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私だけが真実を知っているのに、誰も信じてくれない 〜悪役令嬢にされた私は沈黙を選びました。けれど王都は、私を失ってから少しずつ壊れていく〜  作者: 鳳凰院暁月刃夜


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第114話 王太子府の検証報告書は、謝罪文より先に届く

 王太子府の執務室には、紙の匂いが濃く残っていた。


 朝から窓を開けた。


 水も置いた。


 椅子も替えた。


 机の上には、文鎮が並んでいる。


 王妃宮の影響だ、とラウルは言った。


 アデルは否定しなかった。


 否定できなかった。


 最近の王太子府は、王妃宮から届く補足に振り回されている。


 私的文書との距離段階。


 閲覧環境整備。


 単独時間と置き去りの区分。


 非入室支援。


 未送付文書。


 どれも、以前なら「そこまで細かくしなくても」と笑い飛ばしたかもしれない。


 だが、その「そこまで細かくしなくても」の隙間で、セレスティアは何年も負担を飲み込んでいた。


 だから、今は笑えない。


 エドが、厚い紙束を机の上へ置いた。


「殿下、検証報告書の最終案です」


 アデルは手を伸ばした。


 表紙には、硬い文字でこう書かれている。


『王太子府における候補者教育・非公式実務混同に関する検証報告書』


 重い題名だ。


 けれど、まだ軽い気もする。


 この紙束で、過去のすべてが整理できるわけではない。


 セレスティアの夜も、休息欄も、黙っていた時間も、全部を紙に収めることはできない。


 それでも、まず事実を置く。


 謝罪ではなく。


 感情ではなく。


 許しを求める言葉でもなく。


 事実を。


 アデルは表紙をめくった。


 一、候補者教育と実務補助の混同。

 二、非公式依頼の常態化。

 三、王太子府文書整理の外部依存。

 四、名誉労働化。

 五、拒否権の未提示。

 六、責任者不明瞭化。

 七、セレスティア・レイノルド個人への過度な期待。

 八、再発防止策。


 目次を読むだけで、胃のあたりが重くなる。


 アデルは、しばらく黙っていた。


 ラウルが向かいで少し緊張した顔をしている。


 エドは筆を持ったまま待っている。


「謝罪文は」


 アデルが言った。


「同封案は、外してあります」


 エドが答えた。


「未送付綴じへ移したままです」


「よし」


 ラウルが少しだけ眉を寄せた。


「本当に同封しないのですか」


「しない」


「検証報告書だけが届くと、冷たく見える恐れがあります」


「それでもだ」


 アデルは紙束の上に手を置いた。


「謝りたい気持ちを、報告書に混ぜない」


 エドの筆が動く。


 アデルは止めなかった。


「謝罪を混ぜれば、彼女は事実を読む前に、こちらの感情を受け取ることになる」


「はい」


「報告書の最後に“申し訳なかった”と書けば、事実整理のはずが謝罪文になる」


「はい」


「謝罪文になれば、返答の圧が生まれる」


「はい」


「それは、今すべきではない」


 ラウルは慎重に言った。


「しかし、謝罪のない報告書は、殿下の反省が伝わらない可能性もあります」


「伝わらなくていい」


 アデルの声は、静かだった。


 ラウルは目を見開く。


「よろしいのですか」


「よくはない。だが、こちらの反省を伝えることを優先した瞬間、報告書は私のためのものになる」


「……はい」


「これは、彼女に読ませるための反省文ではない。王太子府が何をしたか、何を変えるかを整理した報告書だ」


 エドが顔を上げた。


「殿下」


「何だ」


「今のは重要です」


「記録しろ」


「はい」


 アデルは、少し苦く笑った。


「最近、君に記録されることに慣れてきた」


「よい傾向です」


「本当にそうか」


「少なくとも、言ったことから逃げにくくなります」


「それは、よい傾向だな」


 ラウルが、報告書の写しを手に取った。


「送付先は王妃宮経由ですか」


「いや、まず北方辺境伯家へ存在通知だけを送る」


