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私だけが真実を知っているのに、誰も信じてくれない 〜悪役令嬢にされた私は沈黙を選びました。けれど王都は、私を失ってから少しずつ壊れていく〜  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第80話 見る資格がある人と、覗きたいだけの人

 帳簿は、覗き穴ではない。


 その言葉は、王妃宮の小会議室だけでなく、王太子府の壁にも、療養所の会計机にも、レイノルド公爵家の内部記録にも残された。


 けれど、言葉を貼っただけで人の好奇心が止まるなら、王都はもっと静かな街だっただろう。


 翌朝、ヴァルム侯爵家から改めて文書が届いた。


『冬期療養環境整備費に関する帳簿について、王妃宮および関係各家が閲覧制限を設けたことは承知した。

 しかし、寄付者名を外部掲示せず、患者情報も非公開とするなら、第三者による確認が不可欠である。

 王妃宮関係者、療養所関係者、北方辺境伯家、レイノルド公爵家のみで帳簿を確認するのでは、身内確認に過ぎない。

 中立の貴族代表による閲覧を求める』


 リリアナは、その文書を読み終えたあと、しばらく黙った。


 小会議室には、マルタ、エルン、数名の女官がいる。


 壁には相変わらず紙が増え続けていた。


『必要なのは、物語ではなく、清潔な布と薬草』


『患者の寝台に名札は不要。帳簿には責任を残す』


『患者は、善意の証拠品ではありません』


 そして昨日貼られたばかりの紙。


『帳簿は責任を確認するためのものであり、受領者や患者の生活・病状・困窮を覗くためのものではない』


 リリアナは、文書を机に置いた。


「今度は、中立の貴族代表ですか」


 エルンが少し疲れた顔で頷く。


「はい」


「中立とは、誰が決めるのでしょう」


「そこが問題です」


 マルタが静かに言った。


「ヴァルム侯爵側は、自分たちが推す貴族を中立と呼ぶでしょう」


「それは中立ではありません」


「はい」


「でも、第三者確認が必要という言い分自体は、完全には否定できません」


 リリアナがそう言うと、エルンは少し驚いた顔をした。


「否定なさらないのですか」


「だって、身内確認に過ぎないと言われる可能性はあります」


 言いながら、リリアナは胸の奥が重くなるのを感じた。


 腹は立つ。


 とても立つ。


 患者の情報まで見ようとした人々が、今度は「中立」を掲げている。


 だが、透明性の問題は本物だ。


 王妃宮、王太子府、北方辺境伯家、レイノルド公爵家、療養所。


 関係者ばかりで「問題ありません」と言っても、疑う者は疑う。


 では、どうするか。


「見る資格のある人と、覗きたいだけの人を分けます」


 リリアナは言った。


 マルタの目がわずかに和らいだ。


「はい」


 エルンは、もう白紙を用意していた。


 リリアナは少し笑った。


「最近、紙が先に出ますね」


「必要になると思いました」


「正しい判断です」


 彼女は表題を書いた。


『第三者確認者の条件――暫定案』


 一、寄付当事者、受領先、政治的対立当事者ではないこと。

 二、会計記録を読める実務能力があること。

 三、患者名、病状、家族状況等を確認対象に含めないことを事前に承諾すること。

 四、確認後に社交界で内容を語らない守秘義務を負うこと。

 五、確認目的は不正有無と用途適合性に限ること。

 六、確認者の選定は、王妃宮単独ではなく、書記局または会計監査局を通すこと。


 書きながら、リリアナは少しずつ呼吸が整うのを感じた。


 中立の貴族代表ではない。


 必要なのは、貴族の顔ではなく、会計を見られる人だ。


「貴族代表ではなく、会計監査人ですね」


 マルタが言う。


「はい。貴族かどうかではなく、何を見る資格があるかです」


 リリアナは文書を見下ろした。


「見る資格とは、地位ではなく、目的と能力と守秘義務で決まる」


 エルンが顔を上げた。


「今の一文、入れますか」


「入れます」


 リリアナは清書用の紙に書き加えた。


『見る資格は、地位ではなく、確認目的、実務能力、守秘義務によって定める』


 書いた瞬間、部屋の空気が少し変わった。


 それは、帳簿だけの話ではなかった。


 母の覚書も。


 セレスティアの過去記録も。


 リリアナ自身の私的記録も。


 誰が見る資格を持つのか。


 それは、父だから、王太子だから、妹だから、貴族だから、では決まらない。


 リリアナは、そのことに気づいて少しだけ胸が痛んだ。


 自分もまた、姉の記録を見たいと思っている。


 妹だから。


 関係者だから。


 でも、それだけでは足りない。


「マルタ様」


「はい」


