61話 肥前決戦(五)
更新が遅くなり申し訳ございません。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
頑張って更新頻度を上げていきます。
弘治三年(一五五七年)六月。
夜明けの光が、武雄の大地に差し込み始めた頃。
佐伯利繁は、本陣の前に立ち、地鳴りのような咆哮を聴いていた。
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近い。
昨夜、濁流を越えた龍造寺の兵が、じわじわと東岸の陣地を広げ続けていた。
後藤貴明の防衛線が崩れた今、隆信の前に立つ壁はもう存在しない。
「……来るか」
利繁は刀を抜いた。
愛馬は夜通しの激闘、左翼の乱戦の中で失った。
今はただ、泥に汚れた自身の足で大地を踏みしめている。
「殿、お下がりください! 我らが時間を稼ぎます!」
「下がるな」
利繁は前を見据えた。
木々の間から、周囲の空気を圧するほどの黒い影が現れた。
大柄な、あまりに巨大な体躯。一目で分かった。龍造寺隆信。
その全身には、返り血が幾重にも重なって赤黒い膜を作っている。
脇腹からは絶え間なく血が滲んでいた。
だが、その瞳に宿る光だけは、いささかも衰えていなかった。
「佐伯利繁か」
隆信の声は、喉が潰れかけてなお、太く響いた。
利繁は静かに、しかし揺るぎない決意を込めて呟いた。
「来い。引導を渡してやる」
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隆信は利繁を凝視した。
若い。二十二だと聞いている。
後藤攻略時は武雄川を、大将でありながら真っ先に飛び込んで渡ったと聞き及んでいる。
近隣に噂として流れたその「蛮勇」は、今、目の前で静かな「闘気」へと変わっている。
「良い武者ぶりだ。お前は後藤との対峙で、自ら川を渡ったらしいな。」
「大将が先頭に立てば、兵は止まらない。貴様と同じだ。」
隆信は、ひび割れた唇を歪めて少し笑った。
大太刀を構える。
脇腹が焼けるように熱い。
後藤の槍が裂いた傷口から、命が零れ落ちていく感覚がある。
夜通し振り回し続けた腕は鉛のように重い。
しかし――まだ動ける。動ける間は前へ。それが龍造寺隆信という生き方だった。
「来い、利繁!」
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隆信が踏み込んだ。
一歩目は速かった。
二十八年間、戦場という戦場で鍛え抜いてきた肉体の反射。
しかし二歩目で重心が僅かに傾いた。
脇腹だ。踏み込むたびに傷口が開き、内臓を掻き回すような激痛が走る。
利繁はその刹那の「淀み」を見逃さなかった。
振り下ろされる大太刀。横薙ぎの一閃が利繁を襲う。
利繁は後ろへ飛び退いた。刃が腹の数センチ前を通り過ぎ、凄まじい風圧が腹部を叩く。
近い。そして、これほど消耗してなお、圧倒的に速い。
利繁は即座に間合いを立て直した。観察する。
隆信は右に踏み込む時、脇腹を庇って体が僅かに左へ流れる。
右から攻めれば――隆信の重心は必ず崩れる。
「……まだまだ!」
隆信が叫び、払い下ろしの一撃を放つ。
真上から全てを粉砕せんとする剛の剣。
利繁は右に跳んだ。大太刀が地面を叩き、凄まじい衝撃で地が割れ、土塊が礫となって飛んだ。
掠れば死ぬ。利繁は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、逆に間合いを詰めた。
隆信の右側へ潜り込み、刀を走らせる。
ガキッ、と高い音が響く。
刃は厚い鎧に弾かれ、衝撃で利繁の腕が痺れる。
「甘い!」
隆信が独楽のように回転し、振り返りざまに大太刀を横に薙いだ。
利繁は反射的に体を低く沈めた。
刃が頭上を掠め、断ち切られた髪が数本、宙に舞った。
転がるようにして距離を取った利繁は、荒い呼吸を整えながら立ち上がる。
隆信もまた、肩で息をしていた。脇腹の出血が加速している。
それでも――その目は一点の曇りもなく、敵を食い破る飢えを湛えていた。
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「臆したか、利繁!」
隆信が動きながら問う。
「怖くない男はおらんさ!」
「正直だな」
「臆病だから、俺は今も生きている」
隆信は少し笑った。
「儂は恐れはなかった。ずっとそうだったな。
失うものはなく、恐れを知らずに生きてきた。故にここまで来た。……しかし」
隆信は血に染まった左手で脇腹を押さえた。
「体が動かないのは別の話だな」
隆信が再び踏み込んだ。
今度は左からだ。利繁の読みの逆を突く、執念の転換。
