68話 日野江
更新が遅くなり申し訳ございません。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
頑張って更新頻度を上げていきます。
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1つの作品に向き合うのではなく
世界観が違うものを並行で書き進める方が、筆が早いことに気づきました。
テーマは違いますが、こちらもぜひお楽しみください。
『氷が解ける音をきく-転生バーテンダーの気ままなスローライフ-』
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弘治三年(一五五七年)十月。
肥前・日野江城。
有馬義貞は書院に一人で座り、二通の書状を机の上に並べていた。
鍋島直茂からの書状と、大友の重臣・吉弘鑑理からの書状。
どちらも届いてから時間は経過していたが、まだ返事を出していない。
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有馬義貞。齢三十六。
父・晴純から家督を譲り受けて五年が経っている。
この五年は辛酸を舐めた時間であった。
父の代には島原半島のほぼ全域を押さえ、肥前六郡を支配していた有馬の勢力であるが
今やその支配領域は高来郡一郡に縮小している。
父である晴純は有馬の全盛期を作り上げた男だった。
足利将軍・義晴から「晴」の字を賜り、室町幕府の相伴衆にも列せられている。
その父の遺産とのいうべき領地を、義貞はすり減らしている。
そして今年——佐伯が武雄川で龍造寺隆信を討ち、肥前の盤面は一変した。
その報を聞いた夜、義貞は長い時間眠れなかった。
驚きは隆信の死ではない。佐伯利興という男の、やり方への驚きだった。
急激に勢力を拡大させたこの男は、戦う前に相手が動けない状況を形成していた。
龍造寺はどれだけ分が悪かったとしても、決戦を挑まざるを得なかっただろう。
現在も博多の商人を抑え、長崎の港を整えながら九州の物流を変えようとしている。
これまで義貞が親交を結んできたどの大名とも、根本的に違う種類の人間だと思えた。
直茂を介して佐伯家の要求は、所領安堵の上での降伏である。
土地はそのまま。現状維持を保証されている。
しかし義貞には、その言葉をそのまま信じることを出来ないでいた。
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翌朝、姉婿である西郷純堯が日野江城に訪ねてきた。
諫早の高城城主。
有馬家の東肥前に対する前線を長年守り続けてきた男である。
義兄として、自分すら凌ぐ発言力を持ちつつ——有馬家の中で特別な立場を持っていた。
熱心な仏教徒として知られ、南蛮の事物を嫌っている。
長崎の開港の話を聞いたときも「異国の神を引き込む港など、もってのほかである」と
言葉にして憚らなかった。
純堯は書院に入るなり、机の上の二通の書状を一瞥した。
「まだ返事を出しておらんのか」
「……はい」
「大友につけば良いではないか」
それだけだった。
何を当然のことをと言わんばかりのその口調が——義貞には一番堪える。
「……少し、考えたいことがありましてな」
「何を考える必要がある」
純堯は義貞の向かいに腰を下ろした。
「大友は鎌倉より続く名門だ。
有馬との縁は幾重にも重なっている。
どこぞの馬の骨とも分からん小僧に頭を下げるよりも良いと言うものよ」
「しかし佐伯家には龍造寺を破った、勢いが——」
「そこよ」
純堯はまた遮った。
「果ての島から出てきた若造が、わずかの間に九州北部を席巻した。
しかしその根は大友のように時間をかけて張ったものではない。
いつ折れるか、誰にも分からぬし、反感を持つ者は我らだけではあるまい」
「しかし家中の者の中には——」
「家中の者は儂が抑える」
純堯が「抑える」と言えば——抑えられるだろう。
それがこの男の、有馬家における影響力の実態であった。
「銭では、気骨のある武士は動かせん。
佐伯がいくら条件を並べても、大友への誼を持つ者は動かんだろう。
おそらく——大友は有馬にも声をかけている。
上手くいけば三方から取り囲み、旧領の回復...いや龍造寺領の切り取りも可能かもしれん」
純堯は立ち上がった。
「今が決断の時だ。遅れれば大友にも佐伯にも誠意がないと思われる。
それが当家にとって最も悪しき結果を招くぞ」
「……」
「腹を括れ」
念を押すような言葉であった。
それは純堯が自身に言い聞かせている言葉にも聞こえた。
純堯も、大友家の勝利を確信しきっているわけではないのかもしれない。
義貞はその微妙な変化を、黙って受け取った。
純堯が去った後、書院には義貞一人が残された。
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有明海が窓の外に広がっている。
秋の光の中で、海は静かである。
純堯の言葉は正しいだろう。
家中の空気も、大友という大国に靡きつつある。
しかし。
義貞は直茂の書状を読み返した。
大友も所領安堵という申し出ている条件は同じであった。
しかし——大友家と佐伯家の掲げる「所領安堵」は同じ言葉でも
意味としては大きな隔たりがあるように思う。
大友家の所領安堵とは、言葉通りの意味であろう。
佐伯の安堵は——その先に繁栄があるのではないかと思っている。
事実、佐伯家がこれまで所領としてきた土地は見違えるような発展を遂げている。
利興自身が居を構える怡土は無論のこと、唐津は現在では一大貿易港である。
旧龍造寺領も、めざましい開発が進められており
未だ佐伯家の麾下には加わっていない大村家でも、佐伯家の金のもとで長崎が整備されている。
そこまでの男が使う「安堵」という言葉は
民を富ませる入り口なのではないか。
(その先に何がある)
幼少の頃、養子として出て行った実弟の純忠は今、その男の傍で動いている。
純忠に話を聞きに行くべきかもしれない。
義貞は立ち上がり、窓の外を見た。
有明海が、秋の光の中で広がっている。
この海とともに、有馬は生きてきた。
海を見るたびに、先祖が何を守り、何を積み上げてきたかに思いを巡らせる。
しかし——積み上げてきたものが、少しずつ縮み続けてきた現実も、同じように確かなのだ。
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その夜、父である晴純からの使者が訪れた。
父も動いた。
隠居しても影響力を持っている父がである。
当主として、自分の答えを出さなければならない。
しかしその答えは——まだ、霧の中にあった。
有明海の音が、遠くから届いてくる。
波が寄せて、返す。寄せて、返す。
その繰り返しの中に、義貞は長い時間、一人で座っていた。
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