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信頼の王国  作者: 志々十勒
創世記─これまでとこれから─
33/37

王の到来

 ファウストが森に踏み込んだ瞬間、嫌な確信があった。数刻遅れれば、何かが壊れる。


それは命か、心か、あるいはその両方。


 森を吹き抜ける風が乱れている。

肌で感じ取れるほどの人為的な殺気と、恐怖に歪んだ感情の残滓。


そして冷えた鈴の音…。


(……枷鈴かれいか)


 報告でしか知らなかった。


だが一度聞けば忘れない。本能の恐怖を呼び起こすような冷たい音色。


「狩る側」が、「獲物に聞かせるため」に鳴らす音だ。


「散開。三拍遅れで包囲」


 ファウストは場を把握して、短く指示を出す。誰も問い返さない。森がそれに応じるように静まった。


 視界の先に、母娘の背が見えた。


 その走り方で分かる。彼女達はもう限界を越えている。


それでも止まらない──止まれない。


 さらにその前には、黒革の外套。灰色の気配。

あれは……『沈黙の引き金(ロスト)』の魔術狩り部隊。


(っ…間に合え)


 次の瞬間、前に出た女性が娘を庇うように立った。

その背に、かすかな淡く緑の光が灯る。


(……癒し系統? いや、違う……感情結晶……?)


 過去に王宮の文書庫で見た、禁則指定の記録が脳裏をよぎる。

だが、考えるより先に身体が動いた。


「――止まれ」


 声は低く、森全体に落とした。

威圧ではない。命令だ。


 ロストの男が振り向く。一瞬、値踏みする目。

次に理解したのだろう。これは交渉ではないと。


「……ちっ」


 彼が動くより早く、騎士の一人が距離を詰める。

刃は振るわれない。だが、退路は完全に断たれた。


 ファウストは一歩、前に出た。


 母娘の方を見る。娘は怒りと恐怖で震えている。

母は……立っているが、すでに限界だ。


「大丈夫です。もう追われません」


 そう言ってから、気づく。

この言葉は命令でも宣言でもない。

――約束だ。


 女性がこちらを見る。

驚きと、警戒と、そして……かすかな安堵。


(……この波長は……)


 感情分類ならば…“癒し”の系譜。だが、これは不可侵領域のはずの“時間”に触れられる強度と純度…。


 過去の記録と一致する。


 ファウストは、視線を狩猟部隊の構成員に戻した。


「この女性方二人は、フェルシア王国が保護させてもらう。この時点より研究対象でも、商品でもない、人だ」


 静かだが、有無を言わさない声だった。その宣言に、その場にいた全員が理解した。


 これは感情論ではない。国家判断だ。


 『沈黙の引き金』(ロスト)の男は舌打ちし、一歩下がる。


「なるけど……面倒な王だな」


 皮肉たっぷりにファウストを睨みつける。


「光栄です」


 その皮肉に、即答で返すファウスト。そこには迷いはいっさいない。


 ファウストの言葉を聞き、男は手で合図を出し、闇に溶ける。


 鈴の音が、遠ざかっていった。


 森に、ようやくいつもの夜が戻る。


 ファウストは再び母娘を見る。


「……怖かったですね」


 王としては、あまりに個人的な言葉だと分かっている。 それでも、あえて口にした。


 娘が、こくりと頷く。


母は、気丈に頭を下げようとして、大きくよろめいた。


「…無理をしないでください」


 即座に支える。


 その身体は軽かった。驚くほどに。


(……この人は、ずっと逃げ続けていた)


 胸の奥が、軋む。


 ファウストは決めた。

 これは偶然の連続の末の救出ではない。国が向き合うべき問題だ。


「……名を、聞いても?」


 女は一瞬だけ迷い、答えた。


「私はマルガレーテです。こちらは娘の、メフィス」


 その名を、王は心に刻む。


(――守る。力のためではない。この“優しさ”を壊させないために)


 夜の森で、ファウストは静かに誓った。

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