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私だけが真実を知っているのに、誰も信じてくれない 〜悪役令嬢にされた私は沈黙を選びました。けれど王都は、私を失ってから少しずつ壊れていく〜  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第40話 味方の顔をした人々も、彼女の名前を欲しがった

 セレスティア・レイノルドの声明は、王都に静かな波紋を広げ続けていた。


 悪女ではない。

 才女でもない。

 公爵家の飾りでも、王妃宮の器でもない。


 本人がそう書いた。


 その事実は、社交界にとって扱いにくかった。


 悪女なら叩けばよい。

 才女なら称えればよい。

 悲劇の令嬢なら慰めればよい。

 北方辺境伯に守られる可憐な女性なら、噂話の中で美しく飾ればよい。


 けれど、セレスティア本人は、そのどれでもないと言った。


 そして、本人確認を経ない発表を認めないとまで書いた。


 それは、王都の人々にとって妙に厄介な言葉だった。


 人は誰かを語るのが好きだ。

 それも、本人のいない場所で。


 かわいそう。

 立派。

 怖い。

 強い。

 愚か。

 可憐。

 したたか。


 どんな言葉も、相手がいない場所なら簡単に置ける。


 だが、セレスティアはその場所に、自分の言葉を差し込んだ。


 それだけで、好き勝手に語る者たちは、ほんの少し口ごもるようになった。


 北方辺境伯家の王都屋敷にも、朝から書簡が届いていた。


 ノアの執事は、銀盆に載せた封書の束を持ってきた。


「本日分でございます」


 セレスティアは、その量を見て思わず黙った。


 厚い束だった。


 昨日までは、王妃宮や王太子府、公爵家からの正式文書が中心だった。


 今日は違う。


 封蝋の色も、紋章もさまざまだ。


 伯爵家。

 侯爵家。

 子爵家。

 未婚令嬢の私信。

 貴族夫人の茶会招待。

 慈善団体からの連絡。

 そして、女性貴族たちの集まりを名乗る団体からの書簡。


「……ずいぶん増えましたね」


 セレスティアが言うと、ノアは束を見て短く答えた。


「あなたの声明が届いたのでしょう」


「私に、何を求めているのでしょうか」


「読めば分かります」


「読みたくない気持ちもあります」


「読まなくてもいい」


 ノアはすぐに言った。


 セレスティアは少し笑う。


「では、選んで読みます」


「それがいい」


 執事が封書を分類してくれた。


 正式なもの。

 社交上の招待。

 私的な見舞い。

 意図不明。


 意図不明、という分類に少しだけ笑いそうになった。


 だが、一通目を開いて、すぐに笑えなくなった。


『セレスティア様。

 あなた様の勇気ある声明に、深く感銘を受けました。

 私たち王都若手令嬢有志は、あなた様を“沈黙を破る令嬢たち”の象徴としてお迎えしたく――』


 セレスティアは、そこで手を止めた。


「象徴」


 小さく呟く。


 ノアが顔を上げる。


「何と?」


「私を、沈黙を破る令嬢たちの象徴にしたいそうです」


「あなたは?」


「今、沈黙を破るので精一杯です。象徴になる余裕はありません」


 正直な言葉だった。


 セレスティアは続きを読んだ。


 そこには、茶会への招待、共同声明への参加、女性の名誉と実務貢献を守るための会の設立案が書かれていた。


 趣旨そのものは、悪くない。


 むしろ、必要なことかもしれない。


 セレスティアのように、名を残さず働かされる女性は他にもいるだろう。


 その功績を記録し、本人の意思を尊重する仕組みはあった方がいい。


 だが、文面の中で彼女はすでに旗印にされていた。


 王宮と父権に立ち向かった令嬢。

 沈黙を破った新時代の象徴。

 貴族女性の誇り。


 美しい言葉だ。


 けれど、また名前を使われている。


 悪女ではなく、才女でもなく、今度は象徴。


