第一章ジュウワ「戦闘」
「少し派手に動きすぎたのは反省しているさ。謝るよ。でも、さすが君が目をつけていただけはある。やはりあの少女は天蓋システムにかなり密接に関係していた!」
博士はまるで長年探し続けた宝物でも見つけたかのような表情でガドの肩を掴んだ。その目には興奮だけが剥き出しになっていて、顔を子供のように綻ばせながら言葉を続けた。
「長かったなぁ……本当に長かった。五年だ、ガルド。五年も探し続けてようやくだ。これでやっと故郷に帰れる」
博士はそう言いながら拘束されたルゥへ視線を向ける。その目には執着にも似た熱が宿っていたが、それは少女自身へ向けられたものではなく、その奥にある何かへ向けられているようにも見えた。
「君のおかげだよ、ガルド」
感謝の言葉だった。
しかし、その言葉を受け取ったガドの表情は晴れない。友人を前にした顔でもなければ、長年の目的を果たした仲間へ向ける顔でもなかった。むしろ失望と諦めを無理やり押し殺しているような、どこか苦しげな表情だった。
「なぁ博士……いや、バース」
ガドは静かにそう呼び直した。博士という呼び名ではなく、名前を。
その瞬間だけ、二人の間に流れる空気が少し変わる。
「お前、まだヴェイルに帰りたいのか?」
問いかけは静かだった。
だが、その言葉の裏には様々な感情が詰め込まれているように聞こえた。
博士は不思議そうに目を瞬かせた後、何を今さらと言わんばかりに肩を竦める。
「当たり前だろう? 何のために五年間もこんな辺境で過ごしたと思っているんだ。天蓋の中枢を見つけるためだ。故郷へ帰るため、灰冠へ成果を持ち帰るためだ。全ては最初から変わっていないじゃないか」
迷いのない声だった。
だからこそガドは何も言い返せない。
目を伏せ、小さく息を吐く。
「あぁ……そうだよな」
その声はどこか寂しげだった。
五年間という歳月の中で変わってしまったのは博士ではなく、自分の方だったのかもしれない。そんな考えが一瞬だけ頭を過った。
「さっきから……なんの話してんだよ……」
重苦しい空気を破ったのは、部屋の隅から聞こえてきた掠れた声だった。
博士の一撃をまともに受けたリオが腹を押さえながら立ち上がっている。顔色は悪く、呼吸も荒い。それでも目だけはしっかりと前を見据えていた。
「思ったより早い復活だね」
博士は感心したように言う。
だがリオはそんな言葉を聞く気もないらしく、痛みに顔を歪めながら吐き捨てた。
「うるせぇ……もう頭きた。なんも分かんねぇし、めちゃくちゃ痛ぇし」
その言葉と同時にリオは駆け出した。
剣を抜くわけでもない。
博士へ向かうわけでもない。
真っ直ぐルゥの元へ向かっていく。
予想外の行動に博士はわずかに眉を上げたが、止めようとはしなかった。
リオは拘束されたルゥの傍へ膝をつくと、その細い肩を揺さぶりながら必死に呼びかける。
「起きろ、ルゥ!」
返事はない。
それでもリオは諦めない。
「頼む……俺に記憶を見せてくれ!」
地下室へ響いたその言葉に反応したのか、それともただの偶然だったのかは分からない。
目を閉じたままのルゥの指先がわずかに震え、その小さな手から淡い光が漏れ始めた。青白い光は弱々しく、それでいて確かな存在感を放ちながら少女の手のひらを包み込んでいく。
博士はその光景を見つめたまま、初めて興味深そうに目を細めた。
「記憶?彼は何をしようとしているのかな」
その声には先程までの興奮とは別種の好奇心が混じっていた。
「分かるかい、ガルド?」
ガドは博士の質問に答えず、ただ呆然とルゥとリオの方を眺めていた。博士はそんな様子を怪訝に思ったが、今はそれどころではない。部屋の奥ではちょうど、リオがルゥの光る手を迷わず握ったところだった。
すると、ルゥの手から漏れていた淡い光が、どういう理屈かリオの手にも移るように広がっていく。青白い輝きは二人の手を優しく包み込み、まるで最初から一つだったかのように静かに脈打っていた。
その異様な光景に博士は目を見開く。
「それは――」
思わず一歩踏み出したその瞬間だった。2人の手の光が一際強く輝く。そして、弾けた。砕けた光は無数の粒子となって宙へ舞い上がり、雪のようにゆっくりと部屋へ降り注いだ。リオはどこか心地のいい光に身を任せまともに浴びる。
その影響かリオの体がぐらりと揺れて、崩れ落ちそうになる体を辛うじて片手で支えている。瞳も焦点を失っていて虚空を見つめたまま動かない。
まるで電池の切れた人形のようだった。
しばらく動きそうにないリオにさすがの博士も痺れを切らしたのか、再び状況を確認しようとして、膝をついたまま動かないリオへ歩み寄る。
「っ、、、!!」
その刹那――博士の肩から鮮血が舞う。
