38話 唐津仕置き
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文二十四年(一五五五年)十一月。
岸岳城が陥落し、唐津での戦が収束してより三日が経過した。
冬の北風が玄界灘より吹き込める唐津では、冷たく澄んだ空気が一帯を支配している。
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利興は、岸岳城の天守から眼下に広がる土地を俯瞰していた。
東の麓を、松浦川が朗々と流れている。
南の相知の山々から集まった水がこの城の足元を掠め、北へ向かって唐津湾へと注ぎ込む。
その河口に霞んで見えるのが、唐津の港だ。
直線にしてわずか二里。この距離が、この城の持つ地理的「意味」を定義していた。
(岸岳城は、松浦川という血管を監視する『心臓』といったところか。
だが、心臓だけでは体は動かん。血管の先にある出口——唐津の港。
そして海そのものを手に入れなければ、この勝利はただの土地の所有に終わる)
視線をさらに北へ巡らせれば、唐津湾の深い青が広がる。
湾の西、指のように突き出した半島の先端が呼子。
そして、そのさらに西の際、玄界灘を最も間近に臨む岬が名護屋だ。
ここから海を渡れば、壱岐まで一日半、対馬まで二日。
地図の上で引いていた航路の線が、利興の網膜の上で血の通った「現実」として繋がった。
「佐伯殿、松浦殿と籠手田殿がお見えです」
背後で山本康範の声がした。
「……通してくれ。これからが、本当の戦いだ」
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広間には、冷えた空気が張り詰めていた。
利興、松浦隆信、そして籠手田安昌の三人が、波多旧領の略図を囲んでいる。
「さて、佐伯殿。城は落ち、波多は去った。次は分け前の話だ」
隆信の声には、勝者特有の余裕と、獲物を狙う猟犬のような鋭さが混在していた。
籠手田が、用意していた書状を広げる。
「当家としては、唐津湾沿いの要衝——すなわち唐津の港と呼子の港、この二箇所を松浦家の直轄管理としたい。
岸岳城とその周辺の山間部は宗家に引き渡す。
城の維持管理と、背後の相知・厳木の抑えを宗家が担う形でいかがか」
利興は無表情に地図を見つめた。
(やはりそう来るか。港という『出口』を松浦が独占し、宗家を山の中に閉じ込める。
これでは対馬の勢力はただ閉じ込められるだけだ。波多にすげ替えられるだけだ。
……だが、彼らには見えていないカードがこちらにはある)
「一つ、提案があります」
利興の声は静かだが、断固としていた。
「唐津の港については、共同管理とさせていただきたい。
海上の警護は松浦殿の水軍が担い、港の実務と荷の差配は宗家の商人が行う。収益は折半。
……そして呼子については、私は別の考えを持っています」
隆信が眉を動かした。
「別の考え?」
「呼子からさらに北西、名護屋の岬に、新たに城を築きます。そこを宗家の本土拠点といたします」
籠手田が鼻で笑った。
「名護屋だと? あそこはただの荒れ果てた岬だ。
呼子のような良港でもなければ、農地もない。何のためにあんな場所に城を築く」
「壱岐への最短ルートを確保するためです。
呼子を通らずとも、名護屋から直接壱岐へ、そして対馬へ。
名護屋に城を築き、そこに埠頭を設ければ、玄界灘の制海権は完全に我らのものとなる。
……築城の費用は、すべて宗家が持ちます。
松浦殿には、名護屋の割譲をお認めいただくだけで構わない」
隆信が腕を組み、沈黙した。
「……名護屋を宗家に割譲する代わりに、松浦は何を得る」
「石高です」
利興は、懐から一枚の紙を取り出し、広げた。
そこには、盛円があらかじめ対馬で算出した、波多領の緻密な内訳が記されていた。
「波多旧領、総石高は約二万三千石。松浦川河口から鏡山の麓にかけての穀倉地帯、浜玉・湊・竹木場。
ここだけで一万石を超えます。ここをすべて、松浦殿の領地として認めましょう。
……宗家が取るのは、相知・厳木の山間部五千石と、名護屋周辺の荒地三千石。
合わせて八千石。農地の石高だけで見れば、松浦殿が圧倒的に有利です」
隆信は、利興が差し出した数字を凝視した。
一万石の豊かな農地。それは大名にとって抗いがたい魅力だ。
だが、利興が敢えてそれを捨て、「三千石の荒れ果てた岬」を欲しがっている。
「……お前は、商人と同じ考え方をするな。目先の米より、情報の通り道と物流の鍵を取るのか」
「それが対馬という島が生き延び、この海を使って民を豊かにする唯一の方法です」
隆信はしばらく天井を仰いでいたが、やがて低く笑った。
「……面白い。其方の提案を飲もう。
ただし、唐津の港の収益配分は、六対四でそちらにお渡しする。実務を預ける手間賃だ」
「宗家にお預けいただければ、交易量は増える。割合は低くとも多くの利益を上げられます。
ありがたい申し出ではございますが、取り分は対等にしていただきたく」
「……ふん。いいだろう。成立だ」
利興は内心で安堵した。石高を餌に、本土における「港の利権」と「自由な渡航ルート」をもぎ取った。
