第三幕 透明悪 ④
「春公君? ……どうし」
するとどこか納得した先生は問いかけの言葉を呑み込んだ。
「そうか。来てしまったか……よりにもよって君がここまで辿り着いてしまったか」
とまるで運命が降ってきたと言わんばかりに呟く鬼木先生。
「……先生。あんたこれからなにやろうとしてんだよ」
「贖罪と復讐だよ。ここにいるって事は私がインビジブルだと気付いているって事でいいんだよね」
「……あんたの研究室に向かったら、警備ドローンの残骸を拾った。それからあんたの地下室を見た」
「それは決定的な証拠を見られたね。あっはは」
と愉快そうに笑う鬼木先生の表情はどこかぎこちなかった。
「いつからあんたは……『インビジブル』になったんだ?」
「二年前だよ」
「……そうだろうな」
二年前といえば、オレの父親である力哉が『ヴィラン』に堕ち、守護者に殺された頃だ。
どうやらオレの想像以上にあの時の事を悔いていたのだろう。
「あんたが『ヴィラン』に墜ちて、オレは堕ちてなかったのか……」
「それは違うよ、春公君。私は君に一つ嘘をついた」
そう否定する鬼木先生は告白する。
「私はあの時……行動できなかったんじゃない。行動しなかったんだ」
「は? それはどういう意味だ?」
「……ちょうど時間だ。君も見ていくといい」
時刻は午後三時くらいだろう。
その時、セイラと対峙していた悪魔は上空を飛び立った。身体を飛ぶ為に適した身体に変貌させると、より上空へと翼を羽ばたかせる。
──刹那、悪魔の身体は爆散し、緑色の花粉が上空に拡散させた。
それはあまりにも幻想的だった。この世界の空が青から緑へと切り替わる。
都市中が、世界中の生き物が一斉に緑の空を見上げた。
「あんた……今なにやったんだ?」
「全都市に行き渡るように細菌をばらわいただけだ」
「な」
細菌兵器って人類を、世界を終わらせるつもりかッ⁉
「人体に影響はないよ。ましては各地に住む動物たちにも一切の影響はない。私がばらまいたのは『ヴィラン』への抗体だ」
「ヴィランへの抗体だって」
「ああ、ヴィランになりにくくする効果と、ヴィランに意識を奪わせないようにする意志力を高めてくれる薬だよ。完全に消す薬は作成できなかったが、ここまでなら形に出来たんだ」
それはこの世界の『ヴィラン』がやる行いではなかった。この世界の救世主だ。
それを理解するだけで身体が震えた。
「この世界では『ヴィラン』の研究は禁忌だ。だから私は隠れて密かに完成させた。春公君。この理論をね。四年前に完成していたんだ」
「……よ、ねんまえ?」
それは父である力哉が健在していた時期だ。
「なぜもっと早くに行動しなかったのには理由がある。どんなに理論が完成しても試してみないと、それが本物なのかを知る由はない。だから必要だったんだ。人体実験が」
「……その人体実験が出来なかったから?」
「やる方法はあった。的確に人をヴィランに堕とし試せばいい。だがこれは人の領域を外れた行いだ。私にはそんな愚行は出来なかった。なによりこれを公表することなどヴィランへの研究は禁忌と定めたこの世界は許さないだろう。それでもいつか……チャンスがあればと私はそれを封印した」
そして鬼木先生と俺にとっての事件が起こった。
「力哉がヴィランに堕ちて死んだと聞かされて、私は後悔した。どうして私は断念してしまったのかを……逃げてしまった事に後悔の渦に飲み込まれた。その時に『デビル』になった」
場所は研究所で、この都市の目が向いていない場所だからこそ世界は鬼木時雨を見逃した。
「それは天啓だった。私は意識がある内に私自身で人体実験を行った。実験は成功で、意識を保っていた。だが私はまだ完璧な『インビジブル』には成っていない。だから心臓を保管できる箱を作った。悪討武器にも少しだけ使われている都市からの目を遮断できる金属を使った箱に心臓を入れる事で完全なる『インビジブル』が完成させた」
「……心臓をその中にいれたのか?」
「私は『ヴィラン』だ。心臓を取り出したくらいではすぐに死なないよ。まあ裏技を使ってなんとか生き繋いでいる」
そうだとしても誰がそんな事を試そうと考えるのか、理解できない。
「実の話だ。今のこの身体は私の本体ではない」
その証拠だと証明するかのように瞳の色を虹色に変色させた。
「私の肉体の余すことなく、『インビジブル』の部品に変えた。今こうして話しているのはクローンに自身の脳を移植したただの紛い物。本体はこの心臓だ。君にとっては理解できないと思っているかもしれないがね、この心臓と世界中の『インビジブル』には見えないパスが繋がっている。いや繋ぎとめている」
狂気を語る鬼木先生には誰にも負けない執念と命を賭してまでの覚悟を感じた。
