第一章ジュウヨンワ「別れ」
「ガァンッ!!」
けたたましい音が地下室に響き渡り私は、拳が少年の頭を砕いたのだと確信した。もはや見えないほど霞んだ視界の中、ゆっくりと目を閉じる。
……終わったのだ。既に限界を超えた体をその場へ腰を下ろそうとした時にようやく気がついた。
私は地面に倒れこんでいた。いや違う。これは倒れたのではなく、倒されたのだ。
既に痛覚はほとんどないが、微かに体が熱を帯びているのを感じる。この感覚には覚えがある。
——撃たれた時の熱だ。
その事実を理解した瞬間、不思議と肩の荷が下りた気がした。あぁ、私の願いは届いていたのだ。
「バース!!!」
ガルドの叫び声が、遠くから近付いてくるのが聞こえてきた。急いで駆け寄ってきたガルドの話を聞くまでもなく私は全てを理解した。つくづく甘い男だと思いながら、ガルドの話に耳を傾ける。
「すまねぇ、、っ!俺、お前のこと、撃つ気なんて、、」
「いいんだ……全部、分かっている。感謝すべきは、私の方だ……」
肺に血が溜まっているのか、息を吸うたび言葉が途切れる。
「私は……リオを殺さなかったのだな……?」
「あぁ、それよりも先に、お前を、、、、」
少年が無事だと知り、胸の奥から安堵が込み上げた。しかし、安心と引き換えに意識がゆっくりと遠のいていく。
……まだ眠る訳にはいかない。
ガルドへ伝えなければならないことがある。視界はもう何も映さないがそれでも、長い付き合いだ。目の前にいる親友がどんな顔をしているのかくらい想像できた。きっと、自分の衝動的な行いを悔いているのだろう。
しかし、私は心の底からお前に感謝している。死を目前にしてようやく理解した。私が本当にしたかったことを。
二人が進む理由になれれば、それでいい。
私は――英雄なのだから。
◇
◇
リオが拳を振り下ろされる、その寸前にガドは考えるより先に身体を動かしていた。手にしていたショットガンではなく、床へ落ちていたリオの短銃を拾い上げる。
銃声が地下室に響き、博士の身体が崩れ落ちた。本当なら頭を狙うべきだったのに、殺したくないと思ってしまい、心臓を狙ってしまっていた。
弾丸は博士の胸を撃ち抜いた。それでも長年戦場を生き抜いてきた身体は、致命傷を負いながらも辛うじて息を繋いでいた。そのことに気付いた時、ガドは自らを許せないほどに、後悔した。
既に死が近かった相棒を苦しめる結果になってしまったのだから。更に博士が、掠れた声で「ありがとう」と呟いた。
その一言だけで、ガドには分かった。博士は、リオを殺したかったわけじゃない。きっと、博士自身にも最後まで分からなかったのだ
きっと彼なりに必死に悩んだ結果なのだ。英雄として死ぬべきなのか。リオの手を取るべきなのか。
最後の最後まで、博士は迷っていた。それでも、身体だけはリオへ向かってしまった。
そして――ガドに止めてもらった。
「……っ」
その事実に気付いた瞬間、ガドは顔を伏せた。もう、涙を堪えることができなかった。
「ほんとなら……俺が死んで、お前を送るべきだった……」
強く握り締めた拳から、血が滴り落ちる。
「なのに……また、お前に助けられちまった……」
まるで血に反応したかのように、リオがよろよろと立ち上がった。
「ぐっ、、ばー、す、」
腹部を抑えながら、博士の元へと駆け寄っていき、項垂れるガドの横に座り込んだ。
「ごめん博士、、俺がもっと強かったら…!貴方は死なずに済んだかもしれないのに、」
「勝手に殺すな、少年」
拳を強く地面に打ち付け、懺悔を口にしていたリオが驚愕の表情を浮かべ、ゆっくりとガドの方に視線をやる。
「長くは持たねぇよ…」
