閑話 天文二十年
累計PV数がどんどん伸びているのが嬉しく、第二章突入を前に1話だけ更新させていただきました。
本日は1日更新をお休みします。
次回の更新は3/28(土) 9:00の予定です。
評価、ブックマーク、リアクション、コメント。
更新の励みになりますのでどんな内容でもいただけると嬉しいです。
ここで天文二十年(1551年)。
現在の日本全国の状況を整理したい。
16世紀半ばはご存知の通り、戦国時代の真っ只中であるが
特にこのタイミングで、既存守護体制を構築してきた駒が次々と取り払われ
代わって「実力」を提げた英傑たちがしのぎを削っている。
特筆すべきは西国を統べる大内氏の自壊。東国における管領権力の亡命であろう
盤面の上では、既存の駒が次々と取り払われ、代わって「実力」という名の新たな理屈を掲げた怪物たちが、一斉に産声を上げている。
この年の各国の動向は、下記の通りである。
————————————————————
——奥州——
奥州を震撼させた「天文の乱」の熱は冷めたが、残ったのは焼け野原に等しい伊達の権威だ。
家督を継いだ伊達晴宗は、米沢城を拠点に体制の立て直しを急いでいるが、父・稙宗と争った代償は大きい。
かつて奥州を席巻した伊達の支配力は減退。
最上、相馬、芦名といった周辺国人衆は、伊達の顔色を伺う必要のない「自立した領主」へと変質した。
東北は今、巨大な力が空白となった、不気味な均衡状態にある。
——関東——
関東は、早くも小田原の北条氏康によって塗り潰されつつある。
三月、氏康は上野平井城を攻め落とし、関東管領・上杉憲政を越後へと追い散らした。
室町幕府が関東を統治するために用意した「管領」という看板は、ここに事実上の機能を喪失したと言っていい。
氏康の恐ろしさは武力ではない。領内に「足軽軍役規定」を敷き、徴兵と税制をシステム化したその合理的統治にある。
——甲信越——
甲斐の武田晴信は、信濃守護・小笠原長時を駆逐。
さらに北信濃の壁であった村上義清を葛尾城から追い落とさんとしているところだ。
一方、越後では若き天才・長尾景虎が、亡命してきた上杉憲政を保護した。
これは景虎が「義」建前のもと、関東戦線介入の大義名分を得たことを意味する。
まあこの両者は後に十数年にわたる不毛な消耗戦、川中島の戦いをおっ始めるわけだ。
俺の中では戦術は見えるが、戦略は見えないという評価だな。
——東海——
東海道においてはこの時期、今川義元が「完成された大名」として君臨している。
三河を事実上の属州として飲み込み、北条・武田との外交工作によって背後の憂いを断った。
義元の統治は、貴族的な文化醸成と、徹底した法治主義(今川仮名目録)の高度な融合だ。
対する尾張では、三月に織田信秀が没した。
跡を継いだのは嫡子・織田信長。
家中は分裂し、清洲や岩倉の織田分家は公然と反旗を翻している。
信長はここからが大変だな。
——畿内——
中央では、三好長慶による「三好政権」がその最盛期を迎えようとしている。
将軍・足利義輝は近江へ逃亡し、幕府という機構は三好家の意志を追認するだけのゴム印に成り下がった。
長慶は堺の港湾利権を握り、鉄砲という新兵器を組織的に組み込む先見性を見せている。
しかし、その支配はあくまで「管領代」としての枠内に留まっている。
例えるなら幕府という古い皮袋の中に、三好という新しい酒を注いでいる歪な状態だ。
この構造的な脆さが、後に畿内をさらなる混沌へと引きずり込むことになる。
——中国——
九月、西国随一の版図を誇った大内義隆が、重臣・陶晴賢の反乱により自害する。
大陸貿易の富を背景とした「大内文明」の崩壊は、西国のパワーバランスを根底から破壊した。
陶は傀儡を立てて主家を乗っ取っることになる。
この行為は「下剋上」という言葉では片付けられない、中世的な秩序の完全なる破綻を意味する。
この混乱を、安芸の山間でじっと捉えることになるのが毛利元就だ。
彼は大内という巨大な重石が外れたことを、千載一遇の好機と捉えただろう。
これ以降、中国地方は毛利と陶による、緻密で冷徹な略奪戦の舞台へと変貌する。
——四国——
阿波・讃岐は三好氏の強力な支配下にあり、近畿への兵力供給拠点として機能している。
一方で、土佐の片隅ではこの時期に長宗我部国親が、かつて奪われた岡豊城を奪還し、着々と勢力を回復させていた。
一条氏の庇護を受けながらも、国親の眼差しは土佐一国の統一に向けられる。
土佐の「出来人」と称される嫡子・元親の元服も近く、四国の静寂も長くは続かないだろう。
——九州——
大内氏の自壊により、最も直接的な利益を得るのは豊後の大友義鎮(宗麟)である。
義鎮は、陶晴賢の要請に応じる形で弟を大内家の後継者として送り込み、北部九州の権益を丸呑みにしようと画策する。
これにより大友家は、日明貿易の利権と広大な領土を手中に収める「九州の覇者」へと躍り出る。
肥前の龍造寺隆信の台頭は目前であり、薩摩の島津貴久が国内統一を盤石にしつつある。
俗に言う九州三国志は大内の死によって一気に表面化したのだ。
――こうして眺めてみれば、天文二十年という年は、どこを見ても「古い権威」が淘汰されていく年であっただろう。
これら本土の大名たちとは、今後干戈を交えることになる。
特に九州を切り取り、他の大名と争うとなると時間は圧倒的に不足する。
交易の拡大と軍事力の増強。迅速に実施することを改めて誓う利興であった。
読んでいただた方の感想を拝見し
1話-10話の改行を工夫してみました。
11話以降の従来の文体とどちらが読みやすいでしょうか?
再度覗いてみて、感想で教えてください!
評価、ブックマーク、リアクションなどもお待ちしております!




