12話 初雪の浜
初めての執筆となります。
時代考証などが甘い部分がありますがエンターテインメントとしてお楽しみください。
※1-5話を納得のいく形に改稿しました。
既に目を通していただいた皆様も再度ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。
与七が鰐浦の北の浜に通い始めたのは、秋の終わりのことだった。
余人に理由を聞かれれば「北部の人間を知るため」と答える。しかしそれは考えの半分である。
もう半分は——この島の北側に、まだ宗氏の支配が及んでいない何かがあるのではないかという望みだった。
何かが眠っているとしたらそれを起こすには、まずは現地に足繁く通うしかない。
十日に一度、鰐浦まで歩く。厳原から北へ二時間の山道だ。途中、大船越の地点を通り島の中央部を縦断する。
道は細く、荷馬では通れない箇所がいくつかある。それでも与七は歩みを止めることはない。
浜に着けば、漁師たちと並んで網の手入れをする。特に何かを聞き出そうとするわけではない。
ただ、一緒にいる。一緒にいる時間が積み重なるとなんとなく気を許してくるものだ。
この男は怒ると声が大きくなる。この男は困ったときは言葉が少なくなる。
この男は酒が入ると本音が出る。そういうことを時間をかけて理解していく。
漁師の老人——五歳の頃から与七を船に乗せてくれた人間——は最初から与七を受け入れてくれた。
しかし他の漁師たちは違った。最初の一ヶ月は誰も与七に話しかけようとしなかったし、遠巻きにながら
邪魔にならないように働く子供として最低限のコミュニケーションだけをとってきた。
それがよかったかもしれない。
急ぐ必要はない。ただ通い続けることが最初の仕事だ。
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康範と初めて接触したのは、初雪が降った日だった。
その朝、与七はいつもより早く浜を訪れていた。
漁師たちはまだ誰も来ていない。
初雪が薄く積もった砂浜に与七一人の足跡だけがついている。空が低く、鉛色である。
網の手入れを一人で始めたとき、背後に足音が聞こえた。
振り返ると、山本康範が立っていた。
「お前が与七か」
「はい。佐伯与七にございます」
「宗家の右筆の弟という話だが、確かか」
「はい」
「なぜこの鰐浦に足を運ぶ?」
与七は少し間を置いた。
「北部の人間を知るためにございます」
康範の目が、わずかに動いた。
「……人間を知る、とは」
「この辺りに根付いておる人間を、一人ずつ知りたいのにございます。名前を知るのではなく——どういう人間かを知りたい」
「なぜじゃ」
「いつか必要になるからにございます」
康範はしばらく与七を見た。値踏みをしているわけではなさそうである。
「いつか、とはいつじゃ」
「わかりませぬ。しかし——今から知っておかなければ、そのときには遅うございます」
「……いくつじゃ」
「十二歳にございます」
「十二歳で、そういうことを考えておるのか」
「はい」
康範はしばらく口を閉じた。波が静かに繰り返された。
初雪が少しずつ解けていく。
それから——砂浜に腰を下ろした。
「儂も少し、座っていいか」
「もちろんにございます」
二人で並んで、寄せてくる波を眺めた。
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しばらく無言のまま肩を並べて浜を眺める。
先に口を開いたのは与七だった。
「北部の状況について、少し聞いてもよろしいでしょうか」
「儂が答えられることなら」
「この辺りには、どのくらいの数の武士がおりますか」
康範は少し考える表情をする。
「……上県全体で言えば、百人ほどにはなる」
「その方々は——いざというとき、まとまって動けますか」
康範の目が色が変わった。警戒ではない。こちらの真意を測りかねているのだろう。訝しげな表情をしている」
「いざというとき、とは」
「言葉が過ぎました。ただ——これだけの人間が北部にいるのにも関わらず、今は宗家の目が届いておらぬと聞きます。それは——機を見れば好機にも危機にもなるのではないかと思うている次第」
「好機か...」
「はい」
康範はしばらく黙っていた。その沈黙の中に何かが積み重なっているのが感じられた。
怒りではない。長い時間をかけて、静かに沈殿したものだろう。
「……お前は、何者じゃ」
「佐伯与七にございます」
「それは先ほど聞いた」
「そうではなく——お前は、何をしようとしておる」
与七は少し間を置いた。
「今はまだ、申し上げられませぬ」
「なぜじゃ」
「言葉にするには、早すぎます。しかし——今日お会いできたことは、必ず意味を持ちます」
康範の視線がまっすぐに与七を捉える。
十二歳の子供が、「今はまだ」と言った。裏を返せば「いつか言える」という意味だろう。
その「いつか」が何かは康範にはわからない。
しかし——眼前の瞳に嘘はない。自分や上県の武士たちを上手く使おうという打算はあるのだろうが...
