59話 肥前決戦(三)
更新が遅くなり申し訳ございません。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
頑張って更新頻度を上げていきます。
弘治三年(一五五七年)六月。
武雄川の濁流が、わずかに月光を弾いて銀色に光っていた。
戦場に漂う血の臭いと雨上がりの土の香りが混ざり合い、距離をとった両軍の間を奇妙な静寂が包み込んでいる。
その静寂の裏側で、九州の雄ともいうべき男の食指が佐伯家に届こうとしていた。
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大友義鎮からの返書が怡土の高祖城に届いたのは、利興が使者を出してから二日後のことだった。
「大友義鎮様より……『現在は軍務多忙につき、面会は難しい状況である。しかし、怡土の港の件については、改めて交渉の場を設けたい』とのことです」
山本康範が、重苦しい声でそれを読み上げた。
利興は窓の外、玄界灘の水平線を眺めたまま、微動だにしない。
「……龍造寺家との趨勢が分からぬ現状では会わぬ、ということか」
「左様で。向こうからすれば、今、殿に会う利がございませぬ」
「なぜ今の時期に。これまではあちらから港の利権を巡って、矢のような催促であったではないか」
利興は冷ややかに笑い、康範の方へ振り返った。
その瞳には、焦燥を押し殺した計算の光が宿っている。
「時を計っているのだ。龍造寺との決着を見てから、勝った方と組めばいい。
その間は、どちらにも組せず、どちらにも質を預けない。
これは義鎮という男の余裕かな。
奴は今、俺と隆信が互いの喉元を食い破るのを、座して眺めている」
「……静観ではなく、日和見ですか」
「そうだ。しかし、康範。日和見とは『動かぬ』ということではない。
『いつでも動ける場所で、獲物が弱るのを待っている』ということだ。そして——」
利興は地図の上に指を走らせた。
神屋からの密書には「大友の家中で不穏な動きあり」と記されていた。
家臣団がすべて義鎮と同じ忍耐を持っているとは限らん。
義鎮が日和見を決め込んでいる隙に、血気に逸る誰かが功を焦って動く。
その不確定要素こそが、今の俺にとって最大の毒となる。
「康範、大友の家中で誰が突き上げているか調べろ。
神屋の耳なら、大友館の台所の噂まで拾えるはずだ。急げ」
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翌日、事態は利興の予測した最悪の形で露呈した。
報告は武雄の戦場からではなく、怡土の北側——玄界灘を望む沿岸部から、悲鳴に近い声でもたらされた。
「大友の旗が、怡土の北岸に現れました!
博多湾より徴用された船団が、我らの背後に上陸を確認!」
利興は、椅子を蹴るような勢いで立ち上がった。
「北側だと? 豊後から山を越えてきたのではないのか」
「はっ。
博多の不平分子と結託した大友家臣の土豪どもが、義鎮公の裁可を得ぬまま独断で動いた模様です!
兵力は三〇〇〇。数こそ多くはございませぬが、旗印は大友。
我らの北の荷揚げ場を完全に押さえられました!」
「兵を率いているのは誰だ」
「未だ定かではございませぬが……家中を焚き付けている戸次鑑連。
あるいは龍造寺と密通している筑後の国人衆ではないかと。
直茂が、大友家中の燻っている火種に油を注いだのでしょう」
利興は、自身の額を抑えるように指を当て、地図を見つめた。
怡土の北岸に三〇〇〇。これは単なる軍事的な脅威ではない。
怡土と博多、さらには対馬を結ぶ命綱——「海上の補給路」の首根っこを掴まれたことを意味していた。
利興がこれまで心血を注いで構築してきた物流網が、寸断されようとしていた。
「武雄に急使を走らせろ。
大友にこちらの兵力を割く必要がある。
……それと、康範。北岸の大友三〇〇〇には、絶対に手を出すな。
牽制に留めろ。一矢でも射かけたら、それを口実に義鎮が本気で動き出す。
奴は今、俺たちが先に手を出すのを待っているのだ」
「しかし、放置すれば武雄への補給が……」
「誠に国人衆たちの独断専行であれば、博多商人たちから知らせることで独断を止める可能性がある。
義鎮が止める前に俺たちが戦えば、それは佐伯家が大友家に弓を引いたことになる。
そうなれば、龍造寺と大友を同時に相手にする地獄が始まるぞ。
……今は、直茂が仕掛けたこの毒を、義鎮という薬で中和するしかない」
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武雄川の東岸。
後藤貴明が大友の北岸上陸の報を聞いたのは、日が西に傾き始めた頃だった。
「大友が怡土の北に上陸。兵力は三〇〇〇。……兄上も進退極まっておるやもしれん」
利繁が、泥に汚れた顔で言った。その瞳には、やり場のない怒りが滲んでいる。
「三〇〇〇か。大友の動員兵力を考えれば数は大したことはないが、場所が悪いな。
……こちらへの影響は?」
「怡土から武雄への補給は海路と川筋を組み合わせております。
そこを大友に睨まれれば、荷船が動けません。我らの腹が干上がるのは時間の問題かと」
「直茂は、それを知っていたのか」
「知っていたどころか、誘い込んだのでしょう」
貴明は川の向こう、静まり返った龍造寺の陣営を見つめた。
「直茂め……単独では勝てぬと見て、盤面の外から横槍を入れさせるとは。恐ろしい小僧ですな。
