第20話 双生契約という名の古い鎖
翌朝、王妃宮の空気はいつもより重かった。
窓は細く開けられ、香炉には刺激の少ない薬草だけが焚かれている。
王妃エレオノーラの寝室へ続く廊下では、侍女たちが声を落として行き交っていた。
リリアナは、その廊下の前で足を止めた。
昨日より眠れたわけではない。
目を閉じれば、姉の字が浮かんだ。
帳簿の数字が浮かんだ。
父の怒声が浮かんだ。
アデルの「セレスティアの真似をするな」という声が、耳の奥に残っていた。
それでも、朝は来る。
書類の期限も、王妃の薬の時間も、救貧院の支援金も、誰かの心の整理を待ってはくれない。
リリアナは、胸元に姉の引き継ぎ書から抜き写した一枚の紙を忍ばせていた。
『前公爵夫人エレナ様の療養記録、出産記録、ならびに王妃宮預かりの封印箱については、必ずマルタ侍女長を通すこと』
何度読んでも、胸がざわつく。
出産記録。
封印箱。
双生契約。
昨夜、王妃が口にしたというその名を、マルタから聞かされた瞬間、リリアナはほとんど息ができなかった。
双生。
二つの生。
それは、誰と誰のことなのか。
自分とセレスティアなのか。
それとも、自分たちが生まれる前からあった何かなのか。
分からない。
けれど、分からないまま逃げることだけは、もうしたくなかった。
「リリアナ様」
扉の前に立っていたマルタが声をかけた。
「王妃陛下がお待ちです」
「はい」
リリアナは頷いた。
自分の声が少し震えていた。
マルタはそれを責めなかった。
ただ、扉を開けた。
王妃は寝椅子に身を預けていた。
顔色はまだ白い。
けれど昨夜より意識ははっきりしているように見えた。
枕元の小卓には、銀細工の小箱が置かれている。
百合紋と星紋。
そして、小さな鍵穴。
それを見た瞬間、リリアナは足を止めそうになった。
王妃は穏やかに言った。
「来ましたね、リリアナ」
「はい、王妃陛下」
「座りなさい」
リリアナは椅子に腰掛けた。
座っただけなのに、背筋がこわばる。
王妃はその様子を見て、少しだけ微笑んだ。
「怖いですか」
「……はい」
リリアナは正直に答えた。
「怖いです」
「よろしい」
「よろしい、のですか」
「怖いと分かっているなら、まだ逃げていません」
その言葉に、リリアナは黙った。
王妃の言葉はいつも静かだ。
だが、静かなのに逃げ道を塞ぐ。
姉の引き継ぎ書に似ている。
いや、姉が王妃から学んだのかもしれない。
そう思うと、胸がまた痛んだ。
「昨夜、あなたは“双生契約”という言葉を聞いたそうですね」
「はい」
「それが何か、知りたいですか」
リリアナは頷きかけ、少しだけ迷った。
知りたい。
だが知れば、もう知らなかったころには戻れない。
帳簿を読んだときと同じだ。
姉の椅子に座ったときと同じだ。
見てしまえば、もう泣いて逃げるだけではいられない。
それでも。
「知りたいです」
リリアナは言った。
「いいえ。知らなければならないと思います」
王妃は静かに頷いた。
「では、すべてではなく、入口だけを話します」
「入口……」
「この箱の中身は、まだ開けられません。鍵はセレスティアが持っています」
リリアナの指が膝の上で動いた。
「お姉様が」
「ええ。あの子に託しました」
「なぜ、お姉様に」
王妃はすぐには答えなかった。
その沈黙の間、リリアナは小箱を見つめていた。
王妃宮にある箱。
姉が持つ鍵。
姉妹の過去。
なぜ、姉ばかりが重いものを持たされるのか。
リリアナは、またその問いに戻ってしまう。
「双生契約とは」
王妃がゆっくり口を開いた。
「レイノルド公爵家と王家の間に、二十年以上前から存在した古い取り決めです」
「王家と……私の家の間に」
「ええ」
「それは、婚約とは違うのですか」
「違います。婚約は表の契約。双生契約は、表に出せない契約でした」
リリアナの喉が鳴った。
表に出せない契約。
