第一章キュウワ「敵対」
「どうして博士が犯人だと思うんだよ」
突然ルゥが消えたことも理解できていないのに、ガドは目を覚ました瞬間から犯人を決めつけるように動いていた。まるで最初からこうなることを知っていたかのような態度が、リオにはどうしても納得できなかった。
暗い部屋の中で、ガドは窓際に立ったまま短く答える。
「あいつしかいねぇ」
その声には怒りも焦りもなくただ確信だけがあった。
窓から吹き込む夜風がカーテン代わりの布を揺らし、冷たい空気が部屋の中を通り抜けていく。月明かりに照らされたガドの横顔は妙に険しく、普段の気だるげな雰囲気はどこにも残っていなかった。
拾い上げた白い髪を見つめながら、ガドは小さく呟く。
「思ったより無茶なことしやがる」
その言葉はリオへ向けられたものではなかった。
まるで遠い昔からの知り合いへ向けるような声色だった。次の瞬間には壁へ掛けられていた散弾銃を引っ掴んで肩へ担ぎ上げ、長年使い込まれた木製の銃床が鈍く軋んだ。
「早くしろ、リオ」
それだけ言い残して部屋を出ていこうとする。
リオは慌てて立ち上がった。
「待てって! もうなんも分かんねぇよ!」
叫びながらも剣帯を腰へ巻き、短銃を手に取る。
頭の中は混乱していた。
博士の神話。
ヴェイルという街。
灰冠。
ガドの様子。
そしてルゥの失踪。
数時間前まで穏やかだった日常が、突然どこかへ転げ落ちてしまったような感覚だった。それでも立ち止まるわけにはいかない。ルゥがいないという、その事実だけは嫌になるほど明確だった。
二人は夜のラスティアを駆けた。
昼間は回収屋や商人で賑わう通りも、今は静まり返っている。建物の隙間に吊るされた発電灯だけが青白く輝き、長く伸びた影が石畳を覆っていた。
息を切らしながら走るリオとは対照的に、ガドは驚くほどの速度で街を進んでいく。リオでさえ初めて見るような速度だったが、それ以上にその背中には迷いがなく、そこまで博士を疑うガドの心情を
リオは理解できなかった。
やがて二人は昼間訪れた研究所へ辿り着く。
古びた建物は夜の闇に沈み込み、窓からは灯り一つ漏れていない。リオは膝へ手をつきながら荒い呼吸を整える。肺が焼けるように熱い。
一方のガドは少しの呼吸の乱れはある気がするがそんなことはお構い無しに、散弾銃を構えたまま入口を睨み続けていた。引き金に指を当て、本当にいつでも打てる状態のガドに若干恐怖を覚えながら、リオも釣られるように短銃を抜いた。
しかし銃口を向けてみても実感が湧かない。本当に博士が犯人なのだろうか。昼間の博士は変人だったし、ルゥに関しての件で気分を害したのは事実だが、人攫いをするような人間には見えなかった。
リオのそんな考えに答えが出る前に、ガドは大きく息を吸い込み、静かにドアへ手を掛けた。金属製の蝶番が小さく軋む。鍵はかかっていないらしくゆっくりと扉が開く。
2人して警戒を強めたが、薄暗い研究室には誰もいなかった。
机の上には昼来た時にはなかった、読みかけの本が置かれたままになっている。散乱した書類もそのまま。椅子は動かされた様子はない。まるで数分前まで誰かがいた空間だけが、そのまま時間から切り離されたようだった。
リオは思わず肩の力を抜く。
「やっぱいないじゃねぇか」
張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
「昼の態度が気に入らなかったからって友達疑うなんて、らしくねぇな」
そう言って短銃を下ろした。
だがガドは反応しない。
散弾銃を握ったまま部屋の中を見渡している。
その顔には安堵どころか、むしろ確信が深まったような色が浮かんでいた。
リオはその様子に違和感を覚える。
「おい」
返事はない。
「ガド」
ようやく振り返ったガドの目は、部屋ではなく机の上を見ていた。
「ここにいた」
低い声だった。
「え?」
「まだそんなに時間はたってねぇ」
ガドは散弾銃を下ろして灰皿を指差す。そこには一本だけ煙草の吸い殻が残されていた。まだ僅かに焦げた匂いが残っている。
「それがどうした」
「博士は煙草を吸う時、一本じゃ済まねぇ」
リオは意味が分からず首を傾げる。しかしガドは続けた。
