第一章ロクワ「古い歌」
旧市街地から持ち帰った合金性の星骨は、陽の光を浴びると鈍い銀色に光った。
それはただの金属塊にしか見えない。だが回収屋にとっては金の塊みたいなものだった。精製すれば武器にもなるし、機械の修復材にもなる。質のいい合金は数が少なく、街の鍛冶屋や研究者が高値で買い取ることも多い。
ガドは布袋へ詰め込まれた合金を肩へ担ぎながら、煙草を咥えて旧市街地の扉を開けた。
「よし、行くぞ。あの偏屈野郎、催促だけは早ぇからな」
「偏屈って、解析屋なんて大体偏屈じゃねぇ?」
「それで言うとまともな奴は回収屋なんかと付き合わん」
ガドは当然みたいに言った。
その横で、ルゥが小さく首を傾げる。
「へんくつ?」
「面倒くさい大人って意味だ」
「がどみたい?」
「俺より酷ぇよ」
ガドは笑いながら煙を吐く。
ルゥは前よりよく喋るようになっていた。相変わらず言葉は拙いし、知らないことも多い。だがリオが拾った時より、少しずつ感情が表へ出るようになっている。
特にリオへの距離が近かった。気づけば隣にいるし、歩く時も服の端を掴んで歩いていた。
本人は無意識なのだろうが、子犬みたいだとガドによく笑われていた。三人は旧市街地を出て、市場区域へ向かった。
昼のラスティアは騒がしい。露店では鉄板の上で肉が焼かれ、香辛料の強い匂いが風に流れている。工具屋の前では回収屋同士が怒鳴り合い、古着屋の店先には砂まみれのコートが並んでいた。
頭上を見上げれば、崩れかけた建物同士を無理やり繋ぐ鉄橋。そこに張られた洗濯紐が風に揺れている。文明はずっと昔に壊れた。それでも人間はこうして街を作り、生き残っている。
ルゥはきょろきょろと辺りを見回していた。見るもの全部が珍しいらしい。古いラジオを売る店の前で立ち止まり、配線の山を眺め、水売りが運ぶ大樽をじっと見つめ、屋台の煙に目を細める。
途中、この前食べた焼き菓子屋の前でぴたりと足を止めた。甘い匂いが漂っている。薄い生地を何層も重ねた焼き菓子が、鉄板の上でこんがり色づいていた。
ルゥは無言でそれを見ている。リオは苦笑した。
「また食いたいのか?」
ルゥは少し考えてから、小さく頷く。
「たべたい」
「そんなに気に入ったのか」
「たべたい」
「二回言わなくても分かるって」
ガドが煙草を咥えたまま笑った。
「買ってやれよ兄ちゃん」
「だから誰が兄ちゃんだよ」
そう言いながらも、リオは銅貨を店主へ放る。店主は慣れた手つきで焼き菓子を紙へ包み、ルゥへ渡した。
ルゥは受け取るなり、そのまま包み紙ごと齧ろうとする。
リオは慌てて止めた。
「紙は食うな!」
「かみたべない……」
「前は食わなかったろ!」
ガドが腹を抱えて笑う。
「お前、ほんと妹できたみてぇだな」
「違うだろ」
「でも面倒見てんのほぼお前じゃねぇか」
リオは否定しかけて、少し言葉に詰まった。確かに拾ってきてから、気づけばルゥの世話を焼いている。
焼き菓子を小さく齧ったルゥは、しばらく無言で咀嚼していた。
やがて少しだけ目を丸くする。
「わけわかんないくらいあめえ」
「一応言っておくけどそれ別に
褒め言葉じゃないぞ、美味しいって言うもんだ」
「おいしい」
その声は妙に嬉しそうで、リオは思わず笑ってしまう。
三人が市場中央の広場へ差しかかった時だった。
人だかりができている。広場の中央で、数人の音楽団が演奏をしていた。古びた布の上にはケースや工具箱が並び、その周囲を人々が囲んでいる。
弦楽器を抱える老人。
金属筒を叩く若者。
笛のような楽器を吹く女。
どれも旧文明の残骸を改造した楽器らしく、形はばらばらだった。だが奏でられる音は、不思議なくらい綺麗だった。ゆったりとした旋律が広場へ広がる。騒がしかった市場の音が、少し遠くなる。
リオ達は自然と足を止めていた。
「へぇ……」
ガドも煙を吐きながら目を細める。
「懐かしい曲だな」
「知ってるのか?」
「昔からある。歌詞は残ってねぇらしいけどな」
その時だった。隣にいたルゥが、ふらりと前へ出る。少女は演奏をじっと見つめながら、小さく口を開いた。最初、リオは鼻歌かと思った。だが違う。
それは歌だった。透き通るような幼い声。
柔らかく、静かな歌声。聞いたことのない古い言葉が、自然に紡がれていく。ガドが残っていないと
言った、失われたはずの歌詞。
ルゥは迷いなく歌っている。まるで知っている歌を歌うみたいに。
広場が静まり返った。演奏していた老人の手が止まる。笛の音も消え、周囲の人間たちもは呆然とルゥを見ていた。
それにルゥは気づいていない。小さな声で、静かに歌い続けている。その歌は不思議だった。
上手いとか下手とかではなくただ胸の奥へ残る。
懐かしいような、寂しいような、そんな感覚だけがゆっくり広がっていく。
やがてルゥの歌が終わりぴたりと口を閉じる。
広場には妙な沈黙だけが残った。最初に口を開いたのは、弦楽器を抱えた老人だった。
「……お嬢ちゃん」
掠れた声だった。
「今の歌詞、どこで覚えたんじゃ」
