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私だけが真実を知っているのに、誰も信じてくれない 〜悪役令嬢にされた私は沈黙を選びました。けれど王都は、私を失ってから少しずつ壊れていく〜  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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15/110

第15話 父は、娘の名誉より家の静けさを選んだ

 王都において、噂は風よりも早く走る。


 ただし、その風には向きがある。


 誰かが意図して扇げば、噂は望む方角へ流れる。

 火のないところに煙を立てることも、火がある場所から煙だけを別の場所へ逸らすことも、宮廷の者たちはよく知っていた。


 その日の午後、王太子府の一室には、数人の側近が集まっていた。


 机の上には、声明文の草案が置かれている。


『セレスティア・レイノルド嬢による王宮財務記録の不当持ち出しについて』


 表題だけを見れば、すでに罪は決まっているようだった。


 まだ調査は始まっていない。

 帳簿の内容も、王妃宮と財務局が確認している途中だ。

 それでも文面は、彼女が王宮機密を不当に外部へ持ち出したという前提で書かれていた。


 王太子アデルは、その草案を見下ろしていた。


「言い回しが強すぎる」


 彼が言うと、側近ガレオン卿は恭しく頭を下げた。


「では、“疑い”という表現を増やしましょう」


「そうではない。リリアナが気にしている」


 ガレオン卿の眉がわずかに動く。


「リリアナ様は、お優しい方ですから」


「分かっている」


 アデルは、少し苛立ったように指で机を叩いた。


「だからこそ、彼女を余計な数字や疑惑から遠ざけたいのだ。昨日から顔色が悪い」


「それもセレスティア嬢の影響でしょう」


 ガレオン卿は静かに言った。


「リリアナ様は、姉君の書類を読まされたことで、必要以上に責任を感じておられます」


「リリアナは責任を感じやすい」


「ええ。ですから、殿下が守って差し上げる必要がございます」


 守る。


 その言葉は、アデルにとって心地よかった。


 自分はリリアナを守っている。

 セレスティアという冷たい姉から。

 王宮の汚れた実務から。

 数字や帳簿や責任から。


 そう考えると、自分の苛立ちにも意味が与えられる気がした。


 ただ、心の奥には小さな引っかかりが残っている。


 リリアナは言った。


 優しいだけでは誰も救えません、と。


 それは、アデルが知っているリリアナの言葉ではなかった。


 まるでセレスティアの言葉のようだった。


 そのことが、どうにも不愉快だった。


「殿下」


 別の側近が入室し、頭を下げる。


「レイノルド公爵閣下がお見えです」


「通せ」


 ほどなくして、グレゴール・レイノルド公爵が部屋に入ってきた。


 厳格な顔。

 揺るぎない歩調。

 娘が断罪され、もう一人の娘が王太子府に深く関わり始めた翌日でも、その態度は少しも乱れていないように見えた。


 アデルは椅子から立ち上がった。


「公爵。急に呼び立ててすまない」


「殿下のお召しとあれば」


 グレゴールは深く礼をした。


 その動きは完璧だった。

 セレスティアの礼と、どこか似ていた。


 アデルは一瞬だけ昨夜の広間を思い出し、すぐに振り払った。


「セレスティアの件だ」


「承知しております」


 グレゴールは即答した。


「帳簿の持ち出しについて、ですね」


「耳が早いな」


「我が家の不始末でございますので」


 不始末。


 アデルは、その言葉に少し救われる気がした。


 そうだ。

 これは王太子府の問題ではない。

 まずはレイノルド公爵家の問題だ。


 公爵家の長女が、王宮記録を持ち出した。


 ならば、父であるグレゴールが収めるべき話でもある。


「公爵は、彼女が帳簿を持ち出したことを知っていたか」


「いいえ」


 グレゴールの声は硬かった。


