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私だけが真実を知っているのに、誰も信じてくれない 〜悪役令嬢にされた私は沈黙を選びました。けれど王都は、私を失ってから少しずつ壊れていく〜  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第71話 支援者名簿に、私の心を載せないで

 母の覚書は、まだ開かれていない。


 それなのに、王都ではもう「誰が同席すべきか」という話が始まっていた。


「当然、お父君であるレイノルド公爵でしょう」


「いいえ、今のセレスティア様に必要なのは北方辺境伯閣下では?」


「妹君のリリアナ様が同席すれば、姉妹の和解にもなるのではありませんこと?」


「王妃宮の記録に関わるなら、マルタ女官長が立ち会うのが妥当では」


「そもそも母君の私的覚書なのだから、家族以外を入れるべきではありませんわ」


「でも、公爵家だけに任せたから、ここまで拗れたのでしょう?」


 誰も、中身を知らない。


 セレスティア本人でさえ知らない。


 それなのに、誰が同席すべきかを、周囲が先に決めようとしている。


 北方辺境伯家の王都屋敷にその報告が届いたのは、朝食後だった。


 セレスティアは、昨日より少し落ち着いていた。


 箱の上には三枚の紙が置かれている。


『未読も選択肢』

『読むなら、支えを求めてもよい』

『支えも、私が選ぶ』


 その三枚は、彼女にとって小さな柵だった。


 母の覚書という、まだ触れられないものの周囲に置いた柵。


 だが王都の声は、その柵の外から手を伸ばしてくる。


 ノアが報告書を読み、静かに眉を寄せた。


 セレスティアはそれを見て、少しだけ苦笑した。


「今度は、誰が支えるべきか、ですか」


「はい」


「分かりやすいですね」


「分かりやすい?」


「王都は、私自身の選択が空白になっていると、すぐそこへ誰かの名前を入れたがります」


 ノアは報告書を彼女に渡した。


 セレスティアは目を通す。


 そこには、茶会や各家の会話がいくつも記録されていた。


『父であるレイノルド公爵が同席すべきとの声』


『北方辺境伯の同席は公爵家の私的領域への干渉ではとの意見』


『リリアナ様同席による姉妹和解を期待する声』


『王妃宮関係者の立会いが適切との意見』


『セレスティア嬢一人で読むべきとの声もあり』


 一人で読むべき。


 誰かと読むべき。


 父と読むべき。


 妹と読むべき。


 ノアと読むべきではない。


 ノアと読むべきだ。


 どれも勝手だった。


 どれも、セレスティアの手元にある箱を見ていない。


 いや、見ていないから言えるのだろう。


「私はまだ、読むかどうかも決めていません」


 セレスティアは言った。


「はい」


「読むと決めてもいないのに、誰と読むかを決められ始めています」


「はい」


「不思議ですね。未読の紙なのに、もう席順だけ決められている」


 皮肉のように聞こえた。


 だが、声の奥には疲れがあった。


 ノアは静かに尋ねる。


「怒っていますか」


「怒っています」


「はい」


「でも、怒るより先に、少し呆れています」


「それも自然です」


「それから、少し怖いです」


「はい」


 セレスティアは、報告書を畳んだ。


「私が誰を選んでも、意味をつけられますね」


「つけられるでしょう」


「閣下を選べば、北方辺境伯に依存している。リリアナを選べば、姉妹和解の演出。父を選べば、公爵家へ戻る兆し。マルタ様を選べば、王妃宮案件。誰も選ばなければ、孤立を選んだ冷たい娘」


