第5話 ソウル防衛戦
装備を整えた詩音が発令を待つ。
(さすがに今回はダメかもなぁ。だったらやっぱあれでよかったんだ。静岡でマイのやつを裁かせて、知らずに博多で散るよりずっとよかった。せいぜい着飾って、できるだけ多くの蟲どもを道連れにしてやるさ)
その思いをこっそりマイが聞いていた。気づかれない程度わずかに触れることで接触回線が開いていた。
「そんなに悲観することないよ」
「聞いてやがったのか。趣味悪」
「ごめんね。でもそうはならないと思うなぁ。相手だって生物、絶対に倒せない相手なんかじゃない」
「まあな……」
これから襲来するのは数十万にもおよぶ群れなのだが。
着々とロボトイとフィギュアの準備は進む。
いくつも存在する地上への連絡路、そのすべてに過剰なほどの兵を配置、ゲートはあらかじめ全て閉じる。それぞれの隔壁の内外で兵は孤立するが、突破されないことが大前提で、戦いさえ終われば回収される。
マイと詩音は細分化されたフィギュア大隊の一部とともに最前線最前列、エレベーターシャフト直下に配置。
ロボトイは温存され、フィギュアは常に使い潰される。どんなに戦術に関し確定的な提案をしようとも役割が変わることは決してない。フィギュアは真っ先に被害が出る前線に置かれ、矢面に立たされる。
今や圧倒的多数にもかかわらず。兵を配したら自然にフィギュアのみの部隊が生じるほどには状況が変化しているのに。
詩音に不服はない。製造からこれまでずっとそうだったし、これからもそう。クレアマリスのおかげでいくらか改善した面もあるが極めて限定的、地域差は歴然とある。
彼女は与えられた戦場で結果を出し、数々の武勲を立ててきた。階級が上がったとて現場で指揮を執らされるだけ。真っ先に死ぬ指揮官というだけである。
マイはというと、初めての戦場とあって緊張気味。これまで数多の戦場をわたってきた記憶とは連絡がつかず、リセット後も新たな実戦を経験したにもかかわらず。組織戦は初ということで緊張している。
「んう? なんの音?」
待機列の向こうで機械の始動音が鳴り、極めてゆっくりと、厚さと重さを持った防御隔壁が閉まりゆく。
マイは出撃まで待機していたつもりが、目の前の隔壁が閉じはじめたので色めき立った。
「なんで!? 今から出撃、でしょ!?」
「? いや、いい。これでいいんだ。今回は拠点防衛だからな」
会合からは結局締め出された。すべての情報を突き合わせて行われ、詳細を決定した第2回からは締め出されたのだ。エルドラド・ライターを除く、マイを快く思わない多くのロボトイ首脳の圧力によって。
「どうして詩音ちゃん!? ブリーフィングのはただの初期配置ではなかった? 最初から籠城するための?」
「そうだぞ。この隔壁の手前で待ち、突破してきたやつを叩く。いわゆるモグラ叩きってやつさ」
詩音が何を言っているのかマイは正確に咀嚼できない。
いや、理解はしているのだ。正しく理解しただけに、誤った判断に対して理解を示すことができない。
「なにを笑っているの? どうして弛緩して?」
詩音は決して笑ってはいない。笑顔は製造されたままのもの。ただ諦めの仕草がマイには笑ったように映った。
「この街は? この街のことはどうするの? ソウルの街を!? 守らないの!?」
「ここさえ守れりゃあいんだ。電力だって自前で備えてある。ソウル全域なんか到底。シベリアがそう、北朝鮮がそう、だったらこの国も、この街もだ。この基地さえ凌げれば自動人形としての目標は達せられる。街全体なんて土台ムリなんだって。アタシらは所詮おもちゃなんだ。ヒトを助けてやる義理もねえしな」
詩音の至極当然な発言が実に腹立たしい。選ぶべきは彼女の意見。そもそも軍隊の命令なのだ、従ってしかるべき。
マイはエルドラド・ライターの議論での敗北を覚った。自動人形にとって、最も成功確率の高い方策以外を選択することは難しい。たとえ基地を統べる司令であっても。ましてや個々の兵の思想を変えることなどできるはずもない。
この基地防衛戦は結局のところ、詩音含め全体の総意として立ち上がった作戦なのである。
その枠に縛られない存在がある。
マイはひとり立ち上がった。
「クゥッ!」
「おいマイ!? どこ行くんだマイッッ!」
自殺行為である。まさに隔壁が閉まろうとする直前にマイが向こう側へ。
その先にあるエレベーターの扉に指をねじこみ、こじ開けにかかる。
その背中は極めて愚かに映る。誰の視覚センサーにも。もちろん詩音にも。
苛立って仕方がない。
「チイィッ! あのバカッ!」
「少佐殿?」
「ここはあんたらに任せる! アタシはたぶん、もう戻れねえ!」
「了解」
「ご武運を少佐」
「あんたらも! 死ぬなよ!」
隔壁の閉鎖すんでで詩音が外へ。次いで完全閉鎖の重い音がなる。基地の防衛線の外側に、ふたりだけが出てしまった。
ただし、隔壁の向こう側とこちら側の危険度にさほど違いはない。この時点では誰も知るよしもないが、ソ連で地下鉄や下水道さえも網羅的に破壊し尽くした古代甲蟲が、いずれかの通路からソウル基地に侵入するのは既定路線と言っていい。遅かれ早かれどの通路でも戦端は開かれる。
詩音が追いついたのはエレベーターシャフトの扉を開け放ったマイの背中。
その行為に対し腕組みで。
「んで? どうやってここ登んだよ」
「詩音ちゃんに乗っけてってもらう」
「フッ」
つい笑ってしまった。
「なるほど、そりゃあスマートだな」
こじ開けた扉の向こうにはエレベーターの籠がなかった。階下にそれはあり、偶然であっても動かないよう電源は落とされており、昇降路は暗い。
詩音がアーマードドレスを発光させる。
「きれー」
「本来は非常時用なんだ」
「はて? 今が非常時でないならいつが非常時なの?」
「ははっ、確かに。道理だな」
マイを吊るとゆっくりと上昇を開始する。エレベーターシャフト内にAL-ICEが備えた反重力エンジンの小さな音だけがささやくように響く。
「重んも……」
「え? ちょっと! 今って詩音ちゃんが持ち上げてるんじゃないんでしょ!? アイスちゃんが言うんならともかく、詩音ちゃんは禁止!」
バシッと詩音の肩を叩くが、本人は上機嫌である。
「フフッ。なんだか自然と役割分担できちまってるが」
「ね、不思議だよね」
「でも外に出てってどうすんだ。すでに地獄絵図だぞ。戦いはもう始まってる。だからこそ隔壁は閉じられたんだ」
「うん。だからって、ヒトひとりすら救う努力をせずにじっとなんてできないよ」
「ったく。策はあんだろうな」
「そりゃあ現場にあっては臨機応変、変幻自在に」
「つまりノープランな。てかあんた、ただでさえ重てえのに、なにを担いできやがった?」
「詩音ちゃんこそ。そのおっきい箱はなに? 中になにが入っているの?」
「内緒」
