第二幕 醜悪なる魔物 ②
カフェ休憩を終えて鈴乃と別れたオレとセイラはとりあえず街を歩いた。
まだ昼頃で人混みも混雑している時間帯だが今は人通りが少ない。警備ドローンが空を巡回していた。
「……オレがあんな事をしたのが原因でヴィランに堕ちたか……、それとも元々、インビジブルに堕ちていて、その怒りに触れたか。まあそれは五十嵐が本当にあの『悪魔』だって想定だが」
「……」
「問題はいつからヴィランだったのかって事と、どうやって都市の目を逃れているかって事と、あとどのくらいインビジブルがいるかって事だな」
「…………それはどうでしょう」
ふと立ち止まったセイラは曇天の空を見上げた。
「どういう意味だ?」
「ハルヒロさん。今回の一件をそう難しく考えなくてもいいと思いますよ。きっとシンプル──」
『キュウウウウウウウウウウウウウウウ』
刹那、オレとセイラがいる区域に警報音が流れ出した。
「『ヴィラン発生。直ちに避難指示に従って避難を開始してください』」
そんな機械的な声が何度となく繰り返される。
「……まったく。この都市は退屈させないな」
不愉快な顔を隠さずにこの世界の残酷さに唾棄を飛ばした。
それからすぐ傍で何かの破壊音が響くと、砂煙がオレのいる場所まで舞ってきた。
「どうやら透明悪ではないヴィランが近くにいるようですね。どうしますか?」
淡々に告げるセイラの言葉には契約にはない『ヴィラン』への対応をどうするかと聞いている。
なんて厄日続きだ。オレが目を逸らし続けた現実に向き合わなければならないのだ。
「……行くよ。ちょうど警戒態勢のこの都市だから警察や守護者達の応援もすぐに来ると思うが、その間に足止めならオレでも出来る」
「それでいいのですか?」
「はあ……、そうだよ。オレは自分の手で『ヴィラン』を殺したくないんだよ」
こんな偽善がこの世界でまかり通る筈がないと知っている。
誰にも理解されなくてもいい。
父が『ヴィラン』になってオレの倫理が一変した。
なにが正義で、なにが悪かという定義が定まらなくなってしまったのだ。
「……救いたいなら、わたしを頼ってください。それが貴方の願いを手っ取り早く伝えられます」
「救うだって? オレはお前の能力を使って二人を殺してるんだぞ」
「それは──危ないッ‼」
と話し込んでいると、セイラはオレの身体を突き飛ばした。
「なにしてッ」
すると割れたコンクリートの塊がセイラの身体にぶち当たった。
「セイラッ‼」
すぐさまに駆け寄ると、セイラの身体には幸いに怪我はない。
……この霧がセイラを守っているのか?
「……うっ」
セイラには周囲把握能力があると言っていた。こんな不意打ちは効かない筈である。それなのにオレを庇い、オレの代わりに気絶した。
所詮オレは人間である。あのコンクリートだけでも重傷の怪我を負っていた。もしかしたら死んでいたのかも知れない。
どうして……、どうしてだ?
『……あぁ……あああああああああ』
そんな呻き声を耳にするや、セイラの身体を抱きかかえ悪討武器を抜いた。
「……念動を使う初期悪」
二十から三十の年配の女性の身体から黒い瘴気が目に視える。これは初期段階のヴィランに視られる症状だ。
意識が網膜し、やがて完全なるヴィランとなり見境なく人を襲うだろう。
現段階でオレを襲わないのがその証拠だ。
……今ならこの悪討武器で殺せる
オレが握っている悪討武器から朱色の点滅反応があるという事は『インビジブル』ではない。引き金を引けば弾が発射される。初期悪なら一発で仕留める事が出来るだろう。
きっとそれが彼女にとって幸せな事だろう。人を襲う事に比べて……。
「やめてッ」
その時。
ボロボロの服装で目に見える怪我を負った小さい少年がオレの目の前で両手を広げた。
「おかあさんをころさないで‼」
『ヴィラン』を庇う少年に時を止めてしまった。
少年の絶望の瞳が、オレの過去を刺激される。
「……厄日だな」
母親が悪に変貌してしまったオレと同じの『悪の子』。
親が『ヴィラン』になる影響で子も悪となる率が高い事から言われる蔑称だ。
これからこの少年も険しい道を進まなければならない。
「……少年。一つだけ母さんを助ける方法がある。普通に生きるより険しい道が、それ以外は助けられない道がある」
そう告げると少年の瞳に輝きが戻るが、オレはそんな甘い考えをへし折る。
「この都市を出て、ヴィランの巣窟に向かう事だ。これしかない」
「……あ……」
そう告げると、少年はどこか諦めた吐息をする。
小さい子供でも冷静に物事を考える事が出来る世代の少年は知っていた。
『ヴィランの巣窟』とは都市の監視領域外である都市外の事だ。
そこは守護者など命を脅かす者がいない『ヴィラン』にとって安息の地であり、力尽きる墓場とも言われている。
