45話 大評定
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますが、エンターテインメントとしてお楽しみください。
頑張って更新頻度を上げていきます。
天文二十五年(一五五六年)十二月。
対馬・厳原、金石城。
対馬海峡を渡る冬の風は、厳原の街を白く煙らせるほどに鋭い。
その寒風を厚い石垣と城壁で遮る金石城の大広間に、対馬、壱岐、そして肥前名護屋の命運を握る者たちが顔を揃えていた。
畳の匂いに混じり、張り詰めた緊張感が鼻を刺す。義調の最期から一ヶ月。
未だ完全に騒乱が収束した気配のない対馬において、家老である佐伯利興の名の下に評定が催されたのである。
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顔ぶれは、これまでの対馬の歩みを象徴していた。
今では利興の側近筆頭であり、宗氏一門として長年対馬を支え続けてきた宿老、津奈調親。
実弟として壱岐の開発と博多との交易を推し進める、佐伯利繁。
本土唯一の拠点である名護屋にて全権を指揮する山本康範と
それに従い築城、港湾の差配を担う佐須景満。
末席には故義調の最期を看取り、その遺志を背負って山を降りてきた柳川調信も控えている。
さらには対馬、壱岐の国人衆十二名。
その中には、先日の戦で義調の側に就き、最後まで清水山城に立て籠もっていた三家の当主も含まれていた。
彼らの顔色は土色であり、これまで音沙汰のなかった処遇を言い渡される覚悟で座しているのが見て取れた。
広間は、不気味なほどの静寂に包まれている。
利興は広間に入ると、まずその三家の当主の顔を、順に、ゆっくりと見据えた。
糾弾の言葉はない。
だが、その無言の圧力に、三家の当主の一人は耐えきれず畳に額を擦りつけた。
「……面を上げろ」
利興の声は、低く、しかし驚くほど透き通っていた。
「其方たちが義調様に加勢した忠義の心を、私は否定はしない。
……だが、今日この場に座っているということは
変わりゆく対馬を受け入れる。そう受け取って相違ないな」
彼らの無言で額を板の間に擦りつける。
利興はその対応を肯定と受け取った。
「ならば、その命は俺が預かる。
これからの対馬に、過去を悔やんで立ち止まっている時間は一秒もない。
俺が求めるのは謝罪ではなく、明日からの働きである。他の皆もそう心得よ」
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「一つ、見せたいものがある」
近習たちが広間の正面に、巨大な一幅の紙を広げた。
それを見た瞬間、広間のあちこちから息を呑む音が漏れた。
そこには、この時代の人間には見覚えのない「世界の輪郭」が描かれていた。
日の本は東の果てに浮かぶ小さな弓なりの島に過ぎず
その隣には「明」という名の巨大な大陸が重厚に横たわっている。
さらに南には熱帯の島々が点在し、海の向こうには南蛮の諸国と、さらにその先にある未知の大陸が連なっている。
「これが、この世の形である」
利興の言葉に、壱岐の国人の一人が震える声で問いかけた。
「利興殿……いささか失礼ではあるが...。
これはにわかには信じられませぬ。
我らの知る日の本が、これほどまでに小さく、端に追いやられているなど……」
「信じられない気持ちは理解する。しかし事実だ。
私を含め、皆が日々眺めている海は、この巨大な円環の一部に過ぎない」
利興が指を置いたのは、地図の中央、海峡のただ中に浮かぶ小さな点——対馬だった。
「壱岐がここ。名護屋がここ。そして大陸まで、この海峡一本だ。……なんと小さい、とそう思うか?」
利興は国人たちを射抜くような視線で見渡した。
「だが、こう考えろ。南蛮の船は、明の絹を、香料を、そして日の本の銀を求めて世界を回っている。
今、日の本で採れる銀が、海を渡って明の税となり、南蛮の武器となる。
その全ての富の流れにおいて、この対馬という土地がいかに有効な土地に位置しているのかを」
「対馬は小さい。だが、この海原を巡る富の真ん中に浮いている。
我々は富の理の喉元を握っているのだ」
康範が、地図を凝視したまま呟いた。
「……我らがこれまで行ってきた交易は、その大きな巡りの一部だったのですな」
「そうだ。だが、今の規模は本来あるべき姿の一割にも満たないだろう。
俺がこれからやろうとしていること。
