31話 民の顔
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
本日は14時、19時更新予定です。
天文二十二年(一五五三年)春。
対馬を半年近く覆っていた厳冬の雪がようやく消え、泥にまみれた土から、青々とした草の芽が力強く顔を出し始めた。
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三月の初め、守護代となった利興は、側近の佐須盛円だけを連れて下県の巡察へと向かった。
厳原の城下を出て南へ下る道中、利興はあえて馬を使わなかった。
一歩一歩、春のぬかるみを踏みしめ、自らの足で歩く。
先年、同じく側近となっている津奈調親に言われた
「歩けば帳面に出ぬものが見える」という言葉を、自らに刻み込むためだ。
最初の目的地は、豆酘に近い、海を望む斜面の集落だった。
そこには、三年前の利興が右筆として取り立てられたばかりの頃、収穫が極めて低いと記されていた棚田が広がっている。
土地は痩せ、水の引き方が致命的に悪かった。
対馬特有の粘土質の土は、一度乾けば岩のように硬くなる。
それに反して雨が降れば泥流となって逃げていくのだから、意図的に手を入れなければ農耕は難しい。
晴康の治世より、利興は現代知識を駆使しながら農政改革を行なってきたのだが、その成果を書付の上でしか知らなかった。
常に簡潔に記載される、土壌改善へ向けた作業の進捗、収穫量の変容に満足を覚えていたものであるが
今日ようやくその「実物」を目にしたのである。
山の上部、豊かな水源から引かれた水路は、対馬特有の堅い岩を削り、見事な石積みで固められていた。その冷たく澄んだ水が、勢いよく田へと注ぎ込まれている。
壱岐で山本康範が手掛けた巨大な水路に比べれば、それは細い血管のようなものかもしれない。
しかし、流れる水の音には、この土地の絶望を打ち砕くような力強い拍動が宿っていた。
「去年の収穫は、どうであった」
利興は、畦道で泥にまみれて作業をしていた老人に声をかけた。
老人は、深い年輪のような皺が刻まれた顔を上げ、眩しそうに利興を見上げた。
そして、少し震える声で答える。
「三年前の……倍になりました。おかげさまで、蓄えというものが、初めてできました。
この対馬の果てで生きてきて、冬を越してなお米が残っておるなど、儂の記憶ではここ数年しかございません。」
老人は泥のついた手のまま、地面に額を擦り付けた。
利興は言葉を失い、沈黙した。
(この老人は、何十年もの間、貯蓄のないの綱渡りを続けてきたのか...
前世の感覚で言えば、明日の食い扶持に怯える日々が一生続いていたということだ。
史実の対馬では米が獲れない。朝鮮からの輸入に依存し、常に飢えの縁を歩いている。)
「農産増収」という、帳面上のわずか四文字。
それが今日初めて、目の前の老人の安堵した「顔」として結実した。
利興の胸に、これまで感じたことのない、熱く、重い感情がせり上がってきた。
「……そうか。来年は、もっと良くなる。肥料の入れ方も、盛円に伝えさせてある。精を出せ」
利興はそれだけ言い、再び歩き出した。
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三日間の視察で、利興はさらに多くの「顔」に出会った。
干物の加工拠点が整備された漁村では、子供たちが元気な声を上げながら、新しい竹籠を運んでいた。
以前なら、痩せ細り草木を草木をかじる事もあった子供たちが、今では泥にまみれて笑っている。
椎茸の原木が増えた集落では、かつて山賊紛いの暮らしをしていた者たちが、黙々と作業に従事していた。
博多から木綿が安定して入るようになったことで、民が身にまとう衣服の質さえ変わっている。
以前のような擦り切れたボロではなく、丈夫な木綿が彼らの体温を守っている。
視察の最後、利興は下県の要衝に居を移した津奈の屋敷を訪れた。
