40話 直言
ストックが尽きてしまい、一日更新をお休みいたしました。
また本日よりよろしくお願いいたします。
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますが、エンターテインメントとしてお楽しみください。
天文二十五年(一五五六年)春。
対馬を囲む玄界灘の波涛は、冬の荒々しさを残しながらも、春の陽光を弾いて複雑な輝きを放っていた。
周防・長門の支配を盤石なものとした毛利元就の権勢は、関門海峡を越えて北部九州の国人衆を激しく動揺させている。
大内の遺領を巡る駆け引き、大友の不気味な南下、そして肥前で牙を研ぐ龍造寺。
今後、向かい合うべき大名たちの動きは対馬にまで、確実に届き始めていた。
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博多の商人たちが厳原の港に姿を現したのは、正月が明けて間もない、凍てつくような朝のことだった。
利興がその知らせを受けたのは、佐須盛円からの緊急の報告によってであった。
「利興殿。義調様が、我らの預かり知らぬところで動かれました。
神屋殿を通さず、別の博多商人二名を直接国府へ招き入れたとのこと。
応接の差配は、すべて柳川調信殿が取り仕切っております」
利興は、手元にあった壱岐の開墾計画書から目を離し、盛円が持ってきた書付を手に取った。
神屋を通さない。その一事の意味は、利興にとって極めて重い。
これまで利興が心血を注いで構築してきた対馬の交易網は、神屋寿貞という人物の信用を軸にした「単一窓口」による統治システムであった。
窓口を一元化することで、情報の漏洩を防ぎ、価格の乱高下を抑え、海賊や競合勢力に対する強固な交渉力を維持してきたのだ。
義調のこの動きは、その信用の網を、当主自らが迂回しようとしていることを意味していた。
「商人の名は」
「一名は、博多の島井茂勝。もう一名は、豊後大友家との繋がりが深い大賀の縁者です」
「島井か……。寿禎殿とは親族だが、商いにおいては互いに一歩も引かぬ商売敵だ。
大賀もまた、大友の後ろ盾を持って博多で急速に勢いを増している」
利興は、窓の外で揺れる梅の枝をじっと見つめた。
神屋寿禎は、対馬宗家とは近年深い信頼関係にある。
その寿禎を差し置いて島井を招くということは、義調が「利興の色のついた既存交易ルート」を拒絶したことに他ならない。
義調が自分独自の交易ルートを持とうとすること自体は、当主としての正当な権利である。
当主が独自の裁量権を持ち、独自の情報を得ることは、権威を裏付ける実利として必要なことだ。
しかし、問題はその「時期」と「手法」だった。
今の対馬の成長は、薄氷を踏むような危うい信用の積み重ねの上に成り立っている。
王直ら多島海の勢力は、宗家の窓口が「佐伯利興」という一本の線であることを前提に、破格の条件を提示しているのだ。
そこへ当主が別ルートで介入すれば、情報の対称性は崩れ、商人はその隙を突いて価格を吊り上げ、あるいは安値で買い叩く。
「商人たちは、今日中に帰るのか」
「いいえ。三日間、国府に逗留するとのことです。驚くべきことに、その滞在費用のすべてを国府が持つと。
調信殿の指示で、最高級の酒と肴が運び込まれております」
「費用も出すのか……。それで、彼らは何を持ちかけている」
「内容は不明です。調信殿が部屋への出入りを厳重に制限しており、某の配下であっても、奥へは一歩も立ち入れぬ状況です」
利興は書付を静かに伏せた。
(今は待つ。義調様が何を求めているのか、その結果が数字となって現れるまで、こちらから動くべきではない。)
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三日後。商人たちが満足げな顔で厳原を去った後、盛円が血相を変えて飛び込んできた。
「利興殿、恐れていたことが起きました。取引の内容を、一部掴みました」
盛円が差し出した書付には、耳を疑うような数字が並んでいた。
「義調様が、島井らに対し、来月以降の定期的な生糸の買い付けを約束されました。
経由地は唐津。品目は明産の最高級生糸と唐絵です」
「明の生糸……。それは、王直との取引ですでに扱っている品目だ」
「左様です。しかも、その合意価格が異常です。
