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幸せは痛みと共に



 男の子は、名案だ、とでも言うように目を輝かせた。ずっと解けなかった算数の問題がようやく解けたような、そんな清々しい顔で男の子は言った。


『おれが、おまえの家族になってやればいいんだ!』


 男の子と同じ年頃の小さな女の子は、突然の男の子の提案に一頻り目を丸くさせると、ぱちくりと何度か目を瞬かせた。やがて言葉の意味を理解したようだが、それでもわずかに不安の色が残る。


『………でも、どうやって?』


 すると、男の事は再び頭を悩ませる事になった。男の子は、小さな女の子に泣きやんで欲しかった。笑って欲しかった。家族を亡くして悲しんでいるのなら、自分が家族になってあげたいと思った。そんな単純な思考で、方法なんて考えてもいなかった。

 しばらく頭を悩ませた男の子だったが、またすぐに名案を思いつく。そうか、なんて簡単な事だったのだろう、と自分でも拍子抜けしてしまうくらい、単純な方法があった。


『おれと結婚すればいいんだ!そうしたら家族になれる。ほら、だから大丈夫なんだよ』


 男の子は女の子の手をぎゅうっと握った。まるで、女の子を安心させるように。

 女の子はその方法の意味を理解すると、涙も止めて頬を赤らめた。それはとても素敵な方法で、小さな女の子の憧れるような手段だった。


『嬉しい。………ありがとう、せーちくん』


 女の子は繋がれた手をぎゅっと握り返し、ようやく零れるような笑顔を見せた。









 誠一郎様にちょっと気持ち悪い趣味が出来た。いや、気持ち悪くはないのかもしれないが、意味が分からなくて少々居心地が悪い。彼は何故か、ハンドクリームを私の手に塗りつける事に謎の魅力を感じるようになってしまったようである。

 今も、彼の部屋に呼ばれて向かえば、手を差し出すように要求され、ハンドクリームを塗りつけられている。新春に相応しい桜の香りと銘打ったハンドクリームでべた付きも無く、香りや感触共に私も気に入ったが、嬉々として塗りつける誠一郎様は、何が楽しいのかよく分からない。


「今度のハンドクリームはすごいぞ。なんと血行促進効果があるらしい」

「それはまた、私向きですね」


 冷え性女、と小学生並みの捨て台詞を投げかけられた事もあるくらいだ。こんな事で冷えが改善されるのならば有難い。

 何がしたいのかは分からないものの、ハンドクリームを頂けるのは正直嬉しい。ちょうど新しいものを買おうと思っていたのだ。しかし、私はこの状況に大きな戸惑いがある。それは、ハンドクリームを塗られている事ではなくて、その体勢にあった。


「それで、私は何故後ろから抱えられているのですか?」


 ベッドに腰掛ける誠一郎様の前に座らされる形で、ハンドクリームを塗られていた。後ろから抱きこまれた状態である。何だ、この体勢は。意味も無くいちゃつくバカップルのようではないか。少なくとも私に馬鹿になるつもりはない。


「俺がそうしたいから」

「私は嫌です。邪魔です。放して下さい」

「それは俺が嫌だ」


 ベッドの上で腰掛ける誠一郎様に急に手を引かれて、驚いている間にこの体勢になっていた。何だこの、滑らかな誘導は。相変わらず、こういう事に関しては無駄な能力を発揮する。


「誠一郎様だって、そろそろお屋敷を出る時間でしょう」

「大丈夫だ。俺はあんなところに行くつもりはない」

「そんな我儘は通らないと、すでに何度もお伝えしております」


 私があっさり切り捨てると、誠一郎様はハンドクリームを塗り込む手をぴたりと止め、突然私のお腹に腕を回して縋りつくように抱きしめてきた。


「嫌だ!だってパーティーに行けば必ず女が群がってくる!」


 今日の誠一郎様は、佐久間と取引のある会社のパーティーに呼ばれている。子どもみたいな行動と我儘だが、見た目だけならば近付きやすい、甘い顔立ちの美青年である。おまけに婚約者もおらず、佐久間グループの御曹司ともなれば、その婚約者の立場を狙って近付いてくる女性が後を絶たないのだろう。今回予定されているパーティーのような場ならば余計に。


