17話 実りの島
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文十七年(一五四八年)の秋。与六は十五歳になった。
その年の収穫の報告が帳場に集まり始めたのは、十月の初めのことである。
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数字を一つずつ書き出していった。
棚田の収量。銀山の産出量。朝鮮交易の中継収益。
蕎麦の収量。椎茸の換算額。干物の換算額。蜂蜜の換算額。
全てを一枚の紙に並べた。
米から始める。
正条植えが島内の棚田のほぼ全域に普及した。
大船越周辺の低湿地に水路を引いて開いた新田が今年で三年目になり、収量が安定してきた。
浅茅湾沿岸の干拓も複数箇所で完成し、収量に加わった。
棚田の総収量——四万石。
転生した天文九年(一五四〇年)の八千石から、八年で五倍になっている。
銀山の産出量は昨年比で四割増だ。
灰吹法の精錬技術が完全に安定した。
朝鮮から招いた技術者が島内に定着し、後継の技術者を育て始めている。
銀の産出量が増えることで、朝鮮との交易における対馬の発言力が上がった。
銀は朝鮮で硬貨として流通している。対馬産の銀は、朝鮮側が最も欲しがる品だ。
銀山の収益を米換算すると——一万五千石相当といったところだ。
朝鮮交易の中継収益が、この二年で急速に伸びた。
対馬を経由する荷の量が増えた理由は二つある。
一つ目は、銀山の産出増加によって対馬が朝鮮側に「信頼できる取引相手」として認識されるようになったこと。
二つ目は、与六が三年かけて整備した交易の記録管理の仕組みだ。
荷の出入りを正確に記録して、取引の透明性を高めた。透明性が高い取引相手には、自然と荷が集まる。
国庫をに回せる者はこれも一万五千石ほどになる。
蕎麦は今年で栽培面積が三百町を超えた。米換算で千二百石相当。
椎茸は原木が千本を超え、朝鮮・博多への輸出品として定着した。
干しアワビ・干しイカは島内二十箇所の加工拠点で動いている。
蜂蜜は巣箱が三百箇所になった。
これら特産品の合計を米換算すると——一万石相当になる。
全てを合算すると八万石である。
転生時の八千石から、八年で十倍ほどになっている
目標の十万石まで、あと二万石だ。
与六はその紙を、しばらく眺めた。
数字は正直だ。何年かけて、何が効いて、何が効かなかったか——全てが数字に出る。
棚田の改良が一番大きかっただろう。銀山と朝鮮交易の中継収益が、棚田と並ぶ柱になったことも大きい。
蕎麦・椎茸・干物・蜂蜜が、その柱を支える根として機能している。
数字の向こうには飢えることのなくなった民がいる。
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その夜、晴康を訪ねた。
「今年の収量をご報告に参りました」
「聞こう」
与六は一枚の紙を取り出した。
「棚田の総収量が四万石になりました。銀山が一万五千石相当、朝鮮交易の中継収益が一万五千石相当、特産品が一万石相当——合計で八万石相当にございます」
晴康はしばらく黙っていた。紙を受け取って、静かに読んだ。
「……八万石か」
「はい。私が右筆を命じられた天文九年当時の八千石から、八年で八万石にございます」
「……十万石まで、あと二万石じゃ」
「はい。次の柱を作れば、届きます」
「次の柱とは」
「壱岐にございます」
晴康は顔を上げた。
「壱岐か」
「はい。博多との交易を本格的に拡大しようとすると、壱岐が障害になります。壱岐を押さえている地侍たちが、通行料を要求してくる。あるいは対馬の船を妨害する。博多との関係を深めるためには、壱岐を片付ける必要があります」
「していかにする」
「制圧してしまいましょう。幸い近年の収穫で蓄えもあり、上県に集う人間を動かす機会にもなります。
降伏した地侍は処分せず、対馬の統治下に置けば統治がそこまで難しいこともないはずです。」
晴康はしばらく黙った。
「……人間は揃っておるか」
「与七が鰐浦に集めている者は六十人を越えました。山本様と津奈様の手勢を合わせると...
