20話 元服
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください
天文十八年(一五四九年)の夏。
壱岐から凱旋し、三ヶ月が過ぎた。
晴康から呼ばれたのは、六月の終わりのことである。
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晴康は文机の前に座っていた。
体が、また少し衰えた。立つことが難しくなってから、もう半年が経つ。
しかし——目は、まだ澄んでいた。
与六と与七が、向かいに座った。
「壱岐の件、ご苦労だった。波多氏からも対馬へ降伏する旨の書状が届いておる」
「もったいないお言葉です」
「して、此度の褒美だが」
晴康は少し間を置いた。
「壱岐を——佐伯家の所領として与える」
与六は、少し止まった。
壱岐を所領として——という言葉が、すぐには頭に入らなかった。
直接自身の統治を考えたことはあったが、それを晴康に申し出たことは一度もなかったのだ。
「……よろしいのでございますか」
「よい。与七が壱岐の代官として壱岐を治めよ。与六は引き続き、対馬の内政を担う。博多への交易の路がこれで正式に開くだろう」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。功に報いるは当然よ」
晴康は静かに言った。
「元服についても、話を進めよう」
晴康は与六を見た。
「与六、お前の元服の烏帽子親は儂が務める。名は——佐伯利興とせよ」
「はい」
「与七」
「はい」
「お前の烏帽子親は、津奈調親殿に頼んである。名は——佐伯利繁とせよ」
与七は少し間を置いた。
「……津奈様が、引き受けてくださったのですか」
「引き受けてくださった。喜んで、とな」
与七は頭を下げた。
「ありがとうございます」
晴康はしばらく、二人を見た。
「……お前たちが宗家に来たのは、いつだったか」
「天文九年でございます」
「そうか。もう九年になるか」
「はい」
「齢七歳だったお前たちが、今や壱岐を取った。利興の献策で対馬も富んでおる」
晴康は静かに、噛みしめるように言葉を紡ぐ。
「……元服の日は、来月の吉日を選ぶ。準備をしておけ」
「はい」
「それから、もう一つだけ聞いておく」
「はい」
「佐須の件は、まだ動かないつもりか」
与六は少し間を置いた。
「はい。壱岐が落ち着いてから、動きます。佐須が先手を打ってくる可能性については——十分に配慮しております」
晴康は頷いた。
「わかった。お前に任せよう」
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元服の儀は、七月の吉日に行われた。
晴康の屋敷の一室で、静かに行われた。
部屋には、与六と与七、晴康、津奈、康範の五人だけである。
大げさな儀式はしなかった。
「お前たちには、派手な儀よりも似合うだろう」と晴康は笑う。
まず与六の元服。
晴康が与六の前に座った。
病が進んで動きが鈍くなった手で、烏帽子を取り上げた。
ゆっくりと、与六の頭に置いた。その動作の重みを与六は実感した。
九年間をこの老人と共に歩んできた。
七歳で右筆に取り立てられなければ今の立場も存在しないだろう。
「佐伯利興」
晴康が声に出して読んだ。
「はい」
続いて津奈が与七に烏帽子をつけた。
津奈の動作には無駄がない。
「佐伯利繁」
津奈が声に出して読んだ。
「はい」
津奈はしばらく、利繁を見た。
「……壱岐での戦いを見た」
「はい」
「お前は初陣で先陣を切った。その姿を俺は覚えている」
利繁は何も言わなかった。
「先頭に立ち続ける人間には、後ろがついてくる。その事実を——これからも忘れるな」
「はい」
津奈はそれだけ言った。
言葉は短かった。しかし——利繁には、十分だった。
部屋の隅で、康範が静かに微笑んでいる。
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儀が終わった後、晴康が二人を呼んだ。
「一つだけ、伝えておく」
利興と利繁が向き合って座った。
「神屋寿禎という名を知っておるか」
「存じております」
「博多に行く機会があれば、その人物に会いに行け。対馬の銀と博多の交易を結ぶとき——神屋なしには動かない」
「はい」
「ただし——佐須の件が片付いてからだ。それまでは、博多への動きは抑えておけ」
「わかりました」
晴康はしばらく利興を見た。
「……利興」
「はい」
「儂の体はあと何年持つかわからぬ」
利興は何も言わなかった。
「お前たちの献策で対馬は豊かになった。佐須の件が終われば——義調が当主になる。
若い当主だ。支え続けて欲しい」
「はい」
