第6話 積み上がるもの
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小説版ドリームチャレンジ(Web版)
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読者ランキングで勝ちきれない焦りを、翠は誰にも見せなかった。
見せる代わりに、夜の街へ行くようになった。
最初は撮影後の付き合いだった。
知り合いに誘われ、綺麗な店のソファに座る。
細いグラスの中で、淡い金色の泡が静かに立ちのぼる。
隣の男が、甘い声で翠の名前を呼んだ。
「翠ちゃん、今日も可愛いね」
たったそれだけで、昼間に削られた何かが少し戻ってくる気がした。
ホストクラブの席では、翠は一番でいられた。
少なくとも、そのテーブルの上では。
担当の男は、翠が読者モデルをしていることを大げさなくらい褒めた。
雑誌を見たと言い、SNSの写真を覚えていると言い、他の子にはない華があると笑った。
本当かどうかは分からない。
分からないのに、気持ちよかった。
「あたし、ハマるタイプじゃないし」
翠はそう言って、グラスを持ち上げた。
甘い言葉も、気遣うような視線も、全部分かった上で楽しんでいるつもりだった。
会計の数字が少し高くても、次の仕事が入れば払えると思った。
順位が上がれば、もっと仕事も増える。
有名になれば、この程度の出費は笑い話になる。
そう言い聞かせるうちに、店へ行く頻度は増えていった。
負けた気分の日ほど、あの席に座りたくなった。
誰かが自分だけを見て、自分だけに甘い言葉を向けてくれる場所が、どうしても必要になっていた。
売掛という言葉を初めて聞いた時も、翠は笑った。
「じゃあ、次まとめて払うから」
軽く言えた。
その時はまだ、入口に立っているだけだと思っていた。
けれど、甘い席は一度座ると、立ち上がるタイミングを少しずつ分からなくしていった。
* * *
黒い部屋では、第三マッチの判定がすでに下されていた。
勝者、英知。
敗者、翠。
僕はX-RAYに頼り、勝つための選択をした。
三度目の勝利。
そして今回、賭け対象として処理されるのは翠のボトムスだった。
「翠様」
マックの声が、場を切り替えた。
「第三マッチの敗北に伴い、賭け対象の処理へ移行いたします。本マッチにおける賭け対象は、現在着用されているボトムスでございます」
翠の指が、わずかに動いた。
デニムショートパンツ。
さっきまでは、ただ彼女の服装の一部だった。
今は、賭け対象として、この場所の規定に組み込まれている。
「処理前確認を行います。ギブアップを申請されますか?」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が変わった。
翠は唇を噛む。
さっきまでの強気な言葉が、すぐには出てこない。
負けるたびに、自分の立っている場所が狭くなっていくことを、ようやく身体で理解し始めたようだった。
「……しない」
声は小さかった。
けれど、はっきりしていた。
「ここで逃げたら、ほんとに終わりじゃん」
「承知いたしました。翠様のギブアップ不申請を確認しました」
マックは淡々と続ける。
「これより、第三段階、ボトムスの賭け対象処理を実行してください」
翠はゆっくりと立ち上がった。
サンダルを失った素足が、床に触れている。
トップスを失った上半身は、ハート形のシールと腕の動きだけでどうにか隠されている。
指先がわずかに震えていた。
それを隠すように、翠はわざと強い目で僕を睨んだ。
「……見すぎ」
「……すみません」
「謝るくらいなら見ないで」
「でも……」
言いかけて、僕は言葉を飲み込んだ。
見るなと言われても、この勝負の結果は見届けなければならない。
そんな理屈が、胸の中でひどく薄っぺらく聞こえた。
翠は短く息を吐いた。
「……見たいなら、見れば」
声は投げやりだった。
「どうせ、そういう勝負なんでしょ」
強がるように言いながら、彼女はデニムショートパンツの腰元に手をかける。
指先は震えていた。
それでも、彼女は視線を逸らさず、まっすぐ僕を睨むように見ている。
布が擦れる音が、静かな部屋にやけに大きく響いた。