その響きだけで、すでに嫌な予感がする。
「前公爵夫人エレナがあなたたちを産んだころ、王宮ではある問題が起きていました」
「ある問題……?」
「王太子妃候補の教育と、王妃宮実務の継承です」
リリアナは眉を寄せた。
「王妃宮実務の、継承」
「王妃とは、微笑むだけの立場ではありません」
王妃の声は弱い。
だが、その言葉だけははっきりしていた。
「王妃宮は、慈善、療養、社交調整、外交儀礼、孤児院と救貧院への支援、王族女性たちの保護、そのすべてを抱えています。表の政治からは外れているように見えて、国の血流を支えている場所です」
リリアナは黙って聞いた。
少し前の自分なら、退屈な説明だと思ったかもしれない。
けれど今は違う。
救貧院の支払いが止まりかけた。
王妃の薬草が不足した。
王妃宮予備費が揺らいだ。
王妃宮が止まれば、きらびやかな王宮の裏側で、本当に困る人たちがいる。
「本来、その実務は王太子妃となる者が少しずつ学ぶべきでした」
「では、お姉様が学んだのは」
「表向きは、王太子妃教育です」
王妃はそこで一度息を整えた。
マルタが水を差し出す。
王妃は一口飲んでから続けた。
「けれど実際には、セレスティアは王太子妃教育と王妃宮実務、その両方を背負わされました」
リリアナの胸が痛む。
知っていたはずだ。
姉の引き継ぎ書を読んで、もう分かっていたはずだ。
それでも、王妃の口から聞くと重みが違った。
「なぜ、お姉様だけが」
リリアナは問うた。
王妃は小箱に手を置いた。
「あなたとセレスティアは、本来なら二人で分けるはずだったからです」
「私と、お姉様が」
「ええ」
リリアナは息を止めた。
二人で分けるはずだった。
何を。
王太子の隣に立つ役割を。
王妃宮を支える役割を。
姉妹としての責任を。
「双生契約は、王妃候補と王妃宮補佐を、同じ家の二人の娘に分けて育てるための取り決めでした」
王妃の声が静かに落ちる。
「一人は表へ。王太子の隣に立つ者として。もう一人は奥へ。王妃宮実務を支える者として」
「では……」
リリアナの声が震えた。
「本来、私は」
「あなたは、守られるだけの妹ではありませんでした」
王妃ははっきりと言った。
「あなたにも、学ぶべき役目があった」
リリアナの視界が揺れた。
自分にも役目があった。
なのに、なぜ。
なぜ自分は何も知らずに育ったのか。
なぜ姉だけが、王太子妃教育も王妃宮実務も、妹の失敗の後始末まで背負っていたのか。
「お父様が……」
リリアナは呟いた。
王妃は答えない。
だが、その沈黙で十分だった。
「お父様が、私に知らせなかったのですか」
「グレゴール公爵は、あなたを表へ出すことを望みました」
「表……」
「可愛らしく、愛される娘として。王太子に選ばれやすい娘として。傷つきやすく、守られることで価値を持つ娘として」
その言葉は、刃のようだった。
リリアナは息が詰まる。
可愛らしく。
愛される。
守られる。
それは、ずっと自分が欲しかったものだ。
でも、もしそれが誰かに作られた役割だったとしたら。
そして、そのために姉が裏側をすべて背負ったのだとしたら。
「では、お姉様は」
「セレスティアは、あなたの分まで奥を背負った」
王妃は目を閉じた。
「そして、表の責任も背負った」
「そんな……」
リリアナの声は掠れた。
「そんなの、おかしいです」
「おかしいのです」
王妃は静かに言った。
「けれど大人たちは、それを都合がよい形に整えました。セレスティアは強い。リリアナは幼い。姉が妹を守るのは当然。そう言い換えて」
リリアナは震える手で口元を押さえた。
お前は姉なのだから。
父の声。
お姉様なら、分かってくださると思っていました。
自分の声。
どちらも、同じ鎖の一部だった。
「私は……」
声が出ない。
私は何をしていたのか。
何も知らなかった。
でも、知らないまま姉の背に乗っていた。