「儂はもう、お前たちに指図できることが無いのかもしれんが...。——お前たちがやっていることの方向は、正しい」
晴康はそれだけ言った。
「……下がっていい」
「はい」
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【宗晴康】 天文十八年・夏 厳原
二人が下がった後、晴康は窓の外を見続けた。
九年前——まだ童だった利興のことを思い出していた。
あのとき何を感じたか、今では正確には思い出せない。
しかし——この子供は何かを持っている、とは思った。
九年で対馬の石高を八万石に増やし、此度壱岐を取った。
晴康には、それがどれほどのことか、よく分かる。
自分にはできなかったことである。
しかし——利興は成し遂げたのだ。
自分はあとどれだけ生きられるかは、わからない。
しかし——利興と利繁。この島の先はあの二人が作るのだろう。
夏の対馬の夜は、静かだった。
虫の声だけが、遠くから聞こえた。
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その夜、利興と利繁は二人で話した。
「烏帽子親が津奈様か」
利繁が言った。
「…津奈様がお目をかけてくださっていたとは——」
「壱岐での戦いを、見ておられた。それだけで十分だったんだろう」
利繁はしばらく黙った。
「佐伯利繁か」
「そうだ。俺は佐伯利興。この時代の人間ぽくなったもんだな」
「興は「興す」の興。繁は「繁る」の繁だ」
「島を興す。島を繁らせる」
「そういうことだ」
利繁は少し笑った。
「晴康様が考えたのか」
「晴康様だろう。あるいは——最初から、そういう名前をつけるつもりで、俺たちを引き取られたのかもしれない」
「どういうことだ」
「壱岐を恩賞として下さるとは、思っていなかった。申し出てもいない。しかし晴康様は、最初からそのつもりで動いておられた。七歳の子供を引き取って帳場に入れたときから——どこまでを見ておられたのか」
利繁はしばらく考えた。
「そうかもしれない。あるいは——俺たちのやっていることの方向を信じて、動かせてくださっているだけかもしれない」
「どちらだろうな」
「わからない。でも——どちらでも、同じことだ」
「同じことか」
「晴康様が信じてくださるから、俺たちが動ける。それだけだ」
利繁は少し笑った。
「それでいい」
二人でしばらく。
部屋の外から、夏の虫の声が聞こえた。
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【佐須盛廉】 天文十八年・夏 厳原
元服の話が広まったのは、その翌日のことだった。
宗家の右筆の子供が元服した。名を佐伯利興という。弟の与七は佐伯利繁。
そして——壱岐が、佐伯家の所領として認められた。
佐須は、その知らせを聞いた瞬間、体が固まった。
(壱岐を取った)
百十人で壱岐の地侍を制圧した。その手柄を元手に壱岐を所領として認めさせた。
これはもはや、宗家の右筆ではない。
独立した国人と捉えて差し支えないだろう。
(動くしかあるまい)
盛廉は考えた。
証拠はどこまで揃っているか。
壱岐を取り、元服した利興の次の動きは何か。
盛廉には、わかっていた。
自身を追い落とすことだろう。
(先手を打つか)
いつまでも判断を先延ばしにはできない。
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【佐須盛円】 天文十八年・夏 厳原
元服の知らせを聞いたとき、盛円の中で何かが決まった。
佐伯利興。佐伯利繁。
その名前を聞いて——盛円は動くことを決めた。
兄が動く前に、利興に会いに行く。
兄と心中する気はなかった。最初から、そういう気持ちはなかった。
動くなら、今がその時である。
佐伯利興が元服し、壱岐を所領として得た。
兄は今、動くかどうかを考えている。
兄が動けば、盛円も巻き込まれる。確認役として帳場の仕組みに関わっていた事実は残っているのだ。
しかし——利興に話をしに行けば、それは別の意味を持つ。
証拠を持っている側に自分から出向く。それは——兄を売ることになるだろう。
盛円はしばらく、その言葉を自分の中で転がした。
兄を売る。
しかし——兄を正しいと思ったことは、一度もなかった。
正しくないとわかっていながら、三年間関わってきた。そのことへの後ろめたさは、今も消えていない。
盛円は立ち上がった。
それが——利興につくことが盛円にできる、唯一の選択だった。
夏の夜風が、部屋に吹き込んできた。
盛円の足は、もう動き始めていた。
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