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目利き 八百屋が異世界転生して 腐った王国を見切り世界を救う話  作者: もしものべりすと


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第二十章 魔王の正体

「ながす、な……」


 澱の塔から、人型のような何かがゆっくりと近づいてきた。


 地面が揺れた。


 ガウェインが片腕で剣を抜いた。


「タドコロ殿、後ろへ」


 彼は俺の前に出た。


 片腕でも、彼の剣の構えは見事だった。背中に微塵のブレもなく、剣先は敵の中心を正確に捉えていた。


 ガウェインは低く踏み込んだ。


 彼の右腕が銀色の弧を描いた。


 大剣の刃が、人型の胴を両断した。


 俺は息を呑んだ。


 胴は確かに両断された。


 灰色の砂と腐敗物の塊が、ばらばらと地面にこぼれ落ちた。


 しかし次の瞬間。


 地面に落ちた砂と腐敗物が、ゆっくりと寄り集まり、再び人型を形作り始めた。


 まるで水たまりに垂らした絵の具が、戻っていくように。


 ガウェインの剣は、確かに刃を立てた。


 だが敵は、傷を負っていなかった。


 ガウェインが低く呟いた。


「斬っても、形が戻る」


「そういうものなのです」


 エルヴィラが低い声で答えた。


「澱は世界の腐敗、そのもの。形をいくら崩しても、世界に腐敗が存在する限り、また寄り集まる」


 エルヴィラが杖を構えた。


 彼女の杖の先から、青白い光が放たれた。


 光は人型の胸のど真ん中を撃ち抜いた。


 人型が後ろへよろめいた。


 しかしすぐに、地面に落ちた砂が寄り集まり、胸の穴が塞がった。


 エルヴィラは続けて、複数の魔法陣を空中に展開した。


 火、雷、氷、光。


 彼女の生涯の魔術が、人型に降り注いだ。


 人型は何度も崩れ、何度も復元した。


 最後にエルヴィラは、両手を地面についた。


 息が激しく上がっていた。


「申し訳、ございません……これが、我が、限界でございます……」


 俺は彼女を支えた。


 ガウェインも片膝を地面についていた。


 二人とも、戦える状態ではなくなっていた。


 俺は人型を見上げた。


 人型はこちらを、無表情に見下ろしていた。


 俺の頭の中で、エルヴィラの言葉が響いた。


 「澱を打ち倒す者は、世界に流れる者なり」


 流れる、者。


 俺は自分の手のひらを見た。


 爪の隙間に、緑色の汁が染み込んでいた。


 日本の市場の緑と、異世界の畑の緑が混じり合った、緑だった。


 俺はゆっくりと人型の前に出た。


 ガウェインが慌てて、俺を呼び止めた。


「タドコロ殿! 危険でございます!」


「いや」


 俺は振り返った。


「俺の出番だ」


 俺は人型の前に立った。


 人型は剣のようなものを振り上げた。


 その腕が、俺の真上で止まった。


 止まったのは、俺が両手を上げて降参の合図をしたからではなかった。


 俺が人型を見つめていたからだ。


 ただ、目利きで見つめていた。


 俺の頭の中で、無数の情報が流れていた。


 この澱の中には、何が含まれているのか。


 俺は目を凝らした。


 最初に見えたのは、腐った白菜だった。


 千年前の王宮の倉庫で、奥に押し込められて、誰にも食われずに腐っていった白菜。


 次に見えたのは、錆びた剣だった。


 戦場で折れて、誰にも拾われずに、土の中で錆びていった剣。


 次は、破れた契約書。


 商人と農民の約束。守られなかった、約束。


 次は、聞き入れられなかった、子供の泣き声。


 次は、振り返らなかった、老婆の祈り。


 次は、流されなかった、誰かの感謝。


 次は、誰にも届けられなかった、誰かの「ありがとう」。


 次は、口に出されないまま、心の中で枯れていった、誰かの「ごめんなさい」。


 次は、書かれることのなかった、誰かの手紙。


 次は、贈られなかった、誰かの花束。


 次は、抱きしめられなかった、誰かの肩。


 次は、見送られなかった、誰かの旅立ち。


 俺の目利きは、ありとあらゆる、世界の「流されなかったもの」を見ていた。


 俺は息を呑んだ。


 これは魔王じゃない。


 これは世界の、廃棄ロスだった。


 商店街のうちの店で、たまに奥に押し込めたまま、忘れて腐らせてしまう野菜。


 それを業界では、廃棄ロスと呼ぶ。


 売れなくて廃棄になる、損失のことだ。


 この澱は、世界全体の廃棄ロスだった。


 誰にも流されなかった、無数の物と無数の想い。


 それらが千年二千年、もしかしたらもっと長い時間、世界の片隅に溜まり続けて、ついに形を得たもの。


 ダルシムの十年の不正は、この澱のほんの最後の一滴に過ぎなかった。


 彼がトリガーを引いただけだった。


 彼自身もまた、この澱の犠牲者だったのかもしれなかった。


 俺は人型を見上げた。


 人型の腕が、振り上げられたまま止まっていた。


 その表面の無数の口が、低く呻いた。


「ながして、くれ……」


 声が変わっていた。


 今その声は、無数の声が重なっていた。


 子供の声、老婆の声、戦士の声、商人の声、農民の声、聖職者の声、王の声、奴隷の声、人の声、亜人の声、動物の声――。


 全部が混じり合って、低く呻いていた。


「ながして、くれ……」


 俺は目を閉じた。


 頭の中で、父の声が聞こえた。


「商人ってのは、流すことだ」


 俺は目を開けた。


 俺は低く答えた。


「分かった」


 俺は人型に両手を伸ばした。


 俺の指先が、人型の表面に触れた。


 その瞬間、俺の頭の中で、何かの感覚が開いた。


 目利き、見切り、分荷。


 俺が八百屋として三代続けてきた、すべての技術。


 それらが巨大な、世界規模の流通の網を、俺の頭の中に展開した。


 俺は見えていた。


 世界のどこに、何が滞っているのか。


 どこに何が足りないのか。


 どこからどこへ、何を流せばいいのか。


 全部、目利きで見えていた。


 俺は低く呟いた。


「分荷を、始める」


 俺の指先から、淡い緑色の光が漏れ出した。


 その光が、人型の表面に広がった。


 人型の無数の口が、深く長く息を吐いた。


 まるで千年二千年、待ち続けたその瞬間が、ようやく来たかのように。

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