義調様は、現在の交易収益の三割に相当する銀を、前金として支払うと約束されました」
利興の奥歯が鳴った。
三割。それは現在の対馬が、壱岐の開墾や名護屋の防衛。
あるいは民への還元に回すべき余剰金の半分ほどを使い果たす額だったのである。
しかも、利興が王直から直接仕入れている生糸の価格と比較すれば
島井らが提示した額は二倍以上に跳ね上がっている。
明らかな「足元を見た」価格であり、義調が相場を知らないことを前提とした
商人の老獪な立ち回りであった。
「調信が価格交渉に関わったのか」
「はい。ですが、あの方に相場の判断などできるはずもありません。
島井茂勝の滑らかな言葉を、そのまま当主の『威厳』を見せて受け入れてしまったのでしょう」
「わかった。明日、国府へ行く」
利興の声は、冬の海のように静かだったが、その奥には抜き身の刀のような鋭さが宿っていた。
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翌朝。利興は一切の随伴を連れず、単身で国府へと足を踏み入れた。
広間では、義調が柳川調信と向かい合い、商人が置いていったと思われる美しい唐絵を眺めていた。
その表情には、自分が大きな商談をまとめ上げたという、誇らしげな達成感が漂っている。
「利興か。何の用だ。今日は忙しい。これからの交易の展望について、調信と練り直さねばならぬのでな」
義調の声には、隠しきれない優越感が混じっていた。
「博多の商人との取引について、一つ、ご確認をいただきたい儀がございます」
義調の表情が、目に見えて硬くなった。
「島井らとの取引のことか。……お前に口を出される筋合いはないはずだが」
「咎めに参ったのではありません。数字を、お伝えしに来たのです」
利興は一歩前へ出た。
「先日、義調様が合意された生糸の価格。それは現在の王直との取引価格の二倍以上に相当します。
さらに、銀で支払うという前金。これは宗家が今、壱岐の防草工事に割り当てている予算と、名護屋の守備兵の半年分の給金を合わせた額を上回ります。
……このまま実行されれば、宗家の財政はいずれ立ち行かなくなりまするぞ」
広間が、凍りついたような静寂に包まれた。
調信が顔を伏せ、義調の顔が怒りと屈辱で赤黒く染まっていく。
「……そのような取引に価格なぞ、私は聞いておらん」
義調の声が震えている。
「はい。王直との詳細な取引価格は、当家においても極秘事項。
まだ義調様に全容をお伝えしておりませんでした。私の落ち度です。
しかし、この取引は『損』という言葉では済みません。
宗家の信用を博多で切り売りするに等しい行為です。
島井茂勝は老獪ですな...当主の焦燥を見透かして仕掛けてきたのです」
「お前は……」
義調が立ち上がり、利興を睨みつけた。
「お前は、俺が自分で商人を呼んだことを、間違いだと言いたいのか!
当主として、自分の判断をすることが、それほど許せんのか!」
「間違いではありません。当主が正しく独自の判断をなされることは、むしろ望ましいことです。
しかし、情報を共有せぬまま動けば、商人は必ずそこを突きます。
彼らは義調様の権威を称えながら、その実、義調様の無知を笑っていたのです」
「無知だと……!」
「数字がそう言っています」
利興は、一切の妥協なく言い放った。
義調は今にも利興に掴みかからんばかりの勢いだったが
利興の揺るぎない、冷徹な瞳を見て、その勢いが削がれた。
隣で震えていた調信が口を開こうとしたが、義調がそれを手で制した。
その瞬間、利興は義調の中に、まだ「理」が残っているのを見た。
彼は感情的になっているが、利興の言うことに理があることを、本能的に理解していた。
「……条件を変えることはできるのか。もう判は突いたのだぞ」
「可能です。私が再交渉に向かいます。
寿禎殿の名前を使い、島井側の非を突けば、価格を適正まで引き下げることは可能です。
ただし、一度ついた不信感は消えません。島井や大賀との直取引は、今後、慎重に進めるべきです」
義調は、崩れ落ちるように座り込んだ。
「……調信。其方は確かめたと言わなかったか。他より良い条件だと」
調信は畳に頭をこすりつけた。
「……申し訳ございません。相場については確認が不十分でした。私の至らなさです」
義調は深く、重い息を吐いた。
「利興。その取引、お前が再交渉してくれ。条件は、お前が適正と判断する水準にしろ。