 セレスティアは、手紙をそっと置いた。


「悪意は、ないのでしょうね」


 ノアは尋ねた。


「だから難しい?」


「はい」


 セレスティアは次の封書を開いた。


 今度は年配の侯爵夫人からだった。


『あなたのような方が王妃宮を正しく導けば、この国の女性たちは救われるでしょう。

 どうか一時の傷に囚われず、大きな役目へ戻られますよう』


 セレスティアは、静かに目を閉じた。


 戻られますよう。


 まただ。


 戻れ。

 必要だ。

 あなたならできる。

 大きな役目がある。


 美しい言葉で包まれていても、行き先は同じだった。


「これは、善意ですか」


 彼女はぽつりと聞いた。


 ノアは少し考えてから答えた。


「おそらく」


「善意は、どう扱えばいいのでしょう」


「悪意より難しいことがあります」


「はい」


 セレスティアは、手紙を束の横へ置いた。


「悪意なら、拒めます。父のように、私を家の名誉に使おうとするなら違うと言えます。オルフェリア様のように器と呼ぶなら、それも違うと言える」


「ええ」


「でも、あなたに救われました、あなたを応援しています、あなたが希望です、と言われると」


 言葉が止まる。


 胸の奥が重い。


「拒んだら、その人たちを失望させる気がします」


 ノアは静かに言った。


「それでも、あなたは全員の希望になる必要はない」


「……はい」


「誰かの希望になることと、その人たちの期待を背負うことは別です」


 セレスティアは小さく笑った。


「また別ですね」


「何度でも」


 ノアは真面目に返した。


 その言い方に、少しだけ呼吸が楽になる。


 何度でも、分けていい。


 善意を受け取ることと、期待を背負うことは別。


 応援されることと、旗印になることは別。


 セレスティアは、白紙を取った。


「返事の方針を書きます」


「よいと思います」


 彼女は考えながら、箇条書きにした。


 一、見舞いや励ましは受け取る。

 二、茶会や団体参加は当面辞退。

 三、本人の経験を象徴として扱う文言は認めない。

 四、女性の実務貢献記録については、将来的に意見提出の可能性あり。

 五、今は療養と記録確認を優先する。


 書き終えると、ノアが目を通した。


「よい線引きです」


「冷たくありませんか」


「丁寧です」


「丁寧な拒絶ですね」


「必要です」


 セレスティアは頷いた。


 必要な拒絶。


 以前の自分には、ほとんど持てなかったものだ。


 同じころ、王妃宮にも似たような書簡が届いていた。


 リリアナは、マルタとともにそれらを分類していた。


「お姉様を“令嬢たちの星”にしたいそうです」


 リリアナは、読み上げてから顔をしかめた。


「星?」


 マルタの声が低くなる。


「はい。暗い王宮に光を灯した星、と」


「ずいぶん詩的ですね」


「詩的すぎて、怖いです」


 リリアナは、封書を机に置いた。


「お姉様は、星になりたいわけではないと思います」


「ええ」


「星って、遠くから見て綺麗だと言うものですよね」


「そうですね」


「お姉様をまた遠くに置いて、綺麗に見ようとしている気がします」


 マルタは、少し驚いたようにリリアナを見た。


 リリアナは慌てる。


「変なことを言いましたか」


「いいえ。正しいと思います」


 リリアナは、少しだけほっとした。


「私も、昔はそうしていました。お姉様は遠くて、完璧で、冷たくて、すごい人だと思っていました。でも、遠くに置いていたから、痛みが見えませんでした」


 彼女は書簡を分類しながら言った。


「今度はみんなが、お姉様を星にしようとしているのかもしれません」


 マルタは静かに頷く。


「その通りですね」


「では、王妃宮としても、お姉様を象徴として扱わない方針を出すべきではありませんか」


「それは王妃陛下に確認しましょう」


 ちょうどそのとき、アデルが入ってきた。


