第四幕 偽善の誓い ③
警備ドローンから落ちた時の衝撃はセイラが殺してくれ助かった俺はビルのセキュルティーをセイラの認識阻害を使い難無く突破して階段を登った。
目的の階に到着したオレは破壊した壁に視線を送る。先程までの喧噪が嘘のように静かだった。
そして割れた電球に錯乱していた書類に寂れたオフィスの床にボロボロの先生を発見して、すぐに駆け寄った。
「おい先生、起きろ、先生?」
「……ぐ」
鬼木先生は苦し気に息を吐いていた。
良かった。まだ生きている。この調子なら『ヴィラン』の能力で身体の異常は再生されるだろう──が?
「……どういう事だ? 先生の身体が再生させない?」
いくら待っても再生されない。逆に徐々に傷が開いて来ていた。
「『……どうやら勘違いではなかったようですね』」
頭の中でセイラの冷静な声が響いた。
「勘違いってどういう……」
その時、オレの頭に馬鹿みたいな仮説が廻った。
そんな事はありえないと一蹴する事が今のオレには出来ない。そうセイラが使う能力と魂に干渉するエレメンタル、精霊力には無限の可能性が眠っている。
鬼木先生のヴィランの特徴である『再生』が消失した。それが意味することは……
「……セイラ。先生の状態はどうなっているんだ? もしかしてだけど……お前の能力は」
「『情報の消去。あらゆる存在を解析し、霧に変えるヘイズバースト。わたしはあらゆるアストラルを解析して、その中の異物を見つけ出し、完全消去します』」
「た、魂の解析だって?」
魂とは人間のどこに存在するのか、それは脳であると称されているが、大本は心臓だと以前、鬼木先生は言っていた。
そもそも魂の構造すら人の推測の域でしかないのだ。
だからこそ、人の心、魂に取り憑く悪意を人類は消し去る事なんて出来なかった。
そんな事が出来たら、世界はここまで酷くなっていない。
「『あなた達の呼称『ヴィラン』とはアストラルに寄生する存在です。完全に消し去るにはその情報を完璧に解析して消去する他にありません。察しの通り……わたしの霧はこれまで悪だけを消去するようにしていました、が結果は大蜘蛛というイレギュラー個体で見事に狂わされましたが』」
『ヴィラン』を、『ヴィラン』だけを消す能力。
セイラの能力は『隠蔽』『創造』そして『解析』である。
もしセイラが『ヴィラン』の情報を読み込み、その情報だけを消し去る事ができれば人は『ヴィラン』から開放される。
「あの大蜘蛛は鬼木先生が創り出した『インビジブル』の一つ。人ではなかったからそこにはなにも残る事はない。だからオレもお前の能力は悪討武器の上位互換なんだと勘違いしてた」
セイラがこの事実を告げなかった理由はその事象を証明できなかったことだ。
数多の『インビジブル』は人ではない。
数多の『インビジブル』の種は鬼木時雨の身体の一部で出来ている。
例え、その『ヴィラン』を消し去っても、残るのは残骸だけ、それではセイラも自身の結果に疑問するのは当然だ。
「……ヴィランを消すだって……? ヴィランを人間に戻せる?」
ヴィランを人へと戻す能力に興奮よりも戸惑いで震えていた。
もしあの時にセイラの事を信用していたら、あの母親は救えたのではなかろうか?
