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信頼の王国  作者: 志々十勒
創世記─これまでとこれから─
32/37

母娘の逃走、忍び寄る影

─レドフェーザ領・旧西街道──


 木々の隙間から差し込む光は傾きはじめ、日没前の冷たい風が湿り気を帯びて吹き抜ける。


蹄の跡が深く刻まれた道を、二つの影が走り続けていた。


 一人は若き少女──娘のメフィス。齢はおよそ17、18歳の凛とした美少女。


 もう一人は、深い外套に身を包んだ少女が成長し、大人になったら辿るであろう美貌の女性。だが覗く顔はまだ若いが、疲労を隠しきれない影があった。


 母娘の呼吸が乱れ始めた頃、森の奥から金属の擦れる音が微かに響いた。


メフィスが振り返り、小声で囁く。


「……お母さん。まだ……追ってきてる」


 マルガレーテは息を整えることすら惜しみながら、娘の肩に手を添えて進ませる。


「分かっています。あの音は、『闇ギルド(ロスト)』……。気配を断つ訓練を受けた者たちです。気付かれないで振り切るのは……難しいわ」


「どうして……私たち、こんなに追いかけられてるの?」


 少女の声は震えていたが、足は止まらない。


まだ大人になり切れていない強さと、信じる心がその歩みを支えていた。


マルガレーテは答えようとして、言葉を飲み込む。


(自分の素性を明かさないといけない。でも、言えば……娘に負担を与える可能性も高い)


 けれど追手は近い。今までは個人的な利益や欲望の襲撃者だった。でも闇ギルドの『沈黙の引き金(ロスト)』相手では…。嘘で守れる段階ではもうない。


「……メフィ。よく聞いて」


 メフィスは走りながら視線を母に向けた。母の体調は日に日に悪くなる一方だった。そこにきて今までとは違う、狩猟の様な追い詰め方をする追手。まるで手負いの獣の気分だ。


「私たち母娘の中には、“癒し”の感情を形に変える力が流れています。あなたが飴を心に届けて、あの男の人を救ったように」


「……うん」


「その力を……“欲しがる者”がいるの。癒すためではないわ。

支配し、独占し、研究し、武器にするため」


 メフィスは歯を噛みしめる。


「そんなことに……使わせない」


「そうね。でも、あなたの優しさと違って……世の中は残酷よ。この癒しの力は、魔法と似ているけど違う力。過去、千年続いた戦乱を止めた“力”の一つだから…。」


 その瞬間、森の向こうから冷たい風が吹き抜けた。


 ──カラン。


 乾いた鈴のような金属音。


マルガレーテの表情が強張る。


「……狩猟の鈴──これは“枷鈴かれい”、メフィ。『暗器ギルド(ロスト)』の狩りの合図」


 子供が悪い事をした時の戒めの言葉にもなっている


『悪い子の時には鈴の音が聞こえるよ。枷鈴がなったら『沈黙の引き金(ロスト)』に連れてかれるよ』


 まさか、自分で体験する日が来るとは思わなかった。


「来る……?」


不安そうなメフィスの表情に、気力を振り絞る。


「来るわ。もうすぐそこ」


母は娘の手を強く握る。限界などとうに過ぎてるが、止まれば世界から消える。


 あの日の夫の言葉だけが、脳裏から離れない。


「走って。絶対についてきて」


二人は再び全力で駆け出した。


木々の影の中を走り抜けると、突然メフィスが小さく悲鳴を上げた。


「っ……!」


足元の枯れ枝に足を取られ、膝を擦りむいて転びそうになる。


マルガレーテは即座に抱き寄せた。


「大丈夫? 見せて」


「平気……でも、ちょっと痛い」


母は娘の膝にそっと手を当てた。


 ──淡い、緑色の光。


だがその光は以前より弱く、揺らいでいた。


メフィスが不安そうに顔を上げる。


「……お母さん。魔力?、足りないの?」


「違うわ。これは……あなたを守るために使いすぎたせい」


事実は違う。

本当に枯渇しているのは、精神のほうだった。


……私は目の前で誰かが死ぬのが怖い。……私は、目の前で“守れなかった命”を見るのが怖い。

あの“喪失への恐怖”は力の制御なんてできない……。


光が弱々しく収束し、娘の傷だけは塞いだ。


「よし。走れる?」


「うん!」


再び逃走が始まったその時──


 ザッ……


森の奥の闇から、一歩、踏み出す影。


明らかに今までの“普通の追手”とは違う気配。


黒革と灰の外套。

獣皮を思わせる肩当て。

腰の枷鈴が、風でわずかに震える。


鋭く、冷たい嗤い。


「ようやく見ーつけた。

 ──特殊な“異能持ち”。逃げ足だけは大したものだ」


マルガレーテが娘の前に立つ。


「メフィ、私の背を見ていて」


「お母さん……!」


「どんなことがあっても、離れないで」


マルガレーテは深く息を吸い、感情結晶が胸元で淡い光を放つ。


(…どれだけ身が削れてもいい。この子だけは絶対に死なせない。私はそう決めて生きてきた)


外套の内側で、手が震えていた。

恐怖ではない。

“喪失”の記憶が疼いているだけ。


その震えを押さえ込み、彼女は静かに構えた。


沈黙の引き金(ロスト)』狩猟班の男が歩み寄る。


「さて……お前たちには来てもらう。とある研究熱心な方々が、心待ちにしている」


メフィスの瞳に怒りと恐怖が混ざる。


「絶対に……渡さない!」


マルガレーテは短く告げた。


「メフィ、走りなさい。北へ向かって。私は──」


言い切る前に、背後の空気が震える。


 ……風の“気配”が変わった。


マルガレーテが振り返り、驚愕に目を見開く。


(……この光の波長の圧……!)


森の奥から駆けてくる強い気配。周囲の空気が、命令を待つように整う。


複数の“戦場帰りの気配”を従えた、ひときわ強い意志。


そして、風が裂けた。


その瞬間、別の視点で動いていた者達の到来。


木立を跳ねるように駆け抜ける影。

レドフェーザの森へ踏み込んだ王の気配。


「間に合った……!」


少女と母の視界に、ようやく“救い”が流れ込んでくる。

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