「女性恐怖症はすっかり治られたのかと思ったのですが」

「そんなの麻耶だけだ。他の女は得体が知れなくて………怖い」


 どうやら余程彼の中で、女性へのトラウマは根深く残っているらしい。私を抱きしめる身体がガタガタと揺れている。しかし、私は佐久間の家に仕える者として、お坊ちゃまのそんな我儘を許すつもりはない。


「はいはい、お可哀想に。さ、さっさとご用意なさいませ」

「優しさが足りない!」

「私はいつでも誠一郎様にとても優しいですよ。ただ、甘くないだけで」


 平然と言いきって、お腹に回った腕を引き剥がす。駄々を捏ねるものの、誠一郎様もそんな我儘は通らないときちんと分かっているのだろう。さして抵抗も無く、その手は離れ、私はあっさりと立ち上がった。ただし、振り返るとその目は恨みがましそうなままだった。


「そんな風に言って、もしも俺がパーティーで出会った女と浮気をしたらどうするんだ」


 すると、まるで脅しのようにそう口にした。だから、私は心からの素直な笑顔を向ける。


「腰から下で、人体の一部が欠損してもよろしいなら、どうぞご随意に」

「ひっ!」


 途端に誠一郎様は短い悲鳴を上げて青褪めた。以前から私の危険性は説明してあげていたのに、学習しない人である。これでも、命を狙わないように最近では私も考え方を改めるよう努力しているのだ。


「い、今のは冗談だ!今の俺は麻耶一筋だ!」

「それはありがとうございます」


 慌てて立ち上がった誠一郎様の、『今の』と付いた言葉に若干引っかかりを感じたが、事実であるし、そんな細かい事まで気にしていたらこの先も彼と付き合っていくなど不可能なので受け流す事にした。この人はどうして、不特定多数の女性への気遣いは完璧であるのに、私に対してはこうも墓穴を掘りたがるのだろう。

 すると、私の棒読みの礼をどう受け取ったのか、誠一郎様は慌てて立ち上がり、私の顔を覗き込んだ。


「疑ってるのか?本気だからな」

「別に疑ってなどおりませんよ」


 第一今の引っかかりは疑っているからではない。


「さっさと正式に婚約して、なるべく早く結婚しような」

「何を急いているのですか。婚約はともかく、結婚は最短でも大学卒業後でしょう」

「それじゃあダメだ!」


 私の至極真っ当な返答に、誠一郎様は何故か焦った様子で否定した。私の両肩を正面からしっかりと掴んで、言い聞かせるように口にした。


「悠長にして、おまえがまた変に駄々を捏ね出したらどうする」

「駄々って………いつも我儘をおっしゃるのは誠一郎様の方でしょう」

「俺が、麻耶が良いって言っているのに、屋敷まで飛び出して他の男の所へ行ったのはどこのどいつだ」


 誠一郎様が胡乱な目で私を見る。他の男と言っても、間違いが起こりようもない綾瀬の所なのだが。私だって、あんな時間に綾瀬以外の男の家へ行くほど、暢気な考えはしていない。例え自惚れと言われようとも、そういう危機意識は大切だ。それに、


「もう、覚悟を決めました。そんな心配は無用です」


 しかし、それでもまだ、誠一郎様は疑わしげな目を止めようとはしなかった。


「いや、よく考えてみれば、俺は麻耶が好きだと言ったけど、おまえには何も言われて無いし」


 そう言われてみれば、私が誠一郎様へ好意と取れる言葉を告げたのは、あの苛立ち紛れにキスを仕掛けたときだけだった。目を合わせれば、誠一郎様が無言で『言え』と訴え掛けて来ている。

 私は、思わず口籠った。そう改めて言うとなると、非常に言いにくく、気恥ずかしいものがある。スピーカーモードの電話越しでなら聞いていただろうか、彼は直接告げる事を求めているようだ。


「今言えば、俺は大人しくパーティーへ向かう」


 しかも、いつの間に交渉なんて覚えたのだ。すっぽかす事の出来ない類のパーティーなので、おそらくそうは言いつつも、私が口にしなくてもいずれは渋々準備をして会場に向かうだろう。けれど、円滑に余裕を持って準備をしてもらう為には、ここで彼の機嫌を取る必要があった。


 私は散々躊躇った。顔が熱くなって、頬が多少なりとも赤くなっている事を自覚する。ただ一言を言えば良いのだろうが、それが中々難しい。私は、自覚がある程度には素直ではない性格をしている。適当にあしらうようになら言えるだろうが、今の誠一郎様の様子ではそんな言い方を許してはくれないだろう。