子供は最後に笑顔に出来ただろう。
そんな事が頭を過った。
「なら先生は……もう大丈夫なんだよな? ならよかった」
「『ハルヒロさん……それは……』」
「──それは無理だよ。春公君」
悟った声で告げる鬼木先生はニコリと笑った。
「……どういう意味……だよ」
と鬼木先生は懐からブラックボックスを取り出した。
「あ……」
そこに入っているのは鬼木先生の心臓である。
「いまの……私は微かに通るパスで生かされているに過ぎない」
理解してしまった。
鬼木先生は『インビジブル』だから生命を繋いでいたのだ。
その生命の繋がりを断ったのはオレだ。
「……オレのせいだ」
「いや君のせいじゃないよ。そもそも私はあと数分の命だったからね」
そんな事を笑いながら告げる鬼木先生。
「『……やはり無茶な方法を使って、悪の種子を創ったのですね。貴方の大幅な寿命を消費したってところでしょうか』」
「……君が誰だか知らないが、その通りだよ。私には時間が無かったんだ。もう圧倒的に……だから計画を急ぐしかなかった」
「先生は最初から死ぬ気だったのか?」
言葉が重かった。現実が受け入れられなかった。
どうして、どうしてオレは無力だったのだろうか。どうして気付いてあげられなかったのか後悔が先に立たない。
「ああ、そのつもりだったけど、今は少しだけ後悔しているよ」
ゴホゴホと徐々に白くなっていく表情に変わっていく。
「……君に力哉の面影が視た。私は純粋に嬉しかったんだ。だから私はこれからの春公君の成長を……見ていたかった、よ」
「────────────────────」
呆然とするオレにいつも通りの苦笑いを浮かべる。
その姿にオレは一生敵わないのだと悟り、振るえる口を開いた。
「……オレは先生がいたから、こうして生きているんだ。先生がいなかったら『ヴィラン』になって死んでたと思う。……オレはもっと、もっと、もっと、貴方からいろんな事を学びたかった。秋葉と一緒にくだらない事を話したかった。父さんと母さんの話も訊きたかった。そしてなにより……」
言葉が霞んでいた。視界が滲んでいた。
そこでオレは頬に流れる涙に気付きながらも言葉を今伝えないといけない言葉を吐き出し続ける。
「先生の話をしたかったんだ」
オレの父さんとどういう仲なのか、先生はどういう人物だったのか、そんななんて事ない会話がしたかった。
そんなこといつでも聞けるのだからずっとずっと後回しにして、あんなに語る時間はあった筈なのに後悔が絶えない。
「ははは、そうだね。春公君に秋葉ちゃんに力哉の馬鹿みたいな話や私のくだらない価値観とか話したら年上という貫禄なんて崩れ落ちるだろうね」
「いやいや先生ってずっとあの部屋から外に出ない引きこもりに貫禄なんてあるのかよっ」
「ははは、違いない」
オレは無理やり頬を曲げるように笑った。そうしなければならないといけないと思ったからだ。
「春公君には私のような不健康な生活はダメなんだという反面教師の意味もあるかもしれないよ?」
「……だな」
「それにしても遺言をといざ考えているんだけど、正直に言えば思い浮かばないね」
先生の声はどことなく明るい。無理やり明るく振舞っているのか、なにかの荷物から解放されたからなのかはわからないが、徐々に全身が崩れ始めていた。
「……春公君。君は力哉より優しい人だ。君はそんなことある筈ないと言いたいのだろうけど、私はそう確信している。君の行い全てが正しい事とは私も言えやしない。けど君はいつだって誰かの為にその拳を振るっているのを私は知っている。当然、君は自分の為って言うかも知れないが、それは決して『醜き』行為なんかじゃない」
「それは……」
思わず口は否定の言葉を放とうとするがやめる。初めてだったのだ。鬼木先生はいつだってオレの行いを黙認して踏み込んで来なかった。
「そういうところは親子かな。君達は自分自身の事は無下にして、他者に手を差し伸べようとする。大切な人の為ならどんな敵にも立ち向かおうとする。護る為なら自分自身のプライドなんか全部売り払おうと考える。それは他の誰も真似できる行いじゃない。そんな自己犠牲さは君達の欠点なんだ。けれどその欠点で救われた人がいるのも事実なんだ秋葉ちゃんや私のようにね」
「けど、その為に誰かを傷つけてきた」
「けど君は関係ない人に危害は加えなかった。君の行いは立派だと言えないが、私は否定しない。まあ出来ないんだけどね。この都市を気の向くままにぶっ壊したし」
ハハハっとなぜか楽しそうに笑う先生になんとも言えない表情をする。
だってそうだろう。オレのこれまでの決意を否定せずに一笑したのだ。あの実情を知ってなお笑う事なんて俺にはできないけれどどうしてだろうか、オレの中の荷物が軽く感じた。
「確かに見事に壊してたな。あれって結構ノリノリだったんじゃないか? 正直にオレもやってみたいと思ったよ。なんかスッキリしそうだし」
「ははは、あれは楽しかったよ。無意味にビルを壊したり、誰かの高級車を踏みつぶしたり、テレビ局のヘリに向かってポーズ取ったり」
「いやあの状況でそんなことしてたの!? 馬鹿だよ! 最低だよ!!」
「うんまあ……損害賠償とかは気にしてないからね。春公君、覚えておくんだ。嫌な事から逃げてもいい。責任からも逃げてもいい。だれど自分からは逃げちゃダメだ」
「……いいことを言ってる雰囲気醸し出して、なに最低なこと言ってるんだよ」
「そうだね。私が言いたい事は二つなんだ。ここまで結構長い前置きは忘れてくれ」
「あんた、本当は余裕あるだろ?」
「一つは、そんなに頑張る必要なんてない。君は気付いてないだけで、君を助けようとする人はいる。今も君の手を取っている彼女のようにね」
昨日までのオレなら鼻で笑っていただろう。
過去から逃げて、繋がりを恐れていた昨日までのオレはきっと聞こえないふりをしていただろう。
「……話半分に聞くよ。それが今のオレの限界だ」
「それでいい。君はいつだって無茶するからね。まったく誰に似たのやら」
「心外だな。オレは勝てない勝負はしない。だから無茶な事はしたことなんか一度もない」
心にも思ってもいない事を、嘘を零した。
今まで何度、その無茶な行いから先生に何度も救われた事を覚えている。
何度、馬鹿なことをして困らせたのだろうか? その度に何度、オレに笑いかけてくれたのだろうか?
