19話 壱岐占領
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文十八年(一五四九年)の春。与七は勝本浦を目前にして立っていた。
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板塀で囲まれた波多家の屋敷が、前方に見える。
百十人が四方に展開している。
康範の手勢が北側。津奈の手勢が東側。与七の六十人が南側と西側。
集落全体を、囲んでいる。
板塀の向こうに灯りが一つ見えた。見張りの者がいるだろう。
与七は後ろを振り返った。
手勢の六十人が、息を詰めて立っている。
口を真一文字に結んでいる者。刀の柄を握りしめている者。目を閉じて何かを念じている者。
表情は様々だったが、及び腰の者はいない。
与六が与七の隣に来た。
「まずは囲めたな」
「ああ」
「夜明けと同時に声を上げる。状況を確認させてから降伏の条件を伝えよう」
「わかった」
「波多は内部で割れる可能性があるが」
「降伏派と抵抗派か」
「そうだ。家臣の中に抵抗派がいれば——当主の判断より先に抗戦に動く者が出るかもしれない」
「その場合は」
「情けは無用で攻め上げる」
与六は後ろへ下がった。
与七は前を向いた。
夜明けの光が、少しずつ空に広がっていった。
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夜明けと同時に、対馬勢は一斉に声を上げた。
「壱岐の地侍に告げる。対馬宗家の命を受けた佐伯与七である。今、勝本浦は四方から囲まれておる。降伏する者は門を開けよ。降伏する者は命は取らぬ。対馬に降り、これまで通りこの地を治めることを認める」
板塀の向こうが、静かになった。
眠っていた者が起き出す気配がある。声が聞こえる。慌ただしい動きがある。
与七は口上を繰り返しながら状況を確認した。
勝本浦の集落全体が今、目覚めている。民も、武士たちも、今この瞬間に囲まれていることを知ったはずだ。
しばらく時をかけたが返答はない。
与七はもう一度声を上げた。
同時に板塀の内側で、声が上がった。
怒鳴り声と、宥める声が混じっている。
(交戦やむなしか)
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最初に動いたのは、板塀の内側からの一矢だった。
矢は与七の右肩を掠めた。
板に当たって、乾いた音を立てた。
与七は動かなかった。
不思議と頭は冷静であり、指揮の方法だけを与七は考えていた。
振り返った。六十人を見た。
全員が、与七を見ていた。
「行くぞ」
与七を先頭に進軍を始まった。
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板塀の手前まで来ると、与七は小隊に指示を飛ばした。
「第一組、梯子を」
事前に準備していた梯子が、三箇所に立てかけられた。
与七が最初の梯子を登った。
板塀の上に立った瞬間、内側から矢が飛んできた。
体を傾けた。矢が頬の横を通り過ぎた。
内側に飛び降りた。
着地と同時に、左から男が突いてきた。
刀ではない。槍だ。間合いが長い。
与七は前に出た。
槍の間合いの内側に入れば、槍は使えない。
男の懐に入って、左腕で槍の柄を掴んだ。
そのまま引いた。男が前のめりになった。
右肘で男の顎を打った。男が崩れた。
振り向いた。
次の男が刀を構えていた。
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与七と最初に刀を交えたのは、波多家の若い武士だった。
二十代半ばか。体格がいい。踏み込みが速い。
最初の一撃は速かった。与七は半歩下がって躱した。
二撃目は横から来た。刀で受けた。腕に衝撃が走った。
男が力で押してくる。
与七は力で押し返すのをやめた。
体を横にずらす。大きく重心が傾く隙に、右手で男の右手首を打った。
手首の骨に衝撃が走る感触があった。男の刀が落ちた。
男が刀のない手で与七に掴みかかってきた。
そのまま体ごと前に出て、男を地面に叩きつけた。
「動くな」
与七は言った。男は動かなかった。
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その頃、板塀の内側の各所で戦いが起きていた。
与七の後ろについた六十人は、次々と屋敷の板塀を越えている。
東側では、津奈が動いていた。
津奈の戦い方は、与七とも康範とも違った。
速い。そして——止まらない。
津奈勢は一人で三人を相手にして、後退がない。
一人を崩したらその隙に次を打つ。次を打ちながら三人目を見ている。
与七は一瞬、津奈の動きを視線を送る。
津奈が一人を崩す。その崩れに引きずられて、二人目が体勢を乱した。
三人目が津奈の間合いに入った瞬間、津奈の刀が三人目の手首を打った。刀が落ちた。
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北側では、康範が静かに動いていた。
山本の戦い方は、派手さがない。
相手が来れば受ける。受けながら相手の重心を見る。
重心が崩れた瞬間に踏み込む。それだけだ。
しかし——その「それだけ」が、ことごとく正確だった。
康範勢が動いた回数より、地面に転がっている数の方が多いのが奇妙な光景であった。