「……ほんと、最悪」
翠の声がかすれる。
「なんで、こんなことになってんの……」
文句を言いながらも、彼女は手を止めなかった。
腰元のデニムが少しずつ下がっていく。
膝のあたりで止まり、それから彼女は片足ずつ慎重に抜いた。
サンダルがないせいで、動きは少し不安定だった。
翠はそれでも倒れなかった。
倒れまいとしているように、背筋を伸ばした。
やがて、デニムショートパンツが彼女の手の中に収まる。
黒の下着だけになった翠は、逃げるようには背を向けなかった。
むしろ、見られていることに耐えるように、正面を向いたまま立っていた。
頬は赤く、目元には悔しさが滲んでいる。
それでも、彼女は負けを認めたような顔だけはしなかった。
「……満足?」
「翠さん」
「名前呼ばないで」
彼女はきつく言った。
けれど、その声は少しだけ震えていた。
「あんまりジロジロ見てると、次は絶対勝って泣かすから」
声は強気だった。
だが、握りしめたショートパンツの布には、彼女の指が深く食い込んでいた。
怒っているのか、恥ずかしいのか、それともその両方なのか。
正面から見ても、はっきりとは分からなかった。
「……はい」
翠は顔だけを少し横に向け、ショートパンツを差し出した。
「これで、いいんでしょ」
「確認いたしました」
マックが受け取る。
「第三段階、ボトムス。翠様より提示済み賭け対象を受領いたします」
それで終わりだと思いたかった。
けれど、マックは続けた。
「翠様。規定により、第三段階の処理完了確認を行います」
翠の表情が、一瞬で凍りついた。
「対象区分の衣類が完全に外されていることを、視認により確認する必要がございます。」
「壁面の指定位置まで移動してください。」
「両手を壁につき、足を肩幅程度に開いてください。」
「そのまま上体を前に倒し、腰をこちらへ向けた確認姿勢をお取りください」
「……は?」
翠の声が低くなる。
「ちょっと待って。目の前で脱いだばかりじゃん」
「規定に基づく確認でございます」
「なんでそんな確認が必要なの? あたしが隠してると思ってるわけ?」
「対象区分の衣類が完全に外されていることを確認するためでございます」
「わざわざそんな格好させるの……? マジで最低」
翠は声を震わせて抗議した。
マックは微動だにしない。
「お気持ちは理解いたします。しかし、処理完了確認は合意済みの規定に含まれております。確認を拒否される場合、規定に基づきペナルティが発生いたします」
翠は唇を強く噛み、拳を握りしめた。
怒りと羞恥で全身を小刻みに震わせながら、ゆっくりと壁面の指定位置へ向かう。
「……くっ……最低、ほんと最低……!」
彼女は命じられた通り、壁に両手をついた。
その姿勢は、翠にとって何よりも屈辱的だったのだと思う。
顔は見えない。
けれど、肩が震えている。
太ももにも力が入っている。
耳まで赤くなっているのが、横からでも分かった。
僕は息を呑んだ。
見てはいけない。
そう思った。
でも、目を逸らせば、それはそれでこの場から逃げることになる気がした。
勝ったのは僕だ。
この状況を生んだ一端は、間違いなく僕にある。
だから見届けるべきなのか。
それとも、見ないことだけが残された礼儀なのか。
答えは出ない。
答えが出ないまま、胸の奥だけが熱く、苦しくなっていった。
「……もう、確認したでしょ……!」
翠の声は怒りに満ちていた。
けれど、明らかに涙混じりだった。
「これ以上見ないで。ほんとに、許さないから」
「確認完了いたしました」
マックが告げる。
「第三段階、ボトムスの処理条件を満たしております」
翠は壁から手を離し、両腕で自分の身体を隠すように縮こまった。
顔は真っ赤だった。
目が潤んでいる。
「英知様」
マックが、丁寧に畳まれたショートパンツを差し出した。
「こちらは、第三マッチの勝利により英知様へ移譲された賭け対象でございます。規定に基づき、所有権は英知様へ移ります。お受け取りくださいませ」
僕はそれを受け取った。
布には、まだ翠の体温が残っていた。
デニムの外側だけでなく、内側にも熱がこもっている。
さっきまで彼女の腰と太ももに触れていたものだと、指先が嫌でも理解してしまう。