「しかし、あの娘は昔から自分で判断しすぎるところがありました。必要以上に王宮実務へ踏み込み、自分が支えていると思い込む。今回も、その延長でしょう」


 アデルは頷きかけた。


 だが、部屋の隅で控えていた侍従の一人がわずかに顔を伏せた。


 誰もそれを見なかった。


 グレゴールは続ける。


「ただし、セレスティアを公に処罰すれば、王宮にも公爵家にも傷が残ります」


「では、どうする」


「私が手紙を出します」


 グレゴールは迷わなかった。


「セレスティアを北方から戻し、公爵家の管理下に置きます。そのうえで帳簿を回収し、本人には修道院へ入るよう命じます」


 修道院。


 アデルは一瞬、口を閉じた。


 それは確かに、最も静かな処理だった。


 セレスティアが修道院へ入れば、社交界から消える。

 帳簿も公爵家が回収する。

 王太子府は声明を出さずに済む。

 リリアナも、これ以上姉のことで心を乱されない。


 すべてが穏便に収まるように見えた。


 ただ一つ。


 セレスティア本人の意思を除けば。


「彼女が従うと思うか」


「従わせます」


 グレゴールは、当然のように言った。


「あれは私の娘です」


 その言葉に、アデルはわずかな違和感を覚えた。


 昨夜、セレスティアは公爵家の指輪を返したと聞いている。


 それでも父は、あれは私の娘だと言う。


 そこに愛情があるのか、所有の感覚だけなのか、アデルには判断できなかった。


 いや、判断する必要はないと思った。


 これは家の問題だ。


「リリアナには、この話を伝えない方がいい」


 アデルが言うと、グレゴールは頷いた。


「同感でございます。あの子は優しすぎる。余計なことを知れば、また心を痛めます」


 同じ言葉だった。


 優しすぎる。


 リリアナを守るために使われる、甘くて便利な言葉。


 だがそのとき、扉の外で小さな物音がした。


 アデルが視線を向ける。


「誰だ」


 扉が開いた。


 立っていたのは、リリアナだった。


 顔色は悪い。

 だが、目だけは逃げていなかった。


「リリアナ」


 アデルが驚いた声を出す。


「なぜここに」


「王妃宮へ向かう途中で、お父様がこちらにいらっしゃると聞きました」


 リリアナは父を見た。


「お父様。今のお話は、本当ですか」


 グレゴールの顔がわずかに曇る。


「リリアナ。お前が聞くべき話ではない」


「セレスティアお姉様を、修道院へ入れるおつもりなのですか」


「家のためだ」


 短い答えだった。


 リリアナの指が、ドレスの布を握る。


「帳簿を回収するために?」


「不適切に持ち出された王宮記録を戻すためだ」


「それは、お姉様が自分の名を守るために残した記録です」


「お前はまた、その帳簿に惑わされている」


 父の声は冷たかった。


 リリアナは肩を震わせた。


 幼いころから、この声が怖かった。


 セレスティアと比べられるとき。

 失敗を咎められるとき。

 泣くなと言われるとき。


 この声を聞くと、リリアナはいつも姉の後ろに隠れたくなった。


 でも、今ここに姉はいない。


「お父様」


 リリアナは、震えながらも言った。


「お姉様は、本当に悪いことをしたのですか」


「王宮の記録を持ち出した」


「そうではありません」


 リリアナは首を振る。


「お姉様が、王妃宮予備費の不正な処理を止めようとしていたことを、お父様は知っていましたか」


 グレゴールは答えなかった。


 その沈黙で、リリアナの胸が冷えた。


 知らなかった沈黙ではない。


 答えたくない沈黙。


「知っていたのですか」


「リリアナ」


「お父様、答えてください」


 リリアナは初めて、父に食い下がった。


 グレゴールの目が鋭くなる。


「お前は王太子殿下の御前で、父を問い詰めるつもりか」


「はい」


 言った瞬間、部屋の空気が止まった。


 リリアナ自身も、息が詰まりそうになった。


 だが、言い直さなかった。


「私は、もう知らなかったふりをしたくありません」


「セレスティアの真似事か」


 父の言葉は、アデルと同じだった。


