第一幕 ヴィランの子 ③
「赤霧。ちょっといいかな?」
「うん?」
珍しく声をかけられたので首だけ振り向くと、どうやら授業が終わっていた事と、話し掛けた男の眉が険しかった。
「話し掛けられたらきちんと人の顔を見ないといけないよ。返事も『はい』だろ」
「……はい?」
とりあえず返事を『はい』と答えたが、この男はなにを言っているのか理解できなかった。同級生相手に礼儀の作法を教え込まれても困る。
「そんな事もできないから君はまだ『守護者研修』なんだろ? このクラスでは君以外は『準守護者認定』になっている。もう少しだけ僕達を見習ったらどうだ?」
「あー……うん。見習うよ。うん」
最低限の情報を手にした俺は立ち上がり、タブネットの起動を停止させる。
丁度、昼休みになった事だし、一番の情報源に会っておこうと教室を出て、廊下を歩いていくと、
「ちょっと待たないか、まだ僕の話は終わっていないよ」
としつこく絡んでくるクラスメイトに流石のオレも眉を顰めた。
「……なんだよ」
面倒そうに振り返ると、少々オレは目を開かされる。
その同級生の瞳は濁っていなかったのだ。
まるで自分はなにも悪くないと言わんばかりの純粋な正義感に突き動かされている。
同級生いや彼の認識では俺が悪で、彼こそが正義なのだろう。
悪意なら遠慮なく叩き潰すが、こういう善意はやりづらい。
「君には協調性がないのかい? 遅刻は当たり前のようにする。生活態度も悪い。違反行為も多い。努力の威勢がない。君がいるだけで僕達の空気が悪くなる」
どうしよう。否定出来るところが見当たらない。
彼の名前は知らないが、彼に対して申し訳ないという気持ちが湧いてこない。
だってオレは……、
ふと周囲からの険悪な視線を感じた。
「もっと言ってやれ」
「流石は五十嵐だな」
「……なんで生きてるのかな」
「そうだよね。さっさと墜ちればいいのに」
「──『悪の子』がこの学園にいたら駄目でしょう」
そんな話し声を耳にするのは珍しくない。別に彼等からすれば悪意など欠片もないのだろう。
『悪の子』。親が『ヴィラン』に墜ちた者に告げる最大限の蔑称。
この世界では唾棄すべき存在だというだけだ。
「気に食わないなら謝るが、それはお前の勝手な都合でオレには一切の関係がない。オレの将来に関与する権利が、義務が、お前にあるのか?」
一言の謝罪と、声音を落とし、堂々と正当的に威圧するように挑発するオレに周囲は押し黙る。普通の人間には耐えられない空気の中で、堂々としている姿は異質に映っているのだろう。
「な、君はッ」
案の定、青筋を浮かべる五十嵐に語る言葉などないと断じて、通り過ぎようと足を運ばせるが、背後の雑な気配に合わせるように首を曲げる。
「なんのつもりだ?」
予測していた裏拳を避けて見せたオレに瞠目する五十嵐は乱れない呼吸で次は右足で蹴り下げる。
「ちょっと君には教育が必要だと思ってね」
「教育って……ただプライドを傷つけられただけだろ」
あまりにも呆れて苦笑するオレに、更に加速させる五十嵐。
どうやら五十嵐が使う武術は少林寺拳法と空手を混ぜ合わせた独特……いや、一般的の市民に比べては腕が立つのだろうが、正直、チンピラとそう変わらなかった。
これでよく守護者を名乗れるものだと感心してしまう。
再び殴りかかってきた五十嵐の腕を掴み取ると、その場で鮮やかに五十嵐を地面に抑え込んでしまう。
「なっ!」
五十嵐はあまりにも簡単に丸め込まれた事実に信じられないと瞠目し、痛みを訴える。
「……は?」
それが誰の言葉なのかはわからない。あの五十嵐があまりにも鮮やかに拘束に周囲の者達は目を奪われてしまう。「やれ、やれ」と応援していた右手はゆっくりと行き場を失い垂れ堕ちた。
「さーて、教育がどうとか言っていたが……」
本当にどうしようか? と現実逃避するオレは取り敢えず力を強め、抵抗したら折るぞと警告混じりの脅しをかける。
「ひっ」
そんなに殺気込めていない筈なのに怯える五十嵐に呆れてしまう。
この程度で凶悪な悪に挑めるのだろうか? まあオレも逃げ回っていたけど。
「おいおいそろそろ止めたほうが……」
「おい、やべーってあの噂が本当なら」
その声には焦りと緊張の声音であった。その空気が伝染するかのように焦りから緊張そして恐怖に変わる。
脆い。あまりにも脆かった。
