16話 告発
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文十六年(一五四七年)の春。与六は十四歳になった。
下県から流れてきた男が口を開いたのは、桜が散り始めた頃だった。
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鰐浦に来てから四ヶ月が経った。
与七はその間、この男を他の者たちと同じように扱った。そ
れ以上のことは、何もしなかった。
男の方から口を開くのを待っていたのだ。
三ヶ月が過ぎた頃から、男の動きが少し変わった。
港の仕事が終わった後、他の者たちがそれぞれ散っていくとき、男だけが少し遅れて動く。
何かを決めかねているような動き方のように思えた。
与七はその変化に気づいていたが、声は変えなかった。
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ある日与七が浜で網の手入れをしていると、男が隣に座った。
「少し、話をしてもよいですか」
「ああ」
「……与七殿の兄上は宗家の右筆だと聞き及びました。交易の不正はご存知でしょうか」
与七は手を止めなかった。
「私は帳場の荷の仕分けを、三年ほど手伝っておりました。下県の港の方で」
「そうか」
「荷の数を数えて、帳面に書き入れる仕事はあるのです。ただ——書き入れる前に、一度別の人間に数字を確認させられていました」
「別の人間、とは」
「佐須家中の者にございます。その方が数字を見て、「これでよい」と言ってから、帳面に書き入れる——そういう手順でした」
与七はしばらく黙って網を繕い続けた。
「その手順が、おかしいと思っていたか」
男は少し間を置いた。
「……最初からおかしいとは思っておりました。しかし——なにぶん佐須家中の者が関わっているとなると何も申せず」
「なぜここに来た」
「去年の秋に切り捨てられました。お役御免と言われ下県を追われたのです」
与七は網から目を離さなかった。
「その手順で動いていた期間は、いつからいつまでだ」
「天文十年頃から、去年の秋まででございます」
「その間、どの港でその仕事をしていた」
「主に小船越の港にございます。ただ、年に二、三度は厳原の港でも同じ手順がありました」
「覚えているか。数字を」
男はしばらく黙った。
「……全ては覚えておりません。しかし——おかしいと思った月のことは、覚えております」
与七はそこで初めて網から顔を上げた。
「それを、私の兄に伝えてもらえるか」
男は少し間を置いた。
「……お話出来る範囲であれば」
与七は立ち上がった。
「わかった。今夜顔を合わせる場を作ろう」
浜を離れながら、与七は考えた。
この男が四ヶ月間、何かを抱えながら港で仕事をしていたのか。
切り捨てられた怒りや土地を追われた悲しみであろうか。それとも、ここに来てから何かを見出したのか。
何でもいい。
自ら話をしてくれた。それだけで十分だ。
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その夜、兄を含め三人で顔を突き合わせた。
部屋には蝋燭が一本あり、与六は帳場の写しを手元に置いていた。天文十年からの写しである。
男はしばらく黙っていた。話すことを決めてここに来たはずなのに、
いざとなると言葉が出てこない——そういう沈黙だった。
与六は決して急かさなかった。
「話せることから、話してくれ。順番はどこからでもいい」
男はゆっくりと話し始めた。
「小船越の港で、銅の荷を扱うことが多うございました。朝鮮から来る荷です。荷が着くと、まず私が数を数えます。次に、佐須家中の方が来て、数字を確認します。その方が「これでよい」と言った後、私が帳面に書き入れます」
「その確認の場面で、数字が変わることがあったか」
「……ありました。最初の一年は、ほとんどありませんでした。しかし二年目から——書き入れる数字が、私が数えた数字より少なくなることがありました」
「どのくらい少なかった」
「月によって違います。少ないときは一割。多いときは三割ほど」
与六は帳面を開いた。天文十一年の小船越の記録だ。
「この月はどうだった」
男は帳面を見た。
「……儂が数えた数より二割ほど少のうございます」
「この月も見てくれ」
「……この月も、二割ほど少ない」
「この月は」
「……三割ほど少ない」
与六は帳面を閉じた。
長い沈黙が落ちた。
男は与六が何かを言うのを待っていた。
「もう一つ聞く。佐須様の家中で、確認をしていたのは誰だ」
「……名前は存じ上げません。しかし——顔は覚えております。四十がらみの男で、左の頬に小さな傷がございます」
与六は頭に入れた。四十がらみ。左頬に傷。
帳場に出入りしている佐須の家中の人間は三年間ほど観察を続けてきた。
その中に——左頬に傷のある四十がらみの男がいる。名前まではわからないが顔は一致する。
これで証言に、もう一本の柱が立った。
「忝い」
与六は静かに言った。
「今夜の話は、ここまでにする」
「……私は、これでよかったのでしょうか」
「私は良かったと思っている。お前が話してくれたことで、この島が少し動く」
「この島が、動く」
「そうだ。お前はそのきっかけを作った」
男はしばらく黙っていた。それから、静かに頭を下げた。
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男が部屋を出た後、与六と与七の二人が残った。
しばらく二人とも黙っていた。
与六は帳面を開いたまま数字を見続けていた。
与七は部屋の隅に座って、兄が何かを言うのを待つ。
「帳面の数字と一致した」
与六がようやく口を開いた。
「天文十年から去年の秋まで七年間。小船越と厳原の両方で、同じ手順が使われていた」
「証拠として使えるか」
「使える。ただし——男の証言だけでは、評定の場で言い逃れされる可能性がある。確認役をしていた男を特定すれば、証言の信頼性が一段上がるだろう。四十がらみで左頬に傷——帳場に出入りしている佐須の家中の人間を三年ほど観察してきた。近いうちに特定できる」