本来は宗氏の一族としてこの地に所領をもつ津奈は、利興の到着を知るや、居住まいを正して出迎えた。
「利興様、ようこそお出でくだされた。」
津奈の口調は丁寧だが、その眼光は以前と変わらず鋭い。利興は構わずに縁側に腰を下ろした。
「下県の景色は変わりましたな、津奈殿。どの村へ行っても、民の顔に色がある」
「すべては利興殿が民を豊かにしようと心を砕いた結果ではある。
……ですが、いかがでしたか。実際にその足で歩かれ、自らの目で見た『民の顔』は」
利興は茶碗を見つめ、少し笑った。
「……数字で測るよりも、ずっと大きゅうございました。
私は算盤を弾き、算段を整えることで、この島という仕組みを動かしているつもりでしたが。
その歯車の一つ一つに、体温があり、名前があることを思い知らされました。
重いものですな。この対馬に生きる民を豊かにするというのは」
「……左様でございますか。利興殿がそのことに気づかれたのであれば、今後も道を誤ることはないでしょう」
津奈は静かに頭を下げた。
「ですが、利興殿。民に色が付けば、今度は別の欲が生まれます。
それは民も、そして上に立つお方も同じこと。
腹が満たされれば、次は着る物を、次は飾りを、次は名誉を……と。
利興殿には、これまで以上に難しい決断を迫られる機会が訪れるやもしれませぬ」
津奈の言葉は、予言のように利興の胸に刺さった。
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厳原に帰還して三日後。
国府の執務室に詰めていた盛円が、朝鮮王朝からの公式な返書を届けた。
「……歳遣船、二隻の増加を認める」
利興がその一文を読み上げると、部屋の空気が一気に熱を帯びた。
公式な文書として、返書がもたらされるまでに時間はかかったが、日朝交易の拡大の大きな前進である。
利興はすぐに主君・宗義調の居室へと向かった。
十六歳になった義調は、当主の重責からか純粋よりも、感情の読みづらい乾いた瞳で利興を迎えた。
「義調様、吉報にございます。
朝鮮との交渉、ついに実を結びました。歳遣船の二隻増加が認められました」
「……二隻か。其方が書状を出して、一年以上も経ったな」
義調は手元の書状を眺め、抑揚のない声で言った。
「利興。一つ、聞きたいことがある。
船が増え富が生まれれば、その収益は具体的にどこの蔵に積み上がるのだ?」
利興の背筋を、冷たい風が吹き抜けた。
(この問い……以前の俺から何かを学ぼうとする姿勢からは明らかに質が変わっている)
悪意があるわけではない。無意識に『蔵』とそれに随行する所有権の所在を気にかけている。
島が豊かになりゆく中で、「主君としての欲望」が芽生えるのは危険な兆候である。
「国を動かすための蓄えとして管理いたします。
田畑を広げ、兵を鍛え、港を直す……すべては、宗家をさらに強くするための費えにございます」
「……宗家の蔵と国庫は分けて管理するということか」
利興は一呼吸置き、慎重に答える。
「交易の利益に関しては分けて管理いたします。今は、地盤を固める時。
外敵に備えるため、兵を三千にまで増やすには、莫大な蓄えが必要です。
国が揺るぎなきものとなった折には、宗家の私財としての利益の配分も考慮致しましょう。」
義調はしばらく沈黙し、紫煙を見つめていた。
「……わかった。下がってよい」
外した視線を戻そうとはしなかった。
廊下に出た利興は、深く息を吐き出した。
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その夜、利興は神屋宗湛への書状を書き終え、壁の海図に目を落とした。
利興の思考は、今や対馬を越え、九州の複雑な勢力図に向けられていた。
現在保有する軍事力と、交易という利点を考慮した時、白羽の矢を立てたのは肥前。
現在の長崎県、佐賀県に勢力を置く松浦党であった。
「盛円。平戸の松浦隆信について、博多の商人を介した諜報を命じておった。