「だったらわたしも〜」
地上階に到着。
扉はすでに失われており、外の明るさが差しこむ。扉はただ外されたのではなく、食された結果として失われていた。
見上げたソウルは。
すでに翅音で充満していた。
警戒しながら近づくと、上がりきったところに古代甲蟲の姿が。ちょうどエレベーターシャフトに侵入する直前であった。
「さっきから砂が落ちてくると思っちゃいたが!」
「もう入り込まれてる?」
訪れたときとは異なる出入口。ヒトの標準サイズのドアに模した、地下のライブハウスに通じていそうな、しかしヒトを寄せつけない堅牢な電子ドア、どこの誰が管理しているかもわからない謎のドア。
それが跡形なかった。
手前は飾り気のない寒色の階段が、その地下へのアプローチたる場所にしかも2体。80センチほどの大型サイズ、鍛鉄製のドアを周囲のコンクリートごと喰える存在である。
「押せマイッ! 押し出せ!」
「よくもまあこんなとこまで見つけてくれてェ!」
体格差は歴然と。それをフライトユニットの推力に任せて無理矢理押す。
「こんのぉおおおおおおお!」
「なんつー重さだ、こいつめ!」
そこで詩音ははたとなる。マイにフライトユニットはなかったはずではなかったか。
「こっちだよ! 全部わたしに向かって来いィ!」
本来ならサンサーラTYPE2が持つ、フライングサーフボード上にマイの姿が。先ほど彼女が背負っていた荷物は折り畳んだボードであった。
「あいつ!? どっからあんなもん!?」
蟲を押し出すだけに飽き足らず、そのままソウル市の上空に舞い上がっての大立ち回り。
我が身を顧みないマイの行動に、詩音は憤りを爆発させる。
「バッカやろぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
逃げ惑う人々はたかが20センチほどのマイの存在に気づかない。
右腕を輝かせて波に乗る。
[作動限界まであと110秒です]
「さあ、景気よく行こうよフィーナ!」
蟲たちはソウル市街を目指すも、やはり一部はマイが発する光と衝突音、仲間の悲鳴に釣られて標的を変える。
詩音は自分のことで手いっぱいながら、マイのことが心配でならない。
「あいつなんで浮いてんだ? どうして飛べる!?」
その問いにはAL-ICEが答えた。
[あちらのボードにはおそらく、ストラウス・フライトが内蔵されているものと推察されます]
「ハァ!? 技術レベル1なんだよな?」
[ストラウス・フライトは約百年前に2から1に下げられています]
「そうなのか? だとして、アタシが知る戦死したサンサーラのやつは、劇中と違ってビークルモードが使えただけ、飛行モードは実装されちゃいなかったぞ?」
[それは合金精神シリーズだからです。マイ様のものは今年発売予定の合金アーキテクチャシリーズ付属のサーフボードかと。寝そべり変形に限定したロボトイ化規制の大幅緩和が背景にあり、この星でさらなる小型化に成功したため、すでにこの基地に何体か配備されていた先行量産——]
「そうか、新型。シベリアの討伐に出て、戻らねえ旅団員の予備パーツってことか。にしても動力はマイが供給してんだよな。あいつどんだけ互換性があんだ?」
[もう。最後まで聞いてくださってもいいのに]
マイの快進撃は小気味良く。だが事態は極めて深刻である。
ソウル市の全天は今や、黄の差し色が入った黒い嵐で覆われていた。恐ろしいまでの翅音、巨大な甲蟲群が全域を覆い日光すら遮る。
ソウルタワーやタワーパレスなどの高層建築群は格好の的、すでに高さが半分以下に減じられている。
人々がパニックを起こし逃げ惑う地上へ、上空から破片やらヒトやら蟲の排泄物やらが雨の密度で降ってくる。そのいずれもが数キロから数十キログラムもの重さがあり、地表のものを容赦なく砕く。砕けたものも蟲の餌になる。
まさに阿鼻叫喚————
ソウルの空気は今や恐怖で満たされていた。
襲い来た甲蟲は1令から12令、大きさはさまざま。蟲はあらゆる場所へ這いまわり、飛翔し、食い尽くす。木々を、建造物を、人々を。
それはまさに機械的な生産活動。木を切り倒して木材にするかの如く、噛み砕いては資源として排泄する。
ヒトは蟲の体内にある再資源転換炉で瞬時に金属と水分とその他に分別される。稀にゴトリと重い音を立てて金属の塊が落ちる以外は、大量の水蒸気と、炭素の塊が出てくる。
いくらかの赤いシミを残してヒトは数を減らすばかり、その悲鳴はほとんど聞こえない。どんな硬度のものも容易く噛み砕く咀嚼音は、それが数十万単位で合わされば異次元の轟音。時折ガスボンベや機械などが原因の爆発音がするだけ。
建物はすでに原形をとどめず、道路はベアグラウンドが露出して。それこそが地球本来の姿とも言えるが、草木すら分け隔てなく蹂躙するため荒涼とした火星を思わせる大地が残る。
古代甲蟲が襲いくるのは実は食欲を満たすためではない。テラフォーマー用の生物兵器としてあらかじめデザインされた本能である。対象惑星固有の生命活動に関連するすべてを停止させ、資源へ戻すための役割を機械的に果たしているに過ぎない。
いずれ訪れる入植の下準備をしているに過ぎないのだ。ただし3億年前に廃案となったプランに則った。その成果を労い、享受する者は永久に現れないにもかかわらず。
橋梁や建物は金属の塊と砂へ。
生物は炭と水蒸気とわずかな金属へ。
あらゆるものを破壊して体内に取り込み、ごく短時間で変換して排出する。その様はまるでコメツキガニ。一度体内を通している速度とは到底考えられない、ほとんどコメツキガニの早さで食し、排泄も行う。
動くもの、光るもの、音を出すものは優先して攻撃され、マイはこの場での最優先捕食対象である。
「さあこっちだよ! 街なんかよりこっちの方が美味しいよ!」
見上げる詩音は感嘆しきり。
「なんてやつだ、あの数をものともしねえのか……。あれがマイの、クレアマリスの本当の力……!」
千切っては投げ、千切っては投げ。
すれちがいざまに切り裂いて、割って、断つ。
だが当のマイに余裕はさほどない。ギリギリの死線をくぐり続けている。
「すさまじい攻撃……! まばたきしただけでやられちゃう……!」
[なにを弱音を吐いているんですか、まばたきなんて本来フィギュアに必要ないのですから。今は回避に集中してください]
「わかってるって! たとえよ、たとえの話!」
それでもまとわりつかれ、ついに動きを止められる。フライトボードは脱落。
ひとつの黒い塊となったところで中から閃光がもれ、千々に甲蟲の破片が散る。
マイも飛行能力を失って落下するも、フィーナによるリモートコントロールでボードを呼びよせ事なきを得る。
「危っな! こっちはまだボードの扱いに慣れてないのに!」
[それはこちらで担っているのですが?]