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戦況が優勢に傾きかけたころ、波多家の屋敷の中から当主と思しき人物が出てきた。
五十がらみの男だ。鎧をつけていない。刀は帯びているが抜いていない。
男は状況を確認する。
地面に転がっている者。刀を手放した者。戦いを止めて立ち尽くしている者。
与七が当主の前に立った。
「波多殿か」
「……そうだ」
「降伏する意思はおありかな」
当主はしばらく、与七を見た。
十五歳の子供が、自分の屋敷の中に立っている。
しばらくは声を挙げられなかった。
板塀の内側の戦いは、すでにほとんど終わっていた。
「……降伏する。条件を聞かせろ」
「対馬の船が壱岐の港を自由に使えること。通行料は取らない。波多家は所領を召し上げ対馬に居を移してもらう」
当主はしばらく無言で与七を見つめた。
それから——膝をついて頭を下げた。
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勝本浦での戦闘の報せは瞬く間に島内の地侍たちに伝播していった、。
波多氏が降伏した——その知らせは、半日で壱岐全島に広まった。
他の地侍たちが次々と使者を寄越し、降伏の意を伝えてきた者が大半だった。
与六が与七に言った。
「二家が抵抗している」
「どこだ」
「郷ノ浦の近くと、印通寺の近くだ。どちらも南の方だ」
「兵力は」
「郷ノ浦側が十人前後。印通寺側が二十人前後だ」
「康範殿と津奈殿にお任せしよう」
与六は頷いた。
与六から康範に指示を出す。
「郷ノ浦勢の追討をお頼みしたい。波多氏が降伏した事実を伝え、抵抗する意味がないと理解させましょう」
康範は頷いた。
「承知」
「津奈殿には印通寺側をお願いします」
津奈は無言で頷いた。
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康範勢が動いたのは午後のことだった。
郷ノ浦近くの拠点に着くと、まずが使者を出す。
「波多氏はすでに降伏した。抵抗は無意味である!」
半刻後、門が開いた。
十人の地侍が、刀を手放して出てきた。
「……降伏する」
康範はそれを静かに受け取った。
津奈が動いたのは夕方だった。
同じように声をかけた。
「波多氏はすでに降伏した。降伏しろ」
こちらは返答がない。一刻待っても門が開かなかった。
津奈はその態度を拒絶と受け取った。
「かかれ!」
二十人の拠点に、津奈勢二十人に与七が率いる六十の半数がぶつかる。
日が落ちる前に、その拠点は陥落した。
攻め落とした後、津奈は与六に短く報告した。
「二人、重傷だ。命は取っていない」
「わかりました」
「……あの男たちは、なぜ抵抗したのだろうな」
津奈は静かに言った。
与六は少し考えた。
「一所懸命の誇りではないでしょうか。
波多氏と同じように降伏することが、自分たちには許せなかったのかもしれません」
津奈はしばらく黙った。
「……誇りか」
「はい」
「それで重傷を負った。割に合わんな」
「でも——その誇りがあるから、いざというとき信じられる人間になります。
味方として動いた時には同じように誇り高く動いてくれるはずですよ」
津奈はしばらく与六を見た。それから、かすかに頷いた。
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三月五日の夜が更けた頃、壱岐島内の主要な地侍は全て——降伏するか、制圧されるかしていた。
与七は勝本浦の浜に出た。
夜の壱岐の海は静かだった。遠くには対馬の島陰が見える。
こんなに近いのか、と与七は思った。
鰐浦から出航して、軍船では半日もかからなかった。
これが——博多と対馬を結ぶ航路の要衝だ。
この場所を我々が押さえることの意味が与七には体で感じられた。
後ろで、与六の声がする。
「負傷者の状態は」
「全員、命に別状ない」
「地侍は全部降伏したか」
「一家が抵抗して、津奈様が落とした。他は全部降伏した」
「死者は」
与七は少し間を置いた。
「……一名」
「……そうか」
「俺が先頭に立って軍を率いたが。あの男は俺のすぐ後ろについてきた。」
「それがお前の指揮の責任だと思うか」
与七は少し間を置いた。
「思う。しかし——後悔はしない。あの男は、自分で動くことを選んだんだから」
与六は何も言わなかった。
波の音だけがあった。
「壱岐は取った」
与六が静かに言った。
「あとは晴康様への報告と——そろそろ元服かな」
「そうだな」
勝本浦の夜の港は静かだった。漁師たちの家に灯りが戻り始めていた。
戦が終わったことを、集落の人間たちが感じ始めている。
二人でしばらく、夜の海を見ていた。
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凱旋したのは、三日後のことである。
鰐浦の浜に船が着いたとき、北部の漁師たちが出迎えた。
百十人が浜に降りた。
与七は自らの手勢五九人を見た。
顔が変わっていた。
出発前と同じ人間だ。しかし——何かが変わっていた。
戦いを経た人間の顔である。
我らの、対馬の浜に立っている。
「よくやった」
与七はそれだけ言った。
五九人が、静かに頷いた。
春の風が、鰐浦の浜を吹き抜けていった。
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