それは、対馬を単なる中継地から、日の本の『要』へと作り替えることだ。
……次に俺たちが狙うのは、肥前だ」
広間がどよめいた。
肥前は龍造寺、松浦、有馬、大村といった大小の勢力が入り乱れる国である。
特にも急速に勢力を拡大している龍造寺隆信は、「肥前の熊」と恐れられる猛将。
いかに豊かになりつつあるとはいえ、対馬と壱岐の2カ国の所領では及びもつかない。
「利興殿、正気ですか」
末席の調信が思わず声を上げる。
「肥前は龍造寺が平らげつつあります。兵を出せば、数において圧倒されるのは我らの方ですぞ」
「調信、お前はまだ、私の言う『戦』を勘違いしているな。
肥前を『獲る』とは、奴らの首を跳ねて土地を奪うことではない。
そこに暮らす民が、そして国人たちが、我々なしでは一日の暮らしも立ち行かぬ状態に追い込むことだ」
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内政と軍事の具体的なビジョンを、ここで示す必要があると利興は感じていた。
おそらくこの時代の価値観からは、理解されにくいであろうということを前提に話を進める。
利興は立ち上がり、地図の「肥前」の箇所を、まるで獲物を定める鷹のような鋭い目で見据えた。
「一つ目。内政における『投資と巡り』だ」
利興は国人たちに向き直った。
「対馬は十年前、わずか八千石の貧しい島であった。それが今は二十万石を超えている。
なぜ実現できたのか。
……得た『銭』を惜しまず『土地』に注ぎ込み
『土地』が生んだ『物産』を再び『銭』へと換えてきたからである。
壱岐や対馬で行った溝引き、新田の開拓、腕利きの職人の囲い込み
……これらはすべて、特定の人物が豊かに暮らすために蓄えるものではなく
さらなる富を生むための『種銭』だ。資源を投ずる...投資と言い換えてもいい。
私は、これから対馬に留まらず、日の本全土をこの種銭を撒く場所にする」
「武力で奪うのは最後の手だ。まずは銭と物で浸食する。
……いいか、今、肥前では龍造寺が、豊後では大友が、中国では毛利が勢力を伸ばしている。
彼らは皆、土地を欲しがっている。
だが、土地を広げれば抱える兵が増え、兵を食わせるにも動かすにも膨大な銭がいる。
その銭を、彼らはどこから得る?」
利興は地図の唐津、博多を指差した。
「もちろん、陸路にて市場を開くことも出来るだろう。
しかし大量の物資を運搬するにはやはり港となる。
だから俺は、名護屋という『楔』を打った。
康範、名護屋の城は単なる守りの要所ではない。
あれは、肥前の全ての物産を吸い上げる『巨大な篩』だ。
博多を通らずとも、明や南蛮の品が直接名護屋に入る流れを盤石にしろ。
肥前の民が育てた米、獲った魚、織った布……それらをどこよりも高く、銀で買い取るのだ。
民は、情けをかける領主よりも、高く物を買う商人を信じる。
肥前の物産が全て名護屋に流れ込むようになれば、龍造寺の城下は枯れ果てる。
土地は奴らにくれてやれ。だが、その土地が生み出す価値は、全て俺たちの懐に入るようにする」
「そして二つ目。ここまでくれば兵力差など意味をなさん」
利興の声が冷徹さを増す。
「肥前の物産が名護屋に集積するようになれば、経済封鎖を行うことで全ての軍事行動が制限されるだろう。
圧倒的な『力の誇示』も必要になってくる。
康範、清水山城で私が取ったあの戦い方を、全軍に周知させる。
私たちが肥前に上陸する際、武士同士の華々しい一騎打ちなど必要ない。
敵が名乗りを上げる前に、一里先から大筒で火を噴け。
敵陣が何であるか理解する前に、その本陣の中心を灰燼に帰すのだ。
……戦いとは誇りを競う場ではない。目的を達成するための、最も効率的な『作業』だと心得ろ。
敵に『あいつらと戦うのは、天災に立ち向かうのと同じだ』と思わせれば、戦は始まる前に終わる」
利興の言葉は、中世の武士道という美徳を徹底的に粉砕していく。
広間に戦慄が走った。土地を奪い、首を取る。そんな「武士の常識」とは全く異なる、
見えざる力による支配。
津奈調親が、重々しく、しかしどこか晴れやかな表情で頷いた。
「……なるほど。利興殿。
そもそも其方は、我々とは見ている景色が違うのだろう。
さしずめ其方にとって、戦とはただの『損の多い仕事』に過ぎぬのだな」
「その通りです、津奈殿。
無益な殺し合いは、働き手を減らし、商いを冷え込ませるだけの損害です。
