閑話 宗家の当主
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文二十四年(一五五五年)冬。
利興が対馬を出立して、十日が経った。
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対馬は厳原の国府の広間は、静かだった。
利興がいないと、こんなに静かになるのか——と宗氏第十七代当主、宗義調は思った。
普段通りの国府の動きであれば、広間に私と利興が互いに座しているところへ
佐須盛円が書付の束を持ってくる。
利興は様々な問題に判断を下し、私への確認を経て花押を押す。
自分が当主となってから続けられてきた慣習である。
利興が渡海してこのかた——盛円は引き続き数字を管理しているが、自ら裁定を下しているようだ。
義調のところには、裁定のな報告書が届くだけである。
(俺は——一体何をしているのか)
忙しなく廊下を歩く義調を見ても、誰も何も言わない。
家臣たちは当然のように頭を下げる。
しかし民の訴えに対する裁定や、交易の施策について、判断を求めてくる人間が、いない。
それが当たり前だった、と気づいたのはいつ頃であっただろうか。
利興がいる間、義調に何かを判断させる場面はほとんどなかった。
書状への花押の捺印。宴席の許可。対外方針の確認と報告。
それだけである。
(これでは——木彫りの像が当主の席に座っても同じではないか)
試しに、一つだけ自分で何かを決めようとした。
港の補修工事の算段を、実務を行う国人衆に指示を出してみたのだ。
本来は宗家に支えているはずの男は、露骨に戸惑った顔をした。
「それは……盛円殿の方で調整しておりますが...」
「盛円にの指示は、私の命よりも重きものなのか」
「国府より正式な指示が出ておりますので...某の一存ではなんとも申しようがなく...」
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義調が指示を出したことで、何かが変わるわけではないのである。
義調の役割は指揮ではない。国人衆を導くことでもない。「承認」なのだ。
利興が設計し、国人たちを動かして、結果を持ってくる。
それを聞いて、頷く。それが——当主の仕事だった。
(父は、これで満足していたのだろうか)
晴康も、同じであったのか。
自らが引き上げた利興に全てを任せ、頷いていただけなのか。
——記憶に残る晴康の姿はそうではなかった。
利興の献策に頷いていたこともあった。
しかしそれ以上に、民へ心をくだき
幼き頃から、同世代とは思えないほどの才覚を見せていた利興を諭すこともあったのだ。
自分には、父が行っていた対等な議論の中に入る力がなかっただけなのか。
今も自分にもその才覚はないのか。
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居室に柳川調信がやってきた。
「義調様、少しよろしいでしょうか」
「何だ」
「明日の鷹狩の段取りについて、確認をしたいことがございます。
狩り場の南側に、最近村人が入っていると聞きました。
獲物が出にくくなっているかもしれません。事前に村人に別の場所へ移るよう命じまするか」
「……そうだな。命じてくれ」
「承知しました」
調信の表情は暗い。
「義調様は近頃、あまり眠れていないようにお見受けいたしますが...」
「……わかるか」
「はい。目の下が少し...」
遠慮がちな調信の口調に、義調は微笑んだ。久しぶりに笑った気がした。
「利興がいない間、気になることがあるのだ」
「気になること、でございますか」
「うまく言えないが……私はお飾りの当主ではないのかという感覚があるのだ。
私の才覚が豊かになる対馬を治めるには及ばないものなのか。
利興がこの島を豊かにした。次は何を見据えているのかは及びもつかん。
それがより私がこの国の民を導く資格がないのだと思えてならないのだ」
調信はしばらく目を瞑り沈黙している。
思えばこのような話を、利興に打ち明けたことはなかった。
利興からも、心境を慮るような言葉はない。
己が才気溢れるが故に、必要だと思っていないのか。
私自身が、利興に本音を打ち明けることを恐れているのか。
調信が口を開く。
「義調様は、十分になさっておいでだと思います」
「そうか」
「対馬が豊かになったのは、義調様が利興殿を信任されたからです。
義調様のご判断があってこそ、今の対馬の繁栄と民の笑顔があるのです」
義調はその言葉を、しばらく転がした。
(俺が信任したから——か)
確かにそうだ。
利興を守護代に任命したのは、義調である。
生前の晴康ですら、抜擢には至らなかった。
佐須盛廉追討に功があったにも関わらずだ。
他の国人たちに配慮した結果であろう。
しかし調信の言葉は、すんなりと胸に落ちた。
長年、誰かにかけてもらいたかった言葉を、言ってもらえた気がした。
「……礼を言う」
「本心からのことであれば、不要でございます。
明日の鷹狩、楽しんでいただけるよう手配いたします」