姉が苦しんでいることにも気づかず、姉ばかりずるいと思っていた。
「王妃陛下」
リリアナは、泣きそうになりながら尋ねた。
「お姉様は、これを知っていたのですか」
「すべてではありません」
王妃は昨日と同じ答えをした。
「けれど、自分があなたの分まで背負っていることには気づいていたでしょう」
「なぜ、言わなかったのでしょう」
「あなたが壊れると思ったから」
リリアナは目を閉じた。
またそれだ。
姉は、自分が壊れると思って黙った。
自分を守るために。
「私は、そんなに弱かったのでしょうか」
「弱かったというより、弱く育てられたのです」
王妃の言葉は容赦がなかった。
「あなた自身にも責任はあります。けれど、それだけではありません。泣けば誰かが守る環境で育てられた子は、泣かずに立つ方法を覚えにくい」
リリアナは涙をこぼした。
今度は止められなかった。
「では、私はどうすればいいのですか」
「立つことを覚えなさい」
「今からでも、できますか」
「できます」
王妃は即答した。
「ただし、泣けば許されると思わないこと。謝れば過去が消えると思わないこと。セレスティアに許されることを目的にしないこと」
リリアナは泣きながら頷いた。
「はい」
「あなたがすべきことは、あなたの分の重さを取り戻すことです」
「私の分の……」
「ええ。セレスティアから奪ったものを、返すのではありません。重さは返せません。過去も戻りません。だから、これから先、自分の分を自分で持つのです」
リリアナは両手で顔を覆った。
声を上げて泣きたかった。
でも、必死に抑えた。
泣きたい。
けれど、泣いて終わりにしたくない。
「王妃陛下」
「何ですか」
「私は、お姉様に会ってもよいのでしょうか」
王妃は少しだけ沈黙した。
「今すぐは、やめなさい」
リリアナの胸が痛んだ。
だが、分かっていた。
今会えば、自分はきっと謝りたくなる。
許してほしくなる。
抱きしめてほしくなる。
それは、自分のための涙だ。
「まず、自分の役目を果たしなさい」
「はい」
「王太子府の記録。父の発言。ガレオン卿の処理票。すべてを見届けること」
「はい」
「そして、いつか会うなら、許しを求めるためではなく、事実を持って会いなさい」
リリアナは涙を拭った。
「はい」
王妃は小箱を見つめる。
「箱の中身を開けるには、セレスティアの鍵が必要です」
「お姉様が戻らなければ」
「開きません」
「では、いつ」
「セレスティアが、自分のために開けると決めたときです」
リリアナは小箱を見た。
自分は開けられない。
王妃も開けない。
鍵は姉が持っている。
ずっと姉に背負わせてきた大人たちの罪が、最後も姉の手に委ねられているようで、胸が痛んだ。
だが、王妃は言った。
自分のために開けると決めたとき、と。
それは命令ではない。
今度こそ、姉の選択なのだ。
同じころ、北方の屋敷で、セレスティアは鍵を見つめていた。
朝の光が机に落ち、古い鍵の表面を鈍く照らしている。
昨夜は眠れなかった。
王都からの報告を読んだあと、彼女はずっと考えていた。
ガレオン卿の名が出たこと。
アデルがなお帳簿持ち出しを別問題にしたこと。
王妃宮が動き続けていること。
そして、王妃の箱。
双生契約。
その名を、セレスティアはまだ知らない。
だが、鍵がただの財務記録や王妃宮の秘密だけを開けるものではないことは、薄々感じていた。
胸の奥に、ずっと触れられないままの痛みがある。
幼いころ、リリアナが泣くたびに父が言った。
お前は姉なのだから。
リリアナが社交で失敗すれば、セレスティアが謝った。
リリアナが王妃宮の礼法を覚えられなければ、セレスティアが補った。
リリアナがアデルの前で涙を浮かべれば、セレスティアは冷たい姉になった。
姉だから。
長女だから。
強いから。
そう言われ続けた。
だが時々、思ったことがある。
なぜ自分だけが姉なのか。
