62話 鍋島直茂
更新が遅くなり申し訳ございません。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
頑張って更新頻度を上げていきます。
弘治三年(一五五七年)六月。
夜明けの光は、両軍を公平に差している。
勝利し歓喜に揺れる佐伯家の陣を照らすのと同じ光が、武雄川の西岸にうずくまる龍造寺の残存兵たちをも照らし出していた。
夜通しの渡河、そして泥濘の中での凄絶な乱戦。
兵たちは一様に精根尽き果て、泥と返り血が混じり合って乾いた黒い層を肌に作っている。
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隆信討死――。
その報が、波紋のように音もなく軍勢の端から端へと伝播していった。
叫び声を上げる者はいない。
ただ、それまで辛うじて軍としての形を保っていた熱気が、急速に霧散していくのが分かった。
ある者は持っていた槍を杖にして項垂れ、ある者は力なく膝を突き、流れる川面を凝視していた。
龍造寺隆信という「意思」を失った瞬間、彼らはただの農夫や地侍の集団に戻ってしまったのだ。
その静寂の中心に、鍋島直茂が立っていた。二十五歳。
若くして龍造寺の懐刀として、隆信の傍らで数々の戦を勝利に導いてきた男は、今、主君を失った軍勢の全責任をその双肩に背負わされていた。
(……やはり、勝てなんだか)
直茂の胸中にあったのは、悲嘆よりも先に、ある程度は覚悟していた結末を迎えたことへの冷めた納得だった。
直茂は知っていた。隆信という男は、常に「先頭」に立たねば龍造寺隆信であり続けられなかったのだ。
後方の安全な本陣に座し、状況を読んで采配を振るう。
――それでは、亡き当主の良さは削がれていたに違いない。
「先頭に立ち続ければ、いつかは弾に当たるか、刀が首元に届く」
直茂は何度もそれを諫めた。
時には激しく、時には理を尽くして。だが、隆信はそのたびに豪快に笑い、直茂の肩を強く叩いた。
「直茂、お前が控えて居ればこそ、儂は進んでいけるのだ」
あの時の、手の熱さは覚えている。
隆信の生き方が肥前を飲み込み、そして今、その生き方が龍造寺をこの泥濘へと追い込んだ。
同時に直茂は、主君の「夢」の代償を、生き残った兵たちがどのように支払わされるのかを考え、胃の奥が焼けるような重圧を感じた。
直茂は周囲を見渡した。兵たちの目は空っぽである。
もはや、戦う理由もなければ、生き残るための術も持ち合わせていない。
だが、直茂がそこに立っているという一点のみが、彼らをかろうじて繋ぎ止めていた。
「……全軍、刀を収めろ」
直茂の声は低かったが、湿った空気の中を鋭く通った。
「降伏する。もはや、これ以上流すべき血はない」
一瞬の沈黙の後、一人の老兵がゆっくりと刀を鞘に戻した。
カチリ、という小さな金属音が、やがて十、百と重なり、川沿いに連鎖していく。
武器を捨て、泥の上に跪く音が、戦の終わりを告げる弔鐘のように響いた。
直茂は、朝日を反射する対岸を睨みつけた。
佐伯の旗が風になびき、隆信の巨大な馬印はもうどこにも見当たらない。
(隆信様。あなたは満足でしょう。最後にふさわしい強者と出会い、生を全うなされた。
……しかし、残された者は、この惨状を片付けねばならんのです。
それがどれほど苦しく、汚れた仕事か、あなたは知る由もない)
直茂は奥歯を噛み締めた。
感傷に浸る一瞬さえ、自分には許されていない。
負けた者がしなければならない「後始末」は、勝つことよりも数倍の気力を要するのだ。
「使者を出せ。佐伯利繁殿にお伝えせよ。
龍造寺の全軍は鍋島直茂が取りまとめる。
……これ以上の無駄な殺生を避けるべく、直ちに降伏を申し入れたい、とな」
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半刻後。
一艘の小舟が、ゆっくりと西岸の岸辺に接した。
降り立ったのは、佐伯利繁その人である。
肩に白布を巻き、右の当世具足はひしゃげて赤黒い血がこびりついている。
彼もまた、隆信という猛獣と命を削り合い、死の淵を歩いてきた男の顔をしていた。
供回りを遠ざけ、泥の上に立つ二人の若き将。
直茂は、利繁を正面から見据えた。
一切の感情を排した、冷徹な観察者の目だった。
「隆信様は……貴殿自ら討ち取られたとか」
「そうだ」
利繁の答えは簡潔だった。
「みれば、相当な傷も負っておられる」