『ヴィランの墓場』。この都市外の領域そこに人間など住める領域はない。だが人類からの攻撃は防ぐ事が出来るヴィランが生きていけるだけの領域だ。
だがその領域に向かうまでにはこの都市のあらゆる刃が牙を向く。
しかも運の悪い事に『インビジブル』の影響で警戒レベル最大が発令されている。数分もしない内にあらゆる機関が向かってくるだろう。
結論から言えば、今の現状でヴィランに堕ちたのなら、助けられる方法などありはしない。
「勝手だよな。ごめんな。オレは少年に残酷な事しか言えない。けどな……この世界では見捨てるのは当たり前な事なんだ」
心にも思っていないことを、自身で納得がいかない事を吐き捨てる。
「……少年。強くなれ、よ。それしか……オレ達に生きる道がないんだ」
過去の自分を重ねるように告げる言葉には重みがある。少年の瞳から大粒の涙を零しながら両手を下げる。後方の母親も苦しみながらも安心の吐息を吐いた。
刹那──母親は少年を巻き込み爆散した。
「え?」
肉焦げた匂いが鼻を刺激し、視界の先には破壊された跡があるだけだった。
オレは思わず己の悪討武器を見るが熱を帯びていない。そもそも撃てば少年も巻き込まれるのは必須であり撃つ筈がないのだ。
そこに──
「──対象を処理完了。先輩お先でーす‼」
「くそ。今月ピンチなのに……まあこの状況ならもっと増えるだろ」
と場違いのように陽気な会話が耳に入ってきた。
制服には守護者のマークが目に入ると、その二人は呆然と立つオレを視界に捉えていた。
「はあ……そこの学生や。お前がトロイから俺が先に貰ったぜ」
若い守護者の男はいかにも残念だったなと言わんばかりに嬉しそうに言った。
守護者達はヴィランを討伐する事によって莫大な報酬を手にする事が出来る。
だがそんな小さい事はオレにはどうでもよかった。
「今……子供を巻き込んだんだぞ」
「うん? ヴィランの子を殺したって処罰にはならないよ。この警戒レベルなら小さい事さ」
心配しなくて大丈夫だとそう中年の守護者は場違いのことを告げる。
なんだ? これ?
ヴィランに堕ちた母親は勿論、少年も気付くまでもなく絶命したのだ。
こいつらはそれを当然のように斬り捨てた。己の私利私欲の為に。
今まで我慢していたのが馬鹿みたいだ。どうしてこいつらが生きて、オレ達が死ななければならない?
肉親の為に涙を流す少年と己の欲を満たそうとする醜悪な魔物達。
果たしてどっちが正義か悪なのか?
「……醜悪な魔物とヴィランとなにか違いがあるか?」
「あ? なにか言ったか?」
それはひとえに罪への罪悪感という弱さに違いないだろう。だがその弱さは間違っているのだろうか?
この世界では他人に迷惑を掛けたと思い込み罪悪感から『ヴィラン』になる者と他人を蹴落として当然と生きている人がいるのだ。
どうしてこいつらは生きているのだろう? どうして死んでくれないのだろうか?
どうしてそんなに笑って生きてられるのだろうか?
ドクンっと心臓の鼓動が早くなった。
それなのに頭は冷静だった。まるで第三者の視界からこの世界を視ているかのようである。
若いほうの顔を拳で殴り、中年のほうは呆けている顔をしていたので腹に蹴りを咬ました。これほどに殺意を抱いたのは久しぶりだったので加減が出来ない。いや加減など知った事ではなかった。
オレは間違っているとは思えなかった。幼い少年を殺した醜悪な魔物達を殺す事にどうして迷う必要がある? この行いが間違っているのならこんな世界など滅びればいいではないか?
「やめ、やめて」
情けない悲鳴が耳に入ってきた。その悲鳴に高揚感に似たどす黒い感情に支配される感覚が心地よかった。
どうしてもっと早く堕ちていなかったのだろうか? どうしてオレは今まで善意という壁に囚われていたのだろうか?
簡単だったのだ。簡単な事だったのだ。
オレ達を殺そうとする敵は殺して、オレ達を殺そうとする世界を壊す。そんな簡単な事が分からなかった。
「はあ、はあ、はあ」
だがどうしてだろうか……息が荒かった。
血で汚れた拳が視界に落ちて、引き返す道も失った。
この拳を振り下ろしたらきっとこの若い魔物は死ぬだろう。
「……どうしてこんな事を? やめろ、やめるんだ」
と中年の魔物がうつ伏せで倒れながら狂人を視るような瞳でうわ声を上げている。
その狂人を、怪物を創り出したのは醜悪な魔物達だろ。怒りが再臨すると、オレはその拳を──
「──もういいでしょう。ハルヒロさん。貴方の叫びは痛い」
白い光がオレの肩にそっと触れた。それは冷たい心を温めるような光だった。
拳から力を失うと、途端に震えだす。セイラは白い霧の手を翳すし、呪文を詠唱する。
「その記憶を改竄せよ【エレメンタルミスト】」
¶
あれからどのくらい経っただろうか?