……不愉快だが、民を豊かにする金を無駄に使うわけにはいかん」
「承知いたしました」
「……ただし。条件がある」
義調が、顔を上げて利興を見た。
その目は、以前のような畏怖ではなく、何かを必死に守ろうとする、鋭い拒絶の色を帯びていた。
「今後、あらゆる商人との取引、あらゆる予算の配分において、俺は『事前に』報告を受けたい。
お前が独断で動く前に、俺の承認を得ろ。当主としての私の承認なしには、一文とも動かさせん。
……いいな」
「……承知いたしました」
利興は深く頭を下げた。
広間を出るとき、背後で義調と調信が低く話し合う気配がした。
(義調様は、正しきことは受け入れられた。
だが、同時に俺への『承認』という鎖をかけることを決めた。
……これが、統治の速度をどれほど奪うことになるか、あの方はまだ理解していない)
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国府を出て、利興はそのまま盛円の詰所へ向かった。
「再交渉の段取りを頼む。寿禎殿を窓口にし、島井茂勝に対して『対馬守護代の断固たる拒絶』として通せ。
向こうが泣き言を言っても聞く耳は持たん。価格を元に戻し、前金の約束を白紙にしろ」
「承知いたしました。……利興殿、今日の話し合いは、上手くいったのでしょうか」
「上手くいったとは言えない。だが、最悪の流出は防げた。義調様は、正しきことには頷かれた」
「それは前進ですね」
「……どうだろうな。義調様は、事前報告の手順を求めてこられた。
今後、私が事を起こすたび義調様の承認が必要になる。
それは、この島を動かす速度が劇的に落ちることを意味する」
盛円は、複雑な表情で利興を見た。
「承認の手順が増える。
……それは、いずれ義調様が、お気に召さぬ計画を『押し留める』武器を持つということですね」
利興は答えなかった。
「……利興殿。あなたはどこまで、この先を考えておられますか」
盛円の問いは、静かだが利興の心の核心をつく。
「考えている」
利興はそれだけ答えた。
盛円は、利興が「考えている」と言ったときは、それ以上踏み込まない。
それが二人の間の、信頼の呼吸である。
利興が本当に最悪の事態を想定しているとき、その瞳には
誰にも踏み込ませない孤独な光が宿ることを、盛円は知っていた。
「景満への書状は、出したか」
「はい。名護屋の築城を急がせております。食糧の備蓄も、壱岐を経由して極秘に進めております。
……利興殿、万が一のときの足場として、あそこは完成させねばなりません」
「そうだ。万が一が来ないことを祈るが、備えはすべてだ」
利興は、盛円の顔に浮かぶ、自分と同じ色の「予感」を見た。
盛円もまた、理解しているのだ。
かつては「義調のために」と動いていたはずの自分たちの行いが......
今や義調にとっての「屈辱」へと反転しつつあることを。
直言し続ける。
それが臣下としての正道だが、直言が通るたびに、義調の心には小さな傷跡が残っていく。
その傷跡がいつか化膿し、取り返しのつかない破滅を招くのではないか。
不安は拭うことが出来なかった。
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四月。盛円から届いた定期報告には、利興の懸念が現実の数字となって現れていた。
義調の宴席は、月に三回から五回へと増えている。
広間の改築費用として、当初の予定にはない追加予算が、義調の直接命令で支出されていた。
近習たちへの恩賞も、目に見えて増えている。
しかし、利興が再交渉させた博多商人との取引は、寿禎殿の介入により適正価格に抑えられていた。
一歩進んで、一歩引く。
義調が浪費した分を、利興が別の場所で絞り出す。
そのような不毛な綱引きが、数字の裏側で繰り返されていた。
義調は、約束通り「事前報告」を求めてきた。
利興が丁寧に説明することで、適切な承認が得られている。
利興は、自分の誠意が伝わっているのだと、自分に言い聞かせた。
(言葉は届いている。まだ、届く……)
利興は、自分にそう言い聞かせた。
届くうちは、伝え続ける。それが国主に支えるものの責務である。
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