予想外の痛みに何が起きたのか理解できず、博士は思わず後ずさる。そこで初めて気づいた。
先程まで床へ手をついていたはずのリオが目の前にいる。抜き放たれた剣の切っ先から、一筋の血が滴り落ちていた。
しかし、リオの目は未だ虚ろで意識がないように見え、いつものように記憶を頼りに身体を動かしている訳ではなさそうだった。
「驚いたな。少々油断したとはいえ、今の動きは相当なもののだ」
博士は負傷した肩を押さえながら感心したように呟いた。白衣にはじわじわと血が広がっているが、その表情に焦りはない。むしろ予想もしなかった現象を目の当たりにした研究者らしく、興味深そうにリオを見つめている。
薄く笑みさえ浮かべる博士とは対照的に、ガドは無言のままリオから目を離さずにいた。先程までの彼はどこか心ここにあらずといった様子だったが、今は違う。眉間には深い皺が刻まれ、その目には明らかな警戒と困惑が宿っている。それはリオが博士を傷つけたことに驚いているからではない。
ガドが見ていたのは剣を握る少年の姿だった。
剣の持ち方。
先程の一太刀。
敵を前にした佇まい。
その全てに覚えがあった。それがリオの構えだからではない。
逆だ。
ガドは、その構えがリオのものではないことを知っていた。心臓が大きく脈打つ。胸の奥に沈んでいた何かが、不意に掻き回されたような感覚だった。
忘れたはずだった。
いや、忘れようとしていたのかもしれない、それでも一目見た瞬間に分かってしまった。理屈ではなく本能へ訴えかけてくる。記憶の奥底に刻み込まれた、消えることのない過去そのものだった。
しかし、ガドはそれを信じようとはしなかった。
目の前にいるのはリオだ。星骨を拾い、無茶ばかりして、少し目を離せば面倒事を持ち帰ってくる。ただの回収屋の少年だ。
そんなリオが、前任のヴェイルの英雄、、、ガドが師と仰ぎ、兄のように慕った男と同じ動きをしているなど、認められるはずがなかった。
ガドが混乱する思考を振り払えないまま立ち尽くしていると、不意にリオの身体が動いた。
予備動作はほとんどなかった。
一歩。ただそれだけで間合いを詰めると、握られた剣が真っ直ぐ博士の喉元へ伸びる。
恐ろしく速く、無駄のない刺突だった。速さだけではない。迷いも躊躇も存在しない、相手を仕留めるためだけに研ぎ澄まされた一撃。
しかし博士は驚きながらも笑みを崩さない。
「おお――」
感嘆の声と共に身体を半歩だけ捻る。刀身は白衣の胸元を掠めながら空を切り、次の瞬間には博士の身体は既にリオの懐へ潜り込んでいた。
そして鋼鉄の塊と化した拳が、カウンターとしてリオの顔面目掛けて放たれる。既に避けれるかも怪しいしかない距離とスピードだった。
だがリオは退かない。拳が振り抜かれる寸前、剣を握ったまま手首を返し、勢いよく振り下ろす。
次の瞬間、柄頭とメリケンサックが正面から激突した。鈍い衝撃音が地下室に響き渡る。
本来なら顔面を砕いていたはずの一撃は、柄頭によって強引に軌道を逸らされた。鈍い衝撃が腕を伝わり、博士の目が僅かに見開かれた。
驚きの表情を隠せていない。それはリオの動きが速かったからでもなく、拳を防がれたからでもない。
対処法そのものが予想外だったのだ。あの状況で人間が選ぶべき行動は限られている。後ろへ退くか、横へ避けるか、あるいは剣を盾のように使って受け流すか。
だがリオはそのどれも選ばなかった。迷いなく柄頭を叩き込み、拳の軌道そのものを破壊した。
まるで何百回も同じ状況を経験してきた人間のように。そして、本当に驚くべきなのはそこではなかった。
拳を逸らした時点で、リオの身体は既に次の攻撃へ移っていたのだ。防御と反撃が別々の動作ではない。一つの流れとして完成している。
柄頭がメリケンサックを弾いた直後、刃が鋭い軌跡を描きながら博士の首筋へ走る。
あまりにも自然だった。まるで最初からそうなることが決まっていたかのように。
「――っ」
流石の博士も今度ばかりは余裕を崩した。
咄嗟に後方へ大きく飛び退く。
白衣の裾が宙を舞い、刃が鼻先を掠めながら通り過ぎた。
あと一瞬遅れていれば、首が胴体と別れていたかもしれない。
数メートルの距離を取って着地した博士は、そのまま動かなかった。
肩の傷から血が滴り落ちる。
それでも気にする様子はない。
博士が見つめているのは、ただ一人。
虚ろな目のまま剣を構えるリオだった。
やがて博士の口元から、小さく笑い声が漏れる。
だが先程までの愉快そうな笑みではない。
未知の現象を目の前にした研究者の笑みだった。
「驚いたな……」
呟くようにそう言ってから、博士はゆっくりと目を細める。
「少年」
静かな声だった。
それなのに部屋の空気が張り詰める。
「今のは、誰に習った?」