 口ごもって、ちらりと視線だけで誠一郎様の様子を窺う。すると、意地の悪そうなニヤニヤとした笑みを浮かべていた。あ、この人、面白がっている。


 そう気付くと、今度は少々苛立ちを覚えた。何とかその笑みを打ち消してやりたくて仕方なくなってきた。そうなれば、羞恥心など二の次である。大体、私が恥ずかしいのは『改まって好意を言葉にする事』なのだ。


 私は、誠一郎様に負けじと微笑みを浮かべた。自分でも冷たいと自覚のある笑顔である。私の雰囲気の変化を敏感に感じ取ったのだろう。途端に誠一郎様の顔が引き攣った。

 手を伸ばせば、及び腰になる誠一郎様の首に腕を回し、キスをしてやった。彼の目が丸く見開かれる。正直、すっきりした。


「どうぞこれでお察し下さいませ」


 極めつけに、すぐに離れると白々しい笑顔でそう言った。驚きの余りか、一時停止している姿に清々しい気持ちになる。意地が悪いかもしれないが、そもそも羞恥心と戦う私を面白がった彼が悪いのだ。

 しかし、全て私の思惑通りとはいかなかった。


「おまえ、それは……ダメだろ」


 誠一郎様の目が、物騒な光を宿す。腕を引かれて痛いくらいに抱き締められたかと思うと、噛みつくようなキスをされた。私は、すぐに後悔した。

 悔しい事に、そして腹立たしい事に、こういう事は彼の方がずっと場数を踏んで慣れている。


 私に出来た事と言えば、あまりにしつこくキスをする誠一郎様の足を、苛立ち紛れに踏みつける事だけだった。





最後までお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。

振られ男と振られ女のお話はこれにて完結です。


初めはチャラ男をメインで書いてみたいし書いてみようかな、と考え始めたお話だったのですが、どうしてこうなった。チャラつこうにもトラウマが邪魔しております。



以下登場人物紹介

本城麻耶ほんじょうまや

本編の主人公。誠一郎が好きだが、多感な時期に彼の爛れた女性関係を一番身近で見せられて、その恋心が歪む。可愛さ余って憎さ百倍の状態が常。素直じゃない。素直じゃなさ過ぎて、ハグやキスは出来ても『好き』の一言が言えない。きっと今後も。基本的に愛は重めで男運はない。星崎梨花の事は恋敵としての妬ましさももちろんあるが、それ以上にあんな素直で可愛い女の子になりたかったという憧れがある。誠一郎の事を抜いても。


佐久間誠一郎さくませいいちろう

習字の授業で名前を書くのが面倒そう。母親の不倫現場を目撃し、その母親には自分よりも不倫相手を選ばれ、女性不信が変な風に発露し、爛れた女性関係を築き、その後一人の少女に救われたが振られた。こう書くと憐れを誘うが、自業自得の部分が多分にある。恋人とは全力でいちゃいちゃしたい人。なのでスキンシップ激しい。ベタベタベタ。基本的に女体は好き。ある種のマザーコンプレックス。


綾瀬悠紀あやせゆうき

麻耶の友人で彼女の為に協力は惜しまないが、面白がっている節がある。初期設定では、麻耶の元彼のパターンもあったので割と距離は近い。ちなみに、その場合でも恋愛感情はなし。幼馴染である御代尚之に対しては、子どもっぽい嫌がらせを好む。この人はたぶん、サラッと素敵な女性を見付けて、サラッとお付き合いし、サラッと結婚まで持ち込む。


星崎梨花ほしざきりか

本編未登場。少女漫画の主人公的な、素直で明るく曲がった事が大嫌い、誰にでも優しく適度に鈍感。誠一郎の好意には最後まで気付かなかった。自然と想い合うようになった御代尚之とは、様々な問題を共に乗り越えた幸せな恋人同士。


御代尚之みしろなおゆき

本編未登場。元生徒会長。カリスマ性に富み、迷いなく我が道を突き進むようでいて周囲の事をよく気にしている。性根が真っ直ぐで思いやり深い。人に弱みを見せられないと気を張っていた彼の、繊細な部分を知り受け入れてくれた星崎梨花と恋に落ちる。綾瀬とは幼馴染ながら犬猿の仲で、奴ほど意地の悪い奴は他に知らない、と常に口にしている。


以上です。こんな所までお付き合い頂き、ありがとうございました。


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