最初は正義感から気に喰わないオレをどうにかしたかったのだろう。だがこいつらの崇高な使命と言う奴はこのくらいの悪意によって簡単に砕け散るのだ。
そしてこいつらはこう思っている。『お前は間違っていて、僕達が正しい』と。
善意は、悪意よりも恐ろしい。
「いたっ、ちょ、待っ、って」
こいつらは正義の為なら平気で他者を貶める醜悪な集団である。
こいつらは金の為なら殺す事に躊躇う事がない。いやその醜悪さを誇り散らす。
「やめ、やめて」
だが残念な事にこいつらの行いは正しい。
どんなに醜悪な存在でも、悪はこの世界には存在してはならないのだ。
『悪』は──人類の敵なのだから。
「赤霧。なにをやっている」
と考え込んでいた俺の耳に雑音のように耳障りな声が聞こえて来たので、乱入者を睨めつけると、この学園の教官を務める船林静香である。
この守護者育成学園の教官は守護者としての戦績が優秀な者でしか務める事が出来ない。
三年前の当時二十歳という最年少でこの学園にて就任するという快挙を成し遂げたらしいが、そんな話には全くの興味ないオレからしたらどうでもいい存在だ。
「見てわかりませんか? いきなり襲いかかってきたから無力化しているだけです。どうやら正気を失っているようで……現段階ではなにかしらの薬を服用しているのではと、薬売買組織の背後関係をあらっているだけですよ」
「よく回る舌だな。感心する」
邪魔するなという警告と船林の目の前であろうと関係なく腕に力を入れる。船林が余計な事したら恐怖で情けない悲鳴を上げる五十嵐の腕の骨に生涯の傷ができるだろう。
それを前に口調はあまりにも冷静だった。怖いくらい淡々と苦笑する船林にオレは少しばかり動揺する。
「だが離してやれ。お前の為にもならないだろ」
対話に必要な事はいかに主導権を握るかによる。よく教師、親は「人の話はよく聞きなさい」と言うがそれは間違いである。仮にこの場合、詐欺師の甘言を聞いていたら騙され、人生など終わってしまう。オレの敵ならなおのことだ。
「……お前の為にならない。それは笑うところなんですかね? 一つ、この場でこいつを解放するとしたら、どんな処分が下るのですか?」
「それは双方と話し合って決まるだろう」
仮に船林の言葉を素直に聞いていたら、追い出したいと思っているオレを容赦なく切り捨てるだろう。
「それとも赤霧は仲間に危害を加えるつもりか?」
そんな牽制の言葉を耳にした時、オレの理性が大きく揺らいだ。
「冗談が好きなんだな。仲間を見捨てるのが守護者だろ」
あまりにもオレは冷たくそう言い捨てたのを感じた。その証拠に誰もが息を呑み込んだ。
五十嵐もその周囲も、そして船林も。
「そもそもオレは被害者だ? お前は学校来るなとか、一緒の空気を吸うことが嫌だとか、サンドバックにはちょうどいいとか言われて殴りかかってきたからこうして押さえつけているだけだ。それでもあんたは俺の邪魔をしますか?」
「それでもだ。彼が怪我でもしたら将来に渡って『悪』を倒し、救える命を放棄する事になる」
「人を殺して、人を救えるならとてもいいことだな。──で? そんなどうでもいい話とオレになんの関係がある?」
鶴の一声に期待して同情に訴えても、やはりこの船林も現代に染まっている人種だった。
『悪』に人権などないというご弁説に思考をクリアにすると同時に五十嵐の関節を外す手前まで力を強める。
そもそもオレ相手に交渉などという甘い考えを排除する思考に切り替えた。
五十嵐は声も出せないくらいの激痛に耐えきれないのか、必死に足をバタバタと抵抗してくるが当然のように無視する。
「…………赤霧、お前は今からなにをするつもりだ?」
普通の一般生徒なら船林の威圧に萎縮するのだろうが、オレの明確な敵意を察したのか少なからず動揺が顔に現れる。
「何度も言うが、防衛ですよ。これから先もこういう風に絡まれるのごめんだからな」
本当にうんざりしているのか大きな吐息を吐くと、覚悟を決める。
今から五十嵐の関節を取り返しがつかない程に壊す。
激痛によって低確率で死ぬかもしれないが、己の愚かさとオレを恨んでくれても構わない。
お前はこれから安らぎの贄として。俺の役に立ってくれるならいくらでも甘んじて受けよう。
「──覚えとけ。オレは、オレの敵には一切の容赦はしない」
そう周囲の者達に警告を告げる。