「本文ではなく?」


「本文受領は、セレスティア本人が決める。王妃宮へ全文を先に出せば、外側の文書になる。彼女に届く前に意味がつく」


「では、王妃宮へは?」


「報告書完成の事実と、概要項目だけ。全文は本人受領保留」


 エドが書く。


「王太子府検証報告書、完成。本文送付保留。存在通知および目次のみ共有。謝罪文同封なし。回答不要」


「それでよい」


 アデルは、報告書の最後の頁を開いた。


 再発防止策。


 候補者教育と実務依頼の分離。


 非公式依頼の禁止。


 拒否権提示の明文化。


 作業時間・報酬・責任者の記録。


 候補者本人へ直接負担を移す前の第三者確認。


 名誉労働の禁止。


 未成年者に対する夜間実務依頼の原則禁止。


 体調・休息記録の確認。


 どれも、書いてみれば当たり前だった。


 その当たり前が、なぜなかったのか。


 アデルは、読みながら指先が冷えるのを感じた。


「ラウル」


「はい」


「この報告書で、王太子府はかなり恥をかく」


「はい」


「私もだ」


「はい」


「それでいい」


 ラウルは、少しだけ目を伏せた。


「殿下がそう言われるなら」


「違う。私が言うからいいのではない。恥をかかなければ、また名誉の陰に隠れる」


「……はい」


「名誉は、労働の報酬ではなかった。名誉は、責任の隠れ場所でもない」


 エドがまた記録する。


 アデルは、もう何も言わなかった。


 王太子府からの通知は、その日の午後に出された。


 王妃宮へ。


 北方辺境伯家へ。


 そして、公爵家へ。


 ただし、本文ではない。


 目次と、完成通知。


 そこに、謝罪文はなかった。


 王妃宮でそれを読んだリリアナは、最初に少し驚いた。


「謝罪文がないのですね」


 マルタが頷く。


「はい」


「王太子殿下なら、謝罪文を添えたくなりそうです」


「おそらく」


「でも、添えていない」


「はい」


 エルンが目次を写しながら言った。


「報告書としては、その方が読みやすいです」


「そうなのですか」


「謝罪文が混ざると、読み手は事実と感情を同時に処理しなければなりません」


 リリアナは少し目を丸くした。


「エルン、最近本当に鋭くなりましたね」


「紙をたくさん読んでおりますので」


 マルタが静かに頷く。


「よい傾向です」


 エルンは少しだけ嬉しそうにしたが、すぐ真顔に戻った。


「ただ、目次だけでも重いです」


「はい」


 リリアナは、目次に目を落とした。


 候補者教育と実務補助の混同。


 非公式依頼の常態化。


 名誉労働化。


 拒否権の未提示。


 責任者不明瞭化。


 どれも姉に刺さった言葉だ。


 姉の過去に、何度も重なっていたものだ。


 リリアナは、小さく息を吸った。


「これを、お姉様が今読むかどうかは、お姉様が決めるのですね」


「はい」


「王妃宮が先に意味づけしない」


「はい」


「私も、感想を送らない」


「はい」


「“王太子殿下がここまで整理しました”と書かない」


「はい」


「“よかったですね”とも言わない」


「当然です」


「当然、が多くて苦しいです」


「当然を守るのは、意外と苦しいものです」


 リリアナは少しだけ苦笑した。


「でも、謝罪より先に事実が来たのは……少しよい気がします」


「なぜ?」


「謝罪が先だと、相手の気持ちを受け取らなければならないからです。事実なら、まだ距離を取れます」


「よい整理です」


 リリアナは記録帳を開いた。


『王太子府検証報告書、完成通知。本文送付保留。謝罪文同封なし。

 謝罪より先に事実が来た。

 私は少し安心した。

 謝罪文は、読む側に相手の感情を処理させる場合がある。

 事実整理は重いが、感情処理を求めにくい。

 姉が本文を受け取るかは姉の判断。

 私は感想を送らない』


 書き終えると、リリアナはそっと目次の写しを閉じた。


「お姉様は、受け取るでしょうか」


 エルンが、思わずそう言った。


 リリアナは首を横に振る。


「分かりません」


「気になります」


「私もです」


「聞きませんね」


