第13話「世界が歓声に包まれる日」
巨大な鉄格子の門が左右に開かれた瞬間、堰を切ったように人の波が敷地の中へとなだれ込んだ。
ロイヤル・ファンタジー・キングダムだ。
王都の外れに広がる荒野を切り拓いて建設されたその場所は、今日、ついに正式な開業のときを迎えた。
青く澄み渡った空に、色鮮やかな紙吹雪が舞う。
魔力を帯びたそれは、太陽の光を反射してプリズムのように輝きながら、ゆっくりと人々の頭上に降り注いでいく。
シエルはバルコニーから身を乗り出し、眼下の光景に目を奪われていた。
石畳のメインストリートを埋め尽くす群衆だ。
着飾った貴族たちと、質素な服を着た平民たちが、肩を並べて同じ方向へ歩いている。
アルファもベータもオメガも、そこには関係ない。
誰もが顔を紅潮させ、未知の体験への期待に目を輝かせている。
香ばしく焦げた砂糖の甘い匂いと、肉を焼く煙の香りが、風に乗ってバルコニーまで届いた。
「シエル。落ちるぞ」
背後から低い声が響き、腰に強い腕が巻き付いた。
黒い軍服を思わせる隙のない礼服に身を包んだルクスだ。
彼の胸板に背中を預けると、雪解け水のような清冽な香りがシエルの肺を満たした。
「ルクス様、見てください。あそこ」
シエルが指差した先。
メインストリートの中央で、車椅子に乗った老人が、巨大な回転木馬を見上げて子供のように声を上げて笑っていた。
豪華な衣装と、周囲を囲む屈強な近衛騎士たち。
変装もせずに公の場に姿を現した、この国の国王その人だった。
「陛下が、本当に来てくださいました。しかも、あんなに楽しそうに」
「お前が玉座の前で、あの御方に笑うことを約束させたからな」
ルクスの声には、呆れと、そして隠しきれない誇りが滲んでいた。
ふと、ルクスは視線を横へ移した。
綿飴を片手に、親の手を引いて満面の笑みで駆けていく病弱そうな少年の姿がある。
その風を切って笑う横顔に、かつて喪った弟・ファルクの面影が重なった。
(ああ……ようやく、見せてやることができた)
長い間、氷の底に沈んでいたルクスの喪失感が、温かな光に包まれて完全に溶け去っていく。
「ルクス様?」
不思議そうに見上げるシエルの頭を、ルクスは大きな手で優しく撫でた。
「行こう、シエル。今日の主役は、誰よりもお前だ」
ルクスに手を引かれ、二人はバルコニーを下りて人混みのなかへ足を踏み入れた。
歩き出すと同時に、シエルの視界は極彩色の渦に飲み込まれた。
水路を滑る小舟のアトラクションからは、豪快な水しぶきとともに歓声が上がる。
魔力で空中に浮遊するブランコは、乗る者たちに鳥になったような錯覚を与え、悲鳴に似た笑い声を空へ響かせている。
前世で幾度となく図面を引き、夢にまで見た景色。
それが今、この異世界で、自分の手によって現実のものとなっている。
歩きながら、シエルは周囲の様子に目を配った。
すれ違う人々のなかに、見覚えのある顔がいくつもある。
ヴァルディア領のファンタジー・ガーデンで働いていた職人たち。
彼らは今、この巨大な遊園地の誇り高き運営スタッフとして、笑顔で客を案内している。
そして、客たちの様子も、王都の日常とは決定的に違っていた。
普段なら平民を虫けらのように扱う傲慢なアルファの貴族が、順番待ちの列で前のベータの子供に道を譲っている。
オメガの青年が、怯えることなくアルファの番と手を繋ぎ、焼き菓子を分け合って笑っている。
この空間には、身分の壁も、性別の枷も存在しない。
誰もが同じ乗り物に乗り、同じ恐怖と歓喜を共有する。
その強烈な一体感が、人々の心の奥底にこびりついた偏見の分厚い氷を、少しずつ溶かしていくのだ。
「ルクス様」
シエルは立ち止まり、繋いだ手に力を込めた。
「僕は、間違っていませんでした。人が心から笑える場所は、世界を変える力を持っています」
ルクスは足を止め、シエルの顔を真っ直ぐに見下ろした。
氷のように冷たかった藍色の瞳は、今は春の陽だまりのように穏やかな光を湛えている。
「ああ。お前は魔法使いだ、シエル。この国で最も偉大な、奇跡を起こす魔法使いだ」
ルクスの大きな手が、シエルの頬を包み込む。
周囲の喧騒が、嘘のように遠ざかっていく。
鼓膜を打つのは、自分の激しい心拍の音と、ルクスの静かな呼吸音だけ。
ルクスがゆっくりと顔を寄せてくる。
交わる視線。
重なる影。
シエルは静かに瞼を閉じた。
唇に触れたのは、羽のように軽く、しかし魂を焦がすほどに熱い感触だった。
公衆の面前での口づけだ。
以前のルクスであれば、決して人前で感情を露わにすることなどなかっただろう。
だが今の彼は、シエルに対する独占欲と慈愛を隠そうともしない。
シエルの首筋にある咬み痕が、熱を帯びて微かに疼く。
番としての繋がりが、物理的な快感となって背筋を駆け上がった。
唇が離れると、ルクスはシエルの額に自分の額をこつりと押し当てた。
「今日は、一日中お前につきあう。どこへでも案内しろ」
「本当ですか。それなら、まずは一番奥にある重力滑降コースに乗りましょう。心臓が飛び出るくらい怖いやつですから」
シエルが悪戯っぽく笑うと、ルクスの端正な顔がわずかに引きつった。
「……手加減というものを知らんのか、お前は」
「遊園地に手加減は無用です。さあ、行きますよ」
シエルはルクスの腕を引き、歓声の渦のなかへ駆け出していく。
背後では、魔力で打ち上げられた昼間の花火が、青空に鮮やかな大輪の花を咲かせていた。
空気を振るわせる爆音だ。
人々の感嘆の息が漏れる。
この楽園は、まだ産声を上げたばかりだ。
これから先、数え切れないほどの笑顔と涙を吸い込み、この世界で最も幸せな場所として歴史に名を刻んでいく。
その確信を胸に、シエルはルクスとともに光の差す方へ歩き続けた。