あんな濃ゆいコーヒーを飲まされ、ひとりぼっちなオレに気遣ってくれた。
最初は煩わしいと感じていた。けれどいつしか安らぎを感じた。
それはきっと家族のようないて当たり前みたいに、居場所なのだと悟らせられた。
その時にオレは思ったのだ。なんて強い人なのだろうか、と。
強さとは喧嘩の強さを表す言葉ではない。強靭な精神を表す言葉でもなかった。
誰かに手を差し伸べられる優しさだ。この人なら信頼できると思わされる優しさに俺は心を折られる強さを感じたのだ。
だから俺は憧れていた。だから俺は先生に嘘を零すのだ。
もう心配させない為に、必死に笑い、必死にあらゆる言葉を吞み込んだ。
けれど涙は止めたくても止められなかった。
だってそうだろう?
いつまでも続くと思ってた関係がこんなに早く終わりを迎えるなんて誰が想像できると言える?
別れなんて唐突にやってくるのは知っていた。母さんも父さんも別れは突然だった。
けど別れに慣れる事など俺にはできない。
「……そっか、それなら全然いいんだ。後は頼んだよ」
「『…………任せてください。わたしはわたしの目的が合致している間はハルヒロさんと共にある事を誓いましょう』」
「ふふ、君とはもっと前に会話したかったよ」
「『わたしもです。あなたほどの天才はもう二度と現れないでしょうから』」
「それは光栄だよ。君にそこまで言って貰えるなんて、ね」
セイラの怪しい誓いになんだよっと苦笑して反論しようとするが、すぐに言葉が震えて出なかった。
「……オレはまだパートナーになるって言ってないだろ」
「『聞こえません。私の耳は都合のいい耳なので』」
なんなんだよ、この宇宙人は。
「ハハハハハハハハハハッッ」
「ていうかあんたは最後に本当によく笑うな? 本当は余裕あるんだろ」
「私の時間は篝火だ。だから最後の最後まで笑っていたい。悲観に暮れるだけの人生ではなかっ……たから、ね」
そんな今までに聞いたことない明るい声は次第に徐々に小さくなり、やがて喋るのも難しいくらいに口調もゆっくりになっている。
「春公君、最後にこれだけは、これだけは約束してほしい」
「……出来ることなら叶えてやる」
「約束だ。君は……君だけは絶対に私と同じ選択を取らないでくれ」
「え──」
その時、無粋にも足音大量にこちらへと向かっていた。
その足音の他に武器特有の金属音からして、ただの野次馬ではない。
「──抵抗しないで、手を上げて」
特別部隊がこの空間に乱入する。手にはライフル銃を装備していた。
そしてそれを指揮しているのは東橋鈴乃。ご自慢の刀を抜刀し、射程範囲を捉えている。
数は鈴乃を含めて八人。仕草から見て、鈴乃以外は五十嵐と同程度に実力者なのだろう。
正直、この事態で交戦する程の体力はない。
オレは視線を下ろし、右手を──バキュンと崩壊していた壁が崩れた。
「抵抗するなッ!! さっさと跪け!!」
ライフルの威嚇射撃を放った隊員が怒声を放つ。都市を滅茶苦茶にされた恨みだろうか、この場にいる隊員達は誰もが興奮していた。
オレも怒りを押し殺し、冷静に頭を働かせる。
「『……エレメンタルミスト展開まで3分です』」
認識阻害。以前、学校の警備を素通りした術だった筈である。
あれ? あの悪騎士相手に使っていれば楽に倒せたのではなかろうか?
