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天下の鍵は海にあり!~対馬から始める交易国家運営録~  作者: ワタツミ
第二章 対馬富国編

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39話 帰還

初めての執筆となります。

時代考証などが甘い部分がありますが、エンターテインメントとしてお楽しみください。

天文二十四年(一五五五年)十二月。

対馬・厳原の港に、利興(としおき)の乗った船が滑り込んだのは、凍てつくような夜明け前であった。船首に立つ利興の頬を、冬の玄界灘を渡ってきた刺すような潮風が叩く。

肥前での勝利の余韻は、現地に置いてきた。

彼の目の前にあるのは、灰色の雲に覆われた故郷の島と、その光景を映すような己の感情だけである。


厳原の港に船が着いたとき、佐須盛円(さす もりのぶ)が出迎えた。

その姿を見つけた瞬間、利興は胸に微かなざわつきを覚えた。


「お帰りをお待ちしておりました。利興殿」


「盛円殿。わざわざのお出迎えはありがたいが...

 ご足労いただかなくてもよかったものを。……その顔はいかがした」


利興は船を降り、盛円の顔を覗き込んだ。

その目は充血し、頬はこけている。連日の徹夜仕事による疲れではない。

もっと根の深い、精神を摩耗させるような、質の異なる疲労だった。


「お迎えに上がらずにはいられませんでした。……まず屋敷へ。順番にお話しいたします。」

盛円は周囲を警戒するように視線を走らせた。その所作一つに、今の対馬の空気感が凝縮されていた。


————————————————————


盛円の報告は、三つあった。

一つ目は財政上の数字である。

「渡海中の一ヶ月余りで、国府の支出が異常な膨らみを見せております。義調様の直接の御命令によるものです」

盛円は、懐から取り出した数枚の書付を、震える手で広げた。


十月。宴席の費用。

十一月。国府の改築という名目で、大工と良質な木材を大量発注。


さらに、近習たちへの過剰な恩賞。

合計で、年間交易収益の四割近くが、わずか二月余りの間に消えていた。


「改築の名目は」

「義調様は『客人を迎えるに相応しい場を整える』とおっしゃっています。

 柳川調信がその差配を取り仕切っておりますな。

 人夫への賃金の策定も、費用の算出も、すべて彼が義調様の代行として判を突いているようです」


利興は書付を凝視した。たしかに、湯水のごとく金が消費されている。

しかし、これがどういった真意から行われている事業かを確認しないままには

浪費かどうかも断定はできないだろう。


「二つ目は……津奈殿のことです」



「利興殿が渡海されてから十日、義調様が津奈殿をお召しになりました。

 内容は外に漏れておりませんが...

 その場から出られて以来、屋敷に籠もられ余人との接触も断っておられます。」


利興は言葉を発しない。

宗家一門であり、対馬の重鎮である津奈調親(つな しげちか)

