□第七章──ダンケルク③
一九四〇年六月十日。
前日の九日から、チャーチルによって『ダイナモ作戦』と命名されたダンケルク撤退作戦が幕を開けていた。
俺が元いた世界の史実では一九四〇年五月二六日から六月四日、九日間にわたり展開された一大救出作戦だ。
臨時基地では講堂でシャール少佐の訓示が続いていた。
「諸君、昨日からダイナモ作戦が開始され、既にブリタニア駆逐艦十隻、客船八隻がダンケルクの港から出港した。現在、その防空はブリタニア空軍が実施しているが、昨日、ベルギーがゲルマニアに降伏、連合軍が要衝フランドルを放棄した結果、約五〇万人の将兵がダンケルク目掛け退却を始めた」
シャール少佐は一呼吸置き、続けた。
「これにより、我々の作戦難易度は跳ね上がった。最悪の場合、当初計画案にあった四万五〇〇〇人転じて、五〇万名をダンケルクから撤退させねばならぬからだ。最終的に何名の連合軍将兵を撤退させられるかだが、最高で三〇万名、最悪で一〇万名の予測数値が現在出ている。我々は最善の数値を求め、本日からダンケルク上空の制空に努めるものとする。第一派として六〇機が出撃、ダンケルク上空の制空維持に努める。以上だ、出撃!」
俺たちは一斉に講堂を出て、格納庫へと向かった。
俺は車椅子でついてくるニールスに話しかけた。
「ベルギー降伏か。結局、開戦から一ヶ月持たなかったな」
「小国にとって、一ヶ月の継戦は最低ラインだよ。そこまで持たせられないと、結局大きな迷惑を他国に及ぼし、戦後他国から侮られることになる」
「なら、デンマークが一ヶ月交戦を達成したのはやはり意味があったんたな」
「発案者としては、そう信じたいけどね。とにかく気をつけて、彩夏。今回はゲルマニア軍も全力で向かってくる。五〇万名の敵兵を撃滅する好機が訪れたんだ。これを黙って見送る奴らじゃない」
「ああ、判ってるよ。じゃ、また後でな、ニールス」
俺はそう声をかけると格納庫に向け駆け出し始めた。多くの航空兵が駆け足に入ってる。
やがてエンジンの始動音が響き始めた。
表に引き出されたスピットファイアマークⅤにパイロットたちが次々と乗りこみ、エンジンを始動する。
俺も整備兵の助けを借り機体を外に出すとコクピットに移乗、エンジンを始動した。ロールスロイス・マーリンエンジンの爆音が響く中、タキシング、滑走路に入り、フラップを下ろし、スロットルを開く。
エンジンの轟音が一挙に高まり、スピットファイアマークⅤは離陸を開始した。
機体がふわりと宙を浮き、俺は素早く主脚を引っこめた。フラップを収納し、スロットル全開のまま素早く高度を取る。
高度を一〇〇〇メートルまで上げたところで周囲を見回し、友軍機との空中接触等が起きないことを確認、ドラゴン召喚に入る。
「ラニウス・カムヒア」
唱えるとものの一〇数秒でラニウスが前方七〇メートル先に現れた。
「融合開始」
を唱え、スロットルを開き、ラニウスの背に上乗りになる形でスピットファイアマークⅤを操る。
融合が開始され、全身がスライムを思わせる粘性物質に覆われ、次の瞬間その感覚が消失する。
融合は完了、いつものドラゴンフライトだ。
すかさず俺は無線を入れた。
「ノア、クレア、応答しろ。融合は完了したか?」
「こちらノア、融合完了」
「こちらクレア、右に同じよ」
「了解。これよりケッテ──三機編隊を組み、ダンケルクに向かう。上空でブリタニア空軍と合流後、ダンケルク上空の制空権を維持する。いいな」
「了解。それとクリス大尉たちの二機編隊はどうなっているの?」
「出撃前の打合せじゃ、二人でロッテを組み、ブリタニア空軍の支援に回るらしい。何かあったら無線が入るだろうから、考えるのはその時だ」
「了解」
「了解」
高度四〇〇〇メートルで編隊を組んだ俺は毎時六八〇キロでダンケルクを目指した。
ドーヴァー海峡を渡り、ダンケルクが見る間に近づいてくる。俺は全神経を戦闘モードに入れた。雲は薄い。降下すればダンケルクの港が見えてくるような錯覚にかられる。
その刹那、無線が鳴った。
「こちらクリス、彩夏、聞こえる?」