と疑問に感じていたら、セイラの無言の圧力で何も言えなかった。
そんなことより、その間にどうやって時間を稼いで、先生をこの場から連れ出すかを考え──
「──行きなさい。私は……そろそろ終わる」
弱弱しい声に、鬼木先生の命の燈火はそう長くはないと悟った。
こんなところへ一人置いて逃げるのか?
まだなにか伝えなければならないなにかがあるはずだ。
そう最後に最後に伝えなければならない言葉はなんだろう?
これからの事は心配するなとかあの世でも元気でとかという薄っぺらい言葉を送りたいとは思わない。
「……あの巨人を対処してくれた事は感謝する。けど貴方は何者なの?」
そうだ。オレは、いやオレ達はまだ決めていなかった事があった。
伝えたい事は多々あったけど、多分、先生にはオレの決意を伝えたほうがいいと思う。
「……オレはきっとあんたにとって余計な事をしたんだろうな。オレ自身……本当に正しい行いだって胸が張って言えやしない。自信がない。自信なんてあるはずがねぇよ。けど……それでもオレはオレの道を歩いてみようってあんたの背中を視て思った。だから観ていてくれ」
後ろを警戒しながら、オレの意志をありのまま伝えると、鬼木時雨はポカーンっと目を見開いた。
きっとこれしかないとオレは手を挙げながらゆっくりと立ち上がり、鈴乃と向き合った。
赤霧の仮面で正体はばれていない俺に警戒するように、刀を構えている。下手な動きをしたら飛ぶ斬撃で首が飛ぶ。それ以前に隊員達のライフルで蜂の巣にされるのが目に浮かんだ。
「……オレの正体を明かす前に一つだけいいか?」
「どうぞ、手短に。時間稼ぎの戯れなら、その胴体を二つにするわよ」
相変わらず思考パターンが読めやすい脳筋の幼馴染だ。
鈴乃は昔から真向から向き合ってとりあえず捻り潰すという少し逝かれた残念な思考の持ち主であるから、まず問答無用で斬りかかるクレージーな事はしない……はず。だが言ったことは必ず有言実行するので気を抜いたらあっという間に真っ二つになってさようならだ。
「時間稼ぎって稼いだって心強い援軍でも駆けつけてくれるのか? 来ないだろ? そんなどんな時でも救ってくれるヒーローみたいな存在は。オレはもう何も出来ないくらい消耗してるんだよ。わかるだろ? あんな巨人を倒すのにオレの中の全部を注いだんだ。それなのに……まさか漁夫の利にされるとは思いもしなかった」
警戒を解くために饒舌に文句たれたれに非難めいた口調で責めるように言うと、不思議なことに隊員達の顔がイラついているような気がする。
「確かにそれについても謝罪するわ。それで話は終わり?」
「ちょっと待て! 話は一つって言ったけど、さっきのはちょっとオレのほうで少し、ほんの少しだけイラついたから皮肉を言っただけだ」
「…………」
「どうしたんだよ?」
「いえね。なんか誰かに似ているなーって」
「気のせいじゃないでおじゃるか!? 某はお主のような傲岸の女子に会ったことないわ!?」
「…………傲岸?」
「豪勢な!? オレの地区の方言で美人って意味だ!」
一瞬だが、鈴乃の気配が薄れた。それは今にでも斬りかかる前触れを感じた。
勢いで誤魔化しているが、やっぱこいつおっかない。
「いい加減にしろ! 顔を隠し、変な恰好をしている胡散臭い奴の言葉に耳を傾けるか!?」
「怪しすぎるだろ!? さては悪の手先じゃないのか!?」
今にも引き金を引きそうな勢いの隊員達を一瞥する。
変な恰好は余計だが、少しだけ冷静になって苦笑して見せると、隊員達の口を閉ざした。
今にでも殺されそうになっている状況で笑える者の心境が理解できないのか、この状況でも笑える程の化け物なのではないかはわからないが隊員達の瞳は得体の知れないなにかを視ていた。
「悪の手先ねえ、オレは自分の醜悪さを自覚してるし、自分が正義なんて口が裂けても言えやしない。……けどオレは目の前の現実から逃げる事はもうやめた」