この場にいる誰もが俺のなにかに怯え、恐れていた。それを向けられる五十嵐の比ではないが、周囲にも認知される程に俺の体中から漏れ出している。
ずっと、ずっと我慢していたし抑え込んでいたのは一種の破壊衝動と言ってもいい。
オレはいつだって何かを壊したくて、でも辛うじて存在する理性によって邪魔させる。
これが悪意なのは自分でもわかっていた。これが善意でないことも理解しているのだ。
自分自身を大切な家族を守れるなら理性を一時的に外すことで何かを壊す事に躊躇う事はもうしないと決めた。
躊躇いはこの世界では死に結びつく行為であり、甘えだ。
人は何かを犠牲にしなければ、生きていけない矮小な生き物なんだ。
湖の水を手で全てを掬えないのと同じで、全てを拾い上げる事などできる筈もない。
だからオレは諦めて、残酷で自分本意な選択を下すのだ。
衝動に押されるように、オレは痛みに苦しむ五十嵐の腕を──
「──相変わらずだね。春公君」
どこか穏やかに優しい呼びかけに再び止める。その声には船林のような耳障りさは感じなかった。
「……先生」
オレが『先生』と呼ぶ人がそこにいた。
鬼木時雨。オレの父『赤霧力哉』の親友であり、父を失って身寄りがなかった俺と妹の世話をして貰った。なりよりこの世界での生き方を教えてくれた恩師。
「状況はわかっている。大丈夫だ。春公君。離してやって欲しい」
「…………わかりました」
恩師の言葉には逆らえないオレはしぶしぶ五十嵐の拘束を解いてやった。
「くっ」
五十嵐は恥辱と屈辱に顔を歪ませるが、オレは視線で強制的に黙らせる。
「さて……五十嵐斗真君だったかな。君には守護者ランセンス廃止を言い渡しましょう」
「…………は?」
鬼木先生の言葉に理解できないと茫然に首を傾げる。
「鬼木教諭。それは……あまりにも」
「妥当だと思いますがね。察するに五十嵐君は背後から唐突と襲いかかるという暴力を行って、返り討ちにあったのだろう? 非は彼にある筈ですが、間違っていますか? 船林先生」
鬼木先生は廊下に設置されている監視カメラを目視しながら告げると、船林も黙らずにはいられない。
「ちょ、ちょっと待ってください! どうして僕に非があるとッ⁉ 僕はただ彼に守護者としての心構えの教育を行っていただけです」
「教育が必要なのは君だと思うがね。それに教育なら背後から奇襲を行う理由にはならないよ」
どんな暴論も正論には敵わない。そうやって五十嵐を封殺している中でオレは呆れる。
あれを本気で教育だと言っているとは、こいつの頭の中はどうなっているのだろう。
「心構えと言ったね。では聞こう。五十嵐君は春公君をどう視ている?」
「は?」
又も呆然と訊き返す。ここで『仲間』と即答しない時点で答えは決まっている。
「即答も出来ないのかね? 私達の敵は『悪』だ。どうやら君には『悪』の区別がつかないようだな。試しに君が持つ悪討武器を彼に向けなさい。それで見分ける事が出来るだろう。春公君は人間だと」
悪討武器とは『悪』となった人を識別しセーフティを解除する『悪』専用の武器である。人間に向けてもセーフティは外れない。
「よって守護者の心構えが必要なのはどうやら君のようだ。五十嵐君。ランセンスは廃止させるから、また1から頑張りなさい」
「…………わかりました」
五十嵐は悔しそうにしているがオレからしたら随分と甘い罰である。
周囲の者達は可愛そうに五十嵐を見て、理不尽にオレを睨んでいた。
「鬼木教諭。これは連帯責任ではないでしょうか?」
と耳障りな声で反論するのは船林だ。
「君は……なにを言っているのかね? 一方的な非は五十嵐君だろう」
「ですが……赤霧には前科があります」
「……前科などないよ。言っておくが、春公君は一度も自分から手を出す事はしていない。全て反撃による防衛行為だけだ。君は暴力と防衛の違いが判らないと言うのかね?」
事実、オレは自ら人に危害を加えた事は一度もない。どんなに調べても、この事実は覆らない。
「……いえ、そういうことなら何もありません」
案の定、船橋は口を閉じた。
「話は終わりだね。……あぁ、そうだ。春公君はこれから私の研究室に来なさい。それとも都合が悪いのかい?」
「いえ、ちょうど今から伺おうとしていたところです。……と、その前に一つだけいいですか?」
