14話 見えない綱
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
天文十五年(一五四六年)の夏。与六は十三歳になっていた。
晴康の屋敷の一室にて、津奈調親と初めての邂逅を果たす。
————————————————————
津奈調親。生没年不詳。宗盛弘の次男。通称弥八郎。永禄元年(一五五七年)、「船越浦の戦い」において山本康範とともに海賊衆を率いて宗義調に反乱。
仁位盛家勢と戦い壱岐国に落ち延びたが、のちに宗義調に謀殺されることになる。
————————————————————
晴康から「会わせたい人間がいる」と言われたのは、その前日だった。
「どなたにございますか」
「津奈調親殿じゃ」
「承知いたしました」
翌日、晴康の屋敷の奥の一室に通された。
部屋に入った瞬間、与六は足を止めそうになった。
男が一人座っているだけだ。
しかし空気が——廊下のそれより、一段重い。雨が降る前の、草の匂いがする空気の気配を感じた。
「お前が与六か」
「はい」
「晴康殿がわざわざ場を設けた。どんな子供かと思うておったが——予想より小さいな」
「十三歳にございます」
「十三歳か」
津奈は少し間を置いた。
「帳場で佐須めの不正を掴んでおると聞いた」
「証拠を積み上げておる途中にございます」
「いつ動く」
「未だ見通せず」
「なぜ急がぬ。証拠があるなら——」
「証拠だけでは足りませぬ」
津奈が少し止まった。
「証拠があっても、それを活かせる立場がなければ意味がございませぬ。佐須様を動かすには、証拠と立場と時のめぐりが揃う日が必要でございます。今は証拠を積み上げながら、立場を固めておる段階にございます」
「立場を固める、とは具体的に何をしておるのじゃ」
与六は少し考えた。
晴康様がこの場を設けてくださった。ならば本心を見せる場だ。
「三つにございます。一つ目は帳場の証拠を完成させること。数字の差分だけでなく、運搬経路と産地の実地確認を含む、複数の角度からの証拠にございます。
二つ目は評定の場を晴康様に召集していただくこと。
三つ目は——佐須様が反乱を企てた時、それを抑えられる方の協力にございます」
「その「抑えられる方」が、儂か」
「津奈様のお立場が、その役割に最もふさわしいと存じます」
「なぜじゃ」
「北部の武士の皆様と強い結びつきがございましょう。その積み重ねは津奈様以外に持ちえぬものかと」
津奈はしばらく黙った。
部屋の空気が、わずかに動いた。草の匂いが、少し薄くなった。
「ただし——」
与六は続けた。
「武で制するは、言葉が届かなくなったときの最後の手段にございます。佐須と直接刃を交えれば家中が割れましょう。割れた家中では、佐須を追い落としても次の争いが始まるだけにございます」
「わかっておる」
津奈は短く言った。
「頭では、わかっておる」
その「頭では」という二文字が、与六には引っかかった。
理屈が追いつかなくなる瞬間が、この人間にはある。そのことを、与六は頭に入れた。
「一つ尋ねる」
「はい」
「お前は——何のために動いておる」
与六は少し間を置いた。
「この島を大きくするためにございます」
「大きくする、とは」
「今より多くの民が食えるようになること。今より多くの船が動くこと。今より多くの荷が動くこと。その一点にございます」
津奈はしばらく黙った。
「……それだけか」
「それが全てにございます」
また沈黙が落ちた。今度はさっきより長い沈黙だった。
窓の外で、夏の風が木の葉を揺らしていた。
「わかった」
津奈はゆっくりと言った。
「一年待つ。その間にお主が信に値するかを見せてみろ」
「承知いたしました」
晴康は部屋の隅で静かに座っていた。
この会話を交わしている間、一言も発することはなかった。
————————————————————
夜、与七はすでに与六の部屋にいた。
帳場の写しが積まれた部屋だ。
「津奈と会った」
「どんな方だった」
与六は少し考えてから言った。
「相当思い詰めておられるような方だな。彼の方は感情が理屈を追い越す瞬間を持っている人だろう」
「抑えが効かなくなれば」
「そうだ。だから——その前に動く必要がある」
「約束はした。しかし——約束だけでは足りない。一年以内に、動ける形を作る必要がある」
与七はしばらく黙った。
「山本との関係は、十日に一度続けている。先月より少し話が長くなった」
「何を話した」
「北部の武士の組織を、どういう場面でどう動く人間かを丁寧に教えてくださったよ」
「丁寧に、か」
「ああ。最初は問いへの答えも短く無愛想だったんだが。今月は一人について話し始めると、その人間の親父の代からの話になってるな」
与六は少し間を置いた。
「もう一つ、頼みたいことがある」
「なんだ」
「北部に、浪人を受け入れる場を作りたい。主君を失った人間、食えない人間——そういう人間が来たとき、受け入れられる場所が鰐浦の周辺に必要になる」
与七は少し止まった。
「いつ頃から動く」
「来年から始めたい。まず山本に話を通そう。
北部に人間を置ける場所を確保する。費用は帳場の収益から出す。表向きは港の整備費として計上する」
「浪人だけか」
与六は少し間を置いた。
「——それだけではない」
与七は何も言わなかった。しかし与六の次の言葉を、静かに待っていた。
「九州の大名が人を売ることがある。主君を失った者、罪を犯した者、戦で捕らえた者——そういう人間が売りに出される。買い取って、鰐浦に置く」
「その人間に、何をさせる」
「今は港の人夫として動かす。しかし——将来、一緒に動いてもらう」
与七はしばらく黙った。
「山本は——許可してくださるか」
「話してみなければわからない。しかし——北部を強くしたいという点では、山本とは方向が同じはずだ」
「わかった。次に山本に会ったときに打診してみる」
帳場の写しが、部屋の隅に積み上がっている。
「見えない綱が、少しずつ増えている」
与六が静かに言った。
「まだ細いか」
「細い。しかし——切れてはいない」
————————————————————
【津奈調親】 天文十五年・夏
屋敷を出てから、津奈はしばらく歩き続けた。
夏の夜道は、蒸し暑い。
「この島を大きくするためにございます」
その言葉が、頭から離れなかった。
それだけか、と聞いた。それが全てだ、と答えた。
権力が欲しいわけでも、誰かへの復讐でもない。島を大きくする——その一点だと言った。
津奈には、その言葉の意味がすぐには飲み込めなかった。
長年、津奈が抱えてきたものは——怒りだ。
積み重なった怒りが、動けない日々の中でさらに積み重なってきた。
その怒りはこの対馬をうまく統治出来ていない宗氏に対するものなのか
私欲を肥やす守護代の佐須に対するものなのか
自分の中でも整理は出来ていない。
しかしあの子供の動く原動力は——怒りではないのである。
怒りではないものが、人を動かすことがある。
そのことを、津奈は今夜初めて、腑に落ちる形で理解した。
夏の夜道を、津奈は歩き続けた。
しばらく歩いてから、ふと立ち止まった。
雨の匂いがした。
遠くで、雷が鳴った。
コメントは全て目を通させていただきます。
皆様のご意見を参考にしたいので、賛否問わずコメントをください!