「この文、お姉様の覚書にも関わりますね」


「ええ」


「私は、妹だから見る資格がある、とは言い切れません」


「はい」


「……痛いですね」


「はい」


 マルタは否定しなかった。


 リリアナは少しだけ笑った。


「でも、必要です」


「はい」


 その頃、北方辺境伯家にも同じ文書が届いていた。


 セレスティアは読み終えたあと、静かに言った。


「中立の貴族代表」


 ノアが少しだけ眉を動かす。


「いかにも都合のよい言葉です」


「でも、第三者確認の必要性はあります」


「はい」


「私も、そこは否定できません」


 セレスティアは机の上に紙を置いた。


 昨日なら、すぐに自分で条件案を書いていたかもしれない。


 今日は違った。


 彼女はペンを持たず、しばらく考えた。


「王妃宮が整理するでしょうか」


「おそらく」


「王太子府も」


「はい」


「私は、待ちます」


 ノアは少しだけ笑った。


「自然に言えるようになりましたね」


「そうでしょうか」


「はい」


「少し寂しいですが」


「良い寂しさですか」


 セレスティアは考えた。


 そして、わずかに頷く。


「たぶん」


 しばらく沈黙が落ちた。


 セレスティアは、母の覚書の箱へ視線を向ける。


 誰が見る資格を持つのか。


 その問いは、あの箱にも重なる。


 母の私的覚書。


 まだ未読。


 受領意思未判断。


 読むかどうかも、誰と読むかも、誰へ共有するかも、決まっていない。


 けれど、今なら少し分かる。


 見る資格は、ただ近しいからでは決まらない。


 父だから。

 妹だから。

 婚約者だったから。

 王太子だから。

 庇護者だから。


 それだけでは足りない。


「閣下」


「はい」


「母の覚書を、いつか私が読むとして」


「はい」


「誰かに共有するかどうかは、私が決めるとして」


「はい」


「そのとき、“見たい理由”を聞いてもよいのでしょうか」


「もちろんです」


「父にでも?」


「はい」


「リリアナにでも?」


「はい」


「閣下にでも?」


 ノアは、少しだけ間を置いた。


「私にも」


 セレスティアは頷いた。


 その間が、逆にありがたかった。


 彼は当然のように自分だけを例外にしなかった。


「見たい理由」


 セレスティアは呟く。


「それが、知りたいから、心配だから、関係者だから、だけでは足りない場合もありますね」


「はい」


「何のために見るのか。見たあと、どう扱うのか。誰に語らないのか」


「はい」


「帳簿と似ています」


「似ていますね」


 セレスティアは、ようやくペンを取った。


 ただし、公表文ではない。


 自分の帳面だ。


『見る資格は、近さだけでは決まらない。

 目的、能力、守秘、そして本人の許可。

 母の覚書も同じ。

 父だから、妹だから、庇護者だから、という理由だけでは足りない。

 見たい人には、なぜ見たいのかを聞いてよい』


 書き終えて、少しだけ息を吐いた。


 これは自分に必要な言葉だった。


 誰かに求められたら、見せなければならない。


 そう思い込まなくていい。


 質問していい。


 拒んでもいい。


 条件を出してもいい。


 王太子府では、アデルが王妃宮から届いた暫定案を読んでいた。


 リリアナたちがまとめた『第三者確認者の条件』だ。


 アデルは、特に一文に目を止めた。


『見る資格は、地位ではなく、確認目的、実務能力、守秘義務によって定める』


「よい文だ」


 エドが頷く。


「王妃宮からです」


「リリアナか?」


「文体はリリアナ様に近いかと」


 アデルは少しだけ微笑んだ。


「強くなったな」


 ラウルが横から言う。


「殿下、この基準を採用すると、貴族代表による確認を拒む形になります」


「拒むのではない。会計監査人へ置き換える」


「ヴァルム侯爵側は反発するでしょう」


「するだろうな」


 アデルは紙を置いた。


「だが、帳簿を読めない貴族が“中立”の名で患者の記録を覗くより、守秘義務を負う会計監査人が用途を確認する方が正しい」


「誰を監査人に?」


「王宮会計監査局から一名。ただし、王妃宮、王太子府、北方辺境伯家、レイノルド公爵家と直接利害関係が薄い者。さらに療養所側が同席者を一名出す」


 エドが素早く記録する。


「療養所側も?」


「受領先の文脈を知らない監査人が数字だけを見ると、また現場を乱す」


 アデルの声は、以前より実務的だった。


「確認するのは、不正有無と用途適合性。患者名は見ない。寝台番号も不要。物品購入記録、受領確認、支出日で足りる」


「承知しました」


 ラウルはまだ不満そうだったが、今度は大きく反論しなかった。


 しばらくして、彼は言った。