治安警護と緊急時の軍事総指揮を任せて、この地に残したのである。

半ば自ら引き篭もっているのは、よほどの会話が交わされたに違いない。


「三つ目は今朝、義調様からご伝言をお預かりしております。

『利興が戻り次第、直ちに国府へ参上せよ』と。

 本日ご帰着の旨は承っておりましたので、すでに広間でお待ちとのこと」


————————————————————


津奈の屋敷に寄ったのは、国府へ向かう前だった。

津奈は書斎に籠り、膨大な書状を読んでいたが、利興が入ると顔を上げた。


「お戻りか。……肥前でのことは聞いている。ご戦勝お祝い申し上げる」

「忝い。帰着した折、津奈殿のことを耳にいたしまして……義調様との間に、何があったのですか」


津奈はしばらく利興を見つめる。

それから書状を机に置き、窓の外を見た。冬の対馬の空が、低く垂れ込めている。


「先月、義調様からお声がかかってな。

 用件は一つだ。『対馬の交易の管理を、守護代の手から当主直轄に移す』と仰せであった」


利興の背筋を冷たいものが走った。

「柳川調信の入れ知恵でしょうか」

「そうであろうな。

 調信は佞臣ではないが......若い。正義感に駆られて

 『守護代が交易を握り、収益を各所に配分しては当主の権威を損なう。

 本来は当主が直接管理し、家臣に施すことで忠誠を繋ぎ止めるべきだ』とでも申し上げたのだろう。

 義調様はそれを主君としての正論だと思われている。

 調信の言葉は、義調様には今の甘い毒だな。

 調信の青い正義感で発する言葉が、義調様が欲している支配欲を

 耳障りの良い「当主としての正当性」にすり替えている」


「して、津奈殿のお答えは?」

「無論断った。

 盛円が円滑に動かしている仕組みを壊すことは、この島の民の生活に直結する。

 あやつの尽力が商人の信用を繋いでいるのだ、と申し上げた。

 義調様は不快そうにされておられたな、儂を『利興の手先』と罵られた。

 ……利興殿、一つ言っておく」


津奈は座り直し、利興を射抜くような目で見た。

「義調様は今、自分が当主であるという実感を何より欲しておられる

 しばらくは其方の献策に必ず異を唱えるだろう」


「今日の国府での話し合い、どうなるかわかりません」

「儂は動かぬ。……成すべきことを成せれよ」

津奈はそれだけ言った。


————————————————————


国府の広間は、確かに変貌していた。

天井が高くなり、新しい柱には高価な装飾が施されている。

畳は新調され、以前より「格式が上がった」という印象を与えるように設計されていた。

しかし利興の目には、それはただの空虚な虚飾に映った。

広間の奥に義調が座っていた。

隣には柳川調信。元服したばかりの頃の緊張感は消え、落ち着き払った態度に見える。


「利興。帰ったか。肥前での働き、大義であった」

義調の声には、以前のような利興への遠慮がなかった。

自らがこの場の主人であることを誇示するような、不自然なほどの威厳が漂っている。


「ただいま戻りました。肥前にて岸岳城を攻略。

 名護屋の地に拠点を設け、唐津の港の管理権を確保いたしました。

 ……詳細は書状に書き付けお届けいたします」


「うむ。……だが利興、その前に一つ聞きたいことがある。対馬の交易管理についてだ」


————————————————————


本題が、利興の予想よりも早く投げかけられた。


「現在の管理の仕組みを、変えたいと思っている。

 交易の管理と収益の差配は守護代である其方ではなく、当主である私が直接行う。

 どの物産を扱い、誰を取引商人として選ぶか。私が自ら判断しよう」


広間に、冷たく重い沈黙が降りた。利興は義調を真っ向から見据えた。


「理由をお聞かせいただけますか」

「理由は明白だ。対馬の主は宗家である。

 この国に関わることはあまねく、国主が責任をもつ。

 でなければ筋が通らぬ。……そうではないか、調信」

「左様にございます。佐伯殿の功績は誰もが認めるところ。

 なればこそ、本土に拠点を得た此度より佐伯殿は、対外の大名との折衝に専心されるべきでしょう。

 この対馬の内政と、煩わしい金の差配を当主にお戻しすることは、御家安泰の正道にございます」


調信の滑らかな声が、広間に響く。利興は調信を無視し、義調に問いかけた。


「現在の交易は、盛円が仕組み化して動かしております。

 収益は全て記録され、どこに何が使われているかが明確になっています。

 その透明性と盛円の能力が、王直や神屋といった外部の信用を繋いでいるのです。

 仕組みを変えることで、具体的に何が改善されるとお考えですか」


「筋の問題だと言っている」

義調の声が、少し硬くなった。


「差配そのものを、私が行う。何を扱うか、どの商人と取引するか、誰に恩賞を出すか。

 それを決めるのは私だ。お前はそれを助ければいい」

「もし義調様が差配を直接お持ちになるとすれば、お伺いしたいことがございます。

 王直との次回の取引条件を、今ここでお教えいただけますか。

 朝鮮への歳遣船の今年の交渉結果と、来年の増加の見通しは。

 浜玉の塩田と、壱岐の蔵に今何が積まれているか……。

 これらをすべて把握された上で、差配を振るわれると仰せなのですな」


義調は答えなかった。顔がわずかに引き攣り、拳が畳の上で震えている。

「……差配を行うためには、これらの膨大な数字を把握している必要があります。

 現在、この数字を把握しているのは私と盛円です。

 義調様がこれらをすべて引き継がれ、日々変動する相場の中で決断を下されるのであれば...

 私は異存はございません」


————————————————————


広間が、静まり返った。

義調の表情が変わった。怒りではない。自らの無知を晒されたことへの、深い屈辱と傷跡。

そしてその傷の奥に、暗い炎が灯るのを利興は見た。


「……利興。お前は今、私が何も知らないと言いたいのか」

「知らない、ではありません。知る機会がなかった、と申し上げています」

「知る機会がなかったのは、お前が私に教えなかったからではないのか!」

義調の叫びが、高い天井に反響した。


「お前は私に教えなかった。

 常に結果だけを持ってきて、私には承認の判を突かせるだけだった。

 何かを決める場に、私を入れたことは一度もない。意見を求めたこともなかろう。

 お前が算段を立て、動かし、民を動かし、私はそれを聞いて頷く。

 ……それは当主ではない。お前が私を、そういう無力な場所に置いてきたのだ!」


利興は、言葉を失った。

否定できなかった。一部は、残酷なまでの事実だった。

彼自身は今後の歴史を知っている。

各大名の勢力拡大に先んじるという想いのあまり...