奴が率いる『松浦党』という組織の本質、お前はどう見ている」
盛円は冊子をめくり、澱みなく答えた。
「一言で言えば、一族の連合体にございます。元々は海賊の集まり。
東西で上松浦と下松浦に分かれ、さらにその下に数多の小規模な領主がぶら下がっております。
彼らは血縁で繋がっておりますが、実態は独立性が極めて高い。
盟主と仰ぐものが頼りなしと見るや、すぐさま離反する連中です」
利興は頷いた。
(前世の記憶と一致する。
松浦党は『会社』というよりは、共通のブランドを名乗る『フランチャイズの集合体』に近い。
その中でも、平戸を拠点とする隆信の勢力は、この時期には他を圧倒しつつある)
「松浦隆信……家督を継いでからまだ十年足らずだったな...」
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平戸松浦氏は、松浦党の中でも「下松浦」に属する。西側を拠点とする勢力の惣領である。
父の興信が天文十年(一五四一年)に急死。
弱冠十三歳であったために、元服前で実務に当たれず、家中は一時混乱する。
しかし筆頭家老の籠手田安昌が支持と補佐をする形で、天文十二年に元服を境に正式に家督を継いだ。
大内義隆から偏諱を受けて「隆信」と名乗り、肥前守に任じられてもいる。
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「東側の『上松浦』を束ねる波多氏はどうだ」
「波多氏は岸岳城を拠点とし、名目的には松浦党の筆頭ですが、内部は腐っております。
主君・波多親は家臣団を統制できず、不正が横行しておるようです。
神屋殿の調べによれば、波多の家臣の多くが、秘密裏に平戸の隆信と通じているとのこと」
利興は海図の「岸岳城」と「平戸」を線で結んだ。
(なるほどな。隆信の戦略は明確だ。
上松浦の波多の居城である岸岳城は、現在の唐津にあるが思いの外山間部に位置している。
まずは海岸付近の小領主たちを懐柔し、港湾の利権を奪う。
経済的に干上がらせ、家臣団を買収し、内側から瓦解させる。
武力衝突を最小限に抑えつつ、松浦党全体を自分の色に染め変える……
俺が描く経済戦争に近しい発想ではある)
「……隆信へ渡りをつけよう。一度人となりを測りたい」
利興の瞳に、高揚した光が宿る。
現代知識と持つ自分と近しい戦略を描く男が、海の向こうにいる。
想定している規模に乖離はあるだろうが、この時代の大名が経済感覚とその効力を想定出来るだけでも優秀な男であるに違いない。
「盛円。神屋殿への返書にこう書き添えろ。
『松浦隆信が運搬する胡椒と香木は、壱岐の市場において正当な対価で買い取る。
次は、こちらから”対馬の銀”を積んで平戸を訪れたい』とな。」
「平戸へ……まさか直接赴かれるのですか? 」
盛円が驚愕の声を上げる。
「現在の状況であれば、こちらが丸腰で平戸に赴いても手は出さないだろう。
隆信は波多との決戦の前に、対馬という新たな経済圏を敵に回すとも思えん。
逆に言えば、こちらが優位な状況で交渉ができれば、玄界灘の物流は完全に支配下に置けるはずだ」
利興は体勢を崩し、目を閉じた。
兵数は、ついに一千の大台に乗っている。
今後も想定通りに増え、津奈と康範が調練を施すのであれば土豪や地方領主程度であれば
向こうにまわしても互角の立ち回りが出来るだろう。
「盛円。即刻壱岐へ向かう。利繁と康範の両名にも松浦の情報を伝えろ。
……松浦隆信という男がどの程度の器か、この目で確かめてやる。
場合によっては干戈を交えることも辞さぬ」
「承知いたしました。」
平戸に影響を及ぼすことが出来れば、玄界灘全体の航路を完全に掌握することが出来る。
海を繋ぐことで、この島の利点をさらに活かすことが出来るだろう。
執務室を出ると、春の夜風が玄界灘のさざ波を運んできていた。
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