「殿下」


「何だ」


「最近の王太子府は、何を見せないかを決める仕事が増えました」


「そうだな」


「以前は、何を見せて納得させるかが中心でした」


「私もそう思っていた」


 アデルは静かに答えた。


「だが、納得させるために誰かを材料にするなら、それは違う」


 エドがペンを構える。


 アデルはそれを見て苦笑した。


「今のも記録か」


「必要かと」


「書け」


 エドは書いた。


『納得を得るために、個人の傷や困窮を材料にしない』


 アデルはそれを読み、静かに頷いた。


 レイノルド公爵邸でも、第三者確認の話は避けられなかった。


 グレゴールは、王妃宮と王太子府の案を読み比べていた。


「会計監査局か」


 家令が頷く。


「妥当かと」


「ヴァルム侯爵は不満だろうな」


「自分たちが推す貴族代表を入れられませんので」


「それが狙いだろう」


 グレゴールは紙を置いた。


「公爵家としても、この案を支持する」


「承知しました」


「それから、家内記録についても同じ基準を適用する」


 家令は少しだけ顔を上げた。


「セレスティア様の過去記録ですか」


「ああ」


 グレゴールは、声を低くした。


「家の中でも、誰でも見てよいものではない。責任確認のために私が読む。必要なら家令が補助する。だが、親族だから、旧交だから、心配だからという理由で見せるな」


「承知しました」


「エレナの覚書も同じだ」


「はい」


 グレゴールはしばらく黙った。


 そして、苦い顔で言った。


「私は、父だから見る資格があると思っていた」


 家令は何も言わなかった。


「だが、父だから読まなければならなかった時期に、読まなかった」


 部屋の空気が重くなる。


「今になって父だから見せろとは、都合がよすぎるな」


「旦那様」


「記録しろ」


 家令は、静かにペンを取った。


「そのままですか」


「ああ」


 家令は書いた。


『グレゴール公爵発言:父だから読まなければならなかった時期に読まなかった。今になって父だから見せろとは都合がよすぎる』


 グレゴールは、その一文を見て目を閉じた。


 痛い。


 だが、消さない。


 午後、王妃宮、王太子府、レイノルド公爵家、北方辺境伯家の調整により、冬期療養環境整備費の第三者確認が正式に決まった。


 確認者は、王宮会計監査局の女性監査官イザベル・トーン。


 貴族家の出ではあるが、実務畑で長く働き、どの派閥にも深く属していない人物だった。


 療養所からは、オルガ所長の代理として会計担当の修道女が同席する。


 確認範囲は、金額、用途、支出日、購入物品、受領確認。


 患者名、病状、寝台番号、家族状況は対象外。


 報告書は、概要のみ公開。


 詳細帳簿は、関係者と監査局保管。


 その決定文を読んだリリアナは、少しだけ肩の力を抜いた。


「これで、少しは落ち着くでしょうか」


 マルタは答えた。


「落ち着かないでしょう」


「即答」


「ヴァルム侯爵側は別の角度から来ると思います」


「ですよね」


 リリアナは苦笑した。


「でも、線は引けました」


「はい」


「見る資格は、目的と能力と守秘義務」


「はい」


「地位だけではない」


 その言葉を、リリアナは自分にも言い聞かせた。


 夜、北方辺境伯家に最終決定文の写しが届いた。


 セレスティアはそれを読み、静かに頷いた。


「整いましたね」


 ノアも頷く。


「はい」


「私が書かなくても」


「はい」


「少し悔しいです」


「はい」


「でも、かなり安心しました」


「はい」


 セレスティアは、帳面に書いた。


『第三者確認者が決まった。貴族代表ではなく、会計監査官。

 見る資格は、地位ではなく、目的、能力、守秘義務。

 これは帳簿だけでなく、私の過去記録にも必要な考え方だと思う。

 父だから、妹だから、庇護者だから、では足りない。

 見たいなら、なぜ見たいのか。見たあとどう扱うのか。私が聞いてよい』


 書き終えると、セレスティアは母の覚書の箱を見た。


 まだ開けない。


 だが、少しずつ準備は進んでいる。


 読むためだけではない。


 読まないためにも。


 見せるためだけではない。


 見せないためにも。


 その両方のために、言葉が増えている。


 セレスティアは灯りを落とす前に、小さく呟いた。


「見たいという気持ちだけでは、足りない」


 その言葉は、王都へ向けたものでもあり、父へ向けたものでもあり、リリアナへ向けたものでもあり。


 そして、いつか誰かの記録を見たいと思うかもしれない自分自身へ向けたものでもあった。

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