「聞きません」


 マルタが頷く。


「よろしい」


 公爵家でも、王太子府の完成通知は読まれていた。


 グレゴールは目次を見て、眉間に深い皺を刻んだ。


「王太子府も、かなり踏み込んだな」


 家令が答える。


「はい」


「謝罪文なし」


「はい」


「謝りたいだろうに」


「でしょうね」


「それを同封しないのは、よい判断だ」


「はい」


 グレゴールは、少し苦笑した。


「私が言うと、妙だな」


「旦那様も未送付綴じへ入れましたので」


「そうだな」


「経験者です」


「その言い方は嫌だ」


「では、先例保持者」


「もっと嫌だ」


 家令は、表情を変えずに言った。


「記録しますか」


「しなくていい」


 グレゴールは目次をもう一度見た。


 拒否権の未提示。


 名誉労働化。


 責任者不明瞭化。


 公爵家の内部整理表とも重なる。


 王太子府だけの問題ではない。


 公爵家が受け、転送し、黙認し、名誉として扱った問題でもある。


「こちらの事実整理表と照合する」


「はい」


「ただし、セレスティアへ送る文書にはしない」


「承知しております」


「王太子府が本文を送らないのなら、こちらが勝手に感想を送ることもない」


「はい」


「……少し、悔しいな」


 家令が顔を上げる。


「何がでございましょう」


「王太子殿下が、謝罪文を同封しなかったことだ。先にそこへ至った」


「旦那様も至っております」


「私は何度も止められた結果だ」


「結果が大切です」


「過程も刺さる」


「記録しますか」


「今日は本当にしなくていい」


 グレゴールは、通知を伏せた。


 そして、静かに言った。


「だが、よいことだ。謝罪より先に事実が行く。いや、今は事実の存在だけが行く。それでよい」


「はい」


 北方辺境伯家に通知が届いたのは、夕方だった。


 セレスティアは、小卓の前に座っていた。


 今日は朝から箱には触れていない。


 窓は短く開けた。


 水も置いてある。


 呼び鈴もある。


 ノアは同じ部屋ではなく、隣室にいた。


 セレスティアが「今日は少し外で待ってください」と言ったからだ。


 扉は開いている。


 閉めるほど一人になりたいわけではない。


 でも、同じ部屋にいてほしいほどでもない。


 その中間。


 支えの距離。


 そこへ、王太子府からの通知が届いた。


 ノアが扉の外から声をかけた。


「王太子府からです」


 セレスティアは少しだけ背筋を伸ばした。


「謝罪文ですか」


「いいえ」


 その返事に、セレスティアの胸が小さく跳ねた。


「では?」


「検証報告書の完成通知です。本文ではありません。目次と受領保留確認のみ」


 セレスティアは、ゆっくり息を吐いた。


「入ってください」


 ノアが入室し、封書を小卓へ置く。


 封は開いていない。


 セレスティアが手を伸ばす前に、ノアが確認した。


「今、開けますか」


「はい。通知だけなら」


「本文は入っていません」


「はい」


 セレスティアは封を開いた。


 中には短い通知と目次が入っていた。


『王太子府における候補者教育・非公式実務混同に関する検証報告書、完成。

 本文の送付は、セレスティア・レイノルド様本人の受領判断まで保留。

 謝罪文同封なし。

 目次のみ共有。回答不要』


 謝罪文同封なし。


 その一行を、セレスティアは長く見つめた。


 不思議だった。


 謝罪がないことに、安心している。


 以前なら、謝罪がなければ「軽く扱われた」と感じたかもしれない。


 だが今は違う。


 謝罪文がないことで、こちらの感情を急かされない。


 相手の後悔を受け止めなくていい。


 許すかどうかを考えなくていい。


 ただ、事実の整理ができたという情報だけがある。


 それが、思ったより呼吸しやすかった。


「謝罪より先に、事実が来ました」


 セレスティアは言った。


 ノアが頷く。


「はい」


「本文は、まだ来ていません」


「はい」


「目次だけ」


「はい」


「これなら、見られるかもしれません」


「無理に見なくても」