「こちら彩夏です。無事ですか、クリス大尉」
「ええ。私もガイアも無事よ。現在ドラゴン三頭と交戦中、警戒して。それと……」
「なんですか、大尉」
「ダンケルクの街はゲルマニアの爆撃でかなり酷いことになっています。街に大火事が発生して手がつけられません。特に低空の視界は絶望的に悪い、気をつけて」
「了解。こちらもあと五分でコンバットエリアに突入します。援軍が必要ですか?」
「敵ドラゴンの練度はB級だから問題なしです。あなたたちこそ敵ドラゴンとの遭遇に警戒して。少なく見ても一頭は確実にいます」
「了解。幸運を、大尉」
「そちらもね」
無線が切れ、俺はノアとクレアへの通話を再開した。
「聞いた通りだ。最低一頭は空域に敵ドラゴンがいる。おそらくロッテから外れたはぐれドラゴンだ」
「了解、対策は?」
「対空見張りを厳となせ、だ。相手が一頭なら三対一。だが、もっと多くの、複数のドラゴンがいるかもしれん。警戒を緩めるな」
「了解」
「了解」
二人の無線を聞きつつ、俺は周辺空域を見回した。
高度は四〇〇〇メートル、雲の上を飛び、絶対的な晴天が周囲を覆っていた。
これが現代機なら機上レーダーがあるから目標探知が容易になるのだが、あいにくドラゴンにそこまでの装備はない。敵の発見は目視に頼るのが原則だ。
その刹那、ごま粒大の火焔が見えた気がした。
空に目を凝らすと戦闘機同士が多数空戦をやっていると判る。
ほぼ同時にクレアから無線が入った。
「彩夏。十一時の方向、距離一〇〇〇〇で空戦が始まってる」
「私も見たわ。高度はほぼ同じね」
「了解。こちらも確認した」
俺はクレア、ノアの無線に応じると二機に命じた。
「この距離の交戦は同士討ちの危険がある。接近して、機種、国籍マークの確認を以て戦闘に入るぞ」
「了解」
「了解」
二人の応答を聞きつつ、俺はスロットルを開いた。
「増速するぞ、二人とも続け」
速度計の針がじわじわ上がっていく。
距離が次第に詰まり、ごま粒大だった戦闘機群の群れが次第に拡大していく。
国籍マークは、ブリタニアが白、青、赤の同心円の組み合わせ、ゲルマニアは鉄十字だ。
戦闘機の大きさが一円玉台になった時、前方を横切る機体の国籍マークがはっきり見えた。
後ろにつかれ、逃げているのがブリタニア、それを追いかけているのがゲルマニアだ。
機種はスピットファイア、あるいはその下位互換のホーカーハリケーンとBf109だ。機数は両者とも一〇機以上。
「やるぞ。前方友軍機を追いかけるBf109に一撃だ」
「了解」
ノアの返事と共にクレアのそれも返ってくる。ヘッド・アップ・ディスプレイが青く輝き、△のレクチルが後方敵機群に集まり始める。
その数が四機を超えたところで俺は命じた。
「各機射撃開始」
一瞬でラニウスの前方が赤く染まり、次の瞬間Bf109の編隊は爆発四散していた。
激しい爆発が連続し、粉微塵になった機体の破片が上空を舞っていく。
俺はスロットルを緩めつつ無線をブリタニア軍のそれに合わせた。
「無事か? こちらはリンデベルン傭兵隊のドラゴン三機。俺は編隊長の彩夏だ」
一瞬、戸惑ったような間を置いて返事が返ってくる。
「ああ……お蔭で、助かった。礼を言う」
指揮官機とおぼしき相手が返答する中、俺は視野に拡大するブリタニア機を見た。
スピットファイアではなく、ハリケーンだった。
極端なことを言えば、一世代旧い戦闘機。
翼と胴体は帆布と木材を多用し、エンジンとコクピット周辺部のみ金属を使った、布張り複葉を単葉機にしたような構造だ。
当然、速度もスピットファイアに対し劣り、マークⅡ型でも五二〇キロ前後しか出せない。時速六〇〇キロを超すBf109がハリケーンを後ろから追い回していたのは必然と言えた。
「こちらはハリケーン編隊長のバーンズ大尉だ。ダンケルクの港を上空制圧していたんだが、上からBf109の編隊に被られた。あと一歩で危うく全滅するところだった」
「お役に立てて何よりです。ダンケルク港の様子は……」
「下を見れば判るだろう。芳しくない」