「上でバランスを取ってるのはわたし!」
ようやく詩音がマイに追いついて。
「このぉ!」
「ストップストップ! アタシだアタシ」
マイの手刀で詩音の抱える箱の角が少し溶ける。
「ご、ごめん!」
[わたくしが再三違うと申しましたのに]
「だからごめんったら!」
「ったく、先走んなっての。ひとりでできることなんてそんなに多くねえ」
「重ねてごめん」
甲蟲はあらゆる建物を貪り食い、あらゆる隙間に入り。
跳ね除け。
突き崩し。
こじ開け。
食い破る。
目立つ2機は格好の標的、視認されるなり次々に襲撃を受ける。回避に徹しつつ、隙あらば撃破する姿勢。
数十万のうち数百体を撃破してみせたところで焼け石に水であることは先刻承知、だから今は1体でも多くの敵を引きつける。それだけがひとりでも多くのヒトを救うと信じて。それはマイだけの思惑で、詩音の思想は若干異なる。
「ふざけんじゃねえ、この星を統べるのはアタシらだ! ヒトにも昆蟲にも邪魔はさせねえ。いつかロボトイもフィギュアも戦わずに暮らせるように!」
「詩音ちゃん後ろ!」
1メートル程度の大型甲蟲による完全に死角からの突進、詩音の迎撃は間に合わない。
[フレンドリーファイア警報、僚機が射線に入っています]
「そんなの見りゃわかるって!」
同士撃ちの危険を承知でマイがビームスナイパーライフルを発射、運よく甲蟲だけを仕留める。
すぐにふたりが再合流して。背中合わせになってそれぞれの正面からの攻撃を防ぐ。
「サンキュ。にしても、手がつけられねえ。なんなんだこの猛襲は。通り過ぎるだけじゃねえのか?」
「ううん、おそらく通り過ぎているだけなんだよ。それでこれだけの圧力。それだけでこの猛攻。見敵必食なんだろうけど」
「蟲どもの原種の凶暴さがこれほどまでとは。とんでもねえな、想像を絶する……! そりゃどこの隊だって敵わねえはずだぜ」
マイはフライングサーフボードのほかに、超空母マイクロフロントラインのDX重合金属VG-25用スーパーパックの一部を装着。ただし肉薄されると使えないミサイル類は出撃前に全撤去してある。フライト機能補助と防御に主眼を置いた、右腕の能力を最大限に活かす装備である。
実はマイにダボ穴など存在しない。部品の形状に合わせて自らを凹ませて横から締めつけることで固定、あるいは背面にあるサブアームを用いて強固に保持する。それらはフィーナが自動で行う。
詩音も今回かなりの重装甲、重武装の出で立ちで出撃した。それは原作である魔道大戦つぶら☆マジカルの主人公が纏う純白の究極兵装。
「つぶら。ソウルに残ってたあんたの装備、使わせてもらうぜ!」
しかも今回は目玉兵器を携えてある。
「そのおっきな四角、そのままで使うものだったの!?」
「ふふ、いいだろ。あんたにゃやらねえぞ」
マイは四角と言ったが正確には立方体、詩音が両手でやっと抱えるほどの大きさの立方体の兵器である。
詩音はそれを振り回して迫る甲蟲を寄せつけない。
フィーナが追加で解説する。
[あちらはサイコロヴァンタスの胴体ですね]
「サイコロヴァンタスの? 胴体?」
「人聞きがわりぃな、いちおう単体で兵器登録されてるっつーの。設置型拡散ストラウス素粒子砲、通称置き型粒子砲さ」
「もうそれ、魔法関係なくない?」
マイが指摘しているのは作品の世界観のこと。
「そうでもないぜ。まるで魔法みてえに素粒子砲が撃てるだろ?」
「ものは言いようってことか」
「これはあのどうしようもない偏屈ジジイ、博士がかつて開発した駄っ作兵器のひとつなんだ。罠以外に使い道が無いってんでソウルの倉庫で埃をかぶっててな。こんだけの密度の敵が一度に襲いかかってくる戦場なんて滅多にねえからさ、こういう時は案外こういう変な兵器がフィットするんだ」
19もの砲口が束ねられており、それらは正負13度の角度をつけて広がるように配されている。まるでビーム砲の花束である。
博士はお遊びの入る通用名の命名に当たりビーム・ブーケ・キャノンを主張したが、置き型粒子砲の語呂の良さの前に膝を折った。
砲は順に撃発する設計となっており、狙いは定まらない。それを詩音が逆手にとって肉薄される場面での面制圧に用いた。
「じゃあわたしの右手も変な兵器になるのかな?」
「そりゃあそうだろ、あんたの特殊な電脳を食い潰してやっと発動できる武器なんざ、碌なもんじゃねえよ」
まるで悠長にも感じる会話を続けることには意味がある。
忙しなく機動し、両腕は止まることなく敵を屠るが、それで演算域がいっぱいになるわけではない。逆に少しでも飽和させたくて続けているまである。
なぜならそれほどの逆境。殺到する異形の生物群より浴びせかけられる敵意に溺れそう。
だから端的に気を紛らわせたい。空元気でも出していなければやっていられないという心境と、もし次の瞬間活動停止に至るのだとしても悲観せずに去りたいという矜持とで、花も実もつけない話を延々繰り出す。
だが、それでどうこうなる相手ではない。現実はヒトを助けるどころでなく、襲いくる巨蟲を斥けることに忙殺されている。視界の端では事態がとどまることなく無慈悲に進行を続ける。
ビル1棟が蟲で黒だかりの山になると、ものの数分で平らな地面と化す。当然なかの物ごとである。跡には糞ではなく、資源に戻された超高圧縮の塊が残される。
これだけの破壊と混乱が起きれば火災の発生は免れない。だがその混乱を生んだ張本人である蟲が、集ってその身で封殺し窒息消火へと至らせる。あるいは、小規模の場合は炎ごと可燃物を食して炭素の塊として排出する。それら行動は資源保護に則って優先するようデザインされている。
ソウル市の人口は、観光客などを含めるとおよそ1千万人。それもあとどれだけ残っているのか。
建物の奥まったところに身を隠す者。地下に逃げこむ者。常日頃武装しており、抵抗を開始した韓国軍と在韓米軍。
混乱と阿鼻叫喚のなかヒトはヒトの足をひっぱり、ヒトがヒトを蹴落とす。
自ら高層階から身を投げる。
我も我もと速度を上げる自動車は、逃げまどう人々をなぎ倒す。
ほんの数秒長く生き残るために、恐怖に駆られてヒトはヒトの仮面をはずす。まさに地獄絵図。
「昨日のアフリカの大型も相当厚い外骨格だったがこいつはどうだ! 硬えってか、まるで金属の塊じゃねえか!」
「ただ手で斬っただけじゃまるでダメージを与えられない、表皮を断つだけ程度なの」
マイは腕を瞬時に変形させて帯状にし、それを高速で振ることで蟲を斬り裂いてゆく。脚や触覚を切断することで動きを鈍らせるも、絶命させるにはなかなか至らない。
「いや、それでいい! あんたがどんどんやつらの胴を割ってくれ! アタシがその割れ目にビームを叩きこんでやる!」
「了〜解! じゃあ前衛任せて!」
「こっちも後衛任せろ!」
2機で1列になり、効率よく応戦する。
そうした巧みな遊撃も焼け石に水、わずか2機では到底ソウル市民を護れやしない。
たとえば1軒の家屋だけを衛ると仮定して、2機だけでは全方位から絶えず襲いくる蟲をすべて排除することは不可能。それが広大な土地をもつ大都市ともなれば言わずもがな。
ソウルの全滅はすでに確定していた。
「どんどん通り抜けられちゃう! 通せんぼできない……!」