「いいえ。目次だけ、見ます」


 セレスティアは、目次へ視線を落とした。


 一つ目。


『候補者教育と実務補助の混同』


 胸が重くなる。


 けれど、読める。


 二つ目。


『非公式依頼の常態化』


 あった。


 何度もあった。


 三つ目。


『王太子府文書整理の外部依存』


 夜の紙束を思い出す。


 指先が少し冷えた。


 水を飲む。


 続ける。


『名誉労働化』


 その言葉で、少し目が痛くなった。


 名誉。


 何度も聞いた。


 名誉なことだ。


 期待されている。


 信頼されている。


 未来のためになる。


 その言葉の下で、休息は消えた。


『拒否権の未提示』


 セレスティアは、ここで手を止めた。


 拒否権。


 それは、今の彼女が必死に作っているものだった。


 読むか読まないか。


 開けるか開けないか。


 同席者を入れるか入れないか。


 返答するかしないか。


 あの頃、それがなかった。


 ないことに気づく言葉もなかった。


「拒否権の未提示」


 セレスティアは、声に出して読んだ。


 ノアは何も言わない。


「そうです。私は、断れると言われていませんでした」


「はい」


「断ってよかったかもしれない、と思うことすら、あまりありませんでした」


「はい」


「王太子府が、それを項目にした」


「はい」


「少し……助かります」


「はい」


 続きを見る。


『責任者不明瞭化』


 セレスティアは小さく笑った。


 笑いと言うには、少し苦い音だった。


「責任者不明瞭化」


「はい」


「便利な言葉ですね」


「苦い言葉でもあります」


「はい。とても」


 責任者がいない仕事ほど、セレスティアへ流れてきた。


 誰が頼んだのか曖昧。


 誰が確認するのか曖昧。


 誰が止めるのか曖昧。


 終われば、皆が助かったと言う。


 失敗すれば、セレスティアが責任を感じる。


 それが、仕組みだった。


 最後に。


『再発防止策』


 そこまで見て、セレスティアは目次を閉じた。


 本文はない。


 それでよかった。


 今は目次だけで十分だった。


「本文は受け取りません」


 セレスティアは言った。


「はい」


「今は」


「はい」


「でも、存在は知っておきます」


「はい」


「謝罪文がないことに、安心しました」


「それも記録しますか」


「はい」


 セレスティアは帳面を開いた。


『王太子府検証報告書、完成通知。

 本文送付保留。謝罪文同封なし。目次のみ。

 謝罪より先に事実が来た。

 謝罪文がないことに、安心した。

 相手の後悔を、今は受け取らなくてよい。

 目次だけ読んだ。

 候補者教育と実務補助の混同。

 非公式依頼の常態化。

 名誉労働化。

 拒否権の未提示。

 責任者不明瞭化。

 どれも痛い。

 でも、私の痛みを“気のせい”ではなく、仕組みとして置いた言葉に見えた。

 本文は今は受け取らない。

 存在だけを知っておく』


 書き終えると、セレスティアは少し疲れたように息を吐いた。


「痛いですが、少し楽です」


「はい」


「変ですね」


「変ではありません」


「仕組みとして置かれると、私だけが弱かったわけではないと思えます」


「はい」


「もちろん、仕組みだから仕方ない、ではありません」


「はい」


「仕組みだったからこそ、誰かが止めるべきだった」


「そう思います」


 セレスティアは、目次をもう一度見た。


 王太子府の印。


 アデルの名は、通知文の末尾にあった。


 だが、謝罪はない。


 それが、今日の救いだった。


「殿下は、謝りたいでしょうね」


「おそらく」


「でも、同封しなかった」


「はい」


「少し、変わろうとしているのでしょうか」


「そう見えます」


「変わった、ではなく」


「はい。変わろうとしている」


 セレスティアは、先日の父との会話を思い出したように、小さく笑った。


「皆、変わろうとしている、ですね」


「はい」


「私は、それを全部見届ける義務はありませんね」


「ありません」