「隆信殿も、後藤の槍で脇腹を裂かれていてな。
夜通し川を渡り、戦い続けた後の姿だった。
……最後は、どちらが先に力尽きるかの差でしかなかった。俺の実力が上だったわけではない」
直茂は目を閉じ、一度だけ深く、長い息を吐いた。
そして再び尋ねる
「隆信様は、最期どんな顔をされておられた」
利繁は、武雄の山並みに目をやった。
昨夜の死闘を思い起こすように。
「……笑っておられたな。
俺が懐に入り、刀を走らせる瞬間に『やるではないか』と。
最期まで、己の命が燃え尽きるのを愉しんでいるかのようだった。
……あのような男は、この若輩は未だに他には知らぬ」
直茂は流れる川を見た。
「負けを認める時、隆信様はいつも笑っておられた。
若い頃、大友に追われて幾度も窮地に立たされた時も、笑いながら負けを受け止め、その瞬間に次の逆転を考えていた。……だが、此度は『次』を与えられる余裕すらなかった」
直茂は、自分の中にある「隆信」という巨大な重石が、静かに、しかし決定的に崩れ去っていくのを感じた。
あの男の無軌道な熱量に、自分の才覚を乗せることこそが生きる意味だと思っていたのだ。
しかし、その主はもういない。
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「話を進めよう」
利繁の声が、直茂を現実の交渉へと引き戻した。
「龍造寺の処遇について、兄・利興から全権を委ねられている。結論から言おう。
……龍造寺の家系、及び家中は存続。博多にて兄の下で交易の任についてもらう」
直茂の眉が、僅かにピクリと動いた。
「……家名を残すと? 後々の懸念を考えれば断絶もやむなしかと思っておりましたが」
「そうなれば、貴家は滅びるまでの抵抗をされよう。
それが無益な時間と血を費やすことを兄もわかっておられる。
……貴殿も分かっているはずだ。抵抗を続ければ、龍造寺は滅び、民はさらに苦しむ。誰も得をしない」
「ああ、分かっている。悔しいほどにな」
直茂は天を仰いだ。朝日が目に染みる。
「隆信様が力で制した肥前を、利興殿が理で作り直す。
私はその『歯車』にされるわけだ。……面白い。佐伯家の統治を、この目で拝見致す。」
直茂の中に、新しい火が灯った。
それは隆信の持っていた狂熱とは違う。もっと冷たく、鋭く、静かな火であるように見えた。
「利繁殿。私は貴家に降り申す。
だが、龍造寺の家中と国人衆の説得にしばしお時間をいただきたい」
「承知した。兄からも龍造寺家中は貴殿に一任するよう指示が出ている」
直茂が深く頷くと、西岸の兵たちが東岸へ渡り始めた。
佐伯の兵たちは、泥にまみれた敗残兵を縛ることもなく、まるで長旅を終えた客人を迎えるように、水や乾いた食い物を与えていた。
直茂はその光景を、痛いくらいに冷めた目で眺めていた。
「……降伏した兵を粗末に扱わぬのも、計算のうちか。
粗末に扱えば怨嗟を生み、次の戦の火種になる。
丁寧に扱えば、忠誠の種を撒けるだろう。
利興殿は、人の心を動かす機微を理解されている。そのために目先の物資を失うことも惜しまんようだ」
「兄に会えば分かる。全てが計略や算段だけではないことのだ。
……あれは、私たちでは描きえぬ絵をお持ちなのだと思う」
夏の武雄が、新しい呼吸を始めていた。
直茂は、かつての主君が倒れた東岸の土を一度だけ、長く見つめた後、迷いのない足取りで川を渡り始めた。
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怡土・高祖城。
報告の書状を読み終えた佐伯利興は、それを丁寧に折り畳み、机の端に置いた。
窓の外には、玄界灘の青い水平線がどこまでも続いている。
「隆信の死をもって、九州北西部は脅かすものがなくなったか」
利興の指が、机上の地図を滑る。
武雄、佐賀、そしてその先にある大村、有馬、さらには九州を二分する大友と島津の領海へ。
「武力で支配すれば、必ず次なる武力がそれを覆す。
領土が広がった時ほど、国人衆の統治に気を引き締めねばならん。
そしてここで直茂を下せたことは、非常に大きいな」
城下からは、博多へ、そして唐津へと向かう商船の活気ある声が風に乗って届いていた。
北九州に吹き始めた風は、もはや硝煙の匂いを含んではいない。
それは海を渡ってくる新しい富の香りと、秩序がもたらす新時代の気配であった。
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