笑みをこぼした与七は少し驚いた。
「……十日に一度、ここに来るつもりか」
「はい」
「わかった、また遊びに来るといい」
「はい。必ず参ります」
それだけ言って、康範は浜を後にした。
初雪が、静かに降り続けていた。
与七はしばらくその場に座っていた。
康範は笑っていた
——あの笑い方の意味をに思いを馳せる。
怒りでも警戒でもなかった。何か懐かしいものを見るような笑い方だった。
おそらく康範は動ける時を、ずっと待っている。
その「待つ」という感覚は機を作ろうと動く自分たちと共鳴するだろう。
だから笑ったのだと思った。
与七は立ち上がった。帰り道は長い。しかし——確かに来た意味はあったはずだ。
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夜、与六は帳場の写しを続けていた。
与七が部屋に入ってきたとき、筆を止めずに言った。
「山本と話をしたか」
「ああ」
「感触はどうだ?」
与七は座った。
「北部の武士の数を聞いた。上県全体で百人ほどだ」
「他には」
「いざというときにまとまって動けるかを確認したよ。一定の指揮系統はあるようだ。言葉は選んだが——向こうには伝わってたと思う」
「山本の反応は」
「「お前は何をしようとしておる」とストレートに聞かれたな」
与六が初めて筆を止めた。
「何と答えた」
「今はまだ申し上げられぬ、と」
「それで引き下がられたのか」
「ああ。でも——笑っておられた」
「笑った、か」
「怒りでも警戒でもない。何か——懐かしいものを見るような笑い方だった」
与六の目はしばらく虚空を捉える。
「山本は...使えるかな?」
「時間がかかるだろうね。しかし——上県の在地の人間との伝手はできた」
与六は再び筆を取った。
「一つだけ言っておく」
「なんだ」
「とにかく人間を集めてくれ。山本だけではない。
北部で——いざというとき一緒に動ける人間を、一人ずつ集めておいてくれ」
「わかった」
それだけだった。与六は再び帳面に向かった。
与七は部屋を出た。
廊下に出ると、冬の空気が冷たかった。
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【山本康範】 天文十四年・冬 鰐浦の浜
浜を離れてから、山本はしばらく山道を歩き続けた。
与七——佐伯与七。十二歳。宗家の右筆の弟。
「今はまだ、申し上げられませぬ」
その言葉が、頭から離れなかった。
十二歳が「今はまだ」と言う。言えない理由があるというものではない。
口の出すのが憚られる内容のはずだが、あの落ち着き方は十二歳のものではなかった。
佐須が守護代として北部の収益を横流ししていた年月——山本はその実態を知りながら、動けずにいた。
動いたところで勝てる算段もなかったのである。
怒りは積み重なっていた。しかし怒りだけでは動けない。。
あの子供の兄が、帳場で何かを動かしているという話は聞いていた。
詳しいことはわからないが、その思いつきは近年の宗氏の施策にも影響を及ぼしているという。
——何かが変わりつつある、という空気は感じていた。
そこにあの子供が現れた。
「いざというとき、まとまって動けますか」
直接聞いてきた。言葉は選んでいたが——意味は明確だった。
笑ったのは——久しぶりに、胸の中に何かが灯った感じがしたからだ。
津奈様に、この話を伝えるべきか。
津奈調親——将盛様の異母弟。康範とは古くからの知己である。
あの子供がどこまで動けるかを、どの程度の器量を持っているかを
もう少し見極める必要がある。
コメントは全て目を通させていただきます。
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