13話 確証と仕込み
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
※1-5話を納得のいく形に改稿しました。
既に目を通していただいた皆様も再度ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
天文十五年(一五四六年)の春。与六は十三歳になった。
佐須盛廉を追い落とすための証拠は、ほぼ揃っていた。
しかし「ほぼ」と「全て」の間には大きな隔たりがある。その隔たりを埋めるのが——目下の仕事だった。
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佐須盛廉。生没年不詳。対馬国守護代。佐須国親の弟。天文八年(一五三九年)、宗将盛を追放して宗晴康を担ぎ出した中心人物。以後、守護代として対馬の実務を掌握した。天文二十年(一五五一年)頃まで守護代職にあったとされる。
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右筆として宗氏の職務に就いて三年が経つ。
三年目の今年——与六が実務と並行してやっていることは、証拠を「使える形」にすることである。
数字が合わないことを発見するのは、難しくない。帳面の写しを丁寧に読めば、差分は見えてくる。
しかし——その差分を評定の場で突きつけたとき、佐須が「計算の誤りだ」「記録の漏れだ」と言い逃れできないようにする必要がある。
言い逃れできない証拠とは——複数の角度から同じ事実を指し示すものだ。
帳面の差分だけでは、一つの角度からしか指せない。
それに加えて、産地の実地確認、運搬ルートの特定、受け取り側の記録——これら全てが同じ事実を指したとき、初めて「言い逃れできない証拠」になるだろう。
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佐須盛廉という人間を、与六は直接見たことがある。
計算高く強欲な人相しか記憶には残っていないが...
与六は宗家の内側に入り、三年で交易の記録に全て目を通した。そして気づいたことがある。
佐須はただ金を抜いているのではない。
仕組みを作っている。
銅の差分が生じる月は、守護代家中から特定の人間が帳場に出仕する月と一致する。
硫黄の差分は、木坂の産地の記録担当者が替わった年から始まっている。
文引の流用は、特定の船頭が関わった渡航記録にだけ現れる。
全部が、意図的に設計されている。
偶然の漏れではない。何年もかけて作り上げた、精巧な仕組みだ。
(これを設計した人間は、おそらく相当頭がキレるだろう)
与六はそれを認めた。認めた上で——崩す方法を考えた。
精巧な仕組みには、必ず弱点がある。弱点は——仕組みが複雑であるほど、多くの人間が関わっているということだ。
多くの人間が関われば、どこかに「知っているが黙っている人間」がいる。
その人間を見つければ——仕組みの全体像が見えてくる。
帳場の役人を、与六は三年間観察してきた。
二人の役人のうち、一人は——佐須の仕組みに深く関わっている。帳面の数字を操作するのは、この男だろう。
もう一人は——気づいているが言葉にしようとはしていない。表情が違う。
佐須家中の人間が訪れた日も、もう一人の役人は目を合わせない。俯いて仕事をする。
(あの男が、崩す起点になるのだろうな)
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ある日の午後、与六は帳場を出て港の端を歩いていた。
春の港は活気がある。朝鮮からの荷が増える季節だ。船頭たちの声が飛び交い、荷役人夫が荷を運ぶ。
視界の端で、佐須盛廉を捉えた。
五十がらみの男が、港を見渡している。
供の武士が二人、後ろに立っている。佐須は無言で港を眺めている。
その目の色を、与六は注意深く観察した。
今日も荷が動いている。おそらく今月も記録に差分が生まれるだろう。満足に仕組みが機能している——
盛廉の表情からは満足そうな色が見て取れる。
その目が——与六の方を向いた。
一瞬、目が合った。
佐須は与六を見た。流している時間ではないが存在を認識した程度の視線の動きだった。
それ以上の何かはその目に浮かばなかった。
与六は頭を下げた。佐須は何も言わずに視線を外した。
(まだ、俺を脅威と思っていない)
それが——今の与六にとって、最大の優位だった。
脅威と思われれば、動きを制限される。子供の右筆と思われている間は、自由に動ける。
しかしその優位は、永遠には続かない。
佐須に勘づかれた瞬間に、この優位は消えるだろう。
だから——証拠が揃ったら、即座に動かなければならない。
(いつ、証拠が揃うか)
木坂の産地確認は終わっている。
