再会:あの日の少女と流浪の薬師
幾つの月日が流れただろう。
春の終わり、フェルシア西方の国境沿い。野花が風に揺れ、街道には旅人たちのざわめきが淡く漂っていた。
いまは名を伏せたただの“亡国の翁”として野を歩くゼロは、突然、胸飾りの感情結晶が震えたのを感じて足を止めた。
小石ほどのその結晶は、かつて幼い少女が差し出した飴から生まれた──
無垢な赦しの欠片。
旅のあいだ、非難も恨みも浴びた。
退位はしたが王権の元下した圧政、その行為が消えたりはしない事を身をもって知った。
その度に胸が捻れ、呼吸すら苦しい夜もあった。
だが結晶を握り深呼吸するたび、心の濁りは少しずつ澄んでいった。
これは赦し以上のものだ。
自己否定の感情暴走の末に、堕ちていたあの日の“自分を繋ぎ止める唯一の証”となっていた。
だからこそ、いま感じた震えを彼は知っていた。
──純粋な信頼の波長…。まるで迎えられるような慈悲の響き。
石畳の街角で、差し出された飴ひとつで救われたあの日と同じ。
胸がひとりでに熱を帯びる。
その直後、前方から小さな声がした。
「……あ」
振り返る。
そこにいたのは、あの日の無垢をそのまま光に溶かしたような成長した少女だった。
もう容姿は幼い子供ではない。
質素な旅装で、しかし凛とした眼差しを持つ“小さな淑女”へと成長していた。
目が合った瞬間、胸の結晶が強く脈打つ。
「ねぇ……この感情の波長、私覚えてる。たぶん、昔に会った人だよね?」
声音は柔らかいのに、言葉には芯がある。
ゼロの胸に、熱が一気に広がった。
「もしや……君は……」
「うん。おじさんに飴をあげた子だと思う」
その笑みを見た瞬間、
世界が色を取り戻した“赦しの日”がまざまざと蘇る。
言葉を続けようとしたそのとき。
少女の背後から、静かに女性が歩み出る。
「メフィ。お母さんを置いて行か…な…い?…で…」
薬草の香りを伴い、揺れる薬師札。
旅装の裾に陽の光が落ちる。
ゼロは直感した。
──この女性こそ、少女の慈愛の源。
しばしの緊張をほどいたのは少女だった。
「ねぇお母さん、この人ね……昔、わたしが飴をあげた“おじさん”だよ。波長が同じだったの。」
少女はゼロを母親に紹介する。
そんな少女に微笑みかける母親。その雰囲気で察してしまった。
分け隔てなく、ただ目の前の弱さを拾い上げる“聖性”の原点。
この母こそ、少女を形作ったのだと理解できた。
彼は深く息を吸い、胸飾りの結晶をそっと握った。
ようやく出会えた。あの時は、飴の少女しか見えてなかった。近くにいた母親は目に入っていたはずなのに、認識できなかった。
この少女と、その母へ──
人として無意識に感謝を述べていた。
「あなた達のお陰で、今の私はいる。ありがとう、ありがとう」
無意識に胸が熱くなり、涙が溢れる。
母親は一度、娘を見る。娘が微笑み彼女は落ち着きを取り戻した。
「昔、王都で娘が飴をあげた御方ですね。良かった。…あの頃に戻られたのですね。フェルシアの…」
その少女の母の聖母のような笑顔、それは少し悲しげで…そして、他者の心を溶かしていく力を帯びていた。
声はあまりに清らかで、胸の奥がきゅっと痛んだ。
どこか、燃え尽きる寸前の灯火のように頼りなく、けれど美しかった。
少女が母の手を取る。
「お母さん、だいじょうぶ……?」
「私はだいじょうぶよ。ほら、笑って」
その手の震えに気づくほど、そこまで少女はまだ大人ではなかった。
ゼロは胸が締め付けられるのを感じる。
マルガレーテは言葉を紡ぐが、一瞬口をつぐみ、自然に振る舞う。
薬師を装って生きている今、誰に対しても肩書きを名乗るのは危険な事を思い出した。
だが、彼になら明かしても安心出来ると、彼女はゼロの顔を見て思わず本音が漏れてしまっていた。
本音を言いかけて、娘の前で逃亡中の立場を思い出し、言葉を修正する。
「あ、いえ…大変、失礼いたしました。私はマル…いえ、マリーゴールドです。薬師として旅をしています。」
ゼロは彼女の偽りきれないボロに微笑み、薬師マリーゴールドに言葉を返す。
ゼロも彼女に確かに見覚えがあった。どこかで出会った。
彼女に該当する人物は…。
「ええ、覚えていますよ、マリーゴールド殿。私は客として出会っています。……あなたは当時、常に身を伏せておられたので、名乗りはされなかったが。」
正体は知っていますが、事情がある様子で…とゼロはマルガレーテの話に合わせ返答する。
そして、空気を深く吸い込み、一拍置いてからゼロは話を続ける。
「私は元フェルシアの王です。ですが、今はさすらいの旅人。ただのゼロと呼んでください。…しかし、あの時の少女が、あなたの娘だったとは。」
マルガレーテは自分の偽りの紹介にゼロが誠実に応えるのを見て、深く頷く。ここでマルガレーテは安心し、ゼロに微笑む。
飴が繋いた縁が、完全に繋がった再会であった。
胸の結晶が、静かに安堵の光を放つのをゼロは感じていた。