たった数年早く生まれただけで、なぜすべてを背負う理由になるのか。
その疑問を持つことさえ、恥だと思ってきた。
けれど、この鍵を見ていると、その疑問が胸の奥から浮かび上がってくる。
ノアが部屋に入ってきたのは、彼女が鍵を箱へ戻そうとしたときだった。
「おはようございます」
「おはようございます」
セレスティアは箱を閉じた。
ノアはそれに気づいたが、すぐには触れなかった。
「王都から追加の報告です」
「お願いします」
ノアは書簡を開いた。
「王妃宮で、リリアナ嬢が王妃陛下と面会。内容はまだ不明。ただし、その後リリアナ嬢が王妃宮の記録整理に加わったそうです」
「リリアナが」
セレスティアの声が少し揺れた。
妹が、記録整理に。
あのリリアナが。
かつては難しい書類を見ると涙ぐみ、セレスティアに「お姉様、お願い」と寄ってきた妹が。
「無理をしていなければよいのですが」
口から出た言葉に、セレスティア自身が少し苦しくなる。
また心配している。
裏切られたのに。
傷つけられたのに。
それでも妹を心配してしまう。
ノアは責めなかった。
「心配することと、代わりに背負うことは違います」
セレスティアは顔を上げた。
「違いますか」
「違います」
ノアは短く言った。
「あなたが今ここで心配することはできます。でも王宮へ戻って、彼女の代わりに記録を読む必要はない」
その言葉に、セレスティアは少しだけ息を吐いた。
「そうですね」
「ええ」
「心配しても、代わりに背負わない」
「はい」
「難しいですね」
「練習しましょう」
真面目に言われ、セレスティアは少し笑った。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
「閣下」
「はい」
「私は、リリアナに会ったら、どうすればよいのでしょう」
ノアは即答しなかった。
彼はいつも、分からないことを分からないまま適当に慰めたりしない。
そこが信頼できた。
「今は、決めなくていいのでは」
「今は?」
「会うときのあなたと、今のあなたは違うかもしれない」
セレスティアは黙った。
「リリアナ嬢も、違うかもしれない」
「……変わるでしょうか」
「もう変わり始めているように見えます」
その言葉に、胸が痛む。
リリアナが変わる。
それは嬉しいことのはずだ。
けれど、変わったリリアナを見るのが怖い。
もし妹が本当に反省していたら。
もし泣きながら謝ってきたら。
自分はどうするのか。
許せるのか。
許せないのか。
許せない自分を、また責めるのか。
セレスティアは鍵の入った箱に手を置いた。
「私も、変わらなければならないのですね」
「変わらなければならない、ではなく」
ノアは静かに訂正した。
「もう変わっています」
セレスティアは瞬いた。
「私が?」
「はい」
「そうでしょうか」
「王太子命令に条件を返した人が、何も変わっていないとは思えません」
それを言われると、反論できなかった。
セレスティアは小さく笑う。
「ずいぶん大胆なことをしましたね」
「今さらですか」
「今さら、少し怖くなってきました」
「当然です」
「また当然」
「怖いまま進めばいい」
その言葉は、優しいのに厳しかった。
セレスティアは頷いた。
「はい」
その日の午後、王宮ではリリアナが初めて王妃宮の記録台帳に自分の名前を書いた。
担当項目は、救貧院支援金の確認補助。
たったそれだけ。
けれど、彼女にとっては大きな一歩だった。
書記官エルンが隣で説明する。
「こちらの日付、支払い予定日、実行日、遅延理由を記録します」
「はい」
「分からなければ、必ず聞いてください」
「はい」
「判断に迷ったら、一人で進めないこと」
「はい」
リリアナは真剣に頷いた。
以前なら、同じことを三度も言われれば、子ども扱いされたと傷ついたかもしれない。
今は違う。