ふむと頷く鬼木先生を確認し、まだ立ち上がる事が出来ない五十嵐の前に立つ。
見下すオレを見る五十嵐の瞳には憎悪、羞恥。そして恐怖が混じり合っている。
この件で五十嵐にとっては相当の罰が下ったが──まだ足りない。
「鬼木先生。こいつの守護者資格取り消し処分を取り消してくれませんか?」
オレの言葉に周囲は理解できないように沈黙する。
船林はこの辺りが落としどころかと思っていた反面を裏切られたことにより「は?」と間抜け面を晒し、鬼木先生はこれからの事態を予測してしょうがないと苦笑する。
周囲の生徒達も憎悪の視線を送る先に戸惑い、五十嵐については目を見開いたままに固まっている。
「被害者の君が訴えを取りやめるなら聞かないわけにもいかないけどいいのかい?」
「有象無象の不意打ち。そんな小さい事でその処分はあんまりだと思います。それに背後から襲いかかったと言っても殺気を殺しきれてない攻撃を不意打ちとは言わない。アンタもそう思うだろ?」
同意を求めるように船林に視線を送ると、意図を理解出来ない船林はとりあえず頷き返した。
瞬間、オレは己の中の悪魔の笑みを必死にこらえた。
「では不意打ちによる暴力行為は処罰の対象にないと船林さんも同意したのでお願いします」
「船林教官の顔を立てて処罰を取り消そう」
その宣言に五十嵐はほっと吐息を吐いた瞬間に右腕が壁に撃ち蹴られた。
ゴキッッっと鳴ってはいけない音が周囲に響いた。
「あ、あああああああああああああああッッッッ‼」
痛みと右腕の状態に絶望の絶叫がこだまして、周囲は青ざめた。
オレの右足が五十嵐の右腕内を蹴り砕いたのだ。
中には「どうして?」と「ここまでやるか?」と呟く者も当然いるが、声を荒げて抗議する者は誰もいない。
だれもが赤霧春公の存在感に圧倒していた。
「お前はオレに感謝するべきだ。どうせこの先に捨てる命を救ってやっているオレにな」
「な、なにを……?」
「船林が笑える冗談を言っていただろう。『怪我でもしたら将来に渡って『悪』を倒し、救える命を放棄する事になる』と……正直、あの言葉に笑いを堪えるのが大変だったよ」
呆然としている船林を敬称ではあえて言わないで、逆に煽る言い方をするようにオレは口を開いた。
「お前は弱い、弱すぎる。ヴィランとの戦場にでても、誰も救うことなど出来ずにただ餌として死んでいくだけ。正直に言えばな、オレはお前のような奴らを視て、鼻で笑っていた。だってそうだろう? その程度でオレは強いなんて自意識過剰になっているんだから。この学校はヴィランを倒すための育成をしているんじゃなくて、ヴィランに喰われるだけの食品工場なんて勘違いしてしまうくらいだ」
別に五十嵐は弱いわけではない。『悪』との実践でもそれなりに活躍も出来るだろう。
『悪』とは自我を失った獣と同じだ。手順をしっかりと訓練すれば討伐するのも難しくない。
それでも俺はあえて周囲に煽るように告げた。
「お前と家畜はなにが変わらない? オレと敵対した相手に報復してなにが悪い? 徹底的に叩き潰すのは正しい行いだろう?」
開き直るオレに痛みを抱えながら五十嵐は絶句していた。
怒りが湧き上がる事を忘れるように、ただ自分が悪いのかと自問自答している。
背後から敵意を剥き出しにする船林の気配を感じ取ったオレはぐるりと振り向いた。
「なにか文句がありますか? 船林さん」
「……なるほど。それがお前のやり方か、赤霧」
その反応で利用された事に気付いたのだろう。
思っていた程には愚物ではないようである。
「オレは規則に従って執行したに過ぎないですし、そもそもアンタから文句を言われる筋合いはないと思いますが?」
不意打ちの暴力は処罰の対象ではないという同意を船林はした事実はこの監視カメラで記録している。
仮に裁判が起こった場合で裁かれるのはオレではなく、船林だ。
千年前まではあらゆる罪を人が判断していたが、現時代では全ては聖來都市のシステムが委ねている。
なぜそんな事になったかは『悪』の存在が大きい。
罪人を断罪する者達のメンタルが『悪』に屈した事例が数多く視られた事で減少。更に罪人が突如としてヴィラン化した事による被害が拡散したのだ。
その理由から都市はシステムに全てを委ねたのだ。あらゆる選択を。
そういう事により聖來都市システムによる公平な裁判が行われるようになった。