私が求めているのは、誰もが逆らえぬほどの『圧倒的な豊かさ』による支配。
……対馬を、日の本という巨大な身体を動かす『心の臓』にするのです。血はこの島から生まれる富ですな」
国人たちはそれぞれ顔を見合わせている。
理解できている者も、そうでない者もいるだろう
「これより、対馬は『守り』を捨てる。
肥前を皮切りに、この海の道に連なる全ての港、全ての富を、俺たちの掌中に収める」
利興の宣言に対し、国人衆は吸い寄せられるように一斉に平伏した。
そこには恐怖と、それ以上に見たこともない壮大な未来への熱狂が混じり合っていた。
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「これより我が佐伯家は対馬・壱岐・名護屋の全権を預かることを、ここに宣言する。
宗家の名は残す。義調様のお子を立て、血脈は守る。
だが、この国の舵取り……政の差配は全て私、佐伯利興が行う。異存がある者は名乗り出ろ」
沈黙が支配した。
誰も、その言葉を遮ることはできなかった。
その時、一人の国人が声を震わせて問いかけた。
「……義調様のことは。我らの主は、最後までこの島の行く末を案じておられた。
あの方の供養を、我らが行うことをお許しいただけますか」
利興の脳裏に、あの清水山城の、夕映えの中で刀を抜いた義調の姿が浮かんだ。
「……逆賊などではない。義調様は、自らの死をもって、この島の未来を私に託されたのだ。
清水山城の麓に碑を立てる。そこには、義調様が最後に残した言葉を刻め」
「どのような言葉でございますか」
「『民がこの島を誇れるようにしたい』。そうであったな調信」
利興の声は、わずかに震えていたかもしれない。
「私はその言葉を、心に刻もう。対馬を豊かにすることが、義調様への唯一の供養である」
国人たちは、その言葉を噛み締めるように、深く頭を下げた。
利繁が、康範が、景満が、順に深い臣下の礼を捧げる。
最後に、柳川調信が誰よりも深く、長く、畳に額を押し当てた。
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評定が終わり、人々が去った後の広間には冬の短い陽光が、長い影を落としている。
「利興殿、報告がございます」
調信が差し出したのは、数枚の書付だった。
「盛円殿の残された書付を、全て整理し終えました。
朝鮮への歳遣船の交渉、王直への提案、壱岐の来年の収穫の見込み。
……全て、私が引き継がせていただきます」
利興は調信の手元を見た。
「……一人で全ての情報を頭に入れたか」
「盛円殿は数字の裏にある意図まで、全てを克明に記しておられました。
交渉相手の癖、昨年同時期の天候、そして……利興殿が次に何を命じるかの想定まで」
利興は、苦笑を漏らした。
「そのような想定まで書いてあったか。……なかなか侮れん」
「はい。そして、これが今月の収支の写しです」
調信が出した書付には、戦による三割の減収と、来年の厳しい交渉の想定が、情け容赦なく記されていた。
利興は書付を受け取った。盛円の字ではない。
一月でここまでの作業を一人でこなしたという事実には、調信の覚悟が感じられる。
「……交易の管理ならびに対馬の内政は其方に任せよう。
調信、今後は耳の痛い報告も気兼ねせず伝えてくれ」
「はっ。命に代えても」
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一人になった利興は、再び世界地図の前に立った。対馬という小さな点。
多くの者が消え、多くの者が残った。
だが、彼らがこの数年間に注いできた熱量は、消えることなくこの地図の上に脈動している。
義調の遺した言葉を、碑に刻む。
それを見るたびに、自らの振るう理が、叩く算盤が、民の誇りに繋がっているかを自問することになるだろう。
それが、主君を殺した利興に課せられた、終わりのない義務である。
対馬の冬の海が光を反射して、銀色に輝いている。
夜は長く、風は冷たい。
利興は地図を丁寧に折り畳み、調信の書付と共に机に置いた。
こちらで第二章が《完》となります。
いよいよ戦線を本土に移します。
多大な反響をいただき嬉しい反面、重圧もありますが
少しでも楽しんでいただけるよう更新してまいります。
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