「あいつはなにか考えてる時ほど煙草を吸う。それも馬鹿みたいな本数だ」
そう言いながら机へ近付く。乱雑に散らばった書類の中央だけが不自然に空いていた。
何かが置かれていた跡だ。そして持ち去られている。ガドはそれを見た瞬間、小さく舌打ちした。
その仕草を見てリオの胸にも不安が広がっていく。研究室は確かに静かだったがその静けさは無人だからではない。
誰かが立ち去った後の静けさだった。そして、その誰かが博士であることをガドは確信している。
「色々よくわかんないんだけどつまり、博士はルゥを連れさってきたけど、俺たちに気づいて急いで別の場所に逃げたってこと?」
「いや、多分逃げちゃいねぇ」
ガドが説明するがリオは理解に苦しみ疑問を浮かべている。
「要は、やつはまだここにいるぜ」
「は?誰もいねぇじゃん、早く逃げた先を探そう」
焦るリオを一旦落ち着けと片手で制して、話を続けようとするが、それよりも先にリオの怒りが爆発した
「そもそも博士が犯人だって、証拠は一度も出てきてないじゃんか!それに、博士が犯人なら俺たち二人なら追いつけるだろ!!」
リオはは昨日から、ずっとガドが何かを隠していたことに対しての怒りも積もっていたのだろう。
ガドも少し驚いた表情を見せるほどに今までに見たことの無いリオだった。
しかし、ガドはすぐに表情を戻して諭すように話しかける
「振り回して悪い。だが1度聞いてくれ。
逆なんだ俺たち二人、ルゥが連れ去られてすぐ家を出た、そしてノンストップで走り続けたのに犯人の姿は見えなかっただろ?」
そこまで言われてリオは何か気づいたのか、険しかった顔が幾分か元に戻った
「言われてみれば、ほぼ一直線だったのに誰の姿も見なかった…犯人は抱えてるのが小さい女だとしても、俺達より早いか同じスピードなんてありえない」
「お前は知らないと思うが。博士は強いぜ」
リオは理解したが、納得ができない。自分たちは回収屋として普段から走り回っているのに、特段鍛えているようにも見えない中年が自分たちよりも早いなんて理解できないなんて当然だろう
「…博士が犯人だってのは一旦わかったけど外に逃げた可能性はまだ消えてない」
リオは納得しきれないまま呟き、横目でガドを見る。だがガドは答えなかった。代わりに散弾銃を肩から下ろし、ゆっくりと構える。銃口が向けられた先にあるのは、研究室の一角の壁だった。
壁一面に数式や設計図らしき紙が貼り付けられているが、ガドが狙った壁は一際紙が多い。昼間は気にも留めなかったが、改めて見ると異様な量だった。
「おい、何して――」
言い終わるより早く轟音が響いた。散弾銃が火を吹き、耳をつんざく発砲音と共に紙片が吹き飛び、壁へ無数の穴が穿たれた。
「何やってんだよ!?」
リオが叫ぶ。だがガドは聞いていない。
もう一発。さらにもう一発。
狭い研究室の中で反響した銃声が頭蓋を揺らし、リオは思わずしゃがみ込んで耳を押さえた。
硝煙の匂いが漂う。少し経ってようやくガドが引き金から指を離した。
「当たりだぜ」
どこか得意げな声だった。
「は?」
「見てみろ」
リオは恐る恐る顔を上げる。前を見ると壁を覆っていた紙はほとんど消し飛んでいた。その下にあったはずのコンクリートの壁も、大きく抉れている。
いや。壁ではなかった。破れた穴の向こうには暗闇が続く、まるで誰かの口がぽっかりと開いたような黒い通路だった。リオはしばらく言葉を失う。
「……なんだ、それ」
ガドは散弾銃へ新しい弾を込めながら鼻で笑った。
「あいつ、昔から変わってねぇな」
「変わってねぇって……」
「大事なもんほど隠したがる癖がある」
そう言って穴の空いた壁へ近付く。
「ただし、完全には隠さない」
「は?」
「見つけてほしいんだよ」
ガドは壁に残った紙切れを一枚摘まみ上げた。そこには意味不明な数式がびっしり書かれている。
「昔からそうだ。宝物を隠しても目印を残す。研究資料を隠しても誰かが気付くようにする」
紙を放り捨て話を続ける。
「秘密にしてるんだろうが、分かるやつにはすぐ分かる」
リオは呆れたように通路を見つめた。