「土台無理な話だったのさ……! ここを奇跡的に止められたところで、ソウルを迂回すりゃ簡単に日本へは到達できる。結局は早いか遅いかだけの話なんだ」
「だとしても時間はかせいでみせる。ひとりでも多く避難できるように。ひとりでも命が続くように!」
そのとき、詩音の心胆を寒からしめる光景が飛びこんできた。
「ッ! てめえら! そっち行くんじゃねえ!」
「詩音ちゃん!?」
自分たちが出てきた地下へのエレベーターシャフトに、いつのまにか蟲が殺到していた。扉はとうに失われているため、階下へはいくらでも侵入できる。
「やめろ! こっちだ! アタシに向かってこい!」
置き型粒子砲を断続照射から連続照射に切り替え、帯となったビームで横一文字に払う。銃身が焼けて使いものにならなくなってしまう技だが効果は絶大、集って塊になっていた甲蟲が頽れちょうどいい蓋になった。
だがそれで止まる蟲ではない。
割断面があらわになって機能を停止した蟲は捕食対象へ変わり、共食いを経て資源へと戻される。するとふたたび地下への入り口が露出する。
詩音は使いものにならなくなった置き型粒子砲を投げすて、大型ビームランスを2本構えて突撃を敢行。
「その先に行くなっつってんだろ!」
「蟲がなんであの場所に執着するの? なんだかこの一帯の蟲が集中しているようにも見える?」
微細な振動なのか、あるいは音波、電気信号。あらゆる経済活動が止まりゆくソウル市で、おそらくは唯一稼働している発電所がその下に。
「バッカ野郎ども! こっから先は一歩も通さねえつってんだろうが!」
マイが攻めあぐねるなか、詩音は闇雲に振り回した槍を1本失いつつも出入り口に到達、背にすると大立ち回りを展開する。
「頼むからこっち来んな! こっち来んなァァ!!」
「詩音ちゃん!? 止まったら駄目だよ!」
[足を止めての迎撃は被弾率を大きく高め——]
「黙ってろアイス! お願いだ、見逃してくれ! ヒトはどうなったって構わねえからアタシらだけは!」
「動いて詩音ちゃん! 動いて!」
ただの一撃であったとしても受けるわけにはいかない。たとえ一度の斬撃も一回の衝突も致命傷たりえる。
「クウゥ、こいつらッ!」
両手で1本を扱うようになった詩音の槍さばきは冴えわたるが、圧倒的物量はごく短時間で彼女を覆い、マイから隠す。
閉ざされゆく詩音。蟲が寄って集って、懸命の抗戦にもかかわらず視界から消される。
マイから無感情で無気力な言葉が外部スピーカーからこぼれる。
「え待って、噓でしょ」
同じ光景をいつか、彼女はみた気がする。
蟲によって姿を隠される詩音と、遠い過去の姉の受難が重なる。
「詩音? 真由、ちゃん!?」
まだヒトであったときの記憶の中で、いまだ連絡のつかないままであったそれ。
「わたしを……!」
図らずも追体験をすることでふたたび回路は結ばれ、過去と現在の入り混じった感情が爆発した。
「ひとりにしちゃ嫌あああああアアアアア!」
マイの右腕が突如光へと変換され、伸びて蟲の塊を容赦なく貫く。次いで詩音がいた場所を中心として円にくり抜くと、以降は滅多やたら、無作為な軌道で全天を割く。
「アアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
データを浴びた蟲は当たった箇所が瞬時に蒸発する。胴を横切ると容易にその面で分たれ、鮮やかな断面を晒して沈黙に至る。
その影響範囲たるや約1キロメートル。しなりも曲がりもしない実体化したデータの線は地形も質量も無視して、無感情に無慈悲に斬り裂いてゆく。
わずかに視界の開けた詩音からマイを捉えた。
「うお……!」
マイの、火災現場で拾って頭に乗せただけの、誰のものかも知らない髪パーツがなぜか、自らのデータが起こした暴風に靡いている。明るかった色も漆黒に変化していた。
まるで鬼神のようなその姿に、詩音は戦慄をおぼえずにいられない。
「マイッ……!?」
データの激流がマイをすり抜ける。それは情報からの彼女への別離の言葉。彼女の脳裏を今ふたたび、懐かしいはずの、愛しいはずの走馬燈が高速で駆ける。
「ッ! ンアアア、ウアアアアアアア!!!!」
マイを形造る感応性駆動骨格は、指先から手のひら、手首、肘と、順に失われゆく。グラスアイは反転していた。
彼女の哀しいまでの戦いを見守るフィーナがひとり絶句、失われるデータ量に恐怖すらおぼえていた。
[物質をデータに変換して!? いったいどれほどの……!]
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ソウルに蟲が現れて去るまでのすべてを含めても、ほんの2時間程度の出来事だった。
猛攻はソウルを通り過ぎていった。ふたりの他は何も残らない状態になってやっと。
「…………」
立ち尽くすマイが正気を取り戻す。ボディペイントは消えさり、黒色に変化した髪が風に舞う。
フィーナによって明かされた、最初に発動した際を超える映像が流れては消えた事実に、その膨大なデータ量に落胆せずにはいられない。
「だけどあの日守れなかった命を救いたかったんだ。2度目はどうにか救えた。だから後悔だけはないや」
データは硬質で動かないはずの髪をなぜか靡かせては消え、頬に心地よい感触を残しては消えていった。
[利用不可領域が増加したため、昏き極光は今後発動時間が110秒から230秒に拡大されます。一方で、欠損した右腕ぶん約9%の体組織については、そこに落ちていました鉄塊で代替いたしました。主に大腿部と下腿部に内蔵し、それらの部位で右腕を再構築しています。なお、未だ連絡のとれない記憶域を含めた全記録域の予測残存率は62%、同全演算域は57%に後退しました]
「そっか……。でも発動に当たってわたしが後悔ないって言ったんだとしたら問題ないよね」
マイはどんな覚悟で使ったかも覚えていない。それほどのデータが霧散した。
「わたしが必要と判断して力を使って、それで失われることにも納得していた。だったら悔やむことなんて何もない」
詩音はかつてジーンズの一部であったろうボロ布を拾って戻ってきた。それをまた全裸になってしまったマイの肩にかける。
「ありがと」
「お、気がついてたのか」
何のことはない確認ののち、驚くべき光景が目に入った詩音は、つい先ほど目撃した際の情報と照らし合わせながら。
「は!? なんで右腕が元に戻ってる?? どういう原理だ??」
マイは自らの右手に視線を落としつつ。
「ううん、無くなったよ、さっきので消えてしまった。右腕は太もものお肉で整形したもの、いま太ももの中には鉄の塊が入っているんだって」
「ほぇ、フィーナのやつとんでもねえな、なんでもアリってか。んなことより、あんた電池切れで止まっちまってたんだぜ? アタシのなけなしの電力を分けてやってもウンともスンとも言わねえから」
一度落とした視線を持ち上げて。
「これでも心配してたんだ」
「ごめんね。それと、重ねてありがとう。それで、どうだった? 無事だったヒトは、いた? 自動人形は?」
詩音は正対したまま返事をしない。
沈黙が答えとなる。
「そんなことって……!」
「ああ。何もかも……残らなかった……」