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翌日の鷹狩は、良く晴れた。
調信が段取りを整えてくれている。
鷹が勢いよく飛翔し、鳥を咥えてくる。
数少ない対馬の平野に、馬を走らせる。義調は久しぶりに、気持ちが晴れた気がした。
狩りの後、調信と並んで丘に座った。
「調信」
「はい」
「お前は、利興をどう眺めている」
「……優秀な方だと思います」
「それだけか」
「恐れながら、義調様にはどうお見えでしょうか」
義調は重々しく口を開く。
「私は怖い、と思うことがある」
「怖い、でございますか」
「あの男が何を考えているか、私にはわからない。
何を見ているか、もわからない。そして——あの男がいなければ、今の対馬はない。そのことが……」
言葉が詰まる。
(恥ずかしいのか)
当主として、そんなことを口にするのは恥ずかしいことなのか。
しかし——調信は何も言わずに聞いていた。
これが——利興との違いだ、と義調は思った。
利興は私の想いに耳を傾ける前に、答えを提示してしまうだろう。
こうすれば良いという正しき選択を、私に告げるに違いない。
おそらく誠心誠意の善意のもとでだ。
おそらく彼の口にすることは正しい。義調もそう思う。
しかし——「……妬ましい、と思うことがあるのだ」
言葉にしてしまった。
調信は未だ沈黙している。
「恐れながら、義調様がそのようにお感じになるのは——当然のことだと思います」
「当然か」
「義調様は当主です。この島のすべてを背負っておられる。民への責任をお持ちです。
しかし、細かな実務は利興殿が動かしている。それが当主の自尊心に触れるのは、当然のことです」
義調は黙って聞いていた。
「義調様が妬ましいと感じるのは——義調様に当主としての誇りがあるからです。
誇りのない者は、全てを放り出して安堵することはあれど、妬い感情は抱きますまい」
(そうか。誇りがあるから——か)
自分の感情のわだかまりが、正しく言葉にされた気がした。
「……もう一つ尋ねる」
「はっ」
「お前は——此度、利興が戻ってきたとき、俺はどうすればいいと思う」
「……義調様がお決めになることです。しかし——」
「しかし、何だ」
「義調様は宗家の正当な当主です。
利興殿は優秀なご家老ですが、義調様の家臣なのです。
その原則を、改めて確認されることは——悪いことではないと思います」
義調はその言葉を、ゆっくりと咀嚼した。
(原則を確認する)
持って回った言い方だが——要するに、この島の意思決定は誰の意思が関与するのか。
周囲に示せということなのだろう。
あるいは——当主として、もっと主体的に動け。と諭しているのかもしれない。
そう解釈することもできる。
しかし——どちらの解釈も、今の義調の気分を害すことはなかった。。
丘の上から、厳原の港が見えた。
陽の光を反射し、きらめいて見える。
あの海の向こうで、利興はこの島のために動いているだろう。
(あの男が戻ってきたら——)
今はまだ、答えが出ない。
しかし——何かが、義調の中で動き始めていた。
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その夜、義調は国府の家臣たちを集めて酒宴を開いた。
盛円が自分の動向を、逐一記録していることには勘付いている。
利興の命であるのだろうし、利興が戻れば諫言も受けるだろう。
しかし——今夜は、そんなことは考えなかった。
酒が回る、家臣たちが笑っている。
義調も笑った。
利興は民を豊かにすることは出来るだろう。
しかし目の間の人間に、此処まで屈託のない笑みを浮かべさせることが出来るだろうか。
「義調様」
調信が隣で言った。
「なんだ」
「愉快でございますか」
「うむ」
「それが最も良きことでしょう」
義調は頷いた。
義調が今夜感じているこの感覚を——利興はわかるだろうか。
当主として、家臣たちの前で笑うことの意味を。
当主であることの重責を、あの男は知らない。
その重さを——毎日背負っているのは自分なのだ。
対馬国主、宗家の名を背負い続けているのが自分なのだ。
「調信」
「はい」
「お前は——俺の傍にいてくれ」
「もちろんでございます」
調信はそれだけ言った。
余計なことを言わなかった。
その静かさが——今夜の義調には心地よかった。
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利興が戻るまで、あと何日かかるかわからない。
しかし——利興が戻ってきても、これまでの自分とは違う接し方が出来るのではないか。
それが正しいことかどうかは、まだわからない。
しかし——変わらなければいけない、という感覚は、今夜ではっきりした。
(私は当主だ)
その感覚が、今夜初めて言葉以上のものになった。
冬の厳原の夜に、酒の香りが漂っていた。
自分を悩ませ続ける利興と言う存在を、義調は今夜初めて——遠くに感じた。
そして——遠くに感じることが、悪くないとも思った。
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