「少年、いや、リオと、話ができるだけで十分、さ、」
自分に話があるのだと察したリオは、先程の非礼を詫びるよりも先に、博士の話に耳を傾ける。
「私は後悔していないぞ、リオ。だから」
お前も後悔するな。博士はそこまでは言わずリオに目で語りかけた。先程まで鬼神の如く戦っていた男とは思えないくらい、優しい目にリオは涙を堪えきれなかった。
「今までの英雄たちは、この世界を変えるため倒れて逝った。」
博士は一度言葉を切った。震える唇から小さく息が漏れる。掠れた声は今にも途切れそうだった。
「誰一人……自分のために生きようとはしなかったんだ。ライ兄さんも、ファスト兄さんも……皆、自分の命より他人を選んだ。」
「私は……そんな背中に憧れた。」
博士の瞳から、ゆっくり一筋の涙が頬を伝う。
「だから英雄になって、兄さんたちが守ろうとしたものをこの手で守りたかったが、何十年追い求めても、何一つ変えられなかった。」
苦しげに息を吸い込み、博士は震える拳を弱々しく、だが確かに握りしめている。
「何度も、自分の無力さを呪ったよ。」
博士はゆっくりとリオを見る。
「リオ。君は誰かのようにならなくていい。自分を犠牲にして生きる必要もない。」
「それでも……もし、お前が誰かを救いたいと思う日が来たなら…その時は、お前の優しさを信じて進め。」
リオはなんと返事をすればいいのかわからなかった。出てくるのは涙と嗚咽だけだった。そんなリオを見て博士は、口元を少し緩めて微笑んだ。優しい顔でガドの方に視線を移した。
「わかってるからいい、何も言うな。」
「そうか、助かるよ」
ガドは俯き、鼻を啜りながら、博士の話を遮った。そんなガドにらしさを感じたのか博士はついに、笑いを堪えきれず小さな声で笑いだした。
笑みはすぐに咳へ変わった。
赤い雫が口元を濡らし、博士は苦しそうに息を整える。もう何も見えていないのか仰向けに寝転び、ただ天井を見つめていた。
「ルゥ。」
突然名前を呼ばれ、部屋の隅でおどおどしていたルゥが顔を上げる。
「私の手を取ってくれ。」
その言葉にリオとガドは顔を見合わせる。ルゥだけが何かに気付いたように目を見開くが、すぐに小さく首を横へ振った。
「るぅは、みれない。」
「ああ、分かっている。時期が来たら、な?」
ルゥは少し困ったような表情を見せるが、やがて小さく頷くと博士の元へ歩み寄る。そして、差し出された左手を両手でそっと包んだ。リオにも、ガドにも、それによって何かが起きたようには見えなかった。
ただ、博士だけは確かに笑っていた。何かを確かめるようにルゥの手を握り返すと、そのまま腕を大きく広げる。
「ああ……さすがに、限界だ。」
そう呟いて、博士は力を抜いた。
何十年もの間、決して倒れることのなかった英雄がようやく地面に身を預ける。
その顔は不思議なほど穏やかだった。
「博士、あんたのメリケンサック……俺が貰ってもいいか?」
返事はなかった。
あぁ、いいとも。
そんな言葉を期待していた。けれど、博士は拒否したわけではない。ただ、もう声を出すことすらできないのだろう。
代わりに、ほんの僅かに頷き震える左手をゆっくりと差し出す。
「ありがとう……っ」
リオはメリケンサックを受け取ると、強く胸元へ抱き寄せた。
「絶対、強くなるから。」
涙を拭うこともせず、震える声で続ける。
「きっと……ファストより、ガドより……あんたよりもさ。」
その言葉に、博士の口元がほんの僅かに緩み
「一体いつになるのやら。」そんな声がリオには聞こえたが、きっと幻聴だったのだろう。
目の前の誇り高く生きた英雄は既に、穏やかな表情で息絶えているのだから。