「それから私は世界にこの薬をばら撒く計画を立てた。私の『ヴィラン』の能力で種子を生み出し利用できる事を検証し、空を飛べる『インビジブル』に爆弾を運ぶ役割を立てた。世界中に輸出するルートを確保し、どこに爆破を行えばいいかと計算を行い導き出して、そして決行の今日のこの時を待ったのだ」
「……一昨日の『インビジブル』はどうして現れた?」
「あれは簡単だよ。住民に被害が出ないように警戒させたのだよ。避難さえすめば、そこにも薬を仕込むのはたやすいからね」
「……なるほどな。そしてオレを狙ったのも……オレを避難させたいからか」
「あれは私も誤算だったよ。あの個体は私の君を避難させたいという想いがそう動かしてしまったようだ。それとあの謎の霧の存在にあの個体がやられそうになったのにはヒヤリとしたがね」
あの時にあの悪魔を仕留めていたら、鬼木先生の計画に支障をきたしていたようである。
「──ちょっと待った。それがあんたの贖罪だってのはわかった。だがこの事態はなんだ? この『インビジブル』達の出現はなんだ?」
「……これが私の復讐だよ」
と複数の『インビジブル』がビルに張り付いていて、霧を纏うセイラがそれを悔い止めている。
「簡単な事だ。『インビジブル』の恐ろしさを世界中に知らしめる為だよ。まずはあの忌々しい塔の破壊かな」
「それは……なんの為だ?」
「……君もきっと知ればこの行動を取るだろう」
仮に鬼木先生が本気で塔を落としにいったら、大勢の人が死ぬだろう。
だが鬼木先生がやろうとしている事は、本当は俺がやりたかったことなんじゃないか?
確かに『ヴィラン』の症状が緩和されるなら、あんな監視塔など破壊されたってオレは「それで?」っていつも通りの日常に戻れる。
それで大勢の命が不当に失われても、未来でより多くの人が助かるなら、それはきっと正しいことなのではないか?
オレだって今まで生き残るために多くの犠牲を払ってきたではないか?
でもどうしてか、納得がいかない。
「それは父さんも望んでいると思うのか?」
「きっと私を止めるだろうね。だから君にはここに来て貰いたくなかった」
地鳴りがする。インビジブルがこの場所に集結しかけている。そしたら守護者達と警察機関もここに流れ込んでくるだろう。
そうなってからでは遅い。オレはまた父を失ったように繰り返すのか?
恩師になにも返さないで、なにもかも見殺しにするのか?
別に大勢の守護者が死のうが一向にかまわない。その他の一般市民が巻き込まれるのは心が苦しい。
だがそれ以上に世界の為に身を犠牲にした恩師が、醜悪な正義に葬られるのは耐えられない。だってどうやったって報われない。
恩師の執念もなにも知らない都市の者は歴代災厄な『絶対悪』だと罵る事は目に見えている。
誰よりもこの世界から『ヴィラン』という病を消したりたいと望んでいる筈なのに皮肉な話だ。
「なあ、先生。この世界を壊して、あんたは満足するか?」
「さあ、どうだろうね。私の怒りがこんなことで収まるとは到底思えないけどね」
外ではどこかしこも煙が上がって、爆発音も響き渡る。
どうしてだろう。こんな状況なのに幼い頃の思い出が溢れ出す。
「最近までのオレだったら『壊してくれ』って無責任に応援していただろうな」
「春公君……?」
いったい何を考えているんだい?と鬼木先生の瞳が語り掛けている。
オレはいったい何を考えているのだろう?
【オレはいつもどうしたいんだろう?】と問いの答えを探していた。
きっとその答えも思い出の彼方にあるのだと暗に教えてくれた宇宙人に出会ってしまった。
あの全てを見通す深紅の瞳は訴えかけた。
わたしと手を取るのは当たり前なのだと。
オレの本音はいつだって彼女にだけは見透かされた。
だから逃げた。逃げ出した。
目を背けたかった。瞳を閉じていたかった。耳を塞いでいたかった。
けれど鬼木先生の執念から逃げちゃダメなんだと思い出が否定した。
「オレは今でも考えてしまうんだ。どうして父さんは『ヴィラン』に堕ちたのか、もしかしたらオレ達のせいなんじゃないかって責めた時もある。けどさ、どうしてかな。今はそれが逃げていただけなんだと理解させられたよ」
鬼木先生は贖罪といいながら世界の為に身を削った。
オレはあれからずっと逃げていただけだった。
世界の為ならオレはセイラの手を躊躇なく取るべきだったのだ。けれどオレはそれを拒絶してしまった。
結論から言えば、いつもオレは怖くて逃げていただけだ。
父の事、妹の事、鈴乃の事、セイラの事も、なにより人との繋がりを恐れている結果だ。
ああ、なんて愚かなのだろうか、オレがもう少しだけ先生の事を理解していたら、なにかと力になってあげられたのかもしれない。
けどもう後悔しても遅い。起こってしまった事実は変える事などできない。
ならば今……オレができる事はなんだ?
オレがしなければならない事はなんだ?