「言われるでしょうね」


「逃げ道がありません」


 ノアは、少しだけ間を置いてから言った。


「逃げ道ではなく、選択肢として考えましょう」


「どう違うのですか」


「逃げ道は、誰かの評価から逃れるための道です。選択肢は、あなたが必要なものを選ぶための道です」


 セレスティアは目を伏せた。


「必要なもの」


「はい」


「今の私に必要なのは、同席者の名前ではありません」


「では?」


「条件です」


 言った瞬間、自分の中で何かが少し整った。


 誰が、ではない。


 どういう支えが必要か。


 どういう人ならよいか。

 どういう振る舞いは困るか。

 何をしないでほしいか。


 それを先に書けば、名前に引っ張られずに済むかもしれない。


 セレスティアは白紙を出した。


 表題を書く。


『母の覚書を読む場合の支援条件――私的覚書』


 そして、一つずつ書き始めた。


 一、読むかどうかを急かさない。

 二、読まない選択を責めない。

 三、内容を先に解釈しない。

 四、途中で読むのを止めることを認める。

 五、涙、沈黙、怒りをすぐ慰めようとしない。

 六、父、母、妹、私の誰か一人だけを悪者にしない。

 七、記録する場合は、私の許可を取る。

 八、読後すぐ結論を求めない。


 七番を書いたところで、ノアが少しだけ反応した。


「記録も許可制ですね」


「はい」


「よいと思います」


「記録は救いになります。でも、全部記録されるのは怖いです」


「はい」


「私が泣いた、怒った、黙った。その全部を誰かに書かれると思うと、落ち着いて読めません」


「当然です」


 セレスティアは、最後にもう一つ書き足した。


 九、同席者は、私が選ぶ。選ばれなかった者は、その理由を私に求めない。


 書き終えたあと、彼女は長く息を吐いた。


「これは、公表するものではありません」


「はい」


「でも、今の私には必要です」


「はい」


「名前ではなく、条件」


 ノアは頷いた。


「それなら、誰を選ぶにしても、あなたの基準が残ります」


 セレスティアは紙を見つめた。


 まだ、誰の名前も書いていない。


 それだけで、少し呼吸ができた。


 同じ頃、王妃宮では、リリアナが似たような報告を読んでいた。


 王都の人々は、リリアナの名を勝手に使っていた。


『妹君が同席すれば、姉妹の雪解けになる』


『リリアナ様は、今こそ姉を支えるべき』


『姉に支えられてきた妹が、母の覚書で姉を支える姿は美しい』


 美しい。


 その言葉を読んだ瞬間、リリアナは報告書を机に置いた。


「美しい、ですか」


 声が低かった。


 マルタが静かに見る。


「はい」


「お姉様が母の覚書を読むかもしれない場を、姉妹の雪解けの美談にしようとしているのですね」


「そう読めます」


「私は、同席したい気持ちはあります」


「はい」


「でも、それは美しいからではありません」


 リリアナは、ゆっくり言った。


「怖いからです。知りたいからです。姉が何を感じるのか、そばにいたいからです。でも、それは私の気持ちです」


「はい」


「お姉様が望まないなら、私はそこにいてはいけません」


「はい」


 リリアナは白紙を出した。


『覚書開封同席について――リリアナ私的整理』


 一、同席したい気持ちはある。

 二、理由は、姉を支えたい、母の言葉を知りたい、自分も関係している気がする、怖い。

 三、ただし、姉の場である。

 四、選ばれなかった場合、傷つくと思う。

 五、傷ついたことを理由に姉を責めない。

 六、同席できなくても、事後支援はできるかもしれない。

 七、同席=和解ではない。


 最後の一行で、手が止まった。


 同席=和解ではない。


 王都は、すぐ物語にする。


 姉妹が母の言葉を一緒に読み、涙を流し、許し合う。


 きっと、そういう場面を期待している。


 でも、現実はそんなに綺麗ではない。


 セレスティアは、読んで黙るかもしれない。


 怒るかもしれない。


 リリアナを見たくないと言うかもしれない。


 あるいは、読むこと自体を選ばないかもしれない。


 それでも、姉妹の関係は続く。


 暫定版のまま。


「同席できたとしても、和解とは限らない」


 リリアナは小さく言った。


 マルタが頷く。


「大事なことです」


「王妃宮としても、何か出した方がいいでしょうか」


「どういう内容ですか」


「支援者は本人が選ぶ。周囲が特定の人物の同席を期待したり、同席の有無を関係修復の証拠として扱ったりしない、と」


「よろしいと思います」


 リリアナは、今度は王妃宮用の紙を出した。


『支援者選択に関する補足』


 本人が読む場に誰を置くかは、本人の選択による。

 血縁、地位、過去の関係性により自動的に決まるものではない。

 同席の有無を、和解、拒絶、依存、裏切り等の証拠として扱わない。

 支援は、同席に限らない。事前支援、記録支援、身体的支援、事後支援も含む。


 書きながら、リリアナは胸が少し痛んだ。


 自分で書いている。


 自分が選ばれなくても拒絶と決めない、と。


 これは、未来の自分への釘だ。


 マルタが言った。


「よい補足です」


「少し痛いです」


「痛いからこそ、必要なのでしょう」


「はい」


 その日の午後、アデルが王妃宮へ来たとき、リリアナはこの補足を見せた。


 アデルは読み終えて、長く沈黙した。


「同席の有無を、和解、拒絶、依存、裏切り等の証拠として扱わない」


 彼はその一文を読み上げた。


「はい」


「これは、私にも必要だな」


「殿下にも?」


「ああ。もし彼女がノア閣下を選んでも、私が拒絶されたと解釈してはいけない。もし誰も選ばなくても、孤立を選んだと決めつけてはいけない」


 リリアナは静かに頷いた。


「私もです」


「君は、同席したいのか」


「したいです」


