第四章──頑迷なるガムラン③
──一五分後。
俺とノアのドラゴンはロッテを組み、蒼穹を見つめていた。既にクレアのスピットファイアマークⅤは飛び立ち、俺たちの七、八キロ先を飛んでいるらしい。
俺は無線を開いた。
「見えるか、ノア」
「駄目ね。なにも見えない。クレアは、リラックスして見れば見えると言ったけど、そう簡単にはいかなさそうね」
「まったくだ」
俺はため息をついた。
これがフライトシムなら、レーダー索敵で敵機の輝点がレーダー画面に表示、それに合わせて機体を操るで済むのだが、この時代でそれがやれたのは大戦中番のイギリス、ドイツ、アメリカの三カ国だけだ。今は一九四〇年、機上小型レーダーは試作すら始まっていないだろう。
緊張を緩め、軽く瞬いた。長期戦になりそうだと思ったその刹那──。
前方に何かが浮かんでいた。
文字通りの黒点。
ごま粒大の何かがゆっくりと移動している。
三秒待って、俺は再度視認した。
移動目標の未来位置に眼の焦点を合わせ、軽く深呼吸する。
「見えたぞ、ノア。確かにクレアのスピットファイアだ」
「どこ? 何時の方向?」
「一〇時の方向……間違いない」
「わかった。見るわ」
真剣極まりないノアの声がレシーバーに響く。
それから三〇秒が経過した。静かな、凄みのある声がレシーバーに響く。
「私にも見えた。確かに、胡椒粒大の黒点が飛んでいる。クレアだわ」
「クレア、聞こえるか。二人とも君を発見した。胡椒粒大のスピットを確かに見つけたんだ」
間髪を入れず歓喜の声が返ってくる。
「二人ともおめでとう。これで、遠距離攻撃のメドがついたわね」
「索敵の間違いじゃないか? この距離でどうやって攻撃を……」
「ファイアブラストなら、ドラゴンは無理でもBf109は墜とせるわ。完全なアウトレンジ攻撃で一方的に敵機を撃墜できるのよ!」
「ああ……なるほど」
この戦闘は、機銃しか持たない敵機にサイドワインダー空対空ミサイルを使うようなものだ。
敵機──Bf109は、自らの射程内に入るまでひたすらアウトレンジ攻撃を浴びることになる。
俺はクレアをほんの少し軽く見ていたことに気がついた。
俺より実年齢が一つ上の、優しく礼儀正しい、サミア人の娘だと思っていた。
だが、その影には戦技理論に裏打ちされた訓練と戦うための牙が備わっている。
彼女は、戦うサミア人なのだ。
「訓練終了よ。二人とも、降りて一休みしましょう」
レシーバーから流れるクレアの声が結論になった。
俺たちは翼を翻し、臨時基地へと戻っていった。
着陸し、誘導路を通り、格納庫前に機体を止めたのはそれから一〇分後だ。俺たち三人はハイタッチを交わすと、見張り/攻撃能力向上を喜び合った。
「これで、出撃時の問題は解決ね」
上機嫌なクレアは続けた。
「あとはゆっくり休んで、出撃に備えるだけだわ」
それを聞いたノアは、不意に思いついたような顔を浮かべ、俺に同意を求めるように言った。
「それは賛成だけど、時間はそれでも余るわ。だったら自分の機体にパーソナルマークを描かない?」
俺はきょとんとした目でノアを見た。
「パーソナルマーク?」
「個人個人が自分で決めた絵のことよ。戦闘機や爆撃機の機首や垂直尾翼に絵が描かれていて、その絵で誰の乗機か一目で分かるようになっているわ」
俺は元いた世界での取材を思い出した。
そういや大昔、空自で自分の戦闘機に派手なパーソナルマークを描いていた人たちもいたな。
航空雑誌にはそれぞれ戦闘機にアニメーションのキャラクターを描いた写真が氾濫し、ある意味やりたい放題の時代があった。大昔の話だ。
「よし、やるか。でも、この中に画が描ける人は居るかな? 俺はまるっきり駄目なんだが……」
その時、遠慮がちにクレアが手を上げた。
「亡命前はギムナジウムで美術部に籍を置いていたから、ある程度は描けるわ」
「それはありがたい。じゃあ、作画担当で頼めないか?」
「喜んで。でも、その前に各自分のパーソナルマークを考えて」
「自分のマークか……そういきなり言われてもな……」
不意にノアが切り出した。
「私はハリネズミにするわ」
「なぜ?」
まさか自分の性格を現している……というわけでもあるまい。口に出したら引っぱたかれそうだ。
「私のドラゴン、エリキウスはラテン語でハリネズミを意味するの。だからパーソナルネームもドラゴンにつけた名前と合わせるわ」
なるほど。俺は頷いた。
「名前に合わせるのは分かり易いな。だったら俺のドラゴンの名はラテン語でラニウスだから、モズか」
クレアが後に続き、
「私のドラゴンはシュトリヒだから、ゲルマニア語でコウノトリの意味ね」
「ハリネズミ、モズ、コウノトリ。識別に慣れたら一発で誰の乗機か判るようになるな」
「じゃあ、私は自室でスケッチボードに描いてくるから、二人はゆっくり……」
「あ、でも、機体に実際に描くとなると、話は違ってくるわね。整備兵の中に絵心がある人はいるかしら?」
「じゃあ、クレアが原図を描いている間に俺たち二人で聞き込みに行こう」
「傭兵団の戦闘機の中にもパーソナルマークを描いている機体があるから、探せばいると思うわ」
「行こう。その間、クレアは原図を頼んだよ」
そこで俺たちはいったん別れた。正直、ニールスの尋問から逃れるのに渡りの船の展開だった。
俺とノアは格納庫に向かった。ノアが押えた口調で言った。
「どんな絵が上がってくるのかしら?」
「さあ……クレアが絵を描いている姿なんて見た事ないからな」
格納庫に到着した俺たちは先任下士官に声をかけた。
「失礼します。整備兵の中に、パーソナルマークを描く絵心がある人はいますか?」
「ああ……それなら……」
先任下士官は一方を向き、声を張り上げた。
「ハンス、ちょっとこい」
「はい。何でしょう、先任」
現れたのは二〇代半ばの青年だった。
顎髭を蓄え、いかにも美術をやっているような顔立ちだ。先任は俺たちに彼を紹介します。
「ハンス、お二人が機体に描くパーソナル・マークをお望みだ。後は任せたぞ」
「どうも。ハンス・キーガー伍長です」
「黒田彩夏少尉と、ノア・ニールセン少尉だ。正確には三名、三機分のパーソナルマークを描いて欲しいんだが……」
「判りました。参考になるイメージイラスト等はお持ちですか?」
「それは三人目のクレア中尉が自室で描いている所だ。ところで参考までに、君が描いたパーソナルマークの機体を見せてもらえないか」
「喜んで。御案内致します」
俺たちは案内に沿って格納庫を歩いた。キーガー伍長の足がぴたりと止まる。
「これです」
それはスピットファイアの尾翼に描かれたライオンのマークだった。写実的で、尾翼から飛び出てくるような迫力がある。俺は思わず見惚れた。
「凄いな、これは」
一方でノアは冷静だった。
「こうなると、あとはクレアの描いた原図がどうなるかよね」
「本人には見せずにおこう。下手にプレッシャーになるとまずい」
「同意するわ」
俺はハンスに押えた口調で言った。
「君の絵の上手さは判った。君に頼もうと思う。原図が届くまで、準備していてくれ」
「喜んで。では、準備に入りますのでこの場は失礼します」
キーガーはそう言ってその場から小走り気味に立ち去った。




