウェイン様、エルヴィラ様、ヴァルター様。ようこそ、銀の月亭へ」
「ロブ、立派になったな」
ガウェインが片腕で少年の肩を叩いた。
「リリ姉ちゃんの宿屋を、僕が継ぎました」
ロブの目には、誇りがあった。
「最初の二ヶ月は、近所のおばあちゃんに教わって料理を覚えました。三ヶ月目から、ヴァルター様が商人の技を教えてくださって。一年でなんとか、お客さんを二十人迎えられるようになりました」
「お前の姉ちゃんも、これを見たら笑うな」
「はい」
ロブは両手を固く握った。
その夜、銀の月亭の食堂で、ささやかな祝宴が開かれた。
食堂のテーブルには、ロブが心を込めて作った料理が並べられていた。
大根と人参の煮物。
キャベツと茄子の炒め物。
麦のパンを温めたもの。
すべて、リリがかつて翔太から教わって、ロブに伝えた料理だった。
ガウェインが煮物を口に入れた。
彼はしばらく無言だった。
それから低い声で言った。
「タドコロ殿の、味だ」
エルヴィラが目を細めた。
「ロブ、お前はもう立派な、八百屋の弟子じゃ」
ロブは頬を赤くした。
祝宴のあと、四人はリリの墓の前に立っていた。
墓標は新しい石碑に変わっていた。
石碑には銀色の月と、その下に丁寧な字で、リリの名前が刻まれていた。
その隣に、ガロウの石碑も並んでいた。
二つの石碑の前に、四人はそれぞれ白菜と人参と麦のパンを置いた。
ガウェインが低く語りかけた。
「リリ殿、ガロウ殿。タドコロ殿は世界をお流しになった。お二人の命も、無駄ではありませんでした」
エルヴィラが続けた。
「リリ殿、お前の宿屋はこうして、ロブの手で続いています。お前の歌も、お前のえくぼも、世界の片隅で流れ続けております」
ヴァルターが両手を合わせた。
「ガロウ殿、貴殿が初めてタドコロ殿を見出された。貴殿の慧眼が、王国を救いました」
ロブが深く頭を下げた。
「姉ちゃん。約束、守るからね。お兄さんがまた来てくれた時に、ちゃんと続けたって言えるように」
風が墓地の周りの草を揺らした。
しんとした静寂が訪れた。
その時、空が薄く光った。
四人は空を見上げた。
二つの月がまた近づき、ゆっくりと重なり始めていた。
重なりの中心が、淡い緑色の光に染まった。
四人は息を呑んだ。
「これは……」
エルヴィラが震える声で呟いた。
「タドコロ殿の、目利きの光でございます……」
光はしばらく、二つの月の重なりの中心で揺らいでいた。
まるで、誰かがこちらを見下ろしているような、優しい光だった。
ガウェインが深く頭を下げた。
エルヴィラが両手を合わせた。
ヴァルターが両膝を地面についた。
ロブが空に向かって、両手を大きく振った。
「お兄さーん! 僕、宿屋、続けてるよー!」
ロブの声が夜の空に響いた。
光はしばらく揺らいでいた。
そして、二つの月がゆっくりと離れていくにつれて、光も薄れていった。
最後に、銀色の月が淡い緑色の光を一筋、地上に落とした。
その光は、リリの墓の上に降り注いだ。
墓標の銀色の月の絵が、わずかに光った。
ロブは空に向かって、もう一度叫んだ。
「お兄さんが教えてくれた煮物、お客さんに出してるよー!」
「ありがとうー!」
ロブの叫び声は墓地の静寂を突き抜けて、村の方まで響いた。
光はゆっくりと消えた。
二つの月はそれぞれの位置に戻り、夜空に静かに輝いていた。
ロブはしばらく、空を見上げたまま動かなかった。
彼の頬に、涙が伝っていた。
けれど、その口元は微かに笑っていた。
ガウェインが、彼の肩に片腕で手を置いた。
「ロブ、お前の姉ちゃん、たぶん、見てたな」
「うん」
ロブは頷いた。
「お兄さんも、見てたよね」
「ああ、見てた」
エルヴィラが墓標の前で深く頭を下げた。
彼女の白い髪が、夜の風に揺れていた。
風は墓地の周りの雑草を、優しく撫でていた。
遠くで村の方から、子供たちの声が聞こえてきた。
子供たちの声は、笑い声で満ちていた。
この一年で村に生まれた、新しい子供たちの声だった。
ヴァルターが振り返った。
「ガウェイン殿、エルヴィラ殿、戻りますか」
「ああ、戻ろう」
「お弁当の準備、ロブがしてくれているのです」
四人は墓にもう一度、頭を下げた。
歩き出した。
ロブが先頭を歩いた。
月明かりの下で、彼の影が長く地面に伸びていた。
その影は、もう痩せていなかった。
立派な、若い八百屋の影だった。