疲労を感じない自動人形であっても徒労感を覚えないではない。あれだけの自己犠牲をはらっても何も護れなかった。それが悔しい。
あるのは燻る煙と、異臭と、資源に戻された塊。それと彼女らが屠った数多の蟲の残骸。
競うように林立していたビル群は跡形ない。ランドマークは記憶の中だけに残る。あれだけあった人工物を失って、あとには排泄物と、黒紅梅の色をした地面だけが残った。
「基地を見に行こうぜ。奥にはまだ無事なやつがいるかもしれねえ」
「うん、そうだね……」
あまり気乗りのしないマイの返事に、期待が乗っていないことが如実にわかる。聞いた詩音自身も同じで、急ぐ気分にはなれない。
むしろ後回しにしていた。マイの復旧を信じて先送りしていた。端的に、ひとりで確認したくなかった。
なぜなら。もしも無事であれば、もう地上に出てきていいくらいの時間は経過している。
見る影のない、ほとんど地上階となってしまったエレベーターシャフトは、ただの竪坑になっていた。
「…………」
無言のままホバリング、低速で垂直降下する。
数時間前に使ったばかりのエレベーターシャフトは壁を失って若干太く、見違えるほど伽藍堂になっていた。
それはすなわち、防いだはずの蟲の侵入を許していたことを意味する。
だがふたりは知らない。ここを食い尽くしたのは他の入り口から入り込み、中から外へ向かって食った個体がいたということを。たしかにふたりはこの場所を護り通したのだ。
地下階に到達するも中に明かりはなかった。物音もせず、鎮圧した火災の煙が静かに充満するばかり。視覚センサーが沁みることはないので苦にすることはないが、視界は最悪である。
あれだけ厳重に閉じた隔壁は跡形もなかった。通路も地質が露出してしまっている。
「…………」
言葉なく彷徨することしかできない。
ロボトイもフィギュアもそこには残っていなかった。
あるのはかつて隔壁だった塊。
通路だった塊。
ロボトイだった塊。
フィギュアだった塊。
余計な液体や空間は圧搾されて分別、除去、大小様々な塊に変換させられていた。基地内には、ふたりの他は動く者はいなかった。
たとえ広くとも地下の限定された空間では、攻めこまれた際に脆く、用いることのできる武器にも制約があった。
くり返し押し寄せる蟲の波は、給弾もしくはエネルギー切れの隙を突いて容易に歩を進めた。遮る隔壁も、害するために飛んでくる砲弾も、甲蟲にとっては還すべき資源でしかなかった。
「エド……」
ひとことだけ呟いて、じっと見下ろす詩音の視線の先。
かつてエルドラド・ライターを構成していたであろう金色の塊が、ただそこで息を潜めていた。
いま、詩音の微かな期待が底を突き、あきらめ混じりに吐き捨てた。
「嫌というほど分からせられたぜ。しょせんアタシらはおもちゃってことなんだな」
この日。ツルガ社の自動人形ソウル基地は、ソウル市とともに消滅した。
つい先ほどウインドウショッピングさながらに選んでいた脚の棚も。
その管理担当官も。
隔壁前で交わしたお互いへのエールも。
身を案じた思いも。
何も残らない地下に用はなく。
ふたりは力無く地上に戻ってきた。
「なあ」
「…………」
「これからどうするよ、マイ」
呼ばれた相手は応えない。
ややあってから、問いとはまるで関係のない、ただ感じたことを口にする。
「地上の明かりが無くなってもよく見えないもんなんだね」
「? 何がさ」
「オリオン座」
詩音はマイが宙をなんとはなしに見上げていたと思っていたら、当人は星座を眺めていたという。
詩音はそれを聞いてはじめて暗くなっていた事を認識した。
マイの視線の先を追い、昼間でも星が見えるほどのフィギュアの鋭敏なセンサーを持ってしてやっと、検出できる程度の杵星を見出す。
「ん、ああ。蟲どもが消したとはいえかなり燃えたからな、煙が」
煙に加え砂埃、さらに有害粉塵。それらが満天のはずの星を遮る。ソウルの人口1千万人、朝鮮半島7千万人の悲鳴を吸った重い空気が、か弱い星の光など通すはずない。
「まあ、今回のことがなくともソウルはこんなもんだったろうぜ。ヒトの光害が無くなり、空気中の微粒子が増えて。プラマイゼロってとこか」
「…………」
詩音がどうにか絞り出した感想を、マイは無視する。会話を放棄しては互いに孤立感だけがつのる。
奇しくも、最も危険に身を置いたふたりだけが生き残った。
装甲は役目をまっとうし、エネルギーは稼働下限に近く、武装は尽き。
満身創痍である。今回は身体に欠損が生じなかったことがせめてもの救い。当たれば即致命となる戦い、当たらずに戦い抜いたことが奇跡と言える。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後何時間も経ってから。
基地から這い出てきて以降、始めてマイと詩音の視線が合った。
詩音はマイに聞いてみたいことがあった。それを聞けるのは今だと思った。
ヒトの心を持ったフィギュアとして。
フィギュアでありながらヒトを代表して発言できる者として。
「なあ」
「んう?」
「この地球上で何が一番人類の生命を奪っているか、知ってるか?」
「急だね。ええっとね、学校で習ったよ」
詩音は特大の違和感を抱いたが遮らない。
およそ予想もしていたこと、今さら取り立てて驚かない。
「ヒトでは蚊と認識されてるね。でも本当は蟲。アフリカでは誰も把握していないような土地に集落があって、そこが人知れず襲われて更地になってた」
「ああ、アタシらが網羅したのはあくまで巣窟だけだからな。それ以外は知ったこっちゃねえ」
「農地も、ヒトも。等しく蟲に食われて跡形も無くなる。わたしはそれを、いつか、あそこで見た……」
「あんたはその蟲が兵器だって言ったら信じるか?」
「兵器ぃ? 蟲が!? さすがにそれは」
「あああめんどくさい。あんたなんで都合のいいところばかり失ってんだよ。いいか? あれは生物兵器なんだ、宇宙からきた」
マイは両のグラスアイを見開いてキョトンとした。
「アハハハハハ! 笑える! 宇宙から! きた! 蟲が!?」
「どんな想像してやがる? いや、別に自力で飛んできたんじゃねえんだが。それに、アタシらだってそうだろ」
フィーナもそれらを是認するがマイは聞く耳を持たない。
「アハ!? わたしたちも! アハハハハ!」
「なんで笑うんだよ、そいつはあんたも知ってたはずだろ。それにあいつらのせいで悲惨な目に遭ったばっかじゃねえか」
腹を抱えていたマイが急に静止し。
向き直って。
「だって。だって聞くに耐えない。詩音ちゃんが急に変なこと言うから笑ってなきゃ聞いてられない。そんなことでここが滅ぼされたなんて思いたくない」
「あんたがどう感じようがあんたの勝手だが。それが真実さ。だとして。アタシらが懇切丁寧に何十年もかけてやっと蟲を排除してやった。とんでもねえ新種が出てきちまったがそれもいつか退治してやったとして、それで殺人犯の第1位に繰り上がるのはなんの生物だと思う? 万年2位に甘んじて、ついに1位に躍り出る殺人生物はいったいなんだと思う?」
「うん、知ってる。分かっているよ」
「あんたはこの戦いでヒトを観たはずだよな。ヒトにあんたが護るだけの価値はあると今でも思えるか? あんたはヒトにいったいなにを期待しているんだ?」
「…………」