「佐須盛円は、どう動く」
「盛円か」
与六は少し間を置いた。
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佐須盛円。生没年不詳。佐須盛廉の弟。史実では後に兄から守護代職を引き継いでいる。
約二十年間、政権の中心を担い、島外諸領主や博多商人との交渉に頻繁に関わったとされている。
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「帳場の動きを見ていると、盛廉の仕組みに盛円が関わっている形跡がない。距離を置いているのだろう」
「なぜ距離を置いているのか」
「わからない。しかし——距離を置いているということは、兄が追い落とされたとき選択肢を持っている。その選択肢をこちらに向けさせる余地がある」
「いつ動く」
「段取りを整えてからだ。今はまだ早い」
与七は頷いた。
与六は帳面を閉じた。
「今夜の話は、晴康様に報告しておく」
「俺も行くか」
「いや。俺一人で行こう」
与七は部屋を出た。
廊下に出ると、春の夜気が冷たかった。
兄はあの男の証言を、これから武器に変えるだろう。
与七には、別の仕事がある。
鰐浦に集まった二十二人を、兄のための力に育てあげる。静かに決意を新たにした。
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晴康の屋敷を訪ねたのは、その夜の遅い時刻だった。
老人は床に就いておらず、文机の前に座っていた。
蝋燭の光の中で何かを読んでおり、与六が入ってきても、すぐには顔を上げなかった。
読んでいたものを置いてから、視線を与六に移す。
「話があるのならば遠慮なく話せ」
「はい。一つご報告がございます」
「聞こう」
「下県の港で、佐須の仕組みの端に関わっていた人間から報告がありました。帳面の数字との照合が取れました」
「……証拠は揃ったか」
「まだにございます。確認役をしていた人間を特定すれば揃うでしょう。おそらく今年の秋か冬には」
「佐須を追い落とした後のことは、考えておるのか」
「考えております」
「話してみよ」
「守護代の座が空きます。そこに据える人間との話が整ってから晴康様にお伝えいたします」
晴康は静かに頷いた。
「わかった。待とう」
「もう一つ、ご報告がございます」
「なんじゃ」
「与七が上県に人間を集め始めております。今年の暮れまでに百人ほどになるでしょう。来年以降、さらに増やしていきます」
「何のために集めておる」
「評定で佐須が翻意を明らかにした時——その人間たちの力が必要になります」
「津奈殿は知っておるか」
「未だ申し上げておらず。——いずれお伝えいたします」
晴康は静かに頷いた。
「お前のやり方で構わん。儂は邪魔をせぬ」
「ありがとうございます」
「何度も念を押しておるだな」
「はい」
「急くでないぞ」
「...申し訳ございませぬ」
晴康は微笑んだ
「謝らなくてもよい。急きたくなる気持ちはわかるからの、しかし急いては無用な隙を突かれかねん」
屋敷を出ると、春の夜風が吹いた。
桜の花びらが、風に乗って流れていった。
証拠は揃いつつある。人間も集まりつつある。
与七は山本と共に動いているし津奈は事が起こるのを待っているだろう。
全てが、確実に積み重なっている。
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【佐須盛廉】 天文十六年・春 厳原
何かが、おかしい。
具体的に何がおかしいのかは、まだわからない。
ただ——春になってから帳場の若い役人の動きに小さな変化がある。
与六が入ってきたとき、一瞬だけ動きを止める。ほんの一瞬だ。
盛廉は違和感を抱いていた。
晴康は体が衰えている。
右筆の子供が何かを知ったとして、動けるだけの後ろ盾があるとは思えない。
問題ない。
しかし——南部の港で荷の仕分けをしていた男が、去年の秋に姿を消した。
切り捨てた人間だ。消していなかったのは失策だった。
あの男が与六のもとに流れたとしても、肝心のことは掴んでいないだろう。
数字は知っていても、それが何を意味するかは——わからないはずだ。
問題ない。
再び自分に言い聞かせ、盛廉は写しを閉じた。
問題ない——と、三度自分に言い聞かせる。
しかし——帳場の空気の変化が頭から離れなかった。
あれは何だ。
いつから始まった変化だ。
気づいていなかっただけで、もっと前から続いていたのか。
盛廉は考えることをやめた。考えるほど、輪郭のない不安が広がる。
その夜はなかなか眠れなかった。
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【佐須盛円】 天文十六年・春 厳原
兄の屋敷を出たのは、夜も更けた頃だった。
今夜も兄は帳場の写しを広げていた。何かを確かめるような目で何度も同じ頁をめくる。
盛円は何も聞かなかった。
兄の交易の不正について、盛円は大方のことを知っている。
知りながら、距離を置いてきた。関わることで自分も同じ場所に立つことになると、わかっていたからだ。
——兄が今夜見せた顔には、はっきりと焦りが浮かんでいた。
何かを見落としたかもしれないと疑い始めた人間の顔である。
宗家の右筆の子供が、帳場で交易に関わるだけでなく
晴康に上申をして内政にも影響力を持っていることは盛円の耳にも届いていた。
兄はまだ「問題ない」と思っているのだろう。
しかし盛円には——そうは思えなかった。
あの子供が何者かは、まだわからない。
しかし——帳場の若い役人が与六の前で動きを止めるという話を聞いたとき
盛円は件の子供の能力と、おそらく手が回っているだろう現状を察した。
俺は——兄と同じ場所に立つつもりはなかった。
春の夜は、静かだった。
盛円は空を見上げた。星が多かった。
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