別に理解は求めていない。いつだって勝手にオレが下した選択は忌み嫌われてきた。
当たり前である。人は同じ考え、同じ生き方、同じ道理に共感し、一つでも欠けると人として視られない矮小な生き物だ。
そんな生き方はごめんだ。
「悪を倒し、強きを挫く。悪に苦しんでいるなら、オレは武器で応対するのではなく、手を差し伸べたい。馬鹿だと笑われても、無謀と罵られても、オレは手の届く人を悪から救いたい」
この簡単な意味をこの場で理解している者はこの場には鈴乃以外の隊員達にはいなそうだ。誰もが首を傾げている。
こいつらはオレが悪から襲われている一般人を救いたいとかそんな当たり前の正義をまじめにほざいているのかと、そんなところだろう。
それは大きな間違いだ。そんな事はこいつらでもやれる行いだ。
オレが救いたいモノ、そして壊したいモノは明確だった。
オレが本当に救いたいのは弱さに飲みこまれて悪に変わり果てた人であり、壊したいモノはその悪を人とは視ない醜悪な正義を誇り散らすこいつらなのだから。
「……そう。貴方は偽善者になりたいの?」
鈴乃はどこか眩しいモノを視ているように、そしてどこか憐憫に微笑んで聞いてきた。
偽善者。とても抵抗があって、吐き気がするけれど……。
「……なるさ」
だがそれでも縋って、オレが、オレで在れるなら、いくらでも仮面を被ろう。
そしてここに──偽善の誓いを立てよう。
きっと全てが思い通りに行かない。きっとどこかで失敗する。
それでも目の前で困っている人には手を差し伸べる。そんな正義のヒーローになる誓いを。
「我が名はミスト……いや、アインベルン。この名に恐怖せよ、醜悪な魔物よ。この名に歓喜せよ、救われるべき人よ」
オレは振り絞るように高らかに宣誓する。そこには満身創痍ぶりなど思わせない立ち振る舞いに隊員達はその存在に委縮させた。
正直、名前なんてなんでも良かった。けれど必要だ。
ミストマンではなく、2人で一つって意味でアイン。そしてベルは霧というレーベルから取った。ンは勢いだがβηφΔЭγと語呂が似ているのでセイラも依存はないだろう。
偽善で、道化に成り果てようと、この名に理想を体現させる為の名が。
今も苦しめられている悪意の泥沼から一筋な光に、希望になる為の名が。
「そして……この名に安心して、眠れ、腐った世界に喧嘩を売った愚か者よ」
篝火な生命の行いが無駄ではなかったのだと、その心優しき意志を引き継ぐための名が必要だった。
「あんたの歩いた道は決して途絶えさせない。あんたの理想はオレなりに形にしてみせる」
その言葉に、その愚かな宣言に鈴乃を含めた隊員達を押し黙らせる中で、笑いがこらえ切れないのか吹き出す声が聞こえた。
その笑い声は弱弱しく……やがてその声は消失して──気配が消えた。
「────」
その時、オレの肺が引き締められる感覚に寂し気に笑う。
『……エレメンタルミストを起動します』
綺麗な音色の声が背中を押すと、我慢ならない隊員の一人がライフル銃の引き金が引かれる。
バキュンっという破裂音はオレの胸に風穴が開けられた──ようにこの場の全員にはそう視えた。
「き、消えた!?」
「馬鹿な、人が霧のように消える筈がないだろう!! 探せ!!」
混乱の声を、まだその場に留まっているオレは聞いた。鈴乃もまた驚愕する間抜けな顔を晒している。
結論から言えば、オレは消えたのではなく一歩右に移動しただけだが……セイラの認識阻害の能力で気配そのものを隠蔽されている。
鈴乃達にはいかにも霧になって消えたように映り、オレはまさに別次元に降り立ったように置き去りになる。
慌てふてる特殊部隊に呆ける鈴乃を目にして、永劫の眠りについた鬼木先生に告げた。
目を拭い、鎮魂を願って、これからの理想の世界の夢を追おう。
「……さようなら。鬼木時雨先生。またいつか、平和な世界で話そう」
R
どうしようか?