 彼は今日も王妃宮の台帳確認に来ていたが、机の上の書簡の山を見て足を止めた。


「これは?」


「お姉様を星にしたい手紙です」


 リリアナが真顔で言うと、アデルは一瞬反応に困った顔をした。


「星?」


「はい。新時代の星、沈黙を破る令嬢の星、王妃宮改革の星などです」


「……多いな」


「多いです」


 アデルは手紙の一通を取り、目を通した。


 表情が曇る。


「支持しているようで、彼女本人が見えていない」


 リリアナは大きく頷いた。


「そうです。私もそう思います」


「王太子府にも、彼女を改革の象徴として支持すべきだという意見が来ている」


「殿下は、どうなさるのですか」


「しない」


 アデルは即答した。


 リリアナが少し驚く。


「はっきりしていますね」


「昨日、痛いほど学んだ。彼女の名を使って何かを動かすなら、本人確認が必要だ」


 アデルは苦笑した。


「改革の象徴として支持する、などと王太子府が言えば、また彼女の名前で自分たちの正しさを飾ることになる」


 マルタは静かに頷いた。


「では、王太子府も距離を取る方針で?」


「ああ。記録訂正はする。制度改善もする。だが、セレスティアを旗印にはしない」


 リリアナは、それを記録した。


『王太子府、セレスティア様を改革の象徴として利用しない方針。記録訂正と制度改善を本人の名前と切り分けて進める意向』


 書いてから、少しだけ笑う。


「殿下、だんだん記録されることに慣れてきましたね」


 アデルは眉を下げた。


「慣れたくはないが、必要なのだろう」


「はい。必要です」


 リリアナがあまりに真面目に頷いたので、アデルは少しだけ笑った。


 以前なら、こうした会話はしなかった。


 甘い言葉でも、恋の駆け引きでもない。


 けれど、今の二人にはこの方がずっと誠実だった。


 その日の午後、レイノルド公爵邸ではグレゴールがさらに苛立っていた。


 セレスティアの声明に続き、王太子府が本人確認を重視する方針を出した。


 王妃宮も同様の文書を準備している。


 それだけでも不愉快だったが、今度は社交界の一部がセレスティアを新たな旗印にしようとしている。


 娘の名前が勝手に広がる。


 それは、父である自分が制御すべきもののはずだった。


 だが、今は誰も自分の許可を求めない。


 悪女の噂を止められなかったとき以上に、グレゴールは焦っていた。


 悪い噂なら、否定すればよい。


 だが、称賛の噂は厄介だ。


 称賛を否定すれば、娘を貶める父に見える。

 受け入れれば、娘本人の声明に反する。


 動きづらい。


 初めて、彼はセレスティアが置かれていた場所の一部を味わっていた。


 どちらを選んでも、誰かに都合よく語られる場所。


「旦那様」


 家令が新たな書簡を持ってきた。


「王妃宮より正式文書です」


 グレゴールは封を切った。


 そこには、王妃宮としての方針が記されていた。


 セレスティア本人の確認を経ない形で、彼女の功績を王妃宮改革の象徴、または公爵家の名誉回復の根拠として扱わないこと。

 記録訂正は事実ごとに行い、功績と負担の両面を明記すること。

 今後の協議には本人の同席、もしくは本人の文書回答を必須とすること。


 グレゴールは、最後まで読んで机に置いた。


「どこもかしこも、本人、本人か」


 家令は黙っていた。


 グレゴールは苛立った声で続ける。


「娘一人に、どれほど発言権を与えるつもりだ」


 家令は、少しだけ息を吸った。


 また、黙るべきか。


 だが、昨日と同じだ。


 黙れば、何も変わらない。


「旦那様」


「何だ」


「セレスティア様は、これまで発言権を与えられなさすぎたのではないでしょうか」


 部屋が凍った。


 グレゴールは、ゆっくり家令を見た。


「お前は、最近よく喋るな」


「申し訳ございません」


「誰の影響だ」


 その問いに、家令は少しだけ目を伏せた。


「お嬢様の声明を読みました」