こんな場所が昼間から目の前にあったなんて信じられない。しかしガドの顔には驚きよりも確信が浮かんでいる。まるで昔からここに何があるのか知っていたかのように。
通路の奥から微かな機械音が響いていた。
一定の間隔で脈打つような低い駆動音。
そして、どこか聞き覚えのある発電機の唸り。
ガドは暗闇の先を見据えながら呟く。
「行くぞ」
その声は低く、今までになく重かった。
この先にルゥもいるだろう。博士と。
その言葉を口にはしなかったが、リオにも分かった。二人は武器を握り直して、闇の中へ足を踏み入れた。
壁の奥へ続く隠し通路に入ると、すぐに地下へ伸びる螺旋階段が現れた。錆びた鉄で作られた階段は薄暗い照明に照らされながら何周も下へ続いており、見下ろしても底は見えない。
ガドは迷いなく先へ進み、リオもその後を追う。人を攫うような人間の性格を考えれば侵入者を殺すための罠がいくつも仕掛けられていると思っていたが、意外なことに階段には何の仕掛けもなかった。
やがて地下へ辿り着くと、今度は奥の見えない細長い通路が真っ直ぐ続いていた。壁には無数の配線や金属パイプが這い回り、ところどころに取り付けられた照明が青白い光を落としている。
リオは思わず周囲を見回した。
長い通路にも異変は見つからない、もっと人を殺すためだけに作られた場所を想像していた。床が抜けたり銃弾が飛んできたりするような危険な通路だと思っていたのだ。しかし実際は拍子抜けするほど普通だった。
それなのに気味が悪い。
通路の奥からは低い機械音が絶えず響いており、その音が地下全体を震わせている。発電機にも似ているが少し違う。何か巨大なものがゆっくりと動いているような、不快な振動だった。
音の正体は分からない。
だが、一歩進むごとにその存在だけは確実に近付いている気がした。
通路には結局何の仕掛けもなく、通路の最奥へ辿り着くと、そこには一枚の鉄製の扉が静かに鎮座していた。
ガドは足を止めると散弾銃を握り直し、しばらく扉を睨みつけた後でゆっくりとドアノブへ手を伸ばす。その横顔には普段の気怠さは欠片も残っておらず、長年使い込んだ猟犬が獲物の匂いを確信した時のような鋭さだけがあった。
リオも短銃を構えながら息を呑む。この先にルゥがいる。そう思うだけで心臓が嫌になるほど脈打った。
鍵は掛かっていなかったらしい。ガドが力任せに扉を押し開くと重い金属音が地下へ響き渡り、二人の緊張は一気に頂点へ達した。
しかし飛び出してくる敵はいない。
待ち構えていたのは耳障りな機械音だけだった。
薄暗い部屋の中には見慣れない装置がいくつも並び、無数の配線が床や壁を這っている。その光景は研究室というよりも巨大な機械の内臓を覗き込んでいるようで、人の気配だけが不自然なほど存在しなかった。
「……なにも、ない?」
リオが警戒を緩めかけた、その瞬間だった。
「ルゥ!!」
ガドの叫び声が部屋の空気を震わせる。
リオは反射的に視線を向けた。
部屋の奥、照明の届かない暗がりの中に椅子らしきものが置かれている。そしてそこには小さな人影が固定されていた。
間違いない。
ルゥだった。
二人はほとんど同時に駆け出す。
リオはガドを追い越す勢いでルゥへ飛び付き、拘束を外そうと腕を伸ばした。
あと少しで届く。
そう思った次の瞬間、視界の端から黒い影が飛び出した。腹部へ凄まじい衝撃が叩き込まれ、リオの身体がくの字に折れ曲がる。肺の中の空気が一瞬で押し出され、リオの喉からは悲鳴にもならない潰れた声が漏れた。
何が起きたのか理解する前に身体は床へ叩きつけられ、焼けるような痛みが腹の奥から全身へ広がっていく。
「リオ!」
ガドの怒声が響く。今すぐ駆け寄りたいはずだったが彼は動かない。散弾銃を構えたまま暗闇を睨みつけ、その引き金へ指を掛ける。
敵はそこにいたのだ、最初からずっと。
「バースゥゥ!!」
ガド怒りを押し殺した叫び声が地下へ響く。すると、リオの近くの暗闇がゆらりと揺れた。
一人の男が姿を現す。白衣を羽織ったガタイのいい中年。穏やかな顔。しかしその拳には鈍い銀色のメリケンサックがはめられていた。
「久々にその名前で呼ばれたよ、遅かったじゃないか、、ガルド」
他でもない、博士だった。