百五十人を超えましょう。壱岐の地侍の総数は、それを下回ると見ております」
「いつ動く」
「来年の春にございます。冬の壱岐海峡は荒れます。春の凪を待ってから動きます」
晴康は静かに頷いた。
「……わかった。儂が命を下そう」
「ありがとうございます」
「ところでお前と与七は、まだ幼名のままであろう。そろそろ元服をしてはどうか?」
「壱岐が終わってから、改めてお話を頂戴したく」
「……わかった。壱岐が終わったら、考えよう」
「ありがとうございます」
「その時が楽しみではあるの」
晴康はかすかに笑った。
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帰り道、与六は佐須盛円のことを考えていた。
四年ほど帳場を観察してきた。
その中で——「左頬に傷のある四十がらみの男」が佐須の確認役として動いていることを突き止めた。
その男が——佐須盛円だった。
盛廉の弟。史実では守護代職を引き継ぐ人物。
帳場に来るたびに、若い役人と短く言葉を交わす。
その後、帳面の数字が変わる。盛円は「確認するだけ」で差分の操作には直接手を下していない。
どこまで知らされているのかも未だに確認は取れていない。
(この人間を、どう使うか)
盛廉が失脚したとき、盛円には選択肢がある。兄と心中するか、こちら側につくかである。
結果として盛円が不正に関わっていたということは疑いようはないだろう。
本人の人物像は見えてくれば——兄と心中させるより、こちら側に引き込むことも考えられるだろう。
取り急ぎ壱岐攻略を優先すべきではあった
盛廉と盛円を一度頭から追い出し、考えるべきことに頭を巡らせ始めた。
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部屋に戻ると、与七がいた。
「晴康様はなんとおっしゃった」
「来春には壱岐征服の命を出してくださる確約を得た」
与七は肩を震わせている。いつもより前のめりである。
「そうか」
「冬の間に、準備を進める必要があるな」
「何をする」
「お前の今いる六十人を、実践に近い形で調練してくれ。
康範に頼んで、上県の武士たちと合同で調練をする。
港の人夫として集めた人間だ。刀を持って動いたことのない者もいる。春までに——最低限、まとまって動ける状態にしておかなければならない」
与七は少し考えた。
「康範殿には話を通してある。冬の間、浜で調練を入れると」
「いつから始める」
「来月から。寒いが——寒い方がいいだろう。はじめに辛いところを経験させたい」
与六は頷いた。
「それとは別に——壱岐の地侍の情報を集めてほしい。何人いるか。どこに拠点を持っているか。
誰が頭か。その人間が動けば、他が従うかどうか」
「壱岐に行き来している船頭に聞く」
「そうしてくれ。春の出兵までに、壱岐の全体像を把握しておく必要がある」
「わかった」
「……いよいよ、動き始めるんだな」
「ああ」
「転生したばかりの五歳の俺たちが今の状態を見たら、何て言うかな」
与六は少し考えた。
「わからない。でも——まだ途中だとは思うだろうな」
与七は少し笑った。
「そうだな。まだだ一歩だ」
「春になれば、壱岐へ行く。壱岐が終われば、元服の話が挙がるだろう。元服が終われば——博多へ行く」
「ここから続いていくんだな」
「そういうことだ」
二人でしばらく黙っていた。
部屋の外から、秋の虫の声が聞こえた。
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【佐須盛廉】 天文十七年・秋 厳原
秋になっても、違和感は消えなかった。
十月の初め、盛廉は一つの情報を得た。
鰐浦に、六十人以上の人間が集まっているという話だ。
九州各地から流れてきた浪人と、山本の縁者の若者たちだという。
(六十人)
ただの港の人夫にしては、多すぎる。
下県の港で荷の仕分けをしていた男が、鰐浦にいるという情報も確認できた。
あの男が何を話したかは、まだわからない。
しかし——あの男が知っていることと、すっかり青年になっている与六が帳場で見ていることが繋がれば——
盛廉は弟の盛円を呼んだ。
「帳場の状況を詳しく話せ」
盛円は少し間を置いた。「……何をお聞きになりたいのですか」
「お前が確認役として度々、赴いていることは知っている。その件について洩らしたことは?」
盛円はしばらく黙った。
「……ありません」
「真か」
「真にございます」
佐須はしばらく盛円を見た。
盛円の顔に、嘘をついている気配はない。
しかし——何かを考えている顔だ。
「鰐浦に人間が集まっていることは知っておるか」
「……聞いております」
「お前はどう思う」
盛円はしばらく黙った。
「……わかりません」
その「わかりません」が——盛廉には、引っかかった。
盛廉は盛円を下がらせた。
一人になってから、思考を巡らせる。
動くべきか。証拠を掴まれる前に、先手を打つべきか。
しかし——動けば、動いたこと自体が相手の好都合になる場合もあるだろう。
動かなければ——気取られる前に状況が読めてくるかもしれない。
(冬の間に、決めなければならない)
判断がつかなかった。
冬の風が、窓の隙間から吹き込んできた。
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【佐須盛円】 天文十七年・秋 厳原
兄の屋敷を出た後、盛円はしばらく歩いた。
「お前が確認役として度々、赴いていることは知っている」
兄のその言葉が、頭から離れなかった。
与六も、同じことを知っているとすれば——
盛円は三年前のことを思い出した。
帳場の確認役を任されたのは、兄に頼まれたからだ。断れる立場ではなかった。
しかし——荷の数字が変わる瞬間を、毎回目の当たりにしてきた。
それが正しくないことは、わかっていたが異を唱える立場でもなかった。
自らの手を汚していないと己に言い聞かせてきただけだ。
宗家の右筆——与六。
その名前を、盛円は春頃から気にしていた。
帳場を動かしている子供がいると
もし与六が盛円のことを知っているとすれば——盛円には二つの選択肢がある。
兄と心中するか。
兄に翻意して与六につくかである。
兄を選べば——与六が探っている証拠を表に出した時、盛円も同じように糾弾される立場になるだろう。
与六を選べば——兄を裏切ることになる。
——盛円には、兄の私腹を肥やすために交易を利用している現状が正しいとは思えなかった
三年間、数字の誤りを黙認しながらその想いは失っていない。
宗家の石高が八万石相当になったという話は厳原の中で広まっていた。
与六の献策を数年で、民が自ら取り入れてきた成果であるという。
八万石。その数字が——盛円の心をの中にある何かを動かした。
正しい方向に、島が動いている。
その流れの中で、盛円がどこに立つかを——冬の間に、決めなければならなかった。
いや、俺の中で答えはすでに出ているのかもしれない。
夜風が冷たかった。
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