これは対馬にとって、土地の獲得以上に大きな「システム」の獲得であった。
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翌日、岸岳城の広間において宗家の論功行賞が行われた。
並み居る将兵たちの前に、利興は立った。
「今回の戦、皆の働きは実に見事であった。……山本康範」
「はっ」
「先鋒の指揮、および包囲の完遂。その功により、今後、名護屋に築く新城の城主を命ずる。肥前に残り、宗家の最前線を守れ」
広間が、一瞬の静寂に包まれた。
名護屋。地図上では辺境の岬だ。しかし、山本はその意味を即座に理解した。
「……承知いたしました」
「名護屋を拠点とし壱岐、対馬を一本の航路で繋ぐ。石高は三千石。
本土拠点の旗頭として、肥前の領土を管掌せよ。
来年春には、壱岐から五十人の工兵を送る。
資材は唐津を経由し、石垣の職人は博多の神屋を通じて手配済みだ」
康範は頷いた。、そして鋭い視線のまま口を開く。
「一つご確認を。肥前は龍造寺の勢力が大きな土地。龍造寺が動けば、ここは最前線になる。
……海を使っての援軍の算段はあられるか」
「ある。その際は壱岐の兵、そして対馬の本隊も動かす。
だが、私の計算でじゃ龍造寺が本格的に牙を剥くのはまだ数年先だ。
その間に、援軍が来るまで耐え凌げる堅城を築け」
「……はっ。必ずや」
「それと、康範の肥前管理の副官を任命する。……入れ」
利興の合図と共に、一人の若者が広間に入ってきた。
年齢は二十を少し越えたばかりか。
立ち振る舞いは静かであり、論功行賞に参加している武将たちとは違う知性を、瞳にたたえていた。
「佐須景満。盛円の息子だ」
景満は、父・盛円によく似ていた。
しかし、父が持つある種の「泥臭さ」はなく、より洗練された実務家の空気を纏っている。
彼は対馬で盛円の傍ら、宗家の膨大な交易記録と書付を整理し、交易の感覚と内政の才覚を磨いてきた。
「景満。其方は名護屋に残り、城の建設と、唐津港の収益管理を担え。
……康範は年長者であり経験も豊富だが、細かい政務に関しては別の助けが必要だ。
お前がその眼となり、手を動かせ」
「若輩者への大任、かたじけなく存じます」
景光の言葉に、両者が揃って頭を下げた。
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その後、論功行賞は夜まで続いた。
対馬・壱岐の国人衆には交易の優先権を与え、戦死者の家族には手厚い見舞金を約束した。
波多の旧家臣たちの処遇も、利興の計算通りに進んだ。
実利を重んじる沿岸部の二家は松浦へ、利興の「力」に屈した三家は名護屋周辺の直属地へと配置された。
「……戦後の数字はすべて記録しろ、利繁」
利興は、隣で呆然と広間を眺めていた弟に告げた。
「ここでは止まらない。誰もが納得する功績を積み上げていかねばならん。
お前も………………俺もな」
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深夜、康範と二人きりになった。
「名護屋に残ること、不便ではないですか」
利興の問いに、康範は鼻で笑った。
「不便など、壱岐への転封を命じられた時と対して変わらん。
……それより利興殿、其方は本当にいいのか」
「何がでしょうか」
「利繁に名護屋を任せ、佐伯家の勢力を伸ばすこともできたはずだ。
其方が対馬を動けない理由は分かるが。其方が不在の間、義調様が何を仕掛けているか。
……風の噂では、何やら不穏な動きがあるというぞ」
利興は、遠く北の海を見つめた。
「名護屋に関しては、己の利益よりも適任者を配置したに過ぎません。
……義調様に関しては...私は明日、急ぎ対馬へ戻りましょう」
ゆっくりと康範が頷いた。
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翌朝。
利興の一行は、唐津の港から対馬へと向かう船に乗り込んだ。
松浦川の淡水が、冬の潮風と混じり合い、灰色の海を騒がせている。
岸壁には、山本康範と佐須景満が並んで立っていた。
一人は腕を組み、不敵に。一人は静かに、見送るように。
この二人は肥前の地に打ち込んだ、宗家の「楔」だ。
船がゆっくりと離岸する。
利繁が隣で、小さく呟いた。
「……兄上。これで対馬、壱岐、平戸、名護屋。四つの点が繋がったな」
「そうだ。玄界灘という『面』が完成した。
……だが、面の内側が腐っていれば、外側をいくら固めても意味がない」
船は玄界灘の荒波へと突き進んでいく。
行く手には、霧に煙る対馬がある。
そこには、自分を支える津奈がいて、交易を守る盛円がいる。
(義調様。あなたは、私が持ち帰る戦果をどうお思いになられるのだろうか。
……もし、これがあなたにとって毒だというのなら。
私は、あなたと袂を分つ時が来るのかもしれない)
船の揺れが、今日は一段と重い。
対馬まで、一日半。
灰色の波の向こうに、利興は来るべき「決断」の影を見ていた。
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