「……」


「私どもも、公爵家の中でお嬢様を語ってまいりました。旦那様の娘として。公爵家の才女として。あるいは、問題を起こした令嬢として」


 家令は深く頭を下げた。


「ですが、お嬢様ご本人の言葉を、ほとんど聞いておりませんでした」


 グレゴールは答えなかった。


 怒鳴りはしない。


 しかし、その沈黙は重かった。


 家令は続けた。


「今、無理に制御しようとすれば、かえって公爵家の傷を広げます」


「では、また家のためか」


 グレゴールの声には皮肉が混じる。


「いえ」


 家令は、思い切って言った。


「今回は、お嬢様のためにも」


 グレゴールの指が机を叩く。


 一度。


 強く。


 しかし、それ以上は何も言わなかった。


 北方辺境伯家の屋敷では、セレスティアが届いた書簡への定型返答を作っていた。


『温かいお言葉、ありがたく受け取りました。

 ただし、私は現在、自身の記録確認と療養を優先しております。

 私の経験を象徴、旗印、運動名として扱うことは、現時点ではご遠慮ください。

 女性の実務貢献が正当に記録される仕組みについては、将来的に文書で意見を述べる可能性があります。

 今は、私自身の名前を取り戻す過程におります』


 書きながら、何度も表現を直した。


 冷たすぎないように。

 しかし、曖昧になりすぎないように。


 善意を拒むのは、悪意を拒むより疲れた。


 それでも、書いた。


 ノアが文面を確認し、頷いた。


「よいと思います」


「こういう返事ばかり書いていると、私はますます面倒な令嬢と思われそうですね」


「すでに思われているかもしれません」


 セレスティアは目を瞬いた。


 そして、少し笑った。


「否定してくださらないのですね」


「面倒は、悪いことではありません」


「そうでしょうか」


「勝手に使おうとする者にとっては、面倒な方がいい」


 その言葉に、セレスティアは思わず笑ってしまった。


 小さく、けれどはっきりと。


「では、面倒でいます」


「はい」


 そのとき、執事が新たな封書を持ってきた。


「セレスティア様。差出人不明ですが、書記局経由で確認済みのものです」


 封蝋は簡素だった。


 差出人の名はない。


 セレスティアは少し警戒しながら開いた。


 中には、短い手紙が入っていた。


『私は王妃宮の下働きだった者です。

 セレスティア様が夜遅くまで灯りの下で書類を書いていたことを覚えています。

 誰も声をかけませんでした。忙しそうだったからです。偉い方だったからです。

 でも本当は、お茶をお持ちすればよかったと、今になって思います。

 あなたを星とは呼びません。ただ、あの夜の灯りを覚えています』


 セレスティアは、その手紙を読み終えて動けなくなった。


 星とは呼びません。


 ただ、あの夜の灯りを覚えています。


 胸の奥が、静かに震えた。


 これは旗印にしようとする言葉ではなかった。


 戻れという言葉でもない。


 必要だという言葉でもない。


 ただ、覚えている、と。


 セレスティアは手紙をそっと胸元に当てた。


「……こういう手紙も、あるのですね」


 ノアは静かに頷いた。


「はい」


「これは、受け取れます」


「よかった」


 セレスティアは、少しだけ涙ぐんだ。


 泣くほどではない。


 けれど、確かに目の奥が熱い。


 誰かが見ていた。


 役割でも、功績でも、象徴でもなく。


 ただ、夜の灯りとして。


 その記憶は、セレスティアを縛らなかった。


 ただ、彼女がそこにいたことを、そっと認めてくれた。


 その夜、セレスティアは自分の記録に書いた。


『善意にも、鎖になるものと、灯りになるものがある。今日は、その違いを少し知った』


 書いてから、彼女は帳面を閉じた。


 今日は閉じる。


 明日また開くために。

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