若くして当主となった目の前の青年を棚に上げたことは事実である。

義調の目から見れば、それは「当主からの権限の剥奪」に他ならなかったのだ。


「義調様のおっしゃる通りです。私の不徳の致すところでございます。

 申し訳ございませぬ」



利興は頭を下げた。

この場で、これ以上言葉を重ねても、現状では平行線を辿るだけだ。

まずは己の過ちはきちんと認め、謝罪する。


「一つだけ、私の願いをお聞き届けください。

 権限に関しては移行の期間を設けさせていただきたく。

 その間に、盛円から義調様に直接、情報と仕組みを引き継ぎます。

 取引先との交渉経緯もすべて開示いたします。準備が整った段階で、差配を義調様にお渡しいたします」


義調は、その言葉を噛みしめるように聞いていた。調信が口を開いた。

「義調様。佐伯殿の申し出は、極めて現実的でございます。

 段階的な移行を受け入れることは、決して当主の権威を損なうものではございません。

 むしろ、交易の成果を一時期も落とすことのない、賢明なご判断かと」


調信の言葉に、義調はようやく肩の力を抜いた。

「……調信。今日はここまでにする」

「承知いたしました」


————————————————————


国府を出たとき、外は雪になっていた。

対馬の冬に雪が降ることは珍しい。利興はしばらく立ち止まり、空を見上げた。

今日の話し合いで、何一つ解決していないだろう。

むしろ、亀裂はより深く、より明確になった。


「お前は私を、そういう場所に置いてきたのだ」

義調のあの叫びが、まだ耳の奥で鳴っている。

利興は七年間、この島を動かしてきた。

動かす中で、まだ若い義調を棚に上げ、実務の圏外へ追いやってきた。


忸怩たる想いはある。

しかし大内が滅び、毛利が台頭しようとしている現況において、丁寧に指南するを猶予などない。

本土に拠点を設けたことで、九州の大名たちも動き出すだろう。

喰らわねば、喰らわれるのである。


「まだ話はできる」と利興は自分に言い聞かせた。

しかし、今日の義調の目の奥に見えたものは、単なる怒りではなかった。

あれは、退路を断った人間の決意だったように思う。


雪が積もり始めていた。

厳原の石畳が、白く覆われていく。

利興は自らの足跡を確認しながら、屋敷に向かって歩き始めた。

対馬、壱岐、平戸、名護屋。四つの点を繋ぎ、強固な経済圏を作り上げつつある自負はある。

しかしその足元にある「主従」という土台が、音を立てて崩落し始めていることを

———彼は痛感していた。


————————————————————


「盛円、すまないが休む間はない。全ての帳簿を、義調様が読んで理解できる形に整理してくれ。

 一から、すべてだ」

屋敷に戻った利興は、待っていた盛円に告げた。


「……それは、本気で引き渡されるおつもりですか」

盛円の声に、絶望に近い響きが混じる。


「引き渡すのではない。見せるのだ。

 この島を動かすことが、どれほどの泥と汗と、詳細な数字の積み重ねであるかを。

 それを見てもなお、義調様が望まれるのであれば……その時は、また別の決断が必要になる」


「別の決断……」

「盛円、先に伝えておこう。私はこの島と民を豊かにする。そのためなら、何を捨てても構わん」


利興の言葉は、冬の夜気よりも冷たかった。

その夜、利興は一睡もできなかった。雪が静かに降り積もっている。


一人横になり何度も呟く。

「喰らわねば、喰らわれる」


夜明けが近づいても、雪は止まなかった。厳原の街は、完全に白一色の沈黙に包まれていた。

「義調様が動く前に、俺が動かねばならん」


利興は立ち上がり、冷えた手で筆を執った。

「神屋への書状だ。博多の情勢、大内の動き、そして毛利の動向。すべてを急ぎ集めろ」


彼が守ろうとしているのは、宗家の名と権威ではない。

対馬に生きる民である。

それを守るためなら、彼は主君すらも敵に回す覚悟を、この雪の夜に固めた。


————————————————————


数日後、盛円が整理した膨大な帳簿が国府へと運ばれた。

それは、宗家の血と汗の記録であり、故晴康と利興が築き上げてきた富の源泉そのものだった。


それを手にした義調が、果たしてその「重み」に耐えられるのか。

それとも、それをただの「金」として消費してしまうのか。


その答えが出るまで、そう時間はかからなかった。

「義調様が、博多の商人たちを直接国府へ招くそうです」


盛円の報告を聞いたとき、利興は自らの心の一部が冷たく凍りつくのを感じた。

「調信の差し金か」

「はい。守護代を通さず、当主と直接取引をさせたいとの由」


「……始まったか」

利興は、窓の外の雪景色を見つめた。


それは、対馬の秩序が崩壊し、新しい、そしてより過酷な混乱へと突入する合図であった。

彼は静かに刀を帯びた。

「盛円。景満に書状を出せ。『名護屋の城を、一刻も早く完成させろ』とな」


本土の足場。

それは万が一対馬を追われたときの、最後の砦になる。

利興の思考は、すでに最悪の状況までを想定して描かれ始めていた。


亀裂が埋まるのであれば、それに越したことはない。

利興の歩む道に、もはや迷いはなかった。

ただ、冷たい雪が彼の背中を追い越し、北の海へと消えていった。

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