法律、規則から適切に刑罰を選択するシステムには大きな落とし穴が存在する。
その法律、規則を盾にすれば裁かれる事は絶対にないという事だ。
今回の一件は守護者規定二十七『上官命令は可能な限りに答えよ』という項目が存在する。これを利用しただけの事である。
船林は不本意ながら俺の上官にあたるので、船林が同意すればどんな無茶な事でも命令として執行する事が可能となる。
裁判になっても都市システムは公平に法と規則に従って、合法的に五十嵐を潰す事が許されているので裁かれる事は絶対にない。
──だがこれは建前だ。
本来ならこのように面倒な手続きをせず、後日徹底的に五十嵐を潰したほうが効率はいい。
それを置いて船林も巻き込んだ理由は、いつか向けられる牙を今のうちに折ったほうがいいと考えたからだ。
「……いやない。この一件は見逃したほうが賢明のようだ。結論から言えば赤霧は巻き込まれただけのようだしな。だがこれ以上の暴行を許可しない」
「そのつもりだが……またこのような事態が起これば同じような事すると思うぞ」
と意外にも引き下がる船林に周囲は不満を顔に出すが、オレが視線を向けると多くが視線を逸らした。
誰もこの場で抗議しよう者がいたら、どうなるかは今も痛みで蹲っている五十嵐を見れば予想するも容易い事だろう。
「そうだろうな。だが骨を折るのはやりすぎだ」
「たかが骨を折った程度でしょう? 致命的な怪我を負わせていないし、命まで奪ってない」
認識の違いを歪ませるように、感情の籠っていない瞳で睨みつける。
「殺される覚悟がない奴が『拳』を握るのは間違っている」
船林は反論が出せず口を閉ざした。
どんなに口で理解を求めても伝わる事はないという確信がある。
果たして自分の身を護る為に生贄を捧げる選択は間違っているのだろうか?
大切な人を護る為に他者を切り捨てるのは悪か?
この世界には守りたいモノを護る為には必ずなにかを犠牲にしなければならない。
それを否定するのは偽善だ。そんな事をすればどこかで必ず綻びが生まれ破滅する。
「オレが間違っていると思うなら、こういう馬鹿共を量産しないようにしてくれ。言っとくけどな。俺は争いごとが嫌いなんだ」
言いたい事は山ほどあるが、とりあえず船林の認識を改める。
「ま、待てッ‼ 赤霧」
と右腕を折られて激痛で立てもしない五十嵐がまだ反抗の意思を感じるが言葉に力が入っていなかった。
「こんな事をして……後でどうなるかわかってるのかい?」
本性を現したのか小悪党の口癖を出してきた。
底知らずの馬鹿か、あるいは心強い後ろ盾がいるか、どちらでも構わない。
「どうなるんだ? お前の左腕が潰れるのか? それとも二度と立てない足にするか? それとも……死んでみるか?」
仮定を話していた筈が前提と変わっていた。不思議だ。
案の定、五十嵐は痛みを堪えながら絶句し、唇を噛み締める。
「それにこれ以上お前を痛めつける事はしたくない。想像以上だよ。お前は素質ありだ」
拳返しするオレに五十嵐はもちろん、固唾を呑んでいる鬼木先生以外の周囲一同も目を丸くする。
「あぁ、『ヴィラン』の素質がな」
「な、なんだと?」
動揺する五十嵐を追い詰める為にオレはもう少しだけ踏み込む。
これがオーバーラインである。あまりにも追い詰めれば、心が闇に侵食され悪に堕ちる。
そこまではオレも望んではいない。
「お前はいまオレに劣等感を抱いている。それは負の感情であり『悪』だと世界を統括する大導師は定めた。悪感情は『ヴィラン』を呼び寄せる弱さだと、戒める感情だと告げている」
弱さは悪だと常識のように生きなければならない世界の窮屈さは嫌いだ。
「そ、そんなこと、僕は」
「忠告はした。それでお前がヴィランに堕ちたのを確認したら殺してやる。知っての通り俺は……経験者だ」
これ以上は顔に感情が顕になるのはまずい。
五十嵐に背中を向けると、周囲はドン引きしたようにオレに注目していた。
その数多な視線も俺が一瞥すると、巻き込まれたくないのか視線を逸らした。先程まで煽っていたのが嘘みたいな腰抜け達。
威勢だけは一級の有象無象に関わってほしいとは思わない。ほおっておいてほしい。
「行こう。先生。ちょうど聞きたい事があるんだ」
「……本当に相変わらずだね」
背後の五十嵐が増悪を抱く余裕もないのか硬直し、ぱくぱくと口の開閉を繰り返していた。