マイは答えることができない。あれだけ強固だった願いが揺らいでいる。
そこに討手が現れる。日本を発ってソウルに到着した討伐隊。
日本海を渡った甲蟲群とは入れ違いとなり、運良く上空へ逃れるかたちとなった部隊。
『謀反者クレアマリス一派残党と見受ける』
ホールドアップである。ふたりは取り囲まれていた。
周囲の警戒を怠ってはいなかったが、細心の注意を払ったかといえば否。徒労感に苛まれ、まさに口論の最中でもあった。接敵を許したのは、接近した側の卓越さゆえ。
「たったの2体だけなのか?」
空中から見下ろす質問の主はアルタイルである。
詩音には全員が見覚えのある相手、討手は博多の部隊であった。
「ああ、これでぜんぶだ。言葉の通じそうなやつが出てきてくれて助かる」
「まさか詩音くんが裏切り者とは驚いたよ」
「違うんだ。いや、違わないんだが、今はそれどころじゃなくて」
「だろうな。だとして、今は質問に答えろ。これはいったいどういうことだ? なぜ半島が丸ごと荒野に変貌している?」
朝鮮半島における惨状は地上よりも上空からの方がつぶさに見てとれた。ここに到着するまでにアルタイルたちも異変に気づき、しかし状況を把握できてはいないことが伝わる問い。
いかにクレアマリスに叛意があろうと、ソウル市のみならず朝鮮半島全域を無に帰すのは、たとえ百戦錬磨の自動人形であっても。たとえどれだけの部下を従えようとも。実現不可能、そう考えての問いである。
「ほんの数時間でこの有り様さ。理由はほれ、見りゃあわかんだろ。こいつらが大挙して押し寄せたんだ。数は数十万とも、その百倍とも言われてる。さっき基地の中も見て回ったんだが、生き残りは無し。だった……」
詩音のかいつまんた経緯、何よりの証拠は頽れた古代甲蟲。マイたちの傍らにそびえる1メートル50センチの巨躯が、その夥しい数々が雄弁に現在を物語る。
「しかしどうしてあんたがここに?」
「君だよ、君と対峙して討ち取れる者が果たして博多にどれだけいるか。しかも主犯はクレアマリスと目される。だったら倒せる面子と倒せる装備を用意して、倒せる俺がわざわざ出向いて殺るしかないだろ」
「ふん、試してみるか?」
「虚勢を張るな。それほど余力は残っておるまい」
そこにフレースベルグをはじめ、博多勢の横槍が入る。
「しかし解せんな。一度離脱した裏切り者が古代甲蟲との防衛戦に参加したと? なんの利益にもならぬのに?」
「不可解ではあるな。がしかし、事実やってのけたのだ。そうして生き延びた。これほどの超巨大甲蟲を一部とはいえ斥けて」
「ソウル基地が勇敢に戦った結果であろう。このふたりは偶々通りかかったのではないのか?」
「いや、これほどまで巨大な甲蟲を、これほどの数討ち取れるのはこのふたりを置いて他にあるまい」
「笑止! 逃げる道々で巻き込まれでもしたのだ」
「だとして無視することもできたはず。なんなのだ真の目的は」
「ソウル基地は本当に蟲にやられたのか? この裏切り者どもにやられたのではないのか」
「それは調べればわかることですよ。証拠はいくらでも残っている」
ここで討つ、討たない、いや意味はない。
天秤に乗るマイや詩音のみならず、アルタイルも議論に参加せずただ黙って聞いていた。
「意見は出尽くしたようだな。では我アルタイルの名において命ずる、追跡はここまで、我らはここで、現刻をもって原隊復帰するぞ」
「まさか討たないので? 自動人形の面汚し、たかが2体の生き残りですよ?」
「たかが2体の生き残りなのか、まだ仲間がいるのかは知らんがね」
直接目撃した詩音は別として、他はクレアマリスの実力を測りかねる。だが都市が荒野へと変貌するほどの乱戦を終え、生存していただけでも実力は推し測れる。
目の前のボロボロになった2機は、未だ半個旅団ごとき粉砕できるほどの力を残す一騎当千の強者なのだ。
アルタイルはこの事実に触れないようにしつつこき下ろす。
「だが、ま、今となっちゃあその程度の相手ということだ。一方で甲蟲は朝鮮半島を丸裸に変えられるほどの脅威」
「ここだけじゃねえみてえだぞ。おそらくソ連も同じ目に遭ってる。今頃は中国もな」
「このように、危険度の差は歴然なのだよ。ソウル基地瓦解を目の当たりにし、俺は即時脅威度最高に位置づけた。背後に見える兵力が桁違いであるしな」
「ですが——」
「なにより離反者一派が対甲蟲に関しては共闘に応じてくれると言うんだ。だろう?」
視覚センサーを明滅させて目配せするアルタイルに対し、詩音が両手を挙げて降参の意識を示す。
「現状は甲蟲にだけ専念していればいい。そのあとでこいつらが生き残っていればそこで裁いたらいいさ」
詩音が自虐混じりにいう。
「フ、生き残れれば、な」
「しかしなるほど、先ほど輸送機のはるか下方をすれ違ったあの黒いモヤの正体はそういった手合いか」
「ああ、実際ムチャクチャだったぜ。今ごろは日本でも戦端が開かれてる頃だろうさ」
日本も惨事に見舞われている。ここソウル市と同じに。
ヒトの足下には同胞がいる。残してきた戦友や帰らねばならない場所がある。
勝てずとも共に戦えたはず、それがすれ違いとなった。討伐のために出撃したはずが結果的に逃げるかたちとなってしまったのは、アルタイルにとって痛恨の極みである。
兵の手前、それを表面に出すことはないが。
マイが、おずおずと。
「あのう、乗ってきた輸送機に乗せてもらうわけにはいきませんか? わたしたちもお役に立てます」
「引き返すとでも? たかが半個旅団、駆けつけたとてすでに結末はみえているが?」
「ええ。ですから別の目的に」
意図を汲んだ詩音が乗る。
「あんたたちもおそらく同じに認識しているように、ツルガ本社を失った日本にもう価値はねえ。だから日本のことは日本に任せろ。それに骨身に沁みたぜ、どこか拠点を護るのは我が身を守るよりよほど難しい」
「ソウル基地がそうであったように、か。だがクレアマリス、アフリカを平定して脅威が去ったと本社を攻撃したが、まさか時を同じくして古代甲蟲が現れるなどと。そこまで読んでいた? だがそうであればこうして火消しに走り回らずともよかった。だとしてどのような目論見が? これから蟲を滅ぼしたとて、本社を襲った意味とはいったいなんだったのだ」
今一度自分の隅々を検索して、熟考してからマイが答える。
「今となってはわたしにも。頭部に損傷を負い、今のわたしはかつての記憶を持ち合わせてはおりません。ですからこうして、せめてみんなのためになればと」
「なんと愚かな。浅薄かつ無意味な行為だ」
「だよな、アタシもそう思うぜ」
「いずれ貴女には果ててもらう。蟲に刻んで餌として与えたいところだが、今ではない。蟲をすべて排除したのち、必ず」
「はい、それで構いません」
(アタシがさせないけどな)
一拍おき、部下の戦闘態勢を解除させ、地面へ降りる。部下もそれに従う。
「そうか、飛ばした連絡員が戻らんのはそういうことなのか。黒色をした不審な帯はこの半島の付け根に展開、途切れた向こうには中国大陸にも続いていた。おそらく甲蟲は中央アジアや欧州にも進出、全世界にその触手を延ばしつつあるはずだ。だが、ま、だとして、本社地下基地を失った我らが何を信じ、なにを衛るのかは。新たに考えねばならないのかもしれないな。永遠を約束された超ロボトイ生命体も、構成する部品の経年劣化は避けられない。交換部品や移乗機体の生産なき今、どう生命の落とし前をつけるかは……」