運搬ルートは与七が追っている。帳面の差分の計算は完成している。
残るのは——帳場の役人の証言だ。
「知っているが黙っている役人」が口を開けば、全てが揃う。
その役人を動かすには——何が必要か。
恐怖ではない。恐怖で動かした証人は、後で揺れる。
利益でもない。利益で動かした証人は、より大きな利益で動く可能性がある。
この役人が黙っている理由は——佐須への義理ではなく、面倒を避けるためだろう。
つまり、「口を開かない方が面倒になる」状況を作れば——この役人は動く。
具体的には——佐須の仕組みが崩れることが、この役人にも明らかになったとき。その崩れる流れに乗った方が得だと判断したとき。
(まだ、その時ではない)
しかし——近い。
与六は港の端から歩き始めた。
佐須の背中が、遠ざかっていく。
(あなたが作った仕組みを、俺が崩す)
言葉にはしなかった。しかし——その確信が、与六の胸の中にあった。
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夜、与六は晴康の屋敷を訪ねた。
「一つご報告がございます」
「聞こう」
「帳場の役人の一人——佐須の不正について知っている人間がおります」
晴康は少し目を細めた。
「どちらじゃ」
「若い方の役人にございます。佐須様の家中の人間が来た日は決して目を合わせません。俯いて事をこなされるご様子」
「その役人を、動かせるか」
「動かせます。ただし——今ではございません。佐須様の仕組みが崩れる流れが見えたとき、その役人は自分から動きます。そのための下準備が必要にございます」
「下準備とは」
「その役人と、少しずつ話をしておきます。帳場の仕事について。数字の読み方について。そういう話を重ねながら——この役人の中に、私への信頼を作っておきます」
晴康はしばらく黙っていた。それから静かに言った。
「……時間がかかるな」
「はい。しかし——急けば崩れます。信頼は、時間をかけて積み上げるものにございます」
「儂が教えたことを、よく覚えておるな」
晴康はかすかに笑った。
「もう一つ聞く」
「はい」
「佐須を追い落とした後、この島はどうなる」
「守護代の座が空きます。そこに——信頼できる人間を据える必要がございます」
「誰を据えるつもりじゃ」
「今はまだ、申し上げる段階ではございません。しかし——候補は見えております」
晴康はしばらく与六を見た。
「……津奈調親か」
与六は答えなかった。
答えないことが、答えだった。
晴康は静かに頷いた。
「わかった。お前のやり方で動け。儂は邪魔をせぬ」
「ありがとうございます」
「一つだけ言っておく」
「はい」
「急くな」
「はい」
その言葉が——与六には、いつもより重く響いた。
「……肝に銘じます」
屋敷を出ると、春の夜風が吹いた。
佐須盛廉。帳場の仕組みを作った男。何年もかけて作り上げた仕組みが、今も動いている。
しかし——その仕組みの中にも人間が携わる以上亀裂が存在するだろう。
その亀裂を、与六はこれから少しずつ広げていく。
急がない。しかし——確実に。
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【佐須盛廉】 天文十五年・春 厳原
港を見渡しながら、佐須は考えていた。
今月の荷の動きは順調だ。銅と硫黄の運搬も問題なく動いている。
全て、計画通りだ。
しかし——一つ、気になることがある。
帳場に右筆として詰める子供だ。
三年前から石段に座って港を見ていた子供を晴康が右筆として取り立てた。
最初は気にしなかった。子供が帳場に入ってところで交易の理解など出来ないだろう——そう思っていた。
しかし三年が経った今、与六という名の子供は晴康へ内政を献策したりもしている。
なかなか利発な子供のようだが、彼が記録を読んで、計算したとすれば——。
佐須は少し考えた。
しかし——すぐに打ち消した。
十三歳の子供が、帳面の差分に気づいたとして——何ができる。
晴康に告げることはできるかもしれない。
しかし晴康を擁立したのは自分である。
さらに晴康は体が衰えている。あの老人が動ける時間は、もう多くない。
晴康がいなくなれば——あの子供の後ろ盾も消える。
(今は待つだけでよい)
佐須は港から視線を外した。
春の海が、穏やかに広がっていた。
佐須はゆっくりと歩き始めた。
あの子供のことが、頭の片隅に引っかかったまま——しかし佐須は、それを振り払った。
十三歳の子供だ。問題はない。
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その判断が——佐須の最初の、そして最大の誤りだった。
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