セイラの魔法でオレが傷付けた守護者達の致命傷は癒え、その記憶も『インビジブル』の仕業という認識になったらしい。
そのことに不満も安堵もない。ただ少しだけ喪失感のような空虚さに動揺しているだけだ。
「……笑いたきゃ……笑えよ」
暗闇の公園のベンチに座り込んだ俺は無言のセイラに見せたくなかった一面を視られて羞恥心を顔に出さずに言い放った。
「……ごめんなさい」
一体、彼女は何を謝っているのだろうか? そんな事を考えてもどうでもいい事だと結論つける。
だってオレは……彼女の手を握る資格がないのだと再認識してしまったからだ。
「これでわかっただろ? オレはお前と『ヴィラン』と戦える心構えとか、崇高な使命感とか皆無なんだよ」
「……そうですね」
「だってそうだろう? オレはこの世界が嫌いだし……滅びればいいとさえ思っている狂人だし。大事な人以外はどうでもいいと思っている自己中心で……どうしようもない奴なんだ」
しかもいつヴィランに堕ちるかわからない病人である。
「だからお前はオレじゃないパートナーを作るべきだ」
「それは無理です。わたしは貴方が欲しい」
「……どうしてだ? オレは絶対にお前の期待を裏切る自信がある。だってオレは『ヴィラン』の存在を否定したくない。お前の目的とは相対する存在と組むなんてどうかしているぞ」
そう否定すると、肩にポツリと雫が落ちて来た。
天からの雫はポツポツとやがて激しさを増していき、セイラの瞳からも垂れていた。
「共感ですよ。貴方に最初に触れた時……どうしてだか貴方の心と共感していたのです」
「いやお前がオレに対して抱いている感情は共感なんじゃなくて……同情だろ」
「いえ……違いますね。いくらわたしの口がなにを言おうと信じて戴く事は出来ないようですね」
と流石にオレを理解しているだけあってこれ以上の会話は無駄だと判断したようだ。
どんな言葉を並べても、オレの理想と彼女の目的は平行線で交わる事などありえない。
「そうだな。『インビジブル』をどうにかするまでの約束だったが、オレは役には立たてそうにない。……だからここで──さようならだ」
そう告げると、もうオレとセイラの間に会話はなかった。
セイラの身体は霧のようにオレの前から消失したからだ。
それを一種の寂しさを感じるが、その感情を抱いている己に嫌気がさした。きっとこの選択を後悔する時が来るだろう。そんな事はわかっていた。わかっていたんだ。
それでもやっぱりオレはこんな世界に手を差し伸べるほどの聖人君子などではない。
どうしても怒りを抑え込む事ができない。オレ達を殺そうとしている世界に憎しみすら抱いている。
現に今日は母親を守ろうとしていた勇敢な子供は正義の名のもとに斬り捨てられた。
そんなことがまかり通る世界を愛せと言われても、無理だ。
逆に壊したいと、なにもかも消したいと何度も思いとどまってすらいる。
どうしてオレ達は世界から迫害されなければならないのか?
どうしてオレは未だに正気を保っていられるのか?
「いっそ、ヴィランになって……終わらせて貰えたら」
そうなってしまったら、非常に困ることになるが、今のオレにとってはそうなってもいいかなと自暴自棄になっている。
セイラと別れてしばらく経っている事に気付いたオレは悲嘆する事をやめ、誰もいない公園のベンチから立ち上がると、ふと雨が降ってきた。
ぽつりぽつりとリズムを刻んでいくと、やがて激しく暴れる雫に全身が濡らされる。
傘もお金もないオレにはもう防ぐ術もないので、ただ受け入れることにした。
雨に打たれていると、不思議と怒りが流されて自分自身が正常になっていくのを肌で感じる。
そうだ。そうだった。
オレはいつだって他人の笑顔が大嫌いだったんだ。
どうしてお前らは笑っていられる?
どうしてオレ達の現状を平然のように歓喜するように笑っているのか?
そしてオレはそんなお前らの苦痛に苦しんでいる姿を観て、少しだけ救われた気分がした。
確かに最初は防衛が目的だった。だが最近はその目的も薄れ始めている。
この感情は間違っていると思う反面に壊したいという欲求には抗えない。
ああ、そうだ。そうだった。
この世界で一番の醜悪な魔物はきっとオレなんだ。