 リリアナは唇を噛んだ。


 皆、同じことを言う。


 帳簿を見ると、セレスティアに惑わされた。

 疑問を持つと、セレスティアの真似。

 正しく調べようとすると、優しすぎる。


 では、リリアナ自身の考えはどこにあるのか。


 誰も、それを聞こうとしない。


「真似ではありません」


 リリアナは、小さく言った。


「私は私の目で見ました。お姉様の帳簿も、王妃陛下の薬箱も、救貧院の支払いも」


「お前には荷が重い」


「重いです」


 リリアナはすぐに認めた。


「とても重いです。昨日まで何も知りませんでした。お姉様の椅子に座って初めて、怖くなりました」


 声が震える。


「でも、重いからといって誰か一人に押しつけていいものではありません」


 グレゴールは黙った。


 アデルも、言葉を挟めなかった。


 リリアナは父を見つめる。


「お父様は、お姉様にずっと押しつけていたのですか」


「黙りなさい」


「お姉様なら耐えられるから?」


「黙れ」


「長女だから? 公爵家のためだから? 王家のためだから?」


「リリアナ!」


 怒声が部屋に響いた。


 リリアナはびくりと震えた。


 涙が浮かぶ。


 だが、落とさなかった。


 グレゴールは肩で息をしている。


 怒っている。


 けれど、その怒りの奥にあるものを、リリアナは初めて見た気がした。


 恐れだ。


 父は恐れている。


 帳簿を。

 セレスティアの沈黙が破れることを。

 家の静けさが壊れることを。


 父は娘を守るためではなく、家を静かに見せるために動いている。


 そのことに気づいた瞬間、リリアナの胸に冷たい痛みが走った。


「お父様は」


 リリアナの声は掠れていた。


「お姉様に謝るおつもりは、ないのですね」


 グレゴールは答えなかった。


 答えない。


 また沈黙。


 それが、レイノルド公爵家の答えだった。


「リリアナ」


 アデルが近づこうとする。


「もういい。君は休め」


「いいえ、殿下」


 リリアナは首を横に振った。


「私は王妃宮へ戻ります」


「戻って何をする」


「記録を残します」


 アデルの顔が強張る。


「何の記録だ」


「今、お父様がセレスティアお姉様を修道院へ入れ、帳簿を回収しようとしたことです」


「リリアナ、それは」


「王妃陛下に報告します」


 グレゴールが一歩踏み出した。


「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか」


「少しだけ、分かってきました」


 リリアナは涙をこらえたまま言った。


「私は今まで、分からないまま誰かに守られていました。でも、それでは誰も救えません。お姉様も、王妃陛下も、救貧院の人たちも……私自身も」


 最後の言葉は、自分でも予想していなかった。


 私自身も。


 そうだ。


 このままなら、リリアナもまた誰かの都合のよい人形になる。


 可哀想で優しい妹。

 王太子に守られる少女。

 姉を追い出したことに気づかないまま、王太子妃の席に座らされる娘。


 それはもう、嫌だった。


「失礼いたします」


 リリアナは礼をした。


 姉ほど完璧ではない。


 少し震えていて、角度も硬い。


 けれど、逃げるための礼ではなかった。


 部屋を出る。


 廊下に出た瞬間、涙が一粒だけ落ちた。


 だが歩き続けた。


 泣くのは後。


 記録が先。


 その言葉を、呪文のように胸の中で繰り返した。


 王太子府の部屋に残されたアデルは、しばらく扉を見つめていた。


 やがて、低く呟く。


「……セレスティアのせいだ」


 誰も答えなかった。


 ガレオン卿だけが、静かに頭を下げた。


「リリアナ様は、まだお心が乱れておられます」


「ああ」


 アデルは机の上の声明文を見た。


 横領疑惑。

 機密持ち出し。

 帳簿。

 王妃宮。

 リリアナの反抗。


 すべてが、セレスティアの名に繋がっているように思えた。


 彼女が去ったのに、王宮のあちこちに彼女の影が残っている。