戦の勝敗を、戦場以外の場所で決めようとしている」
「どうする、貴明。補給が滞れば、三日持たぬぞ」
「今すぐ武雄の国人どもから米を買い叩きましょう。
銭であれば武雄の倉に余裕がございます。
十日分を、今夜中に運び込み、……一気に決着をつける」
貴明は、川を挟んで対峙する龍造寺の動きに違和感を覚えた。
「利繁殿。
龍造寺は昨夜までとは動きが違いますな。……焦っていない。腰を据えている」
「……大友が怡土を押さえ、我らが飢え始めるのを待っているのか」
「その通りかと。我らが空腹で槍を振る力も失った時、隆信がこの川を一気に渡ってくる。
その前に、我らが出来ることは一つ」
利繁は、貴明の鋭い視線に呼応するように頷いた。
「兄上が豊後の化物を動かすのを待つか、それとも俺たちがこの川を血で染めて、隆信を追い払うか。
……どちらにせよ、今夜が山だな」
「覚悟はできておられますか、利繁殿。
……武雄川を渡り、私を下した時、あなたは先頭で飛び込んでこられた。
あの時と今、お気持ちはお変わりないか」
「変わらんさ。私は兄を信じている。そして、今は兵を率いることに長けたそなたも付いている」
二人は並んで、夕暮れの武雄川を見つめた。
背後では、武雄の村々から徴収された米俵が、次々と運び込まれていく。
それは、絶望的な持久戦への準備であった。
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怡土・高祖城。
利興は、暗い部屋で地図を睨み続けていた。
蝋燭の炎が、彼の冷徹な横顔を不気味に浮かび上がらせる。
「康範。三〇〇〇の陣に使者を出せ。
……『義鎮公の御内命による行動か。事実を義鎮公に正す用意がある』とな。
これは単なる確認ではない、奴らの退路を断つ脅しだ」
神屋からの密使も重なる。
大友家中で龍造寺と通じているのは一部の過激分子であり、義鎮はまだこの上陸の事実を詳細には把握していない。
あるいは、把握していても「勝手にやったことだ」としらばっくれている状況だ。
「義鎮が知らぬなら、知らせるまでだ。
どの程度の動きが出来るのか自ら測ってやろう」
「武雄には貴明と利繁がいる。現場を司る『武』は彼らに任せればいい。
だが、この盤面の外側から飛んできた横槍を抜けるのは、俺しかいない。
義鎮の沈黙が龍造寺の武器になっているなら、その沈黙を俺の手で引き裂く」
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同じ夜、対岸の村中城。
鍋島直茂が、隆信に淡々と報告を上げた。
「大友の動きを確認しました。怡土の北岸に三〇〇〇。
利興の物流網も、今や寸断されつつあります」
隆信は頷いた。巨大な猪の皮を剥ぎながら、獣のような笑みを浮かべる。
「計画通りだ。知恵者が汗をかいている様が目に浮かぶわ」
「しかし
……利興は盛んに義鎮に接触をしているとのこと。
神屋の商人どもを使えば、義鎮公の懐に入り込む可能性は十分にありましょう」
隆信は動きを止める。
「……利興が義鎮を説得すれば、大友の三〇〇〇は引くか」
「そうなれば、我らの包囲網は霧消します。
これまでの動きを見るに、あの男の本領は、刃よりもその弁舌にあるかと」
隆信は、音を立てて立ち上がった。
「ならば、この盤面の状態で全て終わらせる。
……直茂、今夜中に渡河は可能か」
直茂は、わずかに眉をひそめた。
「月は出ておりますが、夜の渡河は危険です。
足場は不安定、損耗は昨日の比ではございません」
「大友が引く前に、武雄川を越えねば意味がない!
利興が予測もできぬほどの速さで喉元を食い破る。
儂が先頭に立つ。儂の背中を見て、止まる兵などおらんわ!」
直茂はしばらく沈黙し、やがて主の決断を受け入れた。
「……承知いたしました。半刻で全軍の篝火を消させます。
闇に乗じ、足音のみで川を渡ります」
「やれ! 夜明けを待たず、武雄を血の海に変えてくれる!」
隆信は月を見上げた。
利興が書状をしたためているこの瞬間、隆信は自ら甲冑を締め直し、冷たい川の中へと一歩を踏み出した。
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夜半。
武雄川の東岸、静寂の中で見張りの兵が異変を察知した。
「……火が。対岸の篝火が、すべて消えました」
貴明が飛び出してきた。
「有利な状況を作り出しておいて、わざわざ今夜決戦に持ち込むのか。
……直茂らしくない。いや、これは隆信の意志かな」
同じく、外に出てきた利繁に向けて、貴明は問いかける。
「いかが致しますか」
「全員をたたき起こせ! 寝ている暇はないぞ!
川沿いに松明をありったけ並べろ! 闇の中で渡らせるな! 川面を昼間のように照らし出せ!」
貴明が岸に駆け寄る。
月明かりの中に、不気味に揺れる丸太の足場が見えた。
その上に、黒い影の塊が、不気味な速さと静けさで移動している。
「……来たか、地に逸る熊が」
利繁は刀を抜き、目の前の暗闇を睨みつけた。
利興が大友と向かい合う中で
肥前の運命を、そして佐伯家の真価を問う、夜の総力戦が火蓋を切った。
暗闇の向こうから、隆信の地鳴りのような咆哮が響き始めた。
書き続けると決めたので、日間でも週間でも
1度は1位を取れるように頑張ります!
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