ルゥはきょとんとする。
「おぼえてない」
「いや、だが確かに歌っていたぞ」
「なんか、しってた」
老人は信じられないものを見るような顔をしていた。周囲の楽団員たちもざわついている。
「歌詞なんて残ってないはずだろ」
「私なんて初めて聞いたわ」
「誰かから教わったのか?」
ルゥは困ったようにリオを見る。
「りお、るぅへん?」
「いや……変っていうか……」
リオ自身も困惑していた。ルゥは本当に自然に歌っていた。覚えていたというより、“知っていた”という感じだった。ガドが煙草を指で回しながら言う。
「悪ぃな。こいつ、たまにこういう妙なことするんだ」
「妙ってレベルじゃねぇぞ……」
老人はまだルゥを見つめている。
その目には驚きだけでなく、どこか怯えた色も混ざっていた。ルゥは意味が分からない様子で首を傾げた。リオはなんとなく居心地が悪くなり、ルゥの肩を軽く押す。
「ほら、行くぞ」
「うん」
三人は広場を後にした。だが去り際まで、楽団員たちの視線はずっとルゥへ向けられていた。
市場区域を抜け、さらに街の奥へ進むにつれて、人通りは減っていった。
建物は古く、窓から青白い光が漏れている。壁には無数の配線。どこかで低い機械音が唸っていた。
ガドは細い鉄階段を上り、錆びた扉の前で立ち止まる。扉には意味不明な文字や数式が大量に書き殴られていた。
リオは顔をしかめる。
「うわぁ……」
「言っとくが中はもっと酷ぇぞ」
ガドが扉を開ける。瞬間、熱気と油の臭いが流れ出てきた。部屋の中は見たこともない機械だらけだった。天井から吊るされた金属腕。分解途中の小型機械。机いっぱいに積まれた図面。
床には工具と紙束が散乱し、まともに歩く隙間も少ない。
壁際では何本ものモニターが明滅している。そして部屋の奥では、白衣姿の男が何かを削っていた。
ぼさぼさの灰色髪。丸眼鏡。痩せすぎた身体。
だが目だけは異様に鋭い。男は振り返るなり、早口でまくしたてた。
「遅いぞガド! 私は時間を守らない人間が嫌いなんだ! というか君は毎回遅れるな!」
「毎回言ってんなそれ」
「毎回遅れるからだ!」
男は机を叩きながら立ち上がる。その勢いで工具が床へ落ち、派手な音を立てた。リオは思わず後ずさる。
「うわ、すげぇな……」
「言っただろ。変人だって」
ガドは慣れた様子で合金の袋を放り投げた。
男は素早く受け取ると、中身を確認する。その瞬間、さっきまでの騒がしさが消えた。
研究者の顔になる。真剣な目で合金を持ち上げ、光へ透かし、指先で表面をなぞる。
「……ほう。質は悪くない。旧市街地の東側か?」
「なんで分かるんだよ」
「結晶構造を見れば分かる」
男は当然みたいに言った。そのまま何かを呟きながら合金を棚へ置き、ふとルゥへ視線を向ける。
そして動きが止まった。
数秒。
男は瞬きもせずルゥを見つめていた。
「……なんだその子は」
「拾った」
「犬猫みたいに言うな」
男はゆっくりルゥに近づいていく。
その目は明らかに純粋に子供を見る目ではない。
観察する目。人を見るというより、珍しい機械を見るような視線だった。
ルゥは少しだけリオの後ろへ隠れる。
男は気にした様子もなく顔を覗き込んだ。
「白髪に赤眼……興味深いな。どこで見つけた? 星骨付近か?人間か?機械反応は?」
「近いぜおっさん」
リオが眉をひそめ露骨に嫌な顔をするが男は止まらない。
「記憶障害は? 感覚異常は? 星骨への共鳴はあるか?」
「おい」
リオの声が少し低くなる。ルゥは不安そうに服を掴んでいた。それでも男は興奮した様子で続ける。
「その瞳、普通じゃない。まさか中枢――」
乾いた音が響く。
ガドが煙草を灰皿へ押し潰した音だった。
部屋の空気が少し変わる。
ガドは椅子へ深く腰掛けながら、男を睨む。
「やめとけ博士」
低い声だった。博士と呼ばれた男は、そこでようやく口を閉じる。ガドは煙草の箱を指先で叩きながら続けた。
「研究対象みてぇに見るな。ガキびびってんだろ」
リオもルゥの前へ少し立つ。
「アンタ、普通に失礼だからな」
博士はそこで初めて、自分の態度に気づいたようだった。しばらく黙ったあと、頭を掻く。
「……あー。すまん。悪気はない」
「余計悪ぃよ」
ガドが呆れたように言う。博士は眼鏡を押し上げ、小さく咳払いした。そして今度は少しだけ穏やかな声でルゥへ話しかける。
「怖がらせたなら謝ろう。私はただ、君に興味を持っただけだ」
ルゥはまだ警戒していたが、少しだけ顔を出す。
博士はそんな少女を見つめながら、どこか考え込むように呟いた。
「……だが妙だ。本当に妙だ」
「何がだよ」
リオが聞き返す。博士はすぐには答えなかった。
代わりに机の上へ置かれた星骨片を見つめ、小さく息を吐く。
「私は、似たものを聞いたことがある」
部屋の空気が少し静かになる。ガドだけが表情を変えなかった。博士はゆっくりルゥを見る。
その目には、さっきまでの好奇心だけではない色が混ざっていた。
「……君、1人じゃないだろう?」