計画は進行を初めて半年。力哉が死んで半年が経過した。
力哉が亡くなる前に「俺になにかあったら息子達を頼む。時雨」と散々言われていた。
その願いを叶える気はあったが、『ヴィラン』に堕ちたことで立て込んでいた。
完璧な『インビジブル』になるのに半年も経過していたのだ。
自由に都市を出歩くのは久しぶりで、やっと約束に向き合える。
もう一人の友人はきっと来ないだろうが、不器用なりに気にしていそうだ。
向かう先は力哉の息子が通っている中学校だった。
今頃は進路を決めている時期だろうが、悪の子であれば選択肢は絞られる。
ふと通り道に喧騒の香りがし、遠回りするように杖を突いた。
「……見つけた」
たどり着いた先では喧騒は終着していた。
ガラの悪い輩達が地に倒されて、無機質な顔をして踏みつけている力哉の息子の姿を。
ふと不思議と懐かしい気持ちと既視感がした。
力哉と似ているから? いや今の春公には温厚な力哉とは似ても似つかない。
そういう選択をさせている世界が悪いが、やはり既視感は消えなかった
「……あんたは……?」
疲弊しきった瞳。まるでこの世界になにも期待しきっていないかのようだ。
それから判別する瞳に切り替わる。目の前の人物が己の敵か、そうでないかを見分している。
その姿に既視感の正体がわかった。
似ている。あまりにも似ていた──以前の私に。
私の両親は『ヴィラン』になって世界に殺された。
そして悪の子と迫害され、いつしか誰が敵で、誰が無害かでしか人を見れなくなった以前の私に似てるのだ。
そんな私を解放してくれたのは、一生忘れる事が出来ないくらいあの馬鹿な台詞だった。
──俺は救世主になる男だ。
疲弊しきっていた時に真面目な顔で、なに言ってんだという台詞に頭が真っ白になった。
今思えば、それが転機だった。
その馬鹿な台詞に救われたのだ。
「……久しぶりだね。春公君」
前に会った時はまだ脂肪の塊で手にフランクフルトを常備していた。
今やかつての面影は無くなって、杖が無ければ歩けないくらいに肉が削げ落ちていた。
わからなくても仕方がない。
案の定、春公君は混乱している。
だから力哉と同じように馬鹿になろう。
「私はマッドサイエンティストなんだ」
狂気に染まり、目的を叶える覚悟は出来た。
けれど命尽きるまでこの子達を見守ろうと歩みだしたのだ。
それが贖罪なのか、約束なのかは私でもわからない。
ただそこに無限の可能性があるのなら、視てみたい。
彼等がどういう成長をし、どのような選択をするのか。
願わくば、私のようにはならないようにと、ゆっくりと瞼を閉じた。
E
『鬼の災厄』。
鬼木時雨が世界を巻き込んで起こした事件にそんな名前がつけられた。
鬼木時雨が起こした事件によって世界中の都市が揺れた。世界中に拡散された緑空にパニックを引き起こして大騒動を起こした都市もある。だがそれも緑の量子には人体に影響はないという情報により一時的に収まった。
『インビジブル』の出現により、都市防衛の強化を徹底するべきだという公論が支持を集めている。これからどうなるかはこの世界次第だろう。
この異常の事件に謎は多かった。
世界中を巻き込んだこの事件をたった一つの悪が引き起こしたのだと信じられない。
仮に協力者が実在するなら、それは何者なのか、どんな組織が関わっているのかも謎のままに事件は終わろうとしている。
その事件と同時に聖來都市に現れたヒーローの存在に一部では熱狂の嵐が起こった。
紅い霧を纏いしヒーローの名はアインベルン。
都市を救った勇姿にコミックから飛び出したとまで言われる程に子供達には理想のヒーローだった。
そして逆もまたしかり──闇の住人達の間には「赤い霧には気を付けろ」と出回っている程に……潜む悪意はその存在に惹かれて蠢き出した。
停滞していた針がカチりと音を上げるかのように、事態は動き出す。
後々に人々は思い知る。
鬼木時雨が引き起こした事件は世界の秤を狂わせたのだと。