 今回は、すぐに答えた。


「でも、したいことと、選ばれるべきことは別です」


 アデルは苦く笑った。


「別ばかりだな」


「はい」


「だが、本当にそうだ」


 アデルは、紙を机に戻した。


「王太子府でもこの補足を採用する」


「よろしいのですか」


「必要だ。王太子府の者たちも、誰が選ばれるかで勝手に意味をつけるだろう」


「王都だけではなく?」


「王宮も同じだ」


 アデルは疲れたように言った。


「私も含めて」


 その言葉に、リリアナは少し胸が詰まった。


 アデルは、自分も含めるようになった。


 それは大きな変化だ。


 痛みを伴う変化でもある。


 レイノルド公爵邸では、グレゴールが王妃宮の補足を読んでいた。


 顔は険しい。


「血縁により自動決定しない」


 彼は、その一文を低く読んだ。


 家令は控えている。


「つまり、父である私も自動ではない」


「はい」


「そんなことは、分かっている」


 家令は何も言わなかった。


 グレゴールは紙を置いた。


「分かっているが、不愉快だ」


「記録いたしますか」


「するな」


「承知しました」


 しばらく沈黙。


 やがて、グレゴールは不機嫌そうに言った。


「いや、書け」


 家令は静かにペンを取った。


「どのように」


「グレゴール公爵、父であることが同席権を自動的に与えないと理解。ただし不満あり」


 家令は書いた。


 グレゴールはそれを見て、さらに不愉快そうな顔をした。


「本当に書くと腹が立つな」


「消しますか」


「消すな」


 家令は頷いた。


「続けて、受領者の選択を妨げない、でよろしいでしょうか」


「……書け」


 家令は書き足した。


『ただし、受領者の選択を妨げない』


 その短い一文は、グレゴールにとって重かった。


 父である。


 家長である。


 夫だった。


 それでも、娘の母の覚書を読む場に、自分が入れるとは限らない。


 その事実は屈辱的だった。


 しかし、その屈辱こそ、これまでセレスティアに与えてきたものの一部なのかもしれない。


 選べない。

 断れない。

 役割として置かれる。


 今、自分が少しだけその逆側に立たされている。


 グレゴールは、窓の外を見た。


「エレナなら、誰を選ばせただろうな」


 ぽつりと漏れた。


 家令は答えない。


 グレゴールも答えを求めていなかった。


 エレナなら。


 そう考えたところで、結局はセレスティアが決めることだ。


 それを、ようやく認めなければならない。


 北方辺境伯家に、王妃宮と王太子府の補足が届いたのは夕方だった。


 セレスティアはそれを読み、しばらく黙っていた。


「同席の有無を、和解、拒絶、依存、裏切り等の証拠として扱わない」


 彼女は、その一文を声に出した。


 ノアは向かいで頷く。


「よい文ですね」


「リリアナでしょうか」


「おそらく」


「痛かったでしょうね」


「はい」


 セレスティアは紙を見つめた。


 妹が、自分で自分を抑える文を書いている。


 選ばれなくても拒絶と決めない。


 同席できても和解とは限らない。


 それは、とても寂しい文だ。


 同時に、必要な文でもある。


「リリアナは、同席したいでしょうね」


 セレスティアは言った。


「そう思います」


「私は、まだ選べません」


「はい」


「選べないことにも、罪悪感があります」


「なぜ?」


「リリアナを待たせている気がします。父も。閣下も」


「私は待つ側に入れなくていい」


「なぜですか」


「私は、あなたが選ぶまでいるだけです。待たされているとは思っていません」


 その言葉に、セレスティアは少しだけ言葉を失った。


 待たされているとは思っていない。


 それは、想像以上に静かな支えだった。


 誰かが待っていると思うと、急がなければならない気がする。


 だが、ただいると言われると、少しだけ息ができる。


「……ありがとうございます」


 セレスティアは小さく言った。


 ノアは頷いただけだった。


 セレスティアは、自分が朝に書いた『支援条件』の紙を取り出した。


 そこに、王妃宮の補足から一文を書き写す。


『同席の有無を、和解、拒絶、依存、裏切り等の証拠として扱わない』


 そして、その下に自分の言葉を足した。


『誰を選ぶかより先に、何を守るために選ぶのかを考える』


 書き終えると、彼女は少しだけ背筋を伸ばした。


 まだ読まない。


 まだ選ばない。


 でも、選ぶための条件は少しずつ見えてきた。


 夜、セレスティアは母の覚書の箱の上に、四枚目の紙を置いた。


『誰を選ぶかより、何を守るか』


 未読も選択肢。

 読むなら、支えを求めてもよい。

 支えも、私が選ぶ。

 誰を選ぶかより、何を守るか。


 箱の周りは、少しずつ言葉で囲まれていく。


 誰かから見れば、逃げているように見えるかもしれない。


 だが、セレスティアにとっては違った。


 これは、いきなり刃物に触れないための布だった。


 傷を開く前に、自分の手を守るための準備だった。


 彼女は帳面を開いた。


『王都は、私が誰を選ぶかを先に知りたがる。

 でも、私が先に考えるべきなのは、何を守りたいか。

 母の言葉を読むなら、私は何を守りたいのか。

 十三歳の私か。今の私か。母の記憶か。リリアナとの距離か。

 まだ分からない。だから、まだ選ばない』


 書き終えて、静かに帳面を閉じる。


 まだ分からない。


 その状態を、今日は少しだけ受け入れられた。


 母の覚書は、まだ箱の中にある。


 誰と読むかも、読むかどうかも、決まっていない。


 だが、決まっていないことを、誰かの物語にさせないための紙は、一枚ずつ増えていた。

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