大太刀が利繁の肩口を狙って落ちる。
利繁は腕で受けた。
ガァン、という凄まじい衝撃。鎧の小札がひしゃげ、骨に直接響く重圧。
利繁はよろめいた。隆信がすかさず追い打ちをかける。
利繁はなりふり構わず地面を転がり、その隙間に足払いをかけた。
隆信の左足に利繁の足が食い込む。
ガクッ、と隆信の膝が折れかけた。
だが倒れない。大太刀を杖にし、一瞬の硬直を力でねじ伏せて立ち上がる。
「……やるではないか」
隆信は、血を吐き捨てて再び笑みをたたえた。
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二人は向き合ったまま、短い沈黙を置いた。
利繁の腕は痺れ、隆信の膝は震えている。
「お前の兄は、今どこにいる」
「怡土だ。兄は一大名を討つために出ることはないさ」
「賢いな……」
隆信は、遠い目をしている。その顔には変わらず笑みをたたえている。
隆信が、最後の大太刀を構え直した。
左手はすでに血に染まり、膝は限界を超えて笑っている。
「来い」
「終わりだ」
隆信が地を蹴った。脇腹の悲鳴も、膝の崩壊も無視した、魂の突撃。
大太刀が、利繁の肩口を断ち切らんと迫る。
利繁はその一撃を、あえて避けなかった。
鎧が砕け、肉が裂ける衝撃。
それさえも踏み込みの力に変え、利繁は隆信の懐深くに潜り込んだ。
一瞬、至近距離で目が合った。
隆信の瞳――それは、敗者のそれではなく、全力を尽くした漢の清々しさを湛えていた。
「……やるではないか」
利繁の刀が、隆信の首筋を鮮やかに駆け抜けた。
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一瞬、静寂が訪れる。
隆信の大太刀が地面に落ち、重い、鈍い金属音が響いた。
隆信は、ゆっくりと膝をついた。利繁は動かなかった。
隆信は、利繁の顔を見上げた。夜明けの光が利繁の背から差し、その輪郭を神々しく縁取っている。
背後の空は、雲一つない、どこまでも深い青だった。
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利繁は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
肩の傷から血が滴り、割れた鎧が足元に転がっている。
近習が駆け寄り、肩を支えようとした。利繁はそれを手で制した。
「貴明殿は」
「こちらへ向かっています。重傷ですが、歩みを止めておりません」
やがて、担がれるようにして後藤貴明が現れた。
左腕は布で固められ、顔は失血で紙のように白い。
貴明は、地面に横たわる隆信の骸を見つめ、それから利繁を見た。
「……首を取られましたか」
「ああ」
後藤はその場に座り込み、ただじっと隆信の体を見ていた。
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武雄川・西岸。
夜明けの光の中で、鍋島直茂は立ち尽くしていた。
東岸を見る。佐伯の旗が増え、隆信の巨大な馬印が消えていた。
「……終わったか」
直茂は静かに目を閉じ、そして振り返った。
西岸に残された龍造寺の兵たちは、一様に絶望の色に染まっている。
「全軍、刀を収めろ。降伏する」
直茂の声が響いた。誰も異を唱えなかった。
一人、また一人と武器を置き、泥の上に跪く。
直茂は再び東岸を見据えた。
「佐伯利繁殿に使者を出せ。龍造寺の全軍は、私が取りまとめる」
夜明けの武雄川が、紅く染まったまま静かに流れていた。
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怡土・高祖城。
利繁からの書状を一読し、利興は静かに机に置いた。
「康範」
「はっ」
「利繁に伝えろ。直茂の降伏を受け入れる。
龍造寺の家系は存続させ、直茂に取りまとめさせよ、とな。あとの差配は利繁に任せる」
利興は窓の外を見た。
北の砂浜、大友軍三〇〇〇の篝火が、一つ、また一つと消えていく。
隆信の侵略の隙をつくという算段を失った今、臼杵鑑続が留まる理由はもうない。
「隆信か」
一度、向き合って話したかった。
現代では残忍で狡猾なイメージの強い男ではあるが、没落した龍造寺家を九州の大大名に押し上げた傑物であることは疑いようがない。
利興は再び地図を広げた。
武雄、長崎、怡土、唐津、対馬。
バラバラだった「点」が、今、確かな「面」となって肥前を覆い始めている。
「……止まることは出来ん。次だ」
利興は指を地図の上に滑らせた。
書き続けると決めたので、日間でも週間でも
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