分からないまま署名する方が怖い。
エルンが少し驚いたように言った。
「リリアナ様は、変わられましたね」
リリアナはペンを止めた。
「よい方に、でしょうか」
「少なくとも、書類に向き合う方には」
曖昧だが、正直な答えだった。
リリアナは小さく笑った。
「それなら、今は十分です」
エルンも少しだけ表情を和らげる。
そのとき、マルタが部屋に入ってきた。
「リリアナ様。王妃陛下より、こちらを預かりました」
差し出されたのは、小さな封書だった。
「これは?」
「北方へ送るものです」
リリアナの胸が鳴る。
「お姉様へ、ですか」
「はい。ただし、これは王妃陛下からではありません」
マルタはまっすぐリリアナを見る。
「あなたが書きなさい」
リリアナは固まった。
「私が?」
「ええ」
「でも、何を書けば」
「許してください、以外です」
その一言が胸に刺さった。
リリアナは唇を噛む。
「……はい」
「謝罪を書いてはいけないとは言いません。ですが、許しを求める手紙にしてはいけません」
「では、何を」
「事実を」
マルタの声は静かだった。
「あなたが知ったこと。あなたが今していること。あなたがこれから自分の分を持つと決めたこと。それを書きなさい」
リリアナは、しばらく封書を見つめた。
姉に手紙を書く。
断罪の夜以来、初めて。
何を書いても足りない気がした。
謝りたい。
泣きたい。
会いたい。
でも、それをそのまま書けば、また姉に背負わせることになる。
リリアナは机に向かった。
白紙を前に、手が震える。
最初の一文が浮かばない。
お姉様。
そう書くだけで、涙が出そうになる。
それでも書いた。
『セレスティアお姉様』
そこで止まる。
マルタは何も言わない。
エルンも静かに書類を整えている。
リリアナは、深く息を吸った。
『私は、少しだけ知りました。お姉様が私の分まで背負っていたことを』
文字が震える。
姉のように美しくない。
でも、これは自分の字だ。
『まだ全部は分かっていません。分かったふりもできません。ただ、知らなかったと言って逃げることは、もうしたくありません』
涙が落ちそうになる。
リリアナは袖で目元を押さえ、続けた。
『私は今、王妃宮で救貧院支援金の記録補助をしています。小さな仕事です。でも、私がこれまで見ようとしなかった重さの一部だと思っています』
手が止まる。
謝罪を書きたい。
許してほしいと書きたい。
だが、今は。
今は、それだけでは駄目だ。
『お姉様に許してほしいとは、今は書きません。許されるために書くのではなく、事実を伝えるために書きます』
その一文を書いた瞬間、リリアナは小さく息を吐いた。
少しだけ、胸が軽くなった。
そして最後に、迷いながら書いた。
『いつか会うとき、私は泣いて逃げる妹ではなく、自分の分の記録を持って会いに行きます』
ペンを置いた。
手紙は短い。
けれど、今のリリアナにはこれが限界だった。
マルタが読んでもよいかと目で尋ねる。
リリアナは頷いた。
マルタは一読し、静かに言った。
「よい手紙です」
「本当に?」
「少なくとも、許しを押しつける手紙ではありません」
リリアナは少し泣きそうになった。
「では、送ってください」
「はい」
封をする前に、リリアナはもう一度だけ手紙を見た。
セレスティアお姉様。
その文字が、少し滲んでいた。
でも、書き直さなかった。
震えたままでも、自分の字だから。
その夜、北方へ向けて一通の手紙が出された。
王妃宮からではなく、リリアナの名で。
姉妹の間に初めて、許しを求めない手紙が渡ろうとしていた。
そして王妃の小箱は、まだ閉じられている。
だがその鍵を持つセレスティアのもとへ、真実の前触れは少しずつ近づいていた。
大人たちが隠した古い罪。
姉だけに背負わせた鎖。
妹を弱く育てた檻。
そのすべてが、やがて一つの箱の前で繋がることを、二人はまだ知らない。




