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信頼の王国  作者: 志々十勒
創世記─これまでとこれから─
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飴の少女と元王様

 その日も、フェルシア王国の城下町、王都ラージルの市場は大いに賑わっていた。


 あの若き王の民に寄り添う、方針を定めた応答会以降、新王政への不安や不満の話はめっきり無くなった。


 今は民に寄り添う善意の領主クーサンと、それを影から支える若きファウスト王の物語が民衆の中で人気である。


 そんな中央通りから裏手にまわると薄暗い小道の影に幾人かの世捨て人、人生の敗北者達がうずくまっている。


 どの時代であっても大きく変わらなかった。


 かつて、王と呼ばれた男は、あの日を思い出して小さく肩を震わせながら人の波に溶けるように静かに佇んでいた。


 目の前の大通りの喧騒と笑顔の民。

自分が最後に見た表情を無くした民たちと重なり、いまさらに胸が激しく痛んだ。


 ファウスト王は見事に国を導いてくれた。私には出来なかった事をやってのけた。


 あの応答会の光景が目に焼き付いて離れない。


 感謝と嫉妬と、尊敬と後悔。いろんな感情が入り交じりかき混ぜる。


 幾年の月日が過ぎ去ろうと、退位した後の日々の無意味さを思い出す。


そしてあの日の飴と少女の姿。


 かつて、小道の石畳に、冷たい風がひらりと舞い上がる。


 あの世捨て人の群れの中に私もいた。


色のない白黒の世界で笑う人々。

聴こえない音と無機質な味覚。


 押し寄せては引く胸の奥に渦巻く感情は、嵐にも似た後悔と懺悔の豪雨。


「私は、国を守ろうとしたはずなのに…。この笑顔が見たかったはずなのに」


 脳裏に焼き付く荒廃した国と、規則に壊れて笑顔を失った民の記憶が、頭の中で繰り返される。


 ただ自己の失敗に対する切実な絶望だけが、まるで重い咎の鎖のように、それが身体を縛り付けていた。


 もがきながら、このまま消え去るのも悪くないと思ってしまう日々。


 砕いたのはあの日の少女。


 そのとき、聞こえるはずのない音が耳に届く。


トン…。


 小さな足音が聞こえた。


「…ん?」


 振り向くと、母親の手を引いた小さな少女が立っている。


 手には、ひとつの飴玉。


 その目は澄んでいて、言葉の裏や利害を何ひとつ帯びていない。


 ただ純粋な小さい信頼だけがそこに置いてあった。


少女は無言で立ち止まり、私に手のひらを差し出す。


「飴、食べる?」


 その瞬間、ゼロ王の胸に凍り付いた感情の壁が、一枚、また一枚と音を立てて崩れていった。


 世界が灰色から色を取り戻すのを、男は確かに感じた。


 風の音、遠くの市場のざわめき──


 すべてが「自分を拒まない世界」として戻ってきた。


 戻った色に、音に涙が止めどなく流れ、ずっと抱えてきた罪悪感と自己否定が、一瞬で溶け出す。


 無垢の行為に、かつての王は赦しを得られた。



「ありがとう…」



 少女に対する声は震え、世界のすべてが静止したかのように感じられた。


 少女の母親は少し微笑み、しかし黙ってそっと後ろに立つだけだった。


 その慈愛と慈悲の眼差しを浮かべる姿に、ゼロ王は気づく。


 この母娘が差し出したのは飴玉だけではなく、赦しと希望の象徴であったのだと。


 あの瞬間から自分も『生きていていい』と思えるようになった。


世界の色、音は聞こえてくるようになった。


その瞬間、理解した。赦されたから生きるのではない。


受け取ってしまったから、生きざるを得ないのだ。


ならば、逃げる方が不誠実だ。


たとえ格好悪くても、嘲られても、足手まといでもいい。


あの日の飴にだけ、嘘をつけない。


回想を心に灯してゼロは市場を背に歩き出した。


どこへ戻るか、もう考える必要はない。

その答えは、すでに手の中にあるのだから。


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