その答えは決まっていた。
「先生。……オレは決めたよ」
今からやろうとしている事が正しいのかオレにはわからない。
ただの我儘なのかもしれない。けれどここで動けなかったら、もうオレはただこの世界に殺されるのを受け入れる事に他ならない。
繰り返すのはやめよう。後悔するくらいなら、せめて前を歩いて進もう。
そのために止めるんだ。止めなきゃいけない。誰にも奪われないように、
オレは倒壊した先に足を踏み出した。
「……春公君? 君はなにをしようとしているんだい?」
「先生。オレはあんたを止めたい。あんたを悪にさせたくない」
「春公君。……それは無理なんだ。だって……私は──」
「──だってオレはあんたに救われたッ‼ 貴方はオレのヒーローなんだ」
そう叫ぶと、オレは──倒壊したビルから飛び降りた。
「なッ‼」
視界に愕然とした鬼木先生の表情が映る中で、オレは叫ぶ。
「せえええええええええええええらあああああああああああああああああああああッ‼」
都合がいいのはわかっている。だけどオレは彼女の名前を叫んだ。
その叫びに霧は震える。オレは手を伸ばす。
そして掴み取ると、春公の瞳とセイラの瞳が交差した。
「「βηφΔЭγ」」
赤霧のマフラーが錯乱し、緋霧の仮面が膨張する。
迫りくる『インビジブル』達を蹴り飛ばして爆散させた。
以前よりも力が上がっている事に驚愕していると、
「『貴方は馬鹿なのですか? ハルヒロさん』」
「……ごめん。オレはどうしようもない馬鹿野郎だ」
拳を鳴らせる。突如現れた赤い霧の存在に怯える『インビジブル』の数は十体。
「……こんな義理はお前にはないかもしれないけど。オレを手伝ってくれ」
「『当然です。だってわたしは貴方と戦える事を望んでいるのだから』」
人型の『インビジブル』が三体で一気に迫ってくる。上空に飛び人型の頭を足場に更に上昇し、壁に張り付いていた蜥蜴を手刀で仕留める。
樹の鞭が襲いかかるが、足蹴りで軌道を逸らし、逸らした先の人型を釘刺しにした。
膠着した樹に殴り飛ばし、三体の『インビジブル』を一気に仕留める。
「『残り七体です』」
後方より振り下ろされるハンマーのような拳を軸に回転するように避け、鮮やかに裏拳でぶっ飛ばし、ビルの壁に釘付ける。
続けて飛び掛かってきた大蜘蛛をかかと落としで顔を容赦なく叩き潰した。
「『……残り五体です。先日まで大蜘蛛相手に苦戦していた筈ですが瞬殺という結果になるとは』」
「これの正体が人じゃないなら、躊躇う理由はないだろ」
βηφΔЭγには身体能力が飛躍的に上がる事により、人としての限界も超えた。それにより今まで逃げ回っていた『ヴィラン』相手に互角の対応ができる。
自分自身も驚いている。まさかこれ以上は上がらないだろうと師匠に言われていた動体視力までもが壁を越えていた。
『──ッッ』
数瞬の間に同胞を失ったインビジブル達はそんな緋色の輝きに委縮し、警戒していた残り五体が同時に駆け出した。
前方、後方、右方、左方、そして上空から囲む形で連携を取るインビジブルに驚愕しながらも合理的に上空の一体を蹴り飛ばした。
すると三体は勢いを殺す事が出来ずに衝突してお互いの身体に刃を貫く。
「残り一体だな」
最後の一体だけあって勘がいい『インビジブル』は同士討ちに巻き込まれることなかった。ただ他より獲物への執着の差なのだろう。俺と一緒に上空に飛び掛かかり剝き出しの牙が迫る。
空中では避けられないので仕方がなく迎え撃つ事を決断すると──緋霧のマフラーが荒ぶる。
「『野暮かもしれませんが──避けます』」
「は──ブブッ」
電柱に伸びた緋色の霧に引き込まれるように首を絞められながら、移動させられた。
「おま、殺す気かッ!?」
『インビジブル』の牙から逃れられたが、あのままでも撃退できる自信はあっただけに少しだけ不満げに責めるが、セイラは淡々と告げる。
「『いいえ、新手です』」
その刹那に最後の一体だった『インビジブル』の身体は空中で突然と真っ二つに割れた。
「な……に……?」
突然の事に呆然と見送ったが、冷静に考えれば空中で『インビジブル』を両断できるのは超能力。
一つの舞を体得しただけでも人外認定されている東橋剣術の他にはない。
忘れていたが、近くに東橋の血統の鈴乃がいる。普通なら彼女がやったと考えるのが普通だ。
「……あれはなんだ?」
そう現れたのは人の二倍の身長に全身武装を身に纏い、禍々しい樹の大剣を軽々と振りかざす悪騎士だった。
今までの個体とは比べられない程の存在感に息を飲み込むと、その騎士の兜から輝く紅蓮の瞳が俺に向けられる。
「おいおい、先生。……冗談だろ、あんな化け物も作り出せんのかよ」