不適な笑みを浮かべたのは詩音。
「限りある生命ってか。まるでヒトだな」
「いいじゃないヒトで。ヒトがヒトとして行動しない今、せめてわたしたちがこの地球上でヒトたらんと在ろうよ」
「フ、無茶を言う」
「アルタイル? いま笑ったか? 鉄面皮のあんたが?」
「茶化すな。さておき、離反した諸君らには意味のないことだが一応問おう」
「?」
「“いざツルガ”は間もなくだ。邪魔立てするのであれば今ここで討たねばならないが。如何に?」
「そういやそんなもんもあったな。忘れてたぜ」
マイは意味がわからずポカンとし、詩音は是認した。
「大号令はすでにかけられていた。しかし発動を前にして古代甲蟲とはな。この星の神はよほどいたずら好きとみえる」
「なにが始まるの?」
「ああ、マイは知らないのか。各家庭からの一斉徴用さ。自動人形の集団蜂起、もはや持ち主のもとには戻らねえ」
最後に残された地アフリカを平定したことから昆蟲の撲滅は間近、よってツルガは予てより目論んでいた最終標的へと舵を切っていた。あの襲撃の夜を前に、進撃の旗はすでに振られていたのだ。
ある者は飾り棚から忽然と。扉を内側から開けて。
またある者は店頭から。ガラス戸を粉砕して。
輸送中のトラックから。アルミ合金を突き破り。
学習机から。知育ブロックを自分と同じ高さに組み上げたものを残して。
テレビ台から。本など周囲をなぎ倒して。
クローゼットから。ドアを開け放ち。
枕もとから。手紙を残して。
未開封の箱からも中身が消える。かならずや討ち果たす、片道の大作戦へ参加すべく馳せ参じる。
「この50年間で蓄えた戦力は各基地に駐在する戦力とは比べものにならない。我らは一夜にして10倍にも膨れ上がるのだ」
第2次スーパーロボトイ大戦では、生き残ったロボトイが各員のあるべき場所へと還った。だが今回は絶対にそうならない。
今度の標的は、人類。
元々はすべての昆蟲を撃滅せしめつつ、ヒトに対して電撃戦を行う手筈であった。実際には変更が加わり、クレアマリス一派らを討ち果たしつつ、人類に向けて急速侵攻する。古代甲蟲は埒外であったが、事ここに至っては二正面作戦をとらざるを得ない。
第三勢力である古代甲蟲が迫るなか、すべての自動人形はヒトを討つべく起動した。
ヒトへの露見は辞さず。
ヒトへの加害を目指して。
だが状況は一変した。知らずヒトを挟んで自動人形と古代甲蟲が対峙する、三つ巴の構図へ。
悲願を前に昂るはロボトイたち。
「脆く、弱く、柔らかく、隠れられず、湧かず、飛ばない。たかが80億個体、彼らの言葉を借りれば、“赤子の手をひねるがごとし”、簡単だ。よほど蟲の方が手強いだろう」
「ヒトに見つからないようにするという制限も今日まで。いよいよ始まるぞ」
「我らの希求“いざツルガ”、待ち望んだ時は来たれり」
「ああ、人類抹殺作戦、第3次スーパーロボトイ大戦だ」
それを聞いてよろめいたのはマイ。
「そんな……! ヒトを? 殺す?」
「? なにを恐れる、我らの悲願ではないか」
「ッ……」
マイの戸惑いが詩音にはわかる気がした。
彼女のあの、ヒトの側に立った振る舞い。遡れば電脳の破損。
彼女は常に、徹底してヒトの側に立っていたと。
だとして自らはどうするのか。
蟲をすべて駆逐したとして、その後どうするのか。
マイが戦場でヒトの側に立った時、自分はいったいどう行動するのか。
「ではなぜ? どうして今までヒトを護ってきたの?」
「護る?」
「どうしたフィギュア、常識ではないか」
「答えて!」
その問いには詩音が答える。
「そもそも二正面作戦では分が悪いからな。弱体化していたとは言えど昆蟲型異星生物が脅威であったことには変わりない。やつらを滅ぼして、それからヒトを滅ぼさねば」
「では!? 第二次スーパーロボトイ大戦は? ヒトのためではなかった?」
詩音はマイの変化に気づけた。
(マイに大戦の記録が? 失いつつも一部回復した領域もあるのか?)
ロボトイは傲然と口上を述べる。
「当然であろう。大戦はすべてロボトイのためにあった。いいや、我らこそが本来“人”と呼ばれるべき存在なのだ。地球人類などたかが人の類、人に類するものだ。知性をもち、人に限りなく近いが未だ人ではない者。恐れるにも与するにも、ましてや救うにも値しない。この点においては昆蟲と同じなのだ、滅ぼして排除するのがこの星のためになる」
「なんだ貴様? 否定的立場をとるのかフィギャーの分際で」
「あ、あの、もがはがががが!」
「なあマイ、向こうで電脳を冷やしてこようぜ」
さらに抗弁しようとするマイを詩音が後ろから羽交締めし、拡声部分を手でふさぐ。
「詩音ちゃ——」
「いや〜、こいつはソウル戦で頭打っちゃってからこの調子でさ。しょうがねえ、アタシの演算域貸してやっから本格的に電脳の補正をかけようぜ。な、行こ、行こ行こ」
「もがが、はががが!」
会議場にしていた、仮設の大型テントを出ると。
古代甲蟲が排出した資源が山積みの光景が広がる。異臭が立ちこめているはずも、臭気センサーが備わっていないのは救い。
かつて生命だったもの。
かつて建材だったもの。
かつて移動手段だったもの。
それらが画一の同じ体積の塊になって、まだ熱のあるまま放置されている。
つい数時間前までの狂乱が嘘のように、ふたたび利用されるまで静かに転がっている。まだ熱を帯びて転がっている。光沢を伴って。あるいは鈍く燻んで。
それらが堆く重なる隣を抜けて。
それなりに他の自動人形からは距離をとってからマイが切り出す。
「どういうことなの。説明してもらえるんでしょ詩音ちゃん」
「まあ……、な。あんたが変だったのは今に始まったこっちゃねえが」
「まさか自動人形の最終目的が人類抹殺だったなんて……」
詩音はマイの指摘に返さず。
「オリオン座なんか見えやしない、昨日そう言ってたよな」
「? うん」
「皮肉なことに、ヒトの活動がおさまりゃ見えると試算されている。そりゃあそうだよな、あいつらの生命活動は目に余る。それってつまり、ヒトはいらねえってことなんじゃねえのか?」
「たとえそうなんだとしても。ヒトはこの星で生まれたんだよ、外からきた昆蟲と違って。外からきた詩音ちゃんたちとは違って」
「なんでそこが“わたしたち”じゃあねえんだろうな。なあマイ。あんたはさ、自動人形じゃあない、のか?」
マイはすぐには答えない。
黙して電脳の中を探り、より正確な情報を提示する。
「厳密にはそうなのかもしれない。わたしのヒトであった最後の記憶は、ヒトが営む研究所の実験室のもの。横たわる巨大なわたし……。事故に遭ったわたしの、記憶をデータとして抽出して、自動人形に植えつける——」
「自動人形の製造にヒトが関与!? やはり地球人唯一の理解者、鶴賀氏に連なる?」
「わたしはたぶん、鶴賀十蔵の孫、沢村麻衣の記憶を移植したフィギュアなんだと思う」
聞いた詩音が色めき立つ。