 その影が、リリアナまで変え始めている。


「声明はまだ出すな」


 アデルは言った。


 側近たちが顔を上げる。


「では」


「代わりに、正式な召喚状を用意しろ」


 グレゴールが眉を動かした。


「殿下」


「セレスティアを王都へ呼び戻す」


 アデルの声は硬かった。


「逃げたまま好き勝手に帳簿を出されては困る。王宮の記録について説明する義務がある」


 グレゴールは少し考え、頷いた。


「公爵家としても同意いたします」


「宛先は北方辺境伯家だ。ノアにも伝えろ。これは王太子命令だと」


 その言葉に、部屋の空気が重くなる。


 王太子命令。


 ノア辺境伯が素直に従うとは限らない。


 だが命令を出せば、少なくとも形は作れる。


 セレスティアは逃げている。


 王宮は説明を求めている。


 そう見せることができる。


 アデルは、自分の判断が冷静なものだと思おうとした。


 しかし胸の奥では、別の感情が渦巻いていた。


 なぜ、彼女は去ってもなお自分を煩わせるのか。


 なぜ、リリアナは彼女の名を口にするのか。


 なぜ、皆があの女を必要としていたような顔をするのか。


 認めたくなかった。


 だから、呼び戻す。


 目の前に立たせる。


 そして、今度こそはっきりさせる。


 自分が正しかったのだと。


 そのころ、王妃宮ではリリアナが震える手で記録を書いていた。


『王太子府にて、レイノルド公爵より、セレスティア・レイノルドを修道院へ入れ、帳簿を回収する意向ありとの発言を確認』


 字は姉ほど美しくない。


 ところどころ震えている。


 それでも、書いた。


 マルタが横で見ていた。


「よく書けています」


「字が乱れています」


「記録に必要なのは、美しさではなく事実です」


 リリアナは頷いた。


「はい」


「この写しを王妃陛下へ。もう一部は書記局長へ回します」


「はい」


「リリアナ様」


「何でしょう」


 マルタは少しだけ声を和らげた。


「よく戻ってこられました」


 その一言で、リリアナの目にまた涙が浮かんだ。


 今度も、落とさなかった。


「まだ、戻ってきただけです」


「ええ」


「これから、何をすればよいか教えてください」


 マルタは頷いた。


「まずは、泣かずに眠ることです」


「え?」


「倒れた者に、記録は残せません」


 厳しくも現実的な言葉に、リリアナは少しだけ笑いそうになった。


 笑えなかったが、息は少し楽になった。


 一方、北方の屋敷では、セレスティアが自分自身の記録を書き続けていた。


『私が帳簿の写しを持ち出した理由』


 その表題の下に、事実を並べる。


 王太子府儀礼費の不整合。

 王妃宮予備費への影響。

 救貧院支援金の遅延可能性。

 確認印が承認印として扱われる危険。

 王宮内で記録が失われる可能性。


 書いているうちに、手は何度か止まった。


 自分を守るための記録を書くことには、まだ慣れていない。


 誰かを守るためなら、いくらでも書けた。

 殿下のため、王妃のため、リリアナのため、王宮のため。


 だが、自分の名誉のために書くとなると、胸の奥に罪悪感が湧く。


 それでも書いた。


 ノアは向かいの机で別の書類を確認している。


 同じ部屋にいるが、口は挟まない。


 必要なときだけ、茶を注いだり、灯りを足したりする。


 セレスティアはペンを置き、ふと顔を上げた。


「閣下」


「はい」


「私は、父をまだ怖がっているようです」


 ノアは書類から目を上げた。


「当然です」


「また当然ですか」


「ええ」


 セレスティアは少しだけ苦笑した。


「父が手紙を送ってきたら、私はまだ胸が冷えます。公爵家に戻れと言われたら、従わなければならないような気がしてしまう」


「従う必要はありません」


「分かってはいるのです」


「分かっていても怖いものは怖い」


 ノアの声は静かだった。


「それも当然です」


 セレスティアは、目を伏せた。


 怖いと言ってもいい。


 腹が立つと言ってもいい。