「でも、存在だけを知っておくことはできます」


「はい」


 セレスティアは、箱の横に新しい紙を置いた。


『謝罪より先に、事実』


 もう一枚。


『相手の後悔を、今は受け取らなくてよい』


 そして、三枚目。


『仕組みとして置かれた痛みは、私だけの弱さではない』


 その三枚を置いたとき、箱の周りの紙はまた増えた。


 母の覚書とは直接関係ないようで、関係している。


 母のこと。


 父のこと。


 妹のこと。


 王太子府のこと。


 それらは別々だ。


 だが、セレスティアの中では絡み合っている。


 だから、一つずつ分けて置く必要がある。


 夜、王太子府には北方辺境伯家からの短い返答が届いた。


『検証報告書完成通知および目次、受領。

 本文受領は保留。

 謝罪文同封なし確認。

 回答不要』


 アデルは、その短い返答を読んで、椅子に深く座った。


「本文受領は保留」


 エドが頷く。


「はい」


「謝罪文同封なし確認」


「はい」


「よかった、と思うのは違うな」


 ラウルが静かに言う。


「少なくとも、拒まれてはいません」


「拒まれても、それは彼女の権利だ」


「はい」


「保留を、前進と勝手に呼ぶな」


 アデルは、自分に言い聞かせるように言った。


「はい」


 エドが記録する。


『王太子府、本文受領保留を確認。保留を前進と勝手に解釈しない』


 アデルは、小さく息を吐いた。


「だが、謝罪文を同封しなくてよかった」


「はい」


「謝りたい気持ちは、こちらで抱える」


「はい」


「報告書は、事実を置く」


「はい」


「次は、本文をいつ送るかではない。本文を受け取らない期間にも、王太子府が再発防止を進めることだ」


「はい」


 アデルは、報告書の写しを閉じた。


「彼女が読まなくても、我々は変える」


「記録します」


「しろ」


 その夜、セレスティアは小卓ではなく、窓辺の椅子に座っていた。


 箱は机の上。


 王太子府の目次は、別の封筒に入れて小卓の引き出しへ置いた。


 母の覚書とは別に。


 父の事実整理表とも別に。


 未送付手紙とも別に。


 それぞれの場所を作る。


 全部を一つの山にしない。


「閣下」


「はい」


「今日は、少し進みました」


「はい」


「箱は開けていません」


「はい」


「でも、王太子府の目次を読みました」


「はい」


「痛かったです」


「はい」


「でも、謝罪文がなかったので、痛みだけを見られました」


「はい」


「相手の後悔が混ざっていたら、たぶん無理でした」


「そうですね」


 セレスティアは、窓の外を見た。


 夜の庭は静かだった。


「母の覚書を読むときも、そうなのかもしれません」


「何が?」


「母の後悔がもし書かれていたら、私はそれを受け取らなければならないと思ってしまうかもしれない」


「はい」


「でも、読む前に決めておきます。母の後悔があっても、私は受け取る義務はない」


「大事な条件です」


「はい」


 セレスティアは立ち上がり、帳面に書き足した。


『母の覚書に後悔が書かれていても、私はそれを受け取る義務はない。

 後悔は、書いた人のもの。

 読む人が抱えるかどうかは、読む人が決める』


 その一文を書いたあと、セレスティアは少し震えた。


 母の覚書をまだ読んでいないのに、少しだけ中身の可能性に触れた気がした。


 後悔。


 謝罪。


 愛情。


 説明。


 願い。


 もし、それらが書かれていたら。


 受け取るかどうかは、自分が決める。


 そう書けただけで、今日は十分だった。


 灯りを落とす前に、セレスティアは箱へ静かに言った。


「お母様」


 箱は黙っている。


「今日は、王太子府の謝罪ではなく、事実を読みました」


 彼女は少しだけ息を吸った。


「あなたの覚書にも、もし後悔があったとして。私は、それを全部抱えなくてもいいと、先に決めておきます」


 箱は答えない。


 その沈黙が、今夜は少しだけありがたかった。

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