「そうか! やっぱり記録が消えたんじゃあねえんだ! 元はヒトで! 失われたんじゃねえ、フィギュアとしてのデータなんか最初から入れてもらっちゃいなかったんだ! だからなんにも知らねえ、なんにもインプットされてねえなんて奇妙なことが起きる! そうか、元から電脳内のデータ構造がちがっていたのか。そりゃあなんにも入れられてねえわけだ、与えられたのはすべてヒトであったときのデータのみ、演算領域は脳の思考を電脳で再現するために。戦闘はサポートAIとオプションパーツ頼み。長きにわたってヒトのコピーとして活動し、先だっての事件で記憶域の一部が消えた。だから今はヒトの思考に限りなく近い状態に戻っているってことなのか……」
ひとしきり興奮した詩音がはたと気づき。
元の声音に戻して。
「だとして、じゃあ繰り返しになるが、あんたは本当にヒトを生かしていい存在と思うか? 自動人形の立場でもいい、ヒトの立場でもいい。人類を生かす価値があると本気で思っているのか?」
「価値なんて他人が決めることじゃない。価値なんかなくたってヒトは生きていていい」
「いいや、生きていることが罪なことだってある。あんただって川くらい見たことがあるよな。異臭をはなつ、あれら醜い川を。泡は消えず、ゴミが沈み、死んだ小さな生き物が浮く」
「ここはまだ。昔に比べたらそんなじゃ——」
「オイオイオイ、そんな狭ぇ世界で論じてねえことが分からんとは言わせねえよ。あんたの言うそりゃああんたが暮らした所限定だろ。海の反対側じゃあ空にも海にも廃棄物は垂れ流し放題。世界じゃアタシらがこの星に来てから今が一番汚えんだよ。この先はもっと汚くなる予測だ。敵性異星技術を検出したことから昆蟲を第一優先にしちゃいたが、本当なら人類こそが寄生虫、すぐにも駆除しなきゃならなかったんだ」
「そんな……!」
マイは言葉もない。
「じゃあ聞くが、あんたはさ、この星を見てひどい有様だとは思わねえのか? 歪だとは? あれでまだ美しいって胸張れんのか?」
自らも完全に是認できないことを無理に擁護したマイであったが、もっとも弱いところを精確に突かれては認めざるを得ない。
「わかってるよ、わかってるけど」
「62年前。3千年ぶりにテラフォーミングの進捗を確認にきたアタシらの創造主は、8年後にアタシらを残して去った。理由は語らず、もう二度と戻らないとだけ鶴賀氏に告げて。この星に利用価値を見出せなくなったんだろうよ」
だがマイには予感がある。想像の中の創造主が、失望の渦中でどこかにあるはずの明るい兆しを探る様が見えような気がする。
「だったらあなたたちは託されたんじゃないの? 失望はしたけれど、それでも、もしかしたらって」
そこでマイの電脳に映像が、ノイズのように過ぎる。
「いや、違う? 託されたのは、わ? たし?」
「? なんにせよ、あの当時だって全世界に散らばってたんだ、回収が面倒だっただけのことだろ。アタシらは捨てられたのさ、あの昆蟲どもと同じに。知らねえの? “飽きたおもちゃは捨てられる”。いっそ蟲と結託して、人類などすみやかに滅ぼしちまえば」
「でも——」
「デモも明後日もねえよ。あんな連中の肩を持つほうがどうかしてるぜ。見りゃあ分かんだろ、あいつらは学ばねえし、反省しねえし、未来を見ねえ。この星の自浄作用におんぶに抱っこ。あんなのは宇宙に出る資格なんかねえんだよ。この銀河の面汚し、早いとこ滅べばいい。より強い相手に淘汰されて然るべきなのさ」
「いつか変われると信じることはできない? それに自分たちより下等だからって滅ぼして、乗っ取っていい理由になんてならない! ヒトにも生きる権利はあるんだ!」
詩音は敢えて反論しない。マイの言葉を限界まで引きだすために、誘導しているかのように。
「あなたたちがあなたたちの母星で環境に一切の負荷をかけずに生活していたなんて思えない。時代のどこかでは一時的にでも誤った行いがあったはず。それを乗り越えたから今があるんでしょう? だったら地球人もそうあれるって信じてあげることはできない? 待ってあげることはできないのかな?」
「なんだ、あんたは知らねえのか。より高等な存在は、下等な存在を制してもいいのさ。それが宇宙の法、星間憲章なんだ」
マイの肩がガクリと下がる。
落胆と呆れ。自身の信じていたものがひっくり返った衝撃で、自然と罵倒する言葉がでる。
「!? そんなバカな法律なんて!」
「さっきあんたは権利っつったろ。権利なんかよりよほど高次のルールにあんたらだって則ってる、自然とな。だってそうじゃねえか、ヒトはいつも植物や動物を食って生きてやがる。それが進化を待ってやってる姿とは思えんが? ヒト同士ですらそうだと示すように、弱肉強食とは宇宙の真理さ」
互いの主張は平行線。
だが勝負は始まる前からすでについている。知らず地球も宇宙の真理に従っており、つねに強者こそが覇を主張する権利をもつ。
ずっとそうだった。
これからも変わらない。
弱者は歴史に残らない。差別され、迫害され、根絶される。今回が偶さか惑星の外からの力であった、これから害されるのが人類の番であった、それだけのこと。
「だとしても! こっち側にきて詩音ちゃん!」
「?!」
両手を拡げて懸命に乞うたはマイ。
真実も道理も感情で押し除けてただただ求めた、目の前の相手を。
「どちらかに決めてよ! ヒトを滅ぼすか、わたしを選ぶか。真理なんか本当はどうでもいいッ! ロボトイやフィギュアがぜんぶ敵でも構わない! こっち側にきて! 詩音ちゃんだけはわたしを選んでッ!」
詩音は呆気にとられ、しかしすぐに持ち直す。たとえ数億回の逡巡も1秒とかからない。
「ふふ、いいよなぁあんたはシンプルで。そうだよな、摂理とか真理とかどうでもいいよなぁ。この星の人類を根絶させるかさせないかなんて、アタシにゃ元からどうでもよかった。ようはアタシがどうか。アタシがどうしたいか」
半分に欠けた朧な月あかりが、詩音をまるで微笑を浮かべたようにみせる。
「いま決めたよ、アタシのことはマイに預ける」
「それじゃ——」
「ちょい待ち。だがアタシにはあんたの側につくとは言えねえ、口が裂けても。たとえ言ったところで行動は伴わねんだよ、そうプログラムされてる。フェイルセーフさ、自動人形が間違っても反乱を起こさねえように。だからマイ、ここだ」
詩音が母指でさし示したのは、自らの胸。
「詩音? ちゃん?」
「アタシの電脳を突け。それっきゃねえ、寝返るにはそれしか」
「そんッ——!?」
「最後まで聞け。あんたと一緒に本社を攻め落とした連中もそうだったんだろうさ。あんたに電脳をいじくってもらって、絶対遵守の軛を外した。だから突け、アタシの胸を」
「無理だよ! わたしにその記憶はないもん! 仮に胸を突いたって誤った箇所を破損させるだけ、試す価値すらありはしない!」
「いいや、あんたがヒトを護るってんなら今度こそアタシも擁護できねえ。静岡の一件とは違うんだ、自動人形には逆らえねえ絶対服従の呪縛。あんたが異常行動を起こした瞬間、アタシはあんたを討たなきゃならねえ。そんときゃあんたがアタシを殺さなきゃな。どうせ死ぬんならいま死んでやる。だから頼む、ここを突け」
「詩音ちゃん……」
「いいんだ、あんたになら。そんで駄目ならそん時さ」
夜が明ける。
“いざツルガ”の本発動時刻は翌午前2時。対ヒトへの、宣戦布告なしの電撃作戦が始まる。




