□第七章──ダンケルク①
一九四〇年五月三一日。
前日の訓示で、シャール少佐が隊員たちに言い忘れたことが一つあった。
すなわちリンデベルン傭兵隊がフランス軍を首になった事をゲルマニア軍に通知、中立を守る立場に転じたことだ。
「リンデベルン参謀本部からゲルマニア軍参謀本部に一報が入っているから、心配はないはずだが……それでも念のため、交戦空域は避けて飛ぶぞ」
一〇〇〇──午前十時きっかりに離陸を開始した彩夏たちドラゴンナイトのスピットファイアマークⅤにシャール少佐から無線が入ったのはその時だ。彩夏は
「了解」
と応じつつ、傭兵が持つ独自のルールに若干戸惑った。
先刻、整備兵たちがフランス軍所属を意味する垂直尾翼のフィンフラッシュを全部消していた理由もそれだったのかと納得すると同時に、そこから意味を汲み取らなかった自分の未熟さを自覚する。
ドラゴン、ラニウスの召集と融合は、いつも通りに終わった。ノア、クレアの機体も順調なようだ。
一点違いがあるとすれば──。
シャチのパーソナルマークを描いたドラゴン、ガイア大尉のドラゴンが横を飛んでいた。
「よう、一目見て判ったよ、彩夏。いいデザインのパーソナルマークだ」
無線にガイア大尉の声が響く。俺は
「どうも、ガイア大尉。大尉のオルカ──シャチも精悍ですよ。ぼけっと飛んでいたら一発で食われそうです」
「今度の作戦では大台の一五〇機撃墜を超えそうだ。当たらずとも遠からずだな、ははは……」
微かな笑い声と共にクリス大尉のドラゴン──パーソナルマーク・スパロー──スズメと編隊を組み、速度を上げていく。
「私たち二機は先鋒として三〇キロほど前に出ます。何かあったら無線で知らせるから、その時は援護を頼みます」
「了解です、クリス大尉」
俺の返事にバンクを振って答えた二機のドラゴンは見る間に速度を上げていった。七〇〇キロを軽く超えていくのがはた目にも判る。俺はクレアに無線を入れた。
「クレア、ドラゴンナイトはベテランになると、乗っているドラゴンのスピードが上がるのか?」
「ああ……彩夏は知らなかったのね。そうよ。ベテランが乗るドラゴンは、速度も運動性能も新人の機体とは比較にならない。経験値がそのまま性能に反映されるの」
「なるほど……腕が上がればドラゴンの性能も上がるってことか」
ずしんと来る設定だった。こうなると場数を踏み、多くの戦場を経験しているドラゴンナイトは圧倒的に有利だ。そこへクレアが付け加える。
「でも、安心して、彩夏。ここ一〇年で大きな戦争、紛争なんて、スペイン内戦と第二次エチオピア戦争くらいしかないわ。そういう意味では、スペイン内戦で撃墜記録を立てたガイア大尉たちは例外中の例外なのよ」
待て。俺は心の中で思った。
俺の世界の史実で起きた戦争、冬戦争はここでは起きなかったのか。
冬戦争とは、要約して言えばポーランド戦終結の直後に起きたソ連とフィンランドの間に起きた戦争だ。
当初、戦いは兵力において圧倒的に勝るソ連の圧勝と目されていたが、小国フィンランド軍は粘り強く戦い、ソ連軍に大損害を与え、停戦に持ちこんだ。それに対する言及がないとはどういう事だ?
「クレア、本当にその二つくらいしか戦争はなかったのか? もっと北の、そう、フィンランドあたりでロシアと戦争になった……なんてことは……」
「彩夏、良く知ってるわね。ポーランド戦の直後、ロシアがフィンランドに領土の一部割譲を要求して、危うく戦争になりかけたのよ」
「でも、戦争にならなかったと?」
「ロシアのスターリンに方針転換があったみたいで、結局ロシアが要求を引っこめて戦争は土壇場で回避されたわ。その辺ももう勉強したの?」
「いや……ざっとこの世界の近代史に眼を通したばかりだから、それがたまたま記憶のどこかに引っかかったんだろう。了解した、ありがとう」
俺は微かにため息をつき無線を切った。
やはり俺が元いた世界と、この世界は歴史の流れが所々大いに異なっている。
それらを早急に割り出し、すべての違いを確認するのがこれからの課題だ。
それからの飛行は順調に進んだ。
フランス機、ゲルマニア機どちらに出会う事もなく、ドーヴァー海峡が見えてくる。先行したクリス大尉たちの編隊は、既に着陸態勢に入ったらしい。
飛ぶ事八分──。
ブリテン島臨時空軍基地が視界に入ってきた。
滑走路の距離は一五〇〇メートルを超えているから爆撃機も発進可能だろう。
基地の大きさはまずまずといったところだ。少なくとも、今回は一〇〇機を超えるスピットファイアマークⅤを収容するのに充分な広さがあった。
飛行場を一周して周囲の状況を確認すると、〇八〇〇──午前八時に先行して離陸したDC3が一〇機ほど、その護衛についたスピットファイアマークⅤ二十数機の姿が視界に浮かんだ。俺は彼らの存在に感謝しつつ、無線を入れた。
「ノア、クレア、着陸態勢に入るぞ。融合解除」
二人に指示しつつ、俺はドラゴン分離のプロセスをこなし、続いて着陸態勢に入った。
フラップを下ろし、やがて主脚が滑走路──と言っても、芝生をならしただけの質素なそれを捉え、俺のスピットファイアマークⅤは無事着陸した。ノアとクレアのスピットファイアマークⅤがそれに続く。
タキシングで機体を格納庫に入れた俺は、エンジンのスイッチを切り、風防を開き、ナップザックを背負って外に降りた。
顔なじみになった整備兵たちと軽く言葉を交わしつつ滑走路を見ていると、不意に後ろから声をかけられた。
「主力は二時間遅れで到着だね。昼飯の調理は何とか間に合いそうだよ」
振り向くとゾマー女将が笑みと共に立っていた。
「女将さん?」
「厨房の道具は旧いけど二〇〇人分くらいなら何とかなりそうだし、いわゆる普通の昼飯を食わせてあげられるね」
「先行しての調理準備、お疲れ様です」
「なに、しっかり金をもらっての仕事だ。あんたも自分の仕事をするんだよ」
「はい」
応じているうち、ノアとクレアが駆け寄ってきた。
「女将さん」
「先行していたんですね。御苦労様です」
次々と女将に挨拶した二人は軽く頭を下げ、感謝の意を示した。
そんな二人を微笑と共に見守る女将は一瞬、文字通り女将さんに思えた。元ドラゴンナイトゆえ成長は二〇歳前後で止まっているはずだが、これまでの経験値と人生が彼女を遙かに大人びた表情にさせていた。
「男性用官舎は右、女性用は左だよ。さっさと荷物を置いて、一休みして来な。昼食はいつもと同じ一二三〇──一二時三〇分だよ」
「はい」
「ありがとうございます、女将さん」
「では、いったんこれで失礼します」
ノア、クレア、俺の順で返事をした俺たちは、その場から離れた。ここからはいつも通りだ。
俺は事前に指定された部屋番号を見つけ、扉を開けた。
殺風景な個室の風景が広がっていたが、それでもベッドと毛布はあった。問題ない。個室のロッカーにナップザックを置き、自分の荷物を整理、ベッドを整え休むだけだ。




