34話 亀裂
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文二十二年(一五五三年)の秋。
平戸への訪問を終えた利興は対馬に帰り着いていた。
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王直との取引が動き始めたのは、平戸を訪れた翌月からだった。
対馬の銀が平戸に入り、明の生糸が対馬に届く。
硫黄は銀山の副産物として出る分を王直経由で明に流した。
これまで朝鮮に売っていた硫黄の一部を明ルートに切り替えた結果、単価が向上している。
硝石は壱岐に一度集積する手筈である。壱岐を経由して対馬に運ばれ、山本康範、津奈調親がそれぞれ管理する兵站に回された。
佐須盛円から届く月ごとの報告書を見ると、利益の積み上がり方は飛躍的に向上している。
一本の交易ルートが加わるだけで、これほど変わるとは——と利興は思った。
現代で言えば、物流の多角化に近い。
仮に一本の商流が詰まっても、別のルートで荷が回る。
それ自体が、島の安全保障にも繋がっている。
王直という人間は——今のところは信頼に足る人間である。
彼は顔を合わせた際、品質に見合った価格で取引をすると宣言した。実際にその通りにには動いている。
明の海禁の下で生き延びてきた人間は、信用の重さを知っているようだ。
信用を失えば、次の取引がなくなる。
それは——神屋寿禎を含む博多商人と同じ原理である。
利興は、まずは王直を信じてみることにした。
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十月、利繁から書状が届く。
「兄上。王直との取引の詳細、松浦との津料の調整が共に終わった。
先方も計算に明るく、対馬の物産の知識もあったのか、交渉は滞りなく進んだ。
壱岐の港湾には連日、明の荷が届いている」
利興は書状を読んで、少し笑った。
壱岐に代官として派遣し三年近い。
泥にまみれて田を作り、浪人を鍛え、荷の管理を覚えた。
大きな勢力ではないとはいえ、松浦は現代に名の残る勢力であるし
王直はこの時代の海洋ネットワークを支配したといっても差し支えない人物である。
立派に渡り合っている弟を誇らしく思えた。
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年が明けた天文二十三年(一五五四年)の三月。
松浦家の家臣である籠手田から書状が届いた。
神屋を経由したものではない、宗家に宛てた正式な書類である。
「波多の内情を得た。想定より早く動ける状況になりつつある。対州殿の御意向を伺いたい」
利興は書状に目を通し、盛円を呼んだ。
「籠手田からだ。波多攻めの折、どう動くべきかを問うてきた」
「直接書いてきたということは——隆信殿が私たちを対等に門戸を開く相手として認めた、と取って宜しそうですな」
「そうだな。神屋殿を経由出来ん情報もやり取り出来るようになったと考えて良い」
「どう返書をしたためましょうか」
「顔を突き合わせて話をしたい。籠手田殿か隆信殿、どちらかに壱岐へ足をお運びいただくよう打診してくれ」
「はっ」
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一月後、壱岐にて場を設ける運びとなった。
生池城の広間に、平戸から松浦家の名代として籠手田安昌。
宗家からは家老である佐伯利興を筆頭に、利繁、山本康範の三人が座した。
籠手田は地図を広げる。
「波多の状況を申し上げます。波多親の家中は今、三つに割れています」
「三つ、か」
「一つ目は、隆信殿にすでに内通している派閥。三家の国人衆です。
主に沿岸部を所領とし、約定を交わした上で、我々の交易の利権の一部も権限を与えております。
二つ目は、波多に忠義を尽くしているが経済的に困窮している派閥。
五家ほど。当主の波多親に忠義はありませんが、累代の重臣であります。
三つ目は、どちらにも付かずに様子を見ている中間の派閥。これが多数を占め十家」
康範が地図の一点を指して口を開く。
「岸岳城の守りは如何ですかな」
「非常に堅固かと。正面から攻めては長期戦になるでしょう。
——今の波多に、籠城を続けるだけの兵糧があるとは思えませんが...
内通した国人からの年貢の横流しも相当数の上りますので。
「経済的に干上がっているということですな」
「はい。我々の目算では——今年の秋に兵を動かせば、岸岳城は三ヶ月以内に開城するでしょう」
「見たところ、貴家の勝利は疑いなし。その上で我々に何をお求めになる」
「兵の一部を増援としてお借り致したく、さらに兵糧の補給です。
岸岳城が開城した後の処遇については、別途話し合いたい」
「波多の所領は」
「岸岳城周辺の唐津の土地は、当家の所領とする。
しかし——港に面した土地については、宗家への割譲の旨を隆信殿は言付かっておりまする」
利興は康範に視線を投げる。
康範は静かに口を開いた。
「兵の動員は可能です。しかし——秋までにはまだ時間がある。その間に、もう一手打つべきかと」
「何だ」
「波多の困窮している五家に、金と物資を回しましょう。
内通派閥と同じように、約定を結ぶ必要はなく、交易を行うのではありません。
物の流れには制限を与えることができません。あくまで自然に、困窮している場所に物を流すのです。
困窮と豊かさの急激な変化を味わえば、物資を止められる不安に駆られ、当家への依存を強めるはずです」
籠手田はしばらく考えた。
「……それは、当家の動きと重複しませんか」
「重複してもよい。二方向から押さえれば、残る中間派閥が動く理由が生まれる。
孤立した人間は、どちらかに旗幟を鮮明にしたくなるはずです」
「……佐伯殿のご意向は」
「康範の策はおそらく効果的でございましょう」
波多の困窮している五家への金と物流は当家にて動かします。
その代わり——開城後、その五家の降伏後は松浦殿の傘下ではなく、宗家の直臣として扱いたい」
籠手田の表情がわずかに変わる。
「隆信殿にとっても悪い話ではないはずです。
我々が波多の一部を押さえれば、隆信殿は岸岳城周辺に集中できる。波多の居城を押さえていただきたい」
「……一度、平戸へ戻り隆信殿に確認を取ります」
「急がなくて構いません。しかし——秋までに動くとすれば、夏には答えが欲しい」
籠手田は頷いた。
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籠手田が壱岐を去った後、利興は献策を行った康範だけを呼び出した。
「先ほどの其方の策、うまくいくと思うか」
「隆信はおそらく承諾するはず、策は実現するものと」
「そうだな、あの男は合理的だったように思う。
——自分の勢力圏に勢力が入ることを看過はできないだろうが...