翠はもう、腰まわりを隠すものを失っていた。
視線を向けないようにしても、黒い床に立つ褐色の脚の長さや、太ももの付け根を必死に隠そうとする手の動きが目に入る。
見たいと思ってしまった。
その瞬間、自分の胸の奥が嫌な熱を持った。
彼女が恥ずかしさで震えているのに、僕はその姿から目を逸らしきれない。
内側の布地には、わずかな湿り気があった。
汗の匂い。
肌に密着していた布の、むっとするような熱。
太ももの汗と、長く身につけていた衣類特有の甘酸っぱい匂いが、鼻先へかすかに上がってくる。
僕は無意識に息を吸い込みそうになって、慌てて止めた。
止めたつもりだった。
けれど、もう遅かった。
鼻の奥に、翠の体温と匂いが残ってしまっている。
勝利の証。
そう呼ぶには、生々しすぎた。
僕は慌てて、ショートパンツをテーブル脇に置いた。
「……今、嗅いだよね?」
翠が睨む。
「……してません」
「した。絶対した」
翠の頬が、怒りと羞恥で一気に赤くなる。
「あたしの汗とか……そういう匂いで、変な顔したでしょ」
「……すみません」
「だから謝るのやめて。余計腹立つ」
翠は自分の身体を隠すように腕を抱えたまま、視線を逸らした。
「第三段階、ボトムスの処理を完了いたしました」
マックの宣言で、またひとつ区切りがついた。
しかし、終わったという感覚はない。
テーブル脇には、サンダル、トップス、そしてショートパンツ。
勝つたびに、僕の側へ何かが積み上がっていく。
その事実が、今さらのように重く感じられた。
* * *
「そして、勝負はここで幕を下ろすわけではございません」
マックが続ける。
「続いて、第四マッチへの移行確認を行います」
「……第四、マッチ」
翠がその言葉を小さく繰り返した。
今度の声には、さっきまでよりもはっきりとした緊張があった。
「翠様。第四マッチへの参加を継続されますか?」
翠はすぐには答えなかった。
もう強がりだけでは押し切れないところまで来ている。
それでも、彼女はまだ席を立たなかった。
「……しない」
小さな声。
けれど、否定の言葉ではなかった。
「ここでギブアップなんて、するわけない」
声は少し掠れていた。
だが、折れてはいなかった。
負けを認めたくない意地が、まだ彼女の目の奥で燃えているように見えた。
「承知いたしました。翠様の参加継続を確認しました」
マックが告げる。
「では、第四マッチの賭け対象を確認いたします」
翠の肩が、わずかに強張った。
「英知様は、引き続き金チップ五枚。翠様は、第四段階、現在身につけているニップレスシールでございます」
ニップレスシール。
その言葉が落ちた瞬間、僕の呼吸が止まりかけた。
翠の胸元を隠している、ハート形のシール。
あれが、次の賭け対象として示された。
翠は腕に力を込めた。
怒っている。
恥ずかしがっている。
それでも、まだ引こうとはしない。
翠は睨みつけてくる。
その目の奥には、怒りだけでなく、追い詰められたような緊張があった。
「いいよ」
彼女は息を整えるように、一度だけ目を閉じた。
「次で取り返す」
そして、目を開ける。
「英知のチップ、全部取って終わらせるから」
「第三段階は終了。第四段階の賭け対象は、ここに提示されました」
マックの声が、再び機械のように整った調子へ戻る。
「金チップ五枚と、翠様のニップレスシール。形は異なれど、規定上の価値は同一。天秤は再び、水平でございます」
水平。
その言葉は、もう何度聞いても信じられなかった。
僕の側には、祖父の金から変わった五枚のチップ。
翠の側には、彼女が今、必死に隠しているもの。
それを同じ価値だと、この場所は平然と言う。
「双方の確認が完了いたしました」
マックが告げる。
「勝者がさらに深く踏み込むのか。敗者がここで流れを奪い返すのか。第四段階へ進んだ勝負は、もはや軽い挑発だけでは覆せない領域へ入りました」
翠は息を整え、胸元を守る腕に力を込めた。
目だけは逃げていない。
テーブル脇には、サンダル、トップス、ショートパンツ。
目の前には、胸元を腕と小さなシールで守る翠。
そして次に賭けられるのは、その最後の覆いだった。
黒い部屋の空気が、もう一度、深く沈んだ。