 悲しかったと言ってもいい。


 ここに来てから、彼女は少しずつ、自分の感情に名前をつけ始めている。


 そのとき、扉が叩かれた。


 従者が入ってくる。


「閣下。王都より、急使です」


 ノアの表情が変わった。


「誰からだ」


「王太子府より。レイノルド公爵家の署名もございます」


 セレスティアの指が、机の上で止まった。


 従者が差し出した封書には、王太子府の印とレイノルド公爵家の印が並んでいた。


 二つの印。


 かつて彼女を縛っていたものが、紙の上で手を組んでいる。


 ノアは封書を受け取り、セレスティアを見る。


「開けますか」


 彼がそう尋ねたことに、セレスティアは少しだけ救われた。


 勝手に開けない。


 見せるかどうかを、彼女に選ばせる。


 セレスティアは深く息を吸った。


「はい」


 封を切る。


 文面は短かった。


『セレスティア・レイノルドは、王宮財務記録持ち出しの件について説明責任を負う。速やかに王都へ戻り、王太子府に出頭すること』


 その下に、王太子アデルの署名。


 そして父グレゴールの署名。


 王妃宮の印は、なかった。


 セレスティアは、そのことにすぐ気づいた。


 命令ではある。


 だが、王宮全体の総意ではない。


 王太子府と公爵家の命令だ。


 ノアも同じことを見て取ったのだろう。


「王妃宮印がない」


「はい」


 セレスティアの声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。


 胸は冷えている。

 指先も震えそうだ。


 だが、倒れそうではなかった。


「戻りますか」


 ノアが尋ねる。


 セレスティアは召喚状を見つめた。


 父の署名。

 アデルの署名。


 かつてなら、それだけで従っていた。


 けれど今は、机の上に自分の記録がある。

 王妃宮からの返書がある。

 ノアがいる。


 そして何より、自分の中に小さな怒りがある。


「いいえ」


 セレスティアは言った。


「まだ戻りません」


 ノアは頷いた。


「では、返答を書きましょう」


「はい」


 セレスティアは新しい紙を取った。


 ペンを持つ手は、ほんの少し震えた。


 だが、その震えごと文字にするつもりだった。


 彼女は書き始める。


『ご命令、拝読いたしました』


 そこで一度、息を整える。


 それから続けた。


『ただし、本件は王妃宮予備費および救貧院支援にも関わる重大な財務事項であるため、王太子府単独での聴取には応じかねます』


 ノアがわずかに目を細めた。


 セレスティアは書き続ける。


『王妃宮、財務局、書記局、ならびに第三者立会人の同席を条件として、正式な説明の場に応じます』


 最後に、少しだけ迷った。


 そして書いた。


『私は逃げているのではありません。記録を守っております』


 ペンを置く。


 部屋に静かな沈黙が落ちた。


 ノアはその文面を読み、短く言った。


「よい返答です」


「強すぎませんか」


「ちょうどいい」


 セレスティアは、少しだけ息を吐いた。


 王都から届いた召喚状は、机の端に置かれている。


 それはもう、彼女をただ縛る紙ではなかった。


 返答できる相手からの文書になった。


 かつては従うしかなかった命令に、条件を返す。


 それは小さな一歩だった。


 けれど、セレスティアにとっては、王宮の大広間を出た夜よりもずっと勇気のいる一歩だった。


 王都では、父が娘の名誉より家の静けさを選んだ。


 王太子は、自分の正しさを守るために彼女を呼び戻そうとした。


 リリアナは初めて父に逆らい、記録を残した。


 そしてセレスティアは、北方の静かな机で初めて命令に条件を返した。


 それぞれの選択が、まだ見えない場所で繋がり始めていた。


 王宮は、悪女が黙って戻ってくると思っている。


 けれど彼女はもう、ただ黙って礼をするだけの令嬢ではなかった。

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