独力では波多を飲み込むことが出来ぬから、今の状態が続いているのさ。
勢力を伸ばすことが出来るのであれば、感情として受け入れられるかどうかは別問題だ」
「某も同様に」
「どちらに転ぶかは、隆信の器量次第だな」
「はっ」
「俺たちが波多の一部を押さえることで、隆信の消耗は減るだろう。
その利益と、我らが本土へ拠点を持つことへの懸念。天秤にはかけるだろうが——承諾する」
利興は頷いた。
打てる手は打った。後は待つ。
それだけだ。
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五月、国府の執務室に詰める利興の元へ、盛円からの書状が届いた。
定期報告と、別件が二つ添えられていた。
「義調様が、先月と今月の二度、国府の広間で宴席を開かれました。先月より今月の方が規模が大きくなっています。費用は引き続き交易収益から支出されています。内訳は別紙に記録しました」
そこまでは、想定の範囲だった。
問題は次の一文だった。
「最近、柳川調信なる者が義調様の側近として目をかけられております。
元服したばかりで年が若く弁が立ちます。
義調様は己よりも若く利発な少年を好まれておるようで。
宴席を開かれるとき、この人物が傍にいます」
よりによって柳川調信か...というのが率直な感想であった。
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柳川調信
史実では津奈調親の娘を娶り、養子かつ家臣筋として登場する。
1557年、「船越浦の戦い」で養父の津奈調親が山本康範とともに宗家に反乱を起こす。
両名が宗義調勢と戦い討死したため、手勢をまとめて降伏。宗義調に仕えた。
1591年、副使として李氏朝鮮に赴き外交交渉で功を上げ、李氏朝鮮の「嘉善大夫(国家の重要会議に参加できる高官)」を務める。
1592年、「文禄の役」で宗義智に従い渡海。以降、半島南部の洞倭館代職(対馬から任命晴れる交易の実務長官)を務めた。
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この時代、津奈は利興の腹心として主に対馬全域の兵を統括しているため、調信との接点はないだろう。
柳川調信の成長を待ち、本土に拠点を構えた後に、行政官として機能させる。というのが利興の計算であった。
利興の登用より早く義調が目を付けたのは、若くして才能を発揮させた利興への妬心も感じさせる。
弁が立つ人間は、相手が聞きたい言葉を遣うだろう。
義調が聞きたい言葉は何かを思案する。
宗家当主としての自らが政務を取る、などと吹き込まれては現在の方針が大きく転換する。
(宴席の規模が拡大するなどという目に見える形で、浪費が続いているのだ。
権力を奪われるという原始的な不安は、少なからず持っているのだろう...)
返書を認める。
「当面は松浦および唐津へ注力する。しかし——義調様とその周辺から目を離すな」
上手くいく事ばかりではない...
久しぶりに、こめかみを中指で叩く癖が出ている。
自覚した利興は小さくため息を洩らした。
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夏の終わり、隆信から返書が来た。
籠手田の字ではなく、隆信本人の筆跡であった。
「波多の家臣団への工作、了承する事。
開城後の沿岸部の土地の共同管理については、具体的な範囲を領有後に詳しく協議する事」
(俺の読みは正しかった)
松浦隆信は——領土の問題を感情で動かさなかった。
俺たちが波多の一部を押さえることで生まれる合理的な利益を、私的な不安より優先したのである。
この時代の武将には、それが難しい。
一所懸命の時代において、領土は名誉だ。
その一部を他人と共有する、ないし他人に割譲することは、屈辱に近い感覚を生む場合がある。
それでも隆信は承諾した。
(この男とは、長く組めるかもしれない。しかし——)
動き出しの時期が早い。
返書には、家臣団の締め付けは継続する旨と決戦の一年後ろ倒しを提案した。
来年は1555年。そろそろ中国地方では厳島の戦いが起こる。
元々、北部九州は大内家の影響力が強い。
その大内家の混乱に乗じて動く方が、周りの目も分散するだろう。
ひとまず、利繁には波多家臣団への調略を支持を出した。
来年——厳島が動く。
間違いなく、今後の西日本情勢を運命づける一大決戦である。
大内と毛利、大友も絡んでくるか...
この混乱の中で、どれだけ勢力を拡大